歌は言葉2017年12月13日 00時22分38秒

須坂の一区切り、無事終わりました。スタッフの方々、会員の方々、ありがとうございました。終了後、ずっと助手を務めてくれたまさお君と山田温泉に一泊。温泉は、閑静なところに限りますね。山田温泉の平野屋さん、お薦めです。あ、山田温泉というのは、志賀高原の中腹にある温泉です。

ところで、私はいつも、歌は言葉が大切だ、と力説しています。言葉が生き生きと、内容を伴って伝わるかどうかで、声楽の感動は根本的に左右される、と思っています。

ですので演奏に対する評価やコンクールの採点にそれがかかわってくるわけですが、問題は、世界にたくさんの言語があり、それぞれの歌があるのに、私が本当に評価できるのはドイツ語だけだ、ということです。本当はそれではいけないと心から思っていますが、ここで考えたいのは、聴く側がよくわかる言語の曲を演奏することは、演奏者にとって損なのか得なのか、ということです。

この問題がむずかしいのは、その外国語で本当に歌えているかどうかが、演奏者にわからない場合が多くある、ということです。一応学習してこれで大丈夫だと思っていても、生きたドイツ語としては伝わっていない、ということがあるわけですよね。そういう事態を、どう考えるか。

2つ、あると思うのです。聴いている人にわからない方が安全だ、と考えるか、あるいは、本当にわかる人に聴いてもらいたい、と考えるか。私はぜひ、後者であって欲しいと思います。私は残念ながらドイツ語しか本当には受け止められませんが、それぞれの言語に、本当にわかる方はいらっしゃることでしょう。

合唱コンクールの全国大会で、そのことをとても感じました。すばらしいドイツ語で驚嘆したのが、郡山五中です。中学生がなぜこんな完璧なドイツ語で歌えるのか、と信じられませんでした。他方、音楽的には本当にいいのだが、そこがいかにも惜しい、という団体もいくつかありました。ぜひ問題意識をもって取り組んでいただきたいと思います。ちなみにラテン語は、発音には複数の可能性がありますので、意味理解が大切になります。

先週オトマール・シェックの歌曲コンサートに行き、望月哲也さんのドイツ語に驚嘆しました。歌は言葉だ、と言ってしまうのは乱暴でしょうが、そう思っていただけるといいなあと思います。

一つの区切り2017年12月09日 23時50分35秒

今週はコンサートに3つ行きましたが(うち2つが現代音楽)、主に時間を使ったのは仕事の準備です。朝カルのオペラ史には、欲張ってラモーを3コマ分取りました。しかし詳しいわけではないので、どこを鑑賞するか決め、情報をまとめるために四苦八苦。でもラモー、いいですね。同時期のイタリアに、かなうものはないと思います。

金曜日にはNHKの番組を3本取りました。放送は1月です。企画を「祈りの音楽」としたのはいいのですが、テーマにふさわしい音楽を集めるのに大汗をかきました。でもその過程で、いろいろな曲を知りました。

追われていたため、いつもは早めに送る須坂の資料を、いま作り終わったところです。明日が、最終回。ですのでいい形で終わりたく、2013~4年に勉強した《ヨハネ受難曲》の講義内容を、博論の新情報で補完することにしました。逆に言えば、こういうところで積み重ねたものが、博論の基礎になっているわけです。

私は今の千曲市で子供の頃を過ごしていましたので、その近くを抜けて須坂に行くのが、いつも楽しみでした。明日全力投球することで、将来へのご縁をつなぎたいと思います。

永生七冠になられた羽生竜王、たいしたものですね。いつも新しいものを勉強しておられるのが秘訣だというのは、間違いないと思います。将棋の世界でも、慣れた得意の戦法ばかりやるようになると、勝てなくなるように見えるからです。羽生さん、柔軟な方なのでしょうね。「かたくな」は困ります(笑)。

12月のイベント2017年12月03日 23時09分27秒

11月末日で、早稲田のモーツァルト講座が終わりました。来年は《ヨハネ受難曲》を通年でやります。木曜日の15:00から前期と後期8回ずつで、シラバスを作成中です。

いま一番の切り札である《ヨハネ受難曲》の話、小出しにしていますが、10日(日)にすざかバッハの会で行います(須坂駅前シルキーホール、14:00~16:30)。ここでは少し前に《ヨハネ受難曲》を採り上げましたので、今回はわかりにくくならない範囲で、新研究の成果にしぼりたいと思っています。長いこと隔月でやらせていただいた須坂の講座も、これで一区切りです。

