古武士の風格 ― 2015年09月08日 10時50分30秒
6日(日)は、全日本合唱連盟中信支部の合唱練習にお邪魔して、バッハ《マニフィカト》の講義をしました。お世話くださった福澤真理(しんり)さん(中学以来の友人)が翌朝クルマで迎えにきてくださり、木曽福島へ。恩師、井口利夫先生にお会いするためです。
井口利夫先生は、以前読書コーナーでご紹介した『われら在満小国民』というすばらしい本の著者。私と福澤さんが信州大学附属中学の生徒だったときに、国語と社会を教えてくださった先生です。深い木曽谷を走る車中でわかったのは、教えていただいたのが1年生のとき1年だけであること、その時先生は臨時の任用で1年だけこの中学の教壇に立たれたということでした。不思議ですね、それではなぜ、先生の印象がかくも鮮明で、心に生き続けているのでしょうか。
中学1年が13歳であったとすると、15歳年上だった先生は、28歳。繊細で優雅、しかし情熱は胸にたぎる、という方だったと記憶しています。木曽福島に近づくにつれ、私は緊張してきました。なにしろ、56年ぶりの再会。別人のようになっておられ、見分けがつかなかったらどうしよう、などという心配が心をよぎりました。
谷の中腹、神社に接したお住まいにたどり着くと、先生が外で待っておられました。すらりと背筋が伸び、お元気であることは一目瞭然。しかし、端然とした一種厳しいイメージは、その後身につけられたものかもしれません。「古武士の風格」と申し上げましょう。
きれいに片付けられた和室にお邪魔し、正座される先生を前に、私も何十年ぶりかで正座。さて、いつまでもつか・・・。昔の思い出、その後の来歴、近年取り組まれている木曽学についてなど、話題は次々に広がり、先生の知的な探究心と、地域、人間、教育を考える真剣な姿勢に、私は足の痛さも忘れて聴き入りました・・・とはいかず、しびれが極致に達して、ついに正座を放棄。子供の頃、お寺だのなんだのでよく正座し、たいへんな思いをしていたことを思い出しました。
これが私より15歳も上の方だろうか・・・そう思わざるを得ないほど、先生は気力充実し、前を向いておられます。帰り道、当地の名所、山村代官屋敷を見学。先生は、当主山村蘇門が芸術に幅広く通じた人物で、善政を施したことを説明してくださいました。じつは、その山村家の末裔が、「まつもとバッハの会」の現会長をやっておられるのです。縁はつながるものですね。
右端は福澤真理さん。中学同学年ですから、私と同い年です(注釈が必要)。
最近のコメント