今月の「古楽の楽しみ」2016年04月05日 09時27分28秒

スタッフで会合をもっていた時、アーノンクールの追悼番組をやったらどうか、という話が持ち上がりました。さっそく興味を覚えて私が引き受け、4日間の番組に構成しました。なにぶん長命で、大きな発展を遂げた音楽家です。新たに聴き直してみると気がつくことがいろいろあり、たいへん面白い経験をしました。ぜひ聴いてください。

11日(月)は、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとの初期の録音を振り返りました。古い楽器を集めては修理し、音を出して、というのをやっていた頃です。「マクシミリアン1世の宮廷音楽」からイザークを2曲、「フックス作品集」から《ロンドー》。初期の録音は青年らしく端正で、私の記憶していたイメージとはかなり違う印象でした。皆さん、どうでしょう。

私はアーノンクールの歴史的貢献はモンテヴェルディをもって第一とする、と思っているので、1968年の《オルフェオ》旧盤から、いくつかの場面を出しました。ういういしく新鮮で、とてもいいと思います。キャシー・バーベリアンや、若き日のマックス・ヴァン・エグモントも忘れがたいです。最後に73年の《ポッペアの戴冠》から、セネカの死の場面を加えました。

12日(火)は、アーノンクール自身の音が聴ける室内楽を中心に。バッハのカンバ・ソナタ第1番から始めて、ブリュッヘンとの共演によるヘンデルのトリオ・ソナタ、フリードリヒ大王のフルートを使ったヴィヴァルディの協奏曲《夜》、シェフトラインとの共演によるテレマンのオーボエ・ソナタというプログラムにしました。

13日(水)は、レオンハルトと曲を折半して録音したバッハ・カンタータ全集の回顧。初期のおずおずした取り組みから、アーノンクールらしい修辞学的テキスト解釈が発展していく様子がわかるように編集しました。全曲録音は彼にとって、また奏者にとって大きな学習過程であったと実感します。選んだのは第1番の冒頭合唱曲(ホルンがまだ・・)、前半の珠玉である第68番、後半から、真価のよくあらわれた第179番です。

14日(木)は、大指揮者となってレパートリーを大きく広げた後期から、折にふれて発表された古楽のライヴ録音、およびモーツァルトを取り上げました。バッハの《クリスマス・オラトリオ》、ヘンデルの《メサイア》と《アレクサンダーの饗宴》、モーツァルトの初期交響曲と《レクイエム》、最後にバッハの《マタイ受難曲》という選曲は、まるでリクエスト名曲集ですね(笑)。

雄大でドラマティックになった後期の演奏、古楽としてどうなのかという思いを抱いてもいましたが、こうやって聴いてみると、研究に基づく大局観がつねに先行していて、やっぱりたいしたものだと感服しました。皆様の好みでお確かめください。

3月のCD2016年04月04日 07時58分21秒

遅ればせながら。

新譜が出てくるたびに感心して聴いているのが、ロータス・カルテットです。日本人女性3人+ドイツ人男性1人という構成ですが、響きがドイツそのもの。渾然として一体感があり、深い森の雰囲気と香りが伝わってくるといって、誇張ではありません。ドイツにすっかり根を下ろした、ということですね。

今度の新譜は、シューベルトの弦楽四重奏曲第15番ト長調です(ライヴノーツ)。これは晩年の名曲ですが、表現は木目の肌触りで、和声の精妙さも十分。聴き応えがあります。

併録されているのは《アルペッジョーネ・ソナタ》の弦楽五重奏版で、編曲とソロはミハル・カニュカです。これもしっとりとして美しいのですが、ソロがとてもクローズアップして録音されていて、カルテットが後景に退いているのが残念。もちろんソロの旋律を埋もれさせないための工夫ですが、せっかくのからみが生きず、もどかしいです。

ちょっとびっくりしたのが、ウィーンの巨匠、ルドルフ・ブーフビンダーのバッハ・アルバム(ソニー)。このところ世評の高いピアニストですが、パルティータ第1番、第2番とイギリス組曲第3番が明晰に、きらめき豊かに演奏されていて、いいバッハになっています。近いうちに放送でイギリス組曲をやりますから、とりあげましょう。

4月のイベント(修正あり)2016年03月31日 07時59分00秒

一ヶ月が速く過ぎ去るので、ご案内がいつも後手に回ってしまいます。

いきなりですが2日(土)15:30~17:30に、朝日カルチャー新宿校で、「美しい音楽とは」という講演をします。同校「美しさとは」シリーズの一環だそうです。具体例をもとに、一緒に考えていくというスタンスでやりたいと思います。ご興味のある方、お待ちしています。

