11月のイベント~聖書講座など2017年11月07日 22時20分39秒

なんともう7日ですね。今月は、コンサート通いが多くなりそうです。

早稲田エクステンションセンター中野校のモーツァルト講座(木15:00~17:00)、今月が後半の4回です。いよいよ生涯も大詰め。9日が《魔笛》の演出論とクラリネット協奏曲、16日と30日が、《レクイエム》とその周辺です。

もう一つのモーツァルトは、朝日カルチャーセンター横浜校。今月は《後宮からの誘拐》の2回目ですが、平素の第4土曜が第2土曜(11日)になっているのでご注意ください(13:00~15:00)。新宿校はすでに1回済み、15日(水)が残っています。「オペラ史初めから」(10:00~12:00)の講座がいよいよラモー。バッハ講座(13:00~15:00)が《クリスマス・オラトリオ》の第4部です。ヘレヴェッヘのDVD(2012年)が驚嘆すべき名演奏なので、皆さんどうぞご覧下さい。

立川の「楽しいクラシックの会」は19日(日)10:00ですが、テーマを決めていないことに気づきました。急いで決めないと・・。

18日(土)は、上智大学で「2017年度聖書講座--宗教改革期の芸術世界」というシンポジウムがあります。場所は、上智大学中央図書館。「共催」項目を見て緊張しました。「カトリック東京大司教区、上智大学キリスト教文化研究所」です。10:20スタートで、10:30から「宗教改革期の教会建築」(中島智章氏)、13:00から「トレント公会議とカトリック美術-奇跡の聖母像を中心に-」(児嶋由枝氏)、14:15から私で「バッハ《ヨハネ受難曲》-受難の道筋」、15:45から、竹内修一氏の司会によるシンポジウムです。ご明察のように、ここで博論の一端を披露いたします。

そして重~いのが、25日、26日の「全日本合唱コンクール全国大会大学職場一般部門」の審査です。最善だけは尽くしたいと思っています。

合唱の向かうところ2017年11月03日 14時30分46秒

一日目は全体の講評をやらせていただき、その後、皆様と会食。会食が間に入ると、次の場の緊張が和らぎます。散会後は部屋に戻り、早めに就寝しました。

夜中、物音に驚いて、目を覚ましました。高い音が強く、短く聞こえ、女性の悲鳴のよう。時計を見ると、ちょうど2時半です。すぐフロントに電話して調べてもらいましたが、何も変わったことはありません、との連絡でした。

ぱっちり目が覚めてしまって、寝つかれず。何か飲みたいと思いましたが、ビールを買いに出るのは心配です。なにしろミステリーの読者ですから、廊下で鉢合わせとか、いろいろなシナリオを考えるのです。そこでワインのハーフボトルをルームサービスで頼み、気を静めました。合唱の残像だろうとも言われましたが、外部の音だったとしか思えません。

これが厄落としになったのか、2日目(中学の部)は選考不能とも思える大激戦の中で、まずまず自分の考えに基づいた選考ができたかなと思います。関西支部の方々の笑顔一杯のもてなしがありがたく、朝日新聞社が社長以下取材スタッフを派遣され、物腰ていねいに対応されていたのも印象的でした。

その日は台風で、新幹線の遅れが伝えられていました。無理に帰るのもどうかと思い、泊まることにしたところ、主催者筋の方々が誘ってくださり、ほとんどの店が閉店になる中、やっと見つけた「庄や」で、祝杯。これが楽しく、重荷から解放された私はほとんど幸福な気持ちになって、2日間を終えたのでした。

1日目の講評に先立ち、私はハンガリーの審査員ネメシュ先生から、会場へのメッセージをお預かりしました。先生は出場校のレベルの高さを絶賛された上で、合唱は作品によって育てられる、だからすぐれた作品を選ぶことが重要だ、と述べておられました。これは、私がまさに言いたかったことでもあります。

