今月の「古楽の楽しみ」2016年06月03日 06時35分18秒

今月はプレ・バッハの器楽曲をやろうと思い、考えたあげく、形式ジャンル別にバッハまでの足取りをたどる、という形にまとめました。バッハの先までいく日もあります。

6日(月)は、パッサカリアとシャコンヌ。以下のような構成です。
1.ビーバー:パッサカリア/レイチェル・ポッジャー(ヴァイオリン)2015年最新録音
2.ブクステフーデ:シャコンヌハ短調/ビーネ・ブリンドルフ(オルガン)
3.パッヘルベル:シャコンヌニ短調(トッカータニ短調とともに)/小糸恵(オルガン)2014年最新録音
4.バッハ:パッサカリアハ短調/小糸恵(オルガン)
5.ヘンデル:シャコンヌト長調/オリヴィエ・ボーモン(チェンバロ)

7日(火)はトッカータです。
1.カプスベルガー:トッカータ3曲/ポール・オデット(リュート、キタローネ)
2.フローベルガー:トッカータ第9番/クリストフ・ルセ(チェンバロ)
3.スウェーリンク:トッカータハ長調第3番、ト短調第4番/ラインハルト・ヤウト(オルガン)
4.ブクステフーデ:トッカータヘ長調/ビーネ・ブリンドルフ(オルガン)
5.バッハ:トッカータとフーガニ短調BWV565/ロレンツォ・ギエルミ(オルガン)→超有名曲の初登場
6.トッカータニ短調BWV913/グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)

8日(水)はフーガ。
1.ブクステフーデ:フーガト長調、ハ長調/ブリンドルフ(オルガン)
2.ラインケン:フーガト短調/シモーネ・ステッラ(オルガン)
3.パッヘルベル:フーガト短調/クラウディオ・ブリツィ(クラヴィオルガン)
4.ブットシュテット:フーガホ短調/マウリツィオ・クローチ(オルガン)
5.バッハ:小フーガト短調、レグレンツィの主題によるフーガ/ヴォルフガング・シュトックマイヤー(オルガン)
6.ヘンデル:《6つのフーガまたはヴォランタリー》から2曲/オリヴィエ・ボーモン(チェンバロ)
7.モーツァルト:フーガト短調K.401/トマス・トロッター(オルガン)
8.モーツァルト:2台のクラヴィーアのためのフーガハ短調K.426/トン・コープマン、ティニ・マトー(チェンバロ)

9日(木)はファンタジア。
1.ギボンズ:ファンタジアニ短調/グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
2.スウェーリンク:ファンタジアイ短調第3番/グスタフ・レオンハルト(オルガン)
3.フローベルガー:ファンタジア第4番「ソ・ラ・レ」/グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
4.バッハ:ファンタジアハ短調BWV1121/トン・コープマン(オルガン)
5.バッハ:半音階的ファンタジアとフーガBWV903、ファンタジアハ短調BWV906/鈴木雅明(チェンバロ)
6.テレマン:無伴奏ヴァイオリン・ファンタジア第1番/エンリコ・オノフリ(ヴァイオリン)
7.テレマン:無伴奏フルート・ファンタジア第6番/ジェド・ウェンツ(トラヴェルソ)
8.C.P.E.バッハ:ファンタジアニ長調Wq.117-14/ミクローシュ・シュパーニィ(クラヴィコード)

けっこう時間がかかりましたが、流して楽しんでいただけるといいなと思います。どうぞよろしく。

重版出来!(ドラマではなく)2016年06月07日 13時46分39秒

クリストフ・ヴォルフ著、拙訳の『モーツァルト 最後の四年~栄光への門出』(春秋社)、6月10日付けで、第2刷の刊行に至りました。皆様のおかげです。ありがとうございました。

著訳者にとって、第2刷の刊行は、初版に生じた誤りを修正する、またとないチャンスです。万全を期すべく見直し、25ページに修正を入れました。修正にあたっては、刊行後何人かの方からいただいていたご指摘が役に立ちました。御礼申し上げます。とりわけ佐々木健一さんからは、細部まで読みを入れた上での慧眼のご指摘・ご助言をあまた頂戴しました。ご友情に、心から感動しております。