朝日カルチャーの今月。新宿校の恒例水曜日は、6日と20日です。ワーグナー講座(10:00~12:00)が《パルジファル》の第3幕、バッハ・リレー演奏講座が《2声のインヴェンション》(6日)とカンタータ第4番(20日)です。

横浜校のモーツァルト講座は23日(土、13:00~15:00)。今季は交響曲を取り上げますが、《レクイエム》が終わっていないので、今月は《レクイエム》の後半を取り上げます。ご了承ください。

8日(金)はよみうり大手町ホールで「セレモア・チャリティーコンサート」の司会をしますが、これはすでに満席とか。9日(土)は東大和市のなかなか楽しいイベント「アンサンブル・フェア」の審査員。10日(土)は「楽しいクラシックの会」の例会です。たのくら・オペラ・シリーズの今月は、ウェーバーの《魔弾の射手》。会場(立川市錦町学習館)の都合で9:30~11:30になっていますのでお気をつけください(←自分に言っている)。〔←まだ《魔笛》が終わっていないぞという声あり。失礼しました。今月は《魔笛》の第3回、来月21日が《魔弾の射手》です。〕

聖心女子大の授業は11日から始まりますが、最後の授業になりますのでコアなテーマに帰り、「受難音楽の歴史」をやることにしました。

16日(土)には湯河原の町民大学で「なつかしい世界の歌、日本の歌」のコンサートをします。リートあり、オペラあり、歌謡曲ありの楽しみ企画。出演は秋葉京子、田中純、久元祐子の皆さんです。17日(日)は「すざかバッハの会」(14:00~16:30、須坂駅前シルキーホール)。もう少しでダブルブッキングになるところでした(汗)。ワーグナー・シリーズがいよいよ《リング》に入り、まずは《ラインの黄金》です。

「古楽の楽しみ」はアーノンクール追悼特集です。別途ご案内します。

「後門の狼」といいますが2016年03月30日 10時04分55秒

福島での4日間は重労働でしたが、テンションが高まっていたため、さほど疲れは感じませんでした。どっと疲れが出てきたのは、帰ってから2日後、3日後。疲れが遅れて出てくるのが、年齢の証明だそうです(笑)。

しかしそのすぐ後にも、難題が控えていました。福島のコンテストが「前門の虎」であるとしますと、こちらは「後門の狼」。それは、いずみホールで26日(土)に開催された「藤原道山 15th Anniversary 風雅竹韻」というコンサートです。

なんでそれが狼か。それは、このコンサートが「ディレクターズ・セレクション」という枠組みで企画されたため、私が建前上ホストになり、一定のトークをする役割を担っていたからです。

藤原道山さんのすばらしさは重々わかっていますが、私には、尺八のコンサートを解説する知識も能力もありません。しかも道山さんの意気込みでオール尺八、ソロから合奏までのプログラムが組まれ、藤倉大さんの世界初演曲も一つ。チケットは飛ぶように売れて満員御礼、NHKの収録も入るということになって、私は完全に追い詰められてしまいました。 いったい何をお話ししたらいいのでしょう。

幸い、道山さんがお客様相手に手ほどきをされるイベントがあるというので、前日早朝に発ち、お話を聞きました。これがまず、とてもいいお話。万事ていねいに、正確な知識をわかりやすく伝えようと気を配っておられる様子がよくわかり、お人柄に、大きな信頼を抱きました。

この日のリハーサル、当日のゲネプロと見せていただいて冒頭のスピーチとインタビューを準備し、なんとか乗り切ることができました。ほっとし、肩の荷が下りました。

スーパースターの音楽作りを間近に見られたのも幸いでした。突出した技倆、貴公子の風貌もさることながら、穏やかでていねいなお人柄が、本当にすばらしいです。人の輪が、どんどん広がっていきますね。

大人と子供2016年03月28日 07時30分35秒

声楽アンサンブル・コンテストの3日目、20日(日)は、一般部門。大学職場一般37団体の後に、小学校・ジュニア部門が5団体が置かれていました。併せて採点するのです。

迫力満点だった高校の部に比べると、一般の部はやや落ち着いて、熟したアンサンブルがインドネシア、フィリピンの団体をも交えて、味わいもさまざまに展開されました。つまるところ採点も比較的割れたのが、この日でした。