多くの団体が演奏効果が高い曲を並べてきたのは、全国大会ならではの景観でした。とはいえちょっと行き過ぎなのではないか、というのが私の個人的な感想です。「それがコンクール向き」という通念は、定着しない方がいいと思います。演奏効果の高さが合唱を引き立てることは当然ですが、それは外側の問題であって、内側の価値を保証するものではないからです。

私は、合唱は自己目的ではなく、音楽という高い目標に向かう、すばらしい手段だと思う。どんなに上手な合唱が完成されても、音楽という目標はいつでもその先にあります。それは技術的な集大成としての目標ではなく、豊かな感動の源泉のようなものではないかと、私は思います。そこに近づく道の少なくとも1つは、すぐれた曲を基本に忠実に、共観をもって再現し、美しいハーモニーの向こうに、何か大切なものを感じさせることではないでしょうか。そうした演奏に自分も感動のアンテナを磨いて接したいというのが、審査の場に座っていて思ったことです。

前門を乗り越える2017年11月02日 13時03分59秒

無事、11月に入れました。というのは、10月最後の週末に大きな関門の一つが聳えていたからです。それは、全日本合唱コンクールの全国大会が大阪で催されるためでした。金曜日がNHKの録音3本、土曜日がコンクール高校部門、日曜日がコンクール中学部門、月曜日がNHKの録音2本という4日間になっており、大きなプレッシャーと共に、乗り切れるか否か、危惧を抱いていました。

放送は、準備をしておくことで対応できます。しかしコンクールは水ものですし、県大会、地区大会と勝ち抜いてくる出場校に対して差異を設けつつ採点することがいかに困難かは、身に染みてわかっていました。ですからこの週末が近づくにつれ、不安が増大するばかりでした。

大阪では、地下鉄を乗り継ぐ淀屋橋近辺でワインを飲み、気を静めてホテルへ。時計は待ってくれず、いよいよ高校部門Aグループ(小編成)の開始となりました。

経験上、最初で流れに乗れないと心臓に悪く、尾を引きます。ですので最大の緊張をもって、場に臨みました。来るのではなかった、という気持ちに何度もかられましたが、これはまあ、程度の差はあれ、いつも思うことです。

そうそうたる他の先生方の採点からあまり外れたくないと思うのは、現場にいるとどうしても抑えきれない心理です。第1ステージは私の1位と2位が全体の2位と1位ということで、ひとまず安堵。しかしこの安堵が、くせものなのです。

午後の高校Bグループ(大編成)は出場校も多く堂々たる激戦になりました。結果とは別に、ここで1つだけご紹介しておきたい出場校があります。全体の上位を取ることはできなかったが、私が感激をもって耳を傾けた高校です。

それは愛知県の聖カタリナ学園光ヶ丘女子校で、高田三郎先生の《イザヤの預言》から、〈神は仰せになる〉を歌いました。荘厳な頭句に続いて歌われる「慰めよ、わたしの民を」の言葉がいかにも心を込めて届いてきて、私は感動のひとときに、涙。ステージはまだ前半でしたが、この感動を最後まで覚えておこうと思い、採点の一部としました。

でも、感動を採点に反映させることは是か非か、ということも、考えておくべきかと思います。感動は主観であり、採点は厳密に技術や完成度という客観的な基準によるべきだ、という考えもあり得るからです。これは重要にしてデリケートな問題ですから、次の更新で、私見を申し上げます。


秋の実感2017年10月27日 10時39分50秒

広島、横浜DeNAに敗れましたね。ぶっちぎりの1位だったのに不合理だ、という意見ももっともだと思いますが、野球を楽しめる期間が長くなるという利点が大きいように感じます。横浜か巨人かで、最後まで楽しめましたし。

横浜は、昔大洋ホエールズだったころから好きなチーム。しかしソフトバンクが相手では、広島の方がよかったかな、と思わないでもありません。今年は例外的に、セ・リーグを応援することになりそうです。

ドラフトも面白いですが、育成を含めて114人も指名されたのですね。ドラフト外で入る人もいるわけですから、辞める人の数も多い、ということですね。なんとも厳しい世界です。でもその厳しさが、プロの世界を成り立たせているということでしょう。