修正のうち、文言の改良や文章の調整については煩雑になりますので割愛させていただき、内容にかかわる誤りや必要なお知らせについて、以下に記述しておきます。

・断章自筆譜の見られるWebsiteが、春秋社のオフィシャルサイト内に設置されました。アドレスはhttp://www.shunjusha.co.jp/news/2016/sizenfu2016.htmlです。作成者である柴田文彦さんのプロフィールを、本の末尾に加えました。

・75ページの註40に「2690フロリーン」という高額の家賃が記されていますが、これはアルンシュタイン家の所有する所室全体に対するものです。そのうち四階の一部をモーツァルトが借りた、ということになります。

・193ページ、《レクイエム》キリエ・フーガの原曲は、《デッティンゲン・アンセム》HWV265です。これは影響の大きい間違いですので、春秋社のサイトでも掲載していただきました。私の責任であり、気づいたときには顔面蒼白になりました。申し訳ありません。初版お持ちの方、ぜひご修正ください。

・翻訳協力をしてくださった越懸澤麻衣さん、ご協力いただいた時点ですでに、東京藝大楽理科の助手であられました。お詫びして訂正します。

・文献表の脱落を補い、若干増補しました。第4章註138(ワーグナーの《魔笛》論)は、第三文明社の『ワーグナー著作集5』で参照できます。

以上、よろしくお願いします。

『モーツァルト 最後の四年』修正一覧2016年06月10日 11時43分31秒

第2刷で修正した部分をすべて挙げておきます。煩雑で申し訳ありません。『著作正誤表』というカテゴリに入れておきますので、どうぞご活用ください。1:4=1ページ4行目、とします。

【序】
ii:14 (日本語版は春秋社ホームページをご覧下さい) 〔追加〕

【第1章】
31:9  六作品九七公演→六作品、九七公演
46:13 じっさいに役割にどんな役割を→じっさいにどんな役割を

【第2章】
重要! 75:11 所有する→大部分を借りている
      75:12 の一角にある→から
75:12 借りた→与えられた
      75:13 三階→四階
81:4  三階→四階 
83:15 偉大さ→大きさ

【第3章】
109:14 区域→区画
109:15 一八室→一八区画
109:16 区画→領域
110:4 来客が多くて→ここなら来客が多くて
118:15 結果する→起因する
119:9 残余期間のために→残余期間に向けて

【第4章】
147:16 おとぎ語→おとぎ話
155:16 消えうせるのだ?→消えうせるのか?
156:1  二次的な目的→次なる目的

【第5章】
172:10 望んでおりました→念願しておりました
186:譜例5-1 (最後の小節のバス音)es→e(♭を削除)

超重要! 193:17 テ・デウム→アンセム

【第6章】
213:7  http:// (アドレス)→春秋社のホームページで

【訳者あとがき】
249:2  大学院博士課程に在学中→楽理科助手

【参考文献一覧】
39 SolomonとTysonの間にStadler項目を挿入。署名はイタリックですがあいにくここには再現できません。

Stadler, Abbé[Maximilian]. Vertheidigung der Echtheit des Mozart'schen Requiem. Vienna, 1826.
___.Nachtrag zur Vertheidigung der Echtheit des Mozart'schen Requiem. Vieena, 1827.
___.Zweyer und letzter Nachtrag zur Vertheidigung der Echtheit des Mozart'schen Requiem, sammt Nachbericht über die neue Ausgabe dieses Requiem durch Herrn André in Offenbach; nebst Ehrenrettung Mozart's und vier fremden Briefen, Vienna, 1827.

【註】
プロローグ
(12):1 要求した金額は→無心した金額は
(24):7 申し上げます」→申し上げます」とある

第2章
重要!(40)家賃は2690フロリーン→アルンシュタイン家の家賃は総額で2690フロリーン
     (同)Braunbehrens 1989, 65→Braunbehrens 1989, 76.
第3章
(10):6 モーツァルト氏」のサイン→モーツァルト氏」によるサイン
第5章
(38) 邦訳あり、参考文献一覧参照→邦訳:ワーグナー著作集5、宇野道義訳、第三文明社
(44) veinen→reinen

【著者紹介ページへの追加】

特設ウェブサイト日本語版作成協力
柴田文彦(しばた ふみひこ)
1959年生まれ。東京都立大学院工学研究科修了。ITコンサルティングエンジニア。

逆戻り2016年06月12日 18時04分15秒

昨日のスポーツ新聞に、「巨人、五割に逆戻り」と出ていました。

好きではあるが、ずっと不思議に思っていたのが、この「逆戻り」という言葉です。単に「五割に戻る」じゃ、なぜいけないんだろう。意味上、「逆」は必要ない。それなのについているには、強めの働きだろうか。たしかに効果的ではあるが・・などと、いつも思っていたのです。

