雪の長岡京2014年02月12日 05時57分40秒

8日、9日の週末は、京都、岡山に出張。雪の中を新横浜で、遅れている新幹線を待ちました。

ひとつわかったのは、遅れている新幹線の指定券を買うことはできない、ということ。すぐ乗れると思って買った車両に乗り込むまで、45分待ちました。その間に、数両が発着。急ぐ場合には、自由席に乗り込むほかなさそうです。

新幹線の遅れ1時間半。15:00からのコンサートにぎりぎり滑り込めたのは幸いでした(昼食は食べはぐれました)。目指すコンサートは、長岡京記念文化会館で行われる、長岡京室内アンサンブルの「ニューイヤー・コンサート」。ニューイヤーとはいえ、曲目はオール・モーツァルトで、協奏交響曲をメインに、セレナータ・ノットゥルナ、ト長調のカッサシオンK.63という本格的なもの。CDも作られるようです。

その道では有名なアンサンブルで私もCDは聴いていたのですが、実演は初めて。いや、たいへん感心しました。私の最近求めている音楽のひとつの姿が、ここにありました。

スッキリ、爽やか系のスタイルで、メンバーの自発性が豊か。お互いにしっかり聴き合いながら、誰もが前向きに、音楽に参与しています。初期のモーツァルトが曲ごとに行っている工夫や冒険がくっきりとクローズアップされる面白さは、格別。指揮者なしでここまでできるものかと驚くと同時に、これこそ室内アンサンブルのあるべき姿だなあ、とも思いました。本拠で聴くことができて、本当に良かったです。

遅れている新幹線をふたたび待ち、岡山へ。

弔いの精神2014年02月10日 10時17分26秒

8日(木)。NHKでの録音を終え、能を観に行きました。能は詞章が好きなので時折出かけますが、国立能楽堂は初めて、「能を再発見する」という鼎談付きのシリーズで、演目は『藤戸』でした。そのストーリーは次のようなものです。

源平合戦の将、佐々木盛綱は、若い漁師から浅瀬の存在を聞き知る。彼はその漁師を殺して口封じしてから軍を進め、大勝する。恩賞として手に入れた土地で盛綱が苦情受付を行ったところ、漁師の老母がやってきて、息子の死を激しく抗議する。そこで盛綱は弔いの管絃講を催し、あらわれた漁師の霊を供養して、成仏させる・・・。最近では権力の横暴、社会への告発という側面を強調されることもあるストーリーだが、真髄は供養、魂の鎮めにこそある、という趣旨の解説がされていて、なるほどと思いました。その老母を後ジテ(漁師の霊)が出ても舞台に残すのが、原型を復元する今回の工夫だそうです。

能を観るたびに思うのは、こういう様式美を作り上げた昔の人の偉大さです。音楽といい、所作といい、多くのことが非合理的とも思われますが、すべてが神様(広義)を呼び出す装置として作動していると言えば、納得できそう。異界との交信がまさに眼前に開かれ、閉じられるのです。

明日をも知れぬ世を生きていた人々にとっては弔いがこんなにも重要だったのだなあ、という重い感慨を抱きました。それは、長く生きられるようになった現代には軽んじられるようになっている。葬儀は簡略化される一方ですし、灰を撒いて葬儀に代える、という人もいますね。かくいう私も、「葬」に手厚く対処してはいないのですが。

昔の人は、思いを残して死んだ人の魂が手厚い弔いによって鎮められ、この世を離れることを体験し、自らの死への備えをなしたのにちがいありません。そうした精神が働いていれば、諸行無常もニヒリズムではない。そういう精神の喪われた現代に、むしろニヒリズムの温床はありそうです。

芸大ゼミ打ち上げ2014年02月07日 23時43分32秒

なにかと個人情報に気を遣う、このごろ。ブログに写真を載せるのも善し悪しだと思って遠慮しているのですが、登場してみたい、と思われる方も、案外あるよう。芸大の学生たちも、遠慮は要りませんよ、と声を揃えました。

そういうときにかぎって失敗するのが、写真。デジカメのフラッシュを切っておいたのが良くなかったようで、どれもこれもボケているのです。受講生を自慢したかったのにこれでは残念ですが、次回のない催しなので、なんとか見られるのを選び、ご紹介します。