最近、いろいろなところで新旧交代を実感します。将棋の世界でも、ここへ来て急速に新旧交代が始まったという感じがします。10月に入ったときにテレビのキャスターがかなり交代したときにも、それに近い思いを抱きました。そうか、議員さんたちも交代し、秋深まる、ということですね。

今日はNHKの録音をしてから大阪に向かいます。ちょうど日本音楽学会の全国大会が関西で開かれている時で、欠席となり申し訳ありません。盛会をお祈りします。

番組作り2017年10月25日 22時25分53秒

月日が経つのが早いというのは、週単位、月単位、年単位で感じるものですね。週単位で早いと感じさせるのは、テレビ番組の循環。年単位は、お正月とか、誕生日とか。私の場合、月単位の早さを痛感するのが、NHK「古楽の楽しみ」の巡りです。月末に、来月の企画を提出してください、という連絡が回るからです。

いまパーセルの特集が進行中ですが、すでに、来年1月の企画を提出したところ。今月は、パーセルの4本を含めて全部で9本の番組を作らなくてはならず、今週の金曜日と来週の月曜日に、来月分を録音します。論文の終わるのを待っていたために、今月、2ヶ月分を消化する必要が生じました。

11月が今年の終わりになりますので、バッハの新録音特集をします。今までわりと気軽に作っていたのですが、それではいけないような気がしてきて、配分を工夫しました。少し凝ろうと思うと、しっかり、時間がかかりますね。

よくしたもので、ぎりぎりの段階で到着する名演奏が、何点か。収録日との相談ですから、運もあります。CDにとっての運というより、私にとっての運です。私は特集制をとっていて、なるべく曲を重複しないようにしていますから、すでに放送した曲にいい新録音が出ると、こうした形で消化しています。バッハに限ってですが・・。

今月のCDは、シャイー指揮、スカラ座フィルの「スカラ座の序曲・前奏曲・間奏曲集」を選びました。有名曲、無名曲を取り混ぜた選曲がよく、イタリア・オペラの醍醐味が感じられます。

今月の「古楽の楽しみ」2017年10月18日 23時17分20秒

やっと録音を済ませたところです。今月の出番は最後の週で、パーセルを特集します。パーセル特集は2回目。極力新録音、というポリシーを守りました。全4回です。

10月30日(月)は、セミ・オペラ《アーサー王》の抜粋。演奏はフレデリック・ショーヴェ指揮、バロックオペラ・アムステルダムの2012年の録音です。バロックオペラを謳うだけあり、雰囲気のある、いい演奏です。

31日(火)は、ジャンルを超えたプログラムです。まず聖セシリア日のためのオード《ようこそ、あらゆる楽しみよ》(第1作)を、デュメストルの2016年最新録音で。次にザ・シックスティーンの2016年最新録音から、重唱曲、キャッチ、チェンバロ曲、アンセムの、とても気の利いた配列部分を切り出しました。最後は、名作とされるアンセム《心に湧き出る美しい言葉》を、シャンティクリアの演奏で。

11月1日(水)は、劇音楽にフォーカスしました。ホグウッド指揮の《アブデラゼル》組曲から入り、トリオ・ソナタとチェンバロの組曲を混ぜながら、アンドレアス・ショルのカウンターテナーによる歌を3曲。最後を《ほどかれたゴルディウスの結び目》組曲で結びました。ショルのCDに入っている、アカデミア・ビザンチナの演奏です。

2日(木)は、セミ・オペラに戻り、パーセルの遺作《インドの女王》(未完)を、ザ・シックスティーンの2014年の録音から抜粋しました(短いのでほとんど全部です)。

あらためて、パーセルの音楽の美しさを満喫。いままでセミ・オペラはみんな同じようなものに感じていましたが、今回ストーリーと突き合わせて調べ、特徴がよくわかりました。《アーサー王》と《インドの女王》、どちらも感服の名曲です。お楽しみください。