ふと気がついたのが、この言葉の不可逆性です。勝ち越していたのに五割に落ちてきたのであれば「逆戻り」と言うが、負け越していたチームが五割を回復した場合には、「逆戻り」とは言わない。望ましくない方向に戻るのが「逆戻り」であって、望ましい方向に戻る場合は「逆戻り」ではない、ということのようです。

そこで『新明解国語事典』を引きました。「以前の場所や好ましくない状態にふたたび戻ること」だそうです。なるほど、すっきりと理解できました。

そうすると、今日は「巨人、借金生活に逆戻り」となるわけですね。日本語の話題をお届けしました。

石橋を叩いて渡るドイツかな2016年06月13日 21時49分50秒

不肖私、明日から、ドイツに行ってまいります。いいなあ、とおっしゃる方もおられますが、歳のせいか面倒だ、という気持ちも。しかし詰まっていたスケジュールをなんとか消化して、準備が整いました。

ツアーの方々とごいっしょに出かけますが、今年はコンサートがいいため、お仲間がたくさん。旧知の方もおられます。ご案内の時に「飲みましょう」とも申し上げましたので、それは楽しみにしています。

しかし振り返るに、ご案内しなければ、という気持ちにかられて前に出て行くと、必ず失敗しているのです。ですので今回は、標記のごとく堅実に、淡々と毎日を過ごし、皆様の思惑も外しながら、静かにほほえみつつ、帰ってこようと思います。起伏のない旅行記になりますが、一応、お届けするつもりです。

今年は、一人の日にちがあまり取れず、足は伸ばさずに、図書館で調べ物をします。ますます見せ場のない旅となりそうで、皆様には、あらかじめお詫びしておきます。

ドイツ2016淡々(1)2016年06月15日 22時42分49秒

14日羽田発のミュンヘン行きルフトハンザ機でドイツにまいりました。睡眠がよく取れたのは、淡々とした心境のなせるわざでしょうか。

ミュンヘンで最初のビールを味わい、すぐ乗り換えてベルリンに到着。
ホテルは、かつてよく泊まったホテルと同じ一角にある、しかしはるかに立派なホテルです。そこで眠り、朝食を食べ、バスで、雨のベルリンの市内観光をしました。まもなく集合してプレレクチャーをし、「ドイツとイタリア」と題された、ベルリン古楽アカデミーのコンサートに出かけます。

すべてが淡々と運ばれているものですから、ご報告jも、このように淡々としたものとなっております。最近ひんぱんに担々麺を食べて、準備をした甲斐がありました。特記すべきご報告もないまま、時計の針が回るドイツ滞在。またご連絡をさしあげます。

ドイツ2016淡々(2)2016年06月17日 22時07分17秒

ベルリンのコンツェルトハウス
気がついたことがあります。「淡々」というのは、声高に宣言するものだろうか。意識的に努めるものだろうか。やってみるとむずかしいのですね、これが。

優秀な添乗員さんにまかせて引っ込んでいるつもりが、ベルリンのレストランで、ビールの注文を仕切っている自分を発見。私が采配を振るうとどうなるかということをご存じの方は一部ですから、多くの方がとりあえず、素朴な信頼のまなざしを寄せてくださいます。

さっそく数名の方と、コンサートの後飲みましょう、という話になりました。チラシに「飲みましょう」と書いているので飲みには行くのですが、全員一度に行くと必ず失敗するので、小さなグループに分けて淡々とこなしていこう、という作戦を立てました。

雨模様のコンツェルトハウスで催されたのは、ベルリン古楽アカデミーのコンサート。「バッハとイタリア」と題され、A.スカルラッティのコンチェルトとカンタータ、ヴィヴァルディのコンチェルトとカンタータ、バッハのイタリア協奏曲、カンタータ第209番という選曲です。

ロビン・ヨハンセンという売り出し中のソプラノが共演し、華やかな笑顔とテクニックで会場を魅了。古楽アカデミーはソリスト編成で主張のあるアンサンブルを聴かせ、北の人のとらえたイタリアというテーマにふさわしい、いいコンサートになりました。事前にプログラムの予習をするというのがツアーの売りでもあるのですが、スカルラッティのリコーダー協奏曲が私の予想と別曲だった上、ヴィヴァルディのカンタータを調べ忘れるという失態。謝罪だけは、さっそく始まりました。