朝日カルチャー新宿校は、3回出番があります。継続講座は6日(水)と20日(水)で、10:00からの「オペラ史初めから」がラモー、13:00からの《クリスマス・オラトリオ》講座が第5部、第6部となります。加うるに、23日の休日10:00から、「光と闇(影)」という長期企画の中で、「音楽における光と影」というテーマを担当します。長調と短調の違いがもう一つわからない、という方もおられるので、そこをしっかりおさえ、「ピカルディ終止」を体感していただけるといいなと思っています。その日はただちに横浜に移動。13:00から、モーツァルト講座を行います。テーマはミサ曲ハ短調です。

立川の「楽しいクラシックの会」はベートーヴェン《フィデリオ》の第2回。4つの序曲の比較をするつもりです。

16日(土)はいずみホールで、ドニゼッティ《愛の妙薬》の公演があります。今月はそんなところです。

11月のCD2017年12月01日 11時04分21秒

ボーナス商戦というんでしょうか、11月にはどっと新譜が出ます。しかも重量級のアーチストの勝負録音がまとめて出てくるので、ほかの月ならば選べるのに!ということが起こってしまいます。この11月も完全にそうなりました。そこで、私が推薦するまでもないものは外し(小澤/アルゲリッチのベートーヴェンとか)、特色のあるものを選びました。

それは、テオドール・クルレンツィス指揮、ムジカエテルナの《悲愴》(ソニー)です。重層的な視点から読まれたスコアを太い線でまとめ、「泥沼のような沈黙」と「怒濤のような衝迫」を行き来して、痛切なフィナーレに達します。そこにやっぱり、ロシアがあるのですね。

劣らず面白かったのが、ストラヴィンスキーの《春の祭典》と《ペトルーシュカ》のピアノ連弾(アールレゾナンス)です。青柳いづみこ+高橋悠治という意表の組み合わせは高橋さんの仕掛けのようですが、そこからいかにしてこのクリエイティブな連弾が出来上がっていったかは、青柳さんがライナーで面白く紹介しています。奇想天外なアプローチともいえますが、ピアノによる触感のぬくもりがあり、オーケストラは、私の心から飛んでいってしまいました。高橋悠治さんは、波多野睦美さんと《冬の旅》も出されましたね。すごい人だなあ、と本当に思います。

スペースがなかったので新聞には載せられませんでしたが、「〈1685〉後期バロックの3巨匠」と題した平野智美さんのチェンバロ曲集(ALM)は、たしかな様式観で、雰囲気も優雅にまとめられています。これからの活動が楽しみです。

メダル掛け2017年11月28日 22時18分37秒

25日、26日の週末、全日本合唱コンクール全国大会の「大学職場一般」の部が行われました。場所は、池袋の東京芸術劇場。大阪での中高の部に続く激戦の審査を終え、前門の虎と後門の狼を、なんとかやり過ごした心境です。

想定外にも、今回は審査委員長を仰せつかってしまいました。ですので、内容にかかわる個人的な感想や苦心談は、書くのを控えておきます。想像通り、一般の部の競争レベルは恐ろしいほどに高く、みんな本当にうまいなあ、と感心しきりでした。

審査委員長と言っても権限はとくになく、審査はみな平等です。しかし特筆すべき仕事が、一つありました。それは、表彰式のメダル掛けです。金賞の団体の指揮者の方にメダルを掛け、おめでとうと申し上げ、ニッコリと、握手までしてしまう。これは光栄で、私としては嬉しい仕事でした。

もちろん私は代表としてそうしているわけで、選考結果をもとに、儀式を遂行しているわけです。胸を張ってできる場合ばかりではなく、罪深い気持ちにしばしば誘われたことは、推測していただけることと思います。

ともあれ、終わってほっとしました。12月には、それほど気持ちの負担になる仕事はありません。合唱の世界では、力不足で寿命をちょっと縮めたかもしれないけれど、今年もいい勉強をさせていただきました。

京都は混んでいる!2017年11月24日 19時05分08秒

23日の休日、びわ湖ホールに遠征しました。ホールと読響の共同主催によるメシアンのオペラ《アッシジの聖フランチェスコ》を観るためです。ちょうど上智のシンポジウムで、フランチェスコにまつわる美術のお話を聞いたばかり。こういうつながりが、最近とみにあります。

