顧みる2016年03月17日 05時58分14秒

尊敬する指揮者のブルーノ・ワルターが、晩年の対談(映像)で「長いこと指揮をしてきたので、これからはじっくり自分を見つめてみたい」という趣旨のことを述べています。引退して自分を見つめるとはどういうことだろう??と、長らく疑問に思っていました。

今でもわかりませんが、それに近いことを案外自分がするようになっているのではないか、という気もします。わが身を観察して変化だなと思うのは、たとえば「今日1日でここまで片付けてしまおう」的なやり方ができなくなってきたこと。割にすぐ、まあいいや明日にしよう、と思ってしまうのです。

反面、仕事や出来事の一コマ一コマにその意味を考えたり、充実を見出したいという気持ちが強くなっています。小さな喜びでいいから、少しずつ見つけたいという願望が、仕事の場にしろ、会合にしろ、町を歩いているときにしろ、出てきているのです。

そんな風になっているところへ、知人が朝日新聞の「はがき通信」という欄の切り抜きを届けてくれました。《マタイ受難曲》初稿の放送を聴いてくださった秋田の方の、「音楽の深さ」という投稿です。大きな励みになりました。心より御礼申し上げます。

放送では、まだ予定ですがアーノンクールの足跡を振り返る番組をやりたいと思い、初期の録音を聴き直しています。昔は結構抵抗を感じていた当時の演奏が、いま聴くととてもいいのですね。そこで少ししみじみしたりするのも、自分を見つめることに入るのでしょうか。

コメント

_ 横浜の野々垣 ― 2016年03月17日 15時18分36秒

 朝日新聞購読者である私は放送番組ページにあるこの「はがき通信」コーナーをよく見ますが、昨日の分は2件あった投稿の最初のものだけ見て「音楽の深さ」の方は見落としました。
 投稿記事に同感です。私の感想(好み)では、初期稿と改訂稿とでは、改訂稿の演奏に軍配を上げますが、使用楽器、合唱団、ソリストの規模、出来映えの違いかもしれないですね。
 大塚直哉さんの「原マタイ受難曲]演奏会では、さらに原初に遡った楽譜での演奏が聴けるとの、先生のお話で、楽しみです。

_ I招聘教授 ― 2016年03月18日 23時41分52秒

野々垣さんありがとうございます。いま合唱コンクールで福島に来ていますが、こちらでもずいぶん多くの方が聴いてくださっており、バッハをお好きな方が本当にたくさんいるなあと、あらためて実感しています。今日も、松戸の中学生が《イエスよ、わが喜び》をすばらしく演奏しました。

_ 優@1&4&6&7&14&18&32 ― 2016年03月19日 17時37分09秒

アーノンクールのバッハは「クリスマスオラトリオ」をはじめ、カンタータのいくつかを持っていますが、正直のところ、私の趣味とは少し異なる、というか少し違和感があります。聴き込めば良さがわかってくるのかもしれませんが。

私事で申し訳ありませんが、2週間前、17年と7ヶ月一緒に暮らしてきた愛猫ソフィが天国に旅立って行きました。
まだ気持ちの整理がついていませんが、こういうときこそ、バッハの音楽が心を癒やしてくれます。

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