クーダムのホテルの近くにとてもいいお店があります。ところが、下調べの段階で閉店11時とわかり、結局、ぶっつけでお店探し。次々と店が閉まってゆく時間帯ではらはらしましたが。やっと入れたイタリア人のお店が安いながら良心的なところで、ようやく肩の荷を下ろすことができました。「2016淡々」第2日、終了。

ドイツ2016淡々(3)~不思議な声2016年06月18日 17時26分14秒


朝日サンツァーズのバッハ詣で旅行3日目(6月16日)。この日が前半の山場です。ベルリンを出てヴィッテンベルクを観光し、ライプツィヒ入り。夜は聖トーマス教会で、ガーディナー指揮の《マタイ受難曲》を鑑賞するのです。

覚えている方もおられるでしょうが、去年の最大のトラブルは、ヴィッテンベルクで起こりました。一応振り返っておくと、観光後ライプツィヒに戻ろうと列車に乗ったところ、反対のベルリンに行ってしまった。動転してチケットを買いに走ったら、ヴィッテンベルクまで買えばいいところを、ライプツィヒまで買ってしまった。その上乗った列車が事故により迂回して大幅に遅れ、夜のコンサートに間に合うかどうか、時計とにらめっこになった--。今考えても冷や汗の出る失態を重ねたのが、去年でした。

というわけで鬼門の、ルター都市ヴィッテンベルク。今年は幸い爽やかな好天に恵まれ、失態も犯さずに、気持ちの良い散策ができました。来年の記念イヤーに向けての準備も進んでいます。去年閉まっていた聖マリア市教会(写真)にも入って、クラナッハの宗教画を堪能しました。

ライプツィヒに着き、いよいよコンサート時間(夜8時開始)が近づいてきました。ところが、その間に食べたものがいけなかったようで、気分がとても悪くなってしまったのです。

ぎりぎりまでホテルで休んで駆けつけると、まだ聴衆が長蛇の列。同業の加藤浩子さんと並ぶことになったのですが、加藤さんに「話しかけないでください」と言ってしまうほど(ごめんなさい!)、本当に気分が悪かった。トイレに駆け込む危険があったのでよほど前半を休もうかと思いましたが、チケットは無駄にできませんから、なんとかがんばろう、と思い定めました。

行かれた方はご存じでしょうが、聖トーマス教会は、席がとてもわかりにくいのです。すでに演奏者が待機している中をようやく探し当て、手前のお二人が立って道を作ってくださいました。ところが。その時。私に、不思議な声が響いてきたのです。

その声は、「汝、階段を登れ。かつてこの教会でバッハが成し遂げたことを、つぶさに見届けよ。今日、ガーディナーがなすことを見守るがよい」と言うかのようでした(後付け)。

言われるままに上がってゆくと、目前に演奏者席が開け、イングリッシュ・バロック・ソロイスツの面々が布陣している。まもなく拍手に送られて、聖トーマス教会聖歌隊の少年たちが上がってきました。続いて、モンテヴェルディ合唱団。彼らは私の右側に立ち、左前方に、エヴァンゲリスト役のジェイムズ・ギルクリスト。やがてガーディナーが長身をあらわして左側へと進み、会場に一礼しました。(続く)

ドイツ2016淡々(4)~すべてが言葉へ2016年06月19日 18時40分58秒

聖トーマス教会の演奏者席は2階後方にあり、1階席からは、演奏者の姿をほとんど見ることができません。聴衆は、豊かな残響と共に舞い降りてくる響きに身を浸すわけで、それが、教会で音楽を聴く伝統的なあり方でもあります。同行の方々はそのように聴かれ、一致して、すばらしかった、感動した、とおっしゃいました。私からは、目撃してわかったことを中心にご報告します。

最大の驚きは、声楽が全員暗譜だったことです。合唱はもとより、エヴァンゲリストもイエス(シュテフェン・ローゲス)も、全員楽譜なし。しかも、アリアを歌うソリスト9名がモンテヴェルディ合唱団と共に、合唱パートを全部歌っている。人数は、彼らを含めて各パート3人(ソプラノのみ5人)×2の、28人です(+少年合唱)。