日本語でどう言うか2017年10月16日 22時31分47秒

duで話そう、という会話をしているとき、エヴァさんが、日本語では何というのか、と訊かれました。ドイツ語のSieとdu、フランス語ならvousとtuに当たる日本語は何か、という質問です。

日本語にそういう区別はない、と申し上げると、エヴァさんは、「じゃ、英語と同じね」とおっしゃるではないですか。そうか、英語ではあらゆる人が自分を「I」といい、あらゆる人が相手を「you」というわけですね。

頭にたくさんの言葉を思い浮かべつつ、日本語ではたくさんあるんだ、とお答えしました。1つにしてしまう英語も、たくさんある日本語も、どっちも別の意味ですごいなあ、と思いますが、選択肢の多い日本語のすばらしさを再認識しました。

ただこれは、翻訳のとき、いつも問題を生み出します。たとえばイエスがサマリアの女に声をかけるとすれば、「あなた」「お前」「君」のどれがいいでしょうね。自称も、いつも「私」では変だ、という気もします。

しかし外国人の立場に立ってみると、1人称代名詞、2人称代名詞がいくつもあって使い分けるというのは、学習意欲を失わせるほどややこしいことであるにちがいありません。同情します。

二人称代名詞2017年10月14日 22時55分57秒

承前。厳格な表記を行うには、指標が必要です。おそらく多くの人がそのために役立てているのが、ドゥーデンの発音(Aussprache)辞典なのではないかと思います。

これにはドイツ人だけでなくたくさんの人名が収録されています。しかしそこで記号指示されている発音は、理に適ってはいても、現実にはそぐわないのではないか、という思いが募ってきていました。そこで起こったのが、次のエピソードです。

いずみホールの仕事をするようになってから、ウィーン楽友協会の現芸術監督、トーマス・アンギャン夫妻の知己を得ました。ウィーン関係のイベントには欠かさず来日してくださるのですが、さすがの高貴なご主人であり、奥様で、卓越した社交術をお持ちです。多くを学ばせていただいています。

仕事上のお付き合いですからもちろん丁重に会話していたのですが、相当仲良くなってきて、これはもう友達づきあいに脱皮してもいいのではないか、と思うに至りました。すなわち、二人称をduで会話する(dutzen)よう、提案するということです。しかし貴族的な方々ですから、ためらいを感じます。

二人称代名詞がSieからduに変わるのは、旧世代の地位ある方々にとっては、1つの儀式なのです。ヴォルフ先生との間で交わされたその儀式については、本ブログでもご報告しました。リフキンさんとも会話はドイツ語ですが、これはどこからduに変わったか思い出せません。アメリカ人だからだと思います。また、福島でお会いしたピーター・フィリップスさんは、できればドイツ語で、とお願いしたらいきなりduで振ってこられ、これは面くらいました。もちろん、ありがたくdutzenしましたが。

「これからはduで話しましょう」という古来の儀式は、目上から言い出すのが鉄則です。アンギャンさんと私の場合、国際的な地位は先方が上、年齢は私が上、という関係です。まあ年齢が大事だろうと判断し、食事の席で隣になった時に、思い切って切り出してみました。すると、「それは嬉しい、ありがとう」というお返事です。儀礼的にそうおっしゃった可能性もあり心配しましたが、翌日どんどんduで話して来られたので、ほっとしました。

といういうわけで、左からトーマス(・アンギャン氏)、その奥様(後述)、私です。


さて、その奥様は、Eva Angyanとおっしゃるのです。この「Eva」がまさに読み方問題のよき実例。「E」を伸ばすか否か、「v」を濁るか否か、それが問題です。

子音1つの前の母音は長音、という原則からすると、「エーファ」か「エーヴァ」となります。そしてまさにその2つが、この順序で、Dudenの辞典に示されているのです。(もしかすると、最近の版では改められているかもしれません。)

「v」は、濁る場合と濁らない場合の両方があり、案外濁らないことが多いです。地名では「ハノーヴァー」ではなく「ハノーファー」、人名では「クサ-ヴァー」ではなく「クサーファー」が、私の知るかぎり普通です。