時計は回り、小学校の部が開始されたのが、17時27分。オトナの団体が熱戦を繰り広げた後に子供たちではいかにも気の毒、という思いで臨みました。

ところが。5団体が5団体ともめざましい合唱で、疲れを一気に吹き飛ばしてしまったのです。同じ基準で採点するのはどうかなと思っていましたが、それどころではありません。とくに福井市明新小学校が指揮者なしで(!)、4声曲を含む達意のアンサンブルを繰り広げたさまは壮観というほかはなく、あっけにとられたというところです(本選でも審査員特別賞を受賞)。これなら、最後に置かれていたことにも意味があります。

21日(月)、バッハの誕生日に、勝ち抜いた15団体による本選が行われ、福島県の合唱文化の高さ、厚み、広がりを立証する形で、コンテストの幕が閉じられました。おもてなしもいただき、高揚もしていましたので、疲れを感じる暇もない4日間でした。話題に事欠かない福島県ですが、行政・教育も一体となった音楽のパワーこそ、復興のシンボルであると思います。それにしても、これほどとは。

切磋琢磨2016年03月26日 10時46分29秒

19日(土)は、高等学校部門。表彰式の講評を依頼されたこともあり、この日が自分として勝負だと思っていました。

「声楽アンサンブルコンテスト」の合唱コンクールと異なる特色は、小編成に限定されていることです。メンバーは最少2名、最多16名。このため、指揮者なしで出場するグループがかなりあります。その多くが傾聴に値する音楽をしていたのは、聴き合いながら自分たちで作っていくという、クリエイティヴなスタンスを持たざるを得ないからでしょう。

その長所を最大限発揮していると思われたのが、日本大学東北高校と、郡山高校。どちらも誠実に心を込めたアンサンブルで、とくに前者のパレストリーナは、じーんと心に伝わってきました(特に本選)。

私として嬉しかったのは、音楽史上の名曲がずいぶん取り上げられ、マスゲーム風のプレゼンテーションが少なかったことです。モンテヴェルディ、バッハ、ハイドン、モーツァルトなども出てきました。それらが明らかに前日を上回る激戦を展開する中で、シュッツの《ムジカーリッシェ・エクセークヴィエン》(音楽の葬儀)を取り上げた高校がありました(福島東高校)。

その演奏が始まったとたんに私は電撃に打たれたような思いがして、涙が止まらなくなってしまいました。音楽は簡素そのもの、しかしそこに無限の思いがこもっていてるのですね。短調で始まったフレーズが長和音に終止する「ピカルディ終止」がひんぱんにあらわれるのがシュッツの特徴ですが、そこにつねに、安らぎと希望の実感があるのです。

こういう探究が高校教育の場で行われているのはすごいなあと、感嘆しきりの私でした。3つの高校のみ今日は紹介しましたが、いずれも、福島県の音楽文化の一端。切磋琢磨しながら、どんどん盛り上がっているように見えます。

悲愴感2016年03月24日 08時41分58秒

18日(金)は、中学校部門。全国から43校が出場し、覇を競いました。

会場となった福島市音楽堂は、とても音響効果のいいところ。残響があります。お客様のまだ少ない時には、その残響がきわめて豊かです。

恐れていた「伯仲」を実感しつつ審査に入った私ですが、まもなく、この残響は大敵であることに気づきました。「伯仲」になんとか濃淡をつけようとしているのに、残響が、すべてを美しくくるんでしまうのです。いやこれはたいへんなことになった、なぜこの場に来てしまったのかと、わが身を呪う心境に陥った私でした。

うなだれつつ休憩の部屋に行くと、指揮者を中心とした審査員の先生方が盛り上がり、「レベルが高くて楽しいですねえ」と言っておられます。悲愴感漂っているのは私だけで、皆さん、伯仲のシチュエーションを楽しんでおられるようなのです。これでは、ますますうなだれざるを得ません。

しかし、そうした中からもひときわ立派に響いてくる演奏があるのですね。そこに注目することで、まずまずの結果は出せたのではないかと思います。1つだけご紹介すると、器楽も声楽も盛んという地域の特性を生かし、自前の小オーケストラとともにラインベルガーの《スターバト・マーテル》を取り上げた郡山第五中学校。深い響きでまとまった感動的な演奏で、この日の1位のみならず、全体のグランプリを獲得しました。中学生、すごいです。