「初めは処女のごとく、終わりは脱兎の如し」という言葉がありますが、この日の打ち上げがまさにそうでした。一流店にびびったのか、楽理の学生たちはいかにもおとなしく、会食は粛々と進んでゆきます。回りから見たら、気の毒に、先生がいるから窮屈なんだね、と言われても仕方のない状況でした。

それも徐々にほぐれ、三択クイズで盛り上がりが。私の三択クイズ、答の1つは単に自虐的なものなのですが、それだっ、と選んでくる学生はいるもの。私は見ていますよ、君の選択を!・・・というわけで、別れがまことに残念な会になりました。あとは写真をどうぞ。不出来ですみません。


開始時点。席は阿弥陀で決めます。


研究発表先発の一人、夢川 愛唯奈さん(お茶大2年)。クイズは12問正解の最高点でした。


同じく先発隊の松本彩友美さん(3年)。研究発表最多登板。


男性陣も充実。洗練された飲みっぷりの吉田万里欧君(左)と思索型の砂田歩君(右、いずれも4年)。


前列は左から岡本悠さん、関茉林さん、幹事で貢献してくれた藤田瞳さん(いずれも3年)。後列左端は山口慶子さん(4年)、右端は英国から日本のバッハ受容というテーマで留学中のトマス・クレッシー君。


最後に駆けつけた須摩恵子さん(4年)。




皆さん、すばらしい学生さんたちでした。本当にありがとう。

がんばった2日間2014年02月06日 23時57分15秒

3日(月)が、在宅日でした。この日は本当にがんばったので、日記代わりに、書いてしまいます。

やったこと。「古楽の楽しみ」2日分の企画確定と、アシスタントへのCD送付。2つの大学の採点(1つは四年生のみ)。朝日新宿校の水曜日2コマ分の準備。某学会から頼まれていた仕事。これだけこなせるのだから、やはり元気だということですよね。いつもこうできるわけではありませんが・・・。今週を乗り切れる光が見えて、充実感をもてました。

4日(火)は、雨が雪に変わる、寒い日。ICUの授業から、1日が始まりました。帰り道に寂しい駅前のお店でうな重の「上」を頼んだのですが、甘いタレで気分が悪くなってしまい、家に帰ってダウン。後で楽しいことのある日って、ダメですね。

なんとか起き、山梨に忘れてきたデジカメが届いていたのでそれをもち、NHKに向かいました。「らららクラシック」の収録です。

「ららら」の瞬間出演は3回目ですが、今度は無伴奏チェロ組曲第1番が対象。最近取り組んでいた作品なので、まずます対処できました。NHKから、渋谷「ラ・ゴローザ」へ。芸大ゼミの打ち上げが、この日だったのです。その模様は、あらためてご紹介いたします。

大山越え2014年02月05日 23時44分42秒

2月1日と2日に、講演・講座3つという、大きな山がありました。2月に入っていきなりの試練です。

横浜での入門講義(変奏曲)を終え、向かったのが参宮橋。演題は「バッハ自由自在--パロディ再考」というものです。東京バロックスコラーズの主催で行う講演は、いつも参加者充実。合唱団の実力の証明でしょう。一件奇妙なタイトルは、パロディをテーマとした2回目のコンサート(23日)を「バッハ自由自在!」と銘打って行うという、三澤洋史さんのアイデアに即したもの。《フーガの技法》の未完の三重フーガを声楽曲をして演奏するという、破格の試みもあるようです。

私も《ロ短調ミサ曲》研究を通じて、パロディには新しい考えを抱くようになっていました。それを、《ロ短調ミサ曲》、《小ミサ曲》を例としてお話ししたのですが、自分としては、会心の出来だったと思います。なぜか、TBSの講演はいつも心ゆくまで話せ、事後の三澤さんとの対談、客席との質疑応答も、盛り上がるのです。打ち上げをパスしたのは、翌日の準備が間に合っていなかったため。残念なことをしました。