つまり、コンチェルティスト/リピエニスト方式がみごとに貫徹されていたわけです。これはソリストに大きな負担を課しますから、ソリストに著名な人が少なく若手が多かったのは、そのためかもしれません。しかしその一体感はたいへんなもので、周到に準備された公演、という印象を強くしました。楽譜をすべて自分のものとした2群の合唱から、明晰でスピリットにあふれたすごい響きが湧き上がり、教会空間にこだましてゆくのです。

ガーディナーが何を目指して音楽していたのかは、演奏者側から見ることによってよく理解できました。すべてが、「言葉」に向かっているのです。彼は(声を出していたかどうかはわかりませんが)つねに言葉を口ではっきり示しながら指揮し、表情の動きや高まり、また鎮まりをすべて、言葉の内側から引き出してゆく。言い換えれば、音楽の全体が巨大な言葉として昇華されてゆく。こういう演奏をイギリス人たちがなしうるとは・・・。イングリッシュ・バロック・ソロイスツの奏者たちが簡単な伴奏音型ひとつにも共感をこめ、有機的アンサンブルを作っていたことも印象的でした。(感想続く)

ドイツ2016淡々(5)~《マタイ》の演奏者たち2016年06月21日 16時22分31秒

音楽的に見ると、ガーディナーの指揮は、大局的な視点に立ちつつ、演奏に一貫した流れを確保する方向に向かっていました。歌い手が前奏、後奏を利用して移動することにより、ほとんどの楽曲がアタッカで進行してゆきます。こうすると、絵巻物のように物語を体験できるのですね。できれば、こうしたいものです。

コンチェルティストの割り振りは、バッハの指定通りではありませんでした。どうやら準備の段階を経て、割り振りが定まったようです。女声の中に巨漢の黒人歌手が交じっていて驚きましたが、レジナルド・モブリーというカウンターテナー。艶のある美声でアリアの先陣を切り、会場を沸かせました。

若手のソリストには指導的な棒さばきを見せたガーディナーですが、ハナ・モリソンのように彼のフレージングを熟知している人は自由に歌って、あたかも化身のよう。どの歌い手にも、器楽とのコラボをしっかり取るという古楽の基本が徹底されていました。

しかし歌い手の殊勲賞は、なんといってもジェイムズ・ギルクリスト(エヴァンゲリスト)でしょう。美声で語りかけるような唱法にますます柔軟性と起伏が加わり、大演奏の聖書場面を堂々と牽引。当代随一の、少なくとも一人ではあると思います。

ヴィオラ・ダ・ガンバは日本人女性でした。見慣れた後ろ姿と思ったら、やはり市瀬礼子さん。〈忍耐〉のテノール・アリアから入りましたが、ラド・シミを歌わせ、紡ぎ出し部分をすごい付点にする解釈で、音楽性も十分。器楽奏者の最初に起立して拍手を受けました。舞台袖で立ち話をしていると、ガーディナーが花束を届けに。このところしばしば共演しているそうです。たいしたものですね。

長くなりますが、細部の話を少し。最後のバス・アリアの中間部終わりに、「世よ出ていけ、イエスにお入りいただくのだ」という部分があります。この世ときっぱり決別し、イエスをこの身に埋葬しよう、というくだりです。

私はこの箇所が大好きなのでいつも待っているのですが、多くの演奏が、ここを素通りしてしまいます。しかしガーディナーは間奏をしだいに白熱させてここを迎え、次の器楽合奏に喜び踊るような表情を加えて、主部の再現を導きました。雑念が一掃された心の軽みをあらわしたのだと思いますが、こういう演奏は初めて聴きました。言葉への収斂の、1つの形だと思います。終曲の大団円には、感慨を込めたひときわ大きなリタルダンドが置かれて、コンサートが閉じられました。

身体の不調は曲ごとに良くなり、ついには解消。悪いことがあればいいことがある、という「ツキは一定」の理論は、やはり正しいようです。忘れがたい一日。天の声様のおかげです。

最後に、一愛好家さんがコメントで触れておられる、《ロ短調ミサ曲》新盤との関係について。私は間近でその凄みを実感しましたから、その心配から解放されました。しかし同行した方の中にお一人、13年の《ヨハネ受難曲》に比べるとやや老いを感じる、と指摘した方がおられました。言われてみると、その意見を否定することもできないように感じています。