阪神の場合2016年07月21日 23時11分04秒

私は大阪に仕事をもっていますので、飲んだりすると、野球の話になります。見事なぐらい、皆さん、阪神ファン。入れ込むあまり采配批判になったりするのが、野球ファンというものですよね。

今年、金本政権が誕生したとき、ファン諸氏の喜びはたいへんなものでした。いよいよ待望の体制ができた、と。そんなに急にうまくいくかなあ、と私は懐疑的でしたが、果たして、結果が出ていませんね。

「野球ブログ村」を見に行くと、キャプテン鳥谷を外せ、という大合唱です。打撃不振、守備もかつての面影のない鳥谷を、連続イニング出場という目的のために起用し続けているのは納得できない、という趣旨のようです。たしかに鳥谷、元気ありませんね。打線が、彼で切れてしまいます。

鳥谷を外してはダメだというOBの声も強いということ。ですので、単に連続出場のためだけに監督が起用し続けているのかどうか、はっきりしたことはわかりません(金本監督も同様にしてその記録をとった、という指摘もあります)。私が阪神を応援するのは巨人戦だけですので、まあどちらでもいいのですが、コンサートに誰を起用するか、ソロを誰に振るか、といった音楽上のことに通じるので、どう処理されるか、興味があります。

私は野球なら野球の神様、音楽なら音楽の神様が喜ぶように考えるべきで、人間の都合を優先すべきではない、という意見です。ですので、負けているチームが代打代打でひとわたり選手を出してやる、という温情をかける高校野球の監督に、疑問を感じます(昔はその方がいいと思っていましたが、だんだん変わってきました)。スポーツの清々しさは、そういう温情とは無縁のところにあるように思いますが、違うでしょうか。

もちろん、どちらの選手が力があるかは、個人プレーだけでなく、連携能力とか、チームプレーへの適性とかで多様に判断されますよね。音楽も、それは同じです。でも、たかが音楽、人間を優先して考えよう、という発想は、幸せな結果を招かないように思えてなりません。