2日(日)は、「甲府メサイア合唱団」主催の、《ヨハネ受難曲》講演会その2。前日帰宅後残された準備を行い、レジュメを送ったのが午前3時。その後画像ファイルを整えるなどして、終了が午前5時になりました。

え?何度もしている話でしょ?と思われるかも知れませんが、今回は合唱団用にトゥルバ(聖書場面の中の合唱)を通して考察するという目標を立てたため、たいへん手間取ったのです。もっと効率よくやらなきゃいかんなあ、とつくづく思います。しかし準備をするからこその遅れは、はらはらして待っている合唱団の方々にも理解されていて、この日生まれた熱いつながりの要因になったようにも思います。

山梨市駅に降り立つと、長身の指揮者、依田浩さんとアロハ先生の姿が。お二人とも国音の出身者です。デリーベイというお店で驚くほどおいしいカレーを食べ、笛吹市の会場「スコレーセンター」に向かいました。


熱心に聴いていただいて疲れも吹き飛び、終わって外に出ると、富士山から甲斐駒まで、山々が姿をあらわしていました。甲府市内で、合唱団の方々と打ち上げ。


嬉しいつながりがどんどん増えていきます。コンサートは4月5日(土)と伺っています。

2月のイベント2014年01月31日 12時12分54秒

明日から2月ですね。恒例のご案内です。

1日(土)は、昼夜掛け持ち。13:00~15:00は朝日カルチャーセンター横浜校の「超入門」講座で、シューベルトの《鱒》その他を材料に、変奏曲の原理と歴史についてお話しします。

夜は18:30から国立オリンピック記念青少年総合センター(参宮橋)で、東京バロックスコラーズの「バッハ自由自在」コンサートへのカップリング講演。三澤洋史さんとの対話も交えながら、「パロディ」に関する最近の考えをお話しします。ちなみにコンサートは23日(日)14:00から、会場はティアラこうとうです。

2日(日)は、甲府メサイア合唱団に提供していただいた《ヨハネ受難曲》講座全2回の2回目。1回目に作品の基本的なところをお話ししましたので、2回目は「バッハの精神を歌うために」と題し、合唱の役割と内容、演奏法について考えたいと思います。14:00~16:30。山にぐるりと囲まれた、すばらしい環境の会場です。

5日(水)は、朝日カルチャーセンター新宿校。10:00からのワーグナー《リング》徹底研究は、《ワルキューレ》第2幕の後半を取り上げます。13:00からの《ヨハネ受難曲》徹底研究は、「ペトロの否認」の場面(第1部終わり)の第2稿バージョンの話が中心になります。

11日(火)は、松本のハーモニーホールで《ロ短調ミサ曲》の公演があります。小林道夫先生指揮の松本バッハ祝祭アンサンブルの出演、15:00から。私も参ります。

14日(金)は、演奏者急病で持ち越しとなったバッハ・オルガン作品連続演奏会vol.3です(いずみホール、19:00)。ピーネ・ブリンドルフさんの選ばれたプログラムは「喜びに満ちて、晴れやかに」と題するもので、明るいト長調の作品を中心に構成されています。それだけに、ト短調のコラール・パルティータ《ようこそ、慈悲あついイエスよ》が効果を発揮することでしょう。

じつはこの14日も掛け持ちで、10:30から大阪中之島公会堂で、「音楽史の宝物~バッハの両受難曲」という講演をします。4月のオランダ旅行に備えて、朝日旅行社が企画するものです。(私は「磯山」さんではないんですけれど・・。)

15日(土)は早朝に帰り、立川の「楽しいクラシックの会」例会(10:00~12:00、錦町地域学習館)に間に合わせます。ワーグナー《神々の黄昏》がいよいよ第3幕に入るので、おちおち寝坊できません。

16日(日)は「すざかバッハの会」今年の第1回です(14:00~16:30、須坂駅前シルキーホール)。《ヨハネ受難曲》講座の継続になりましたので、「ドラマは進む――2つの裁判、『王』をめぐる対話」と題し、第2部の始めを取り上げます。