しかし奥様の言葉が「エヴァと呼んでね」と聞こえたので、「エーファ、エーヴァのどっち?」と聞き返したところ、「エヴァよ」とおっしゃるのですね。長年の疑問が氷解した瞬間でした。「エヴァ」なんて呼んでしまい、罪深い心境です(笑)。

おまけは、水もしたたる美音・美男のチェリスト、タマーシュ・ヴァルガさんとのツー・ショットです。どうぞご覧ください。



固有名詞をどう読むか2017年10月12日 23時27分08秒

標記のことに関して、印象的な出来事があったので書きたいと思います。

外国のことについて書いたり話したりしていて、もっとも気を遣うのがこのことです。悩んだ経験のある方も、たくさんいらっしゃることでしょう。

大学に入って間もない頃、杉山好先生から、ドイツ語をきちんと読むことについて強烈な洗礼を受けました。その中に、固有名詞の発音をきちんとすること、というのも入っていました。カタカナで覚えている人名や地名と本場の発音が大いに違うというのは衝撃で、きちんと勉強し、きちんと表記しようと、心に誓ったわけでした。

杉山先生はドイツ語教育に関しては職業的な使命感をお持ちでしたから、そのカタカナ化は厳格で、バッハの世俗カンタータにおけるギリシャ神話の登場人物についても、ドイツ語ではこう発音する、と注釈をお書きになる念の入れようでした。ただ、古典ギリシャ語の長短を持ち込むのは行き過ぎだとおっしゃり(「ソークラテース」のように)、日本なら日本人の口(Volksmund)に合った修正があっていい、と言われていたことを覚えています。重要なご指摘です。

音楽の研究を始めてみると、この世界にも、発音の厳格化を志す先生が複数おられることがわかりました。私も基本的に、その方向で出発したわけです。でもやってみるとそれはひじょうに困難なことで、長所も短所もあり、私は少しずつ、折衷的なやり方をするようになりました。

先日、国際陸上の中継を見ていたら、とても珍しい名前のドイツ人がいたのですね。でも綴りを見ると、ごく普通の名前。読み方の問題であるわけです。しかし私がわかったのはドイツ人だったからで、どう読むのやら、判定しようのないものが圧倒的多数です。知っているものだけ正したくなるのも狭量、という気もしますが、それぞれ正し合わないと進歩しない、ということもあるでしょう。もちろん、世界中の選手が出てきたのでは、それぞれを現地発音でというわけにいかないのは当然です。ただ、違う読み方がそのまま定着してしまう困るケースも、あるかと思います。

簡単な前振りをしようと思って書き始めましたが、皆様お気づきのように、これは気が遠くなるほど複雑なことです。しかし体験談自体はシンプルなので、次回に。

論文完了2017年10月10日 22時05分56秒

今日をもって、論文が完全に手を離れました。2日に本体は提出していたのですが、追加提出すべきものが若干あり、完了は今日、10日になりました。事務局には、本当に親切に対応していただきました。

審査等ありますので公表は先になりますが、概要だけ。

全3部。本体はA4の用紙で292枚、別冊の図版・譜例が102枚です(図版71、譜例223)。内容は、第1部がキリスト教関係(受難、福音書、礼拝、コラール等)で、68枚。第2部が受難曲の歴史とバッハの《ヨハネ受難曲》作品史を中心に、50枚。第3部が作品各論で、148枚、残りが参考文献と付録になります。ファイル3つを1点として提出しました。

がんばったと思いますが、いま、反動が来ています。言葉を換えると、消耗感ですね。ゆっくりお休みくださいと言ってくださる方もありありがたいのですが、消耗していると、心地良く休むこと自体が困難だとわかりました。時間が経つと元通りになるのか、論文を書いた代償として生命力をなにほどか失ったのか、それがわかりません。

ずっと机に向かっていました。ペースが戻った今も、仕事をするにしろしないにしろ、形はそのままです。そうしたらテレビで、座ったままというのは寿命を縮める、という番組をやっているではないですか。とはいえ、コンサート巡りといった活動は、まだ辛いです。