難関2016年03月22日 07時17分48秒

18日(金)から連休末の21日(月)まで福島で催される「声楽アンサンブルコンテスト全国大会」の審査を、お引き受けしていました。これが今月の大難関で、迫るにつれプレッシャーが増大。「できるならこの杯を過ぎ去らせてください」という言葉はこういうときのためにあるのだな、という心境でした。

なぜかというと・・・。4日間連続して40団体ぐらいずつ審査をし講評を書くという負担に耐えられるか、という不安がありました。加えて、いずれ劣らぬアンサンブルが次々と登場するこのコンテストの審査は日本一むずかしい、という情報を仕入れていました。全日本合唱コンクールの審査もプレッシャーでしたが、これは2日で終わる。4日となるとどうなるのか、年も年ですので、心配でなりませんでした。

まあしかし、日にちはやってきます。最終的な心境は、とにかくベストを尽くそう、それで自分の納得できる審査ができなければこれを絶対最後にしよう、というものでした。17日(木)は早朝に起きて急ぎの仕事をいくつか片付け、審査委員会とレセプションの待つ福島へ。 なにしろ4泊ですから、珍しく洋服ケースを持参しました。

車中うとうとし、目覚めると武蔵野線の電車は、乗換駅の武蔵浦和で停車しています。あっと思い、あわてて下車。少し歩いたところで気づきました。洋服ケースを網棚に忘れてきたのです。

これでテンションが、いちだんと降下。とにかく行ってしまうか、あくまで洋服ケースを奪還するか、しばらく迷いましたが、奪還を優先することに。幸い駅員さんが親切に対応してくださり、吉川美南という駅で取り戻すことができました。網棚事件は、たしか三度目です。

レセプションで私の着いたテーブルには、副知事、市長、県会議長、教育長といった方々が勢揃いしておられ、歓迎モード全開で日本酒(←金賞の銘柄数がダントツとのこと)を勧めてくださいます。お酒のありがたさで、酔いが回るとともに不安が薄れていきました。(続く)

顧みる2016年03月17日 05時58分14秒

尊敬する指揮者のブルーノ・ワルターが、晩年の対談(映像)で「長いこと指揮をしてきたので、これからはじっくり自分を見つめてみたい」という趣旨のことを述べています。引退して自分を見つめるとはどういうことだろう??と、長らく疑問に思っていました。

今でもわかりませんが、それに近いことを案外自分がするようになっているのではないか、という気もします。わが身を観察して変化だなと思うのは、たとえば「今日1日でここまで片付けてしまおう」的なやり方ができなくなってきたこと。割にすぐ、まあいいや明日にしよう、と思ってしまうのです。

反面、仕事や出来事の一コマ一コマにその意味を考えたり、充実を見出したいという気持ちが強くなっています。小さな喜びでいいから、少しずつ見つけたいという願望が、仕事の場にしろ、会合にしろ、町を歩いているときにしろ、出てきているのです。

そんな風になっているところへ、知人が朝日新聞の「はがき通信」という欄の切り抜きを届けてくれました。《マタイ受難曲》初稿の放送を聴いてくださった秋田の方の、「音楽の深さ」という投稿です。大きな励みになりました。心より御礼申し上げます。

放送では、まだ予定ですがアーノンクールの足跡を振り返る番組をやりたいと思い、初期の録音を聴き直しています。昔は結構抵抗を感じていた当時の演奏が、いま聴くととてもいいのですね。そこで少ししみじみしたりするのも、自分を見つめることに入るのでしょうか。

純粋という価値2016年03月12日 00時24分55秒

11日(金)、新国立劇場の新制作、ヤナーチェクの《イェヌーファ》を観ました。いい曲ですねえ。台本はいたたまれないほどに悲しく進行しますが、そこに付されたヤナーチェクの音楽が、まことに純粋無垢、真実味にあふれているのです。

このごろになって、純粋とか純真とかいう価値に、すごく心を動かされるようになったと感じています。もちろん、積み重ねや克服の上にあらわれてくる純粋さで、プリミティヴがいいということではありません。

コヴェントガーデンの《魔笛》(私のイチオシ)でタミーノを歌っているヴィル・ハルトマンに出会ったのは、嬉しい驚きでした。彼を含め、すばらしい公演だったと思います。

〔付記〕同日行かれた知人が新国最近の傑作、と激賞しておられました。私も同感。指揮者のトマーシュ・ハヌス氏を柱にヤナーチェク・シリーズをやって欲しいですね。