19日(水)は朝日・新宿の継続で、午前中のワーグナーは《ワルキューレ》第3幕、午後の《ヨハネ受難曲》は第1部終わりをとりあげます。

22日(土)は朝日カルチャーセンター横浜校の「魂のエヴァンゲリスト」講座です(13:00~15:00)。題して「フーガの技法、そして死」。長らくたどってきたバッハの生涯も、最後にたどりつきました。

以上、がんばりますのでよろしくお願いします。

忘れちゃいました2014年01月29日 23時53分21秒

このところものすごく忙しかったのですが、そのためでしょうか、「古楽の楽しみ」についてご案内することを、ケロッと忘れてしまいました。今月はゼレンカ特集で、力を入れていただけに残念です。

ライプツィヒのバッハにドレスデンで対峙したゼレンカは、独創性に富む、第一級の作曲家です。新録音もすごく出てきていて、その再評価を、避けて通れません。フリードリヒ・アウグスト1世の追悼音楽などじつにすばらしく、ぜひご案内しようと思っていたところでした。申し訳ありません。

次は、今年が生誕300年であるC.P.E.バッハの特集です。忘れないようにご案内したいと思います。

困った犬2014年01月28日 23時53分33秒

当家の愛犬、陸ちゃん(マルチーズとヨーキーのミックス、オス、5歳)。最近、困ったことを覚えてしまいました。

当家は台所が狭いので食事は部屋に配達されるのですが、いつも陸ちゃんが先導してきます。扉を叩いたりひっかいたりするのが、ご飯ですよ、の合図。開けると勇躍して入ってきますから、ドッグフードでお引き取り願って、食べ始めます。

ところが最近、用事がないのにノックするようになってしまったのですね。バタン、ガリガリとやり始めるといつまでもやっているので、仕方なく入れてやる。喜んで入ってくると膝に乗って舐めたり、部屋を物色したりします。

これがひんぱんなので、仕事に差し支えるようになってきました。しかしドッグフードを与えて追い出すのも、覚えられたら逆効果になってしまいます。何か、いい方法はないものでしょうか。隙間があると上手に開けて入ってきますが、閉めたことは一度もありません。閉めてくれれば、相当違うんですけどね。こういう社会倫理は、犬にはないようです。

今月のCD2014年01月23日 12時16分44秒

過日、デイヴィッド・ジンマン指揮、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団によるシューベルト《未完成》を推薦しました。同じシリーズ(RCA)の完結編として今月出た《ザ・グレート》が、劣らぬすばらしさです!続けて特選というのもどうかとは思いましたが、それに値する名演奏だと思います。

とにかくフレッシュ。77歳でこの新しさはすごいですね。贅肉をそぎ落としたシンプルな響きと生き生きしたリズムでてきぱきと運ばれ、「精霊たちが喜び勇んで舞い奏でるかのような」軽やかな《グレート》が実現しています。アンサンブルが交流にあふれているのもよく、高揚感も無類。この交響曲を熱愛するものとしては、なんとも嬉しいディスクです。

もうひとつ、西山まりえさんのバッハ《イギリス組曲》全6曲(OMF)を挙げておきましょう。新聞には「こだわりの美意識を貫くチェンバロから、麗しい優雅が立ち昇る」と書きました。イギリス組曲とフランス組曲は平素ずいぶん違うように思っているのですが、このように演奏されると、通いあうものを感じます。

なんと残念な2014年01月20日 22時14分13秒

いまネットで、クラウディオ・アバド死去の報に接しました。なんと残念なことでしょう。最近は、彼こそ当代最高の指揮者であり、芸術家であると思っていましたので。

今日は、聖心女子大の今年度最後の授業でした。モーツァルトの生涯を追う授業で、当然、《レクイエム》が中心。そこで、アバド~ルツェルン祝祭のDVDを観たのです。底知れぬ訴えかけをもったすごい演奏で、終わった後の永久に続くかと思われる沈黙が、すべてを物語っていました(聴衆も、たいしたもの)。アバドの身振りからは格別なものを感じないし、練習がいいという話も聞かないのに、どうしてあんなすばらしい演奏ができるんでしょうか。結局人格の力ということなのだろうか、と思っていたところです。

最近発表される録音はどれも神様の音楽でした。もっと聴きたかったです。