少し早く出たつもりが、よもやの昼食食べはぐれ。大津の駅から歩く途中、食べる店を見つけられなかったのです。しかし雨は上がっていて、湖畔に行くと虹が出ていました。虹を見るのは何年ぶりかで、感慨あり。イエスの背中という連想(《ブロッケス受難曲》→《ヨハネ受難曲》)は、すぐには浮かびませんでしたが・・。


ホールのホワイエからも、琵琶湖の景色を臨むことができます。来たときは、これが楽しみです。


シフォンケーキを食べて13:00から観たオペラは、終わりが18:40ぐらいになりました。当然ながら、帰路には一杯吞んで食事をしたい、という気持ちが募ります。大津で食べられないこともなかったのですが、京都に出てから、と思ったのが運の尽きでした。休日の夜で駅の周辺はすごく混んでおり、お店はどこも行列なのです。

じゃあ駅で、と思って構内に入ると、レストランはもちろん、お弁当売り場も、合同レジが長蛇の列。それならと上がったホームのキオスクがまた長蛇の列で、お弁当とビールを買って乗り込むのがやっと、という状態でした。皆さんどうしておられるのでしょうか。名古屋で下車すればよかったかな。

メシアンの超大作の全曲初演は、たいへんな壮挙です。こういう難曲を演奏する人があり、支える人があり、集まる人がいるということは、すごいことだと思います。小鳥の大合唱になる第2幕は超越的で、それを体験するだけでも、来た価値がありました。

同時に、この作品はきっとこれから深められていくだろうし、それを楽しみにしたい気持ちもあります。メシアンが台本を通じて語らせているフランチェスコのさまざまな言葉(中世ルーツのカトリック神学)に対する、共感とは言わぬまでもリスペクトが全体に行き渡るとき、初めて、この作品に対する評価も可能になると思うからです。

フランチェスコに対する興味が湧いてきました。公演のおかげです。

真の多様性2017年11月22日 22時35分28秒

篠田節子さんの『長女たち』が文庫化されたので(新潮文庫)、さっそく読んでみました。直木賞受賞作の『女たちのジハード』と同様の三部作で、それぞれ「家守娘」「ミッション」「ファーストレディ」と題されています。

1と3は当節深刻な介護を委ねられた長女の話で、それらも面白いのですが、すごいなあと思ったのは、第2作の「ミッション」。後進国の劣悪な医療環境を改善するために派遣された、女医さんの話です。

女医・長女さんの献身的な活動が地域の伝統に阻まれ、思いがけぬ出来事が起こっていくストーリーについては、皆様でお読みください。大いに感動しながら私が考えたのは、標記の多様性についてです。

多様性が大切だ、というのは、マスコミで大々的に展開されている価値観ですよね。それには誰も反対できないわけですが、この小説を読むと、それがグローバリゼーションを当然の前提とし、その内部で主張されているに過ぎないのではないか、と感じられてきます。先進国ではこうなのに日本はまだこうだ、とか、日本はどこかの採点で何点しか取れなかった、というようにです。

でも真の多様性というのは、そうしたグローバリゼーションも相対化せざるを得ないような、広いもの、大きいものではないでしょうか。そうした思いへと読者を小説によって導く篠田さんの思想性、宗教性、また作家としての勇気には、尊敬あるのみです。

癒しのシンポジウム2017年11月20日 13時01分58秒

上智大学キリスト教文化研究所が主催する聖書講座に参加してきました。18日の土曜日です。

今年は、『宗教改革期の芸術世界』というタイムリーなテーマによるシンポジウムです。発表の時間が1時間いただけたので、《ヨハネ受難曲》を例にとってお話しすることが最良と判断し、博論の成果の発表の一部と位置づけました。

ところが案に相違して、準備がはかどりません。テーマを切り出して適切に再構成することは、そう簡単ではありませんね。

金曜日の夕方の段階で、レジュメの作成が半分ぐらい。シンポジウムは午前中から始まりますので、完成できるかどうか、不安が大きくなってきました。なぜならその夜はコンサートで、終了後簡単な打ち合わせも予定されていたからです。

帰宅は11時過ぎになりましたが、幸いにも、ここから気合いが入ってきました。集中してレジュメとパワポのファイルを作成し、ひととおり完成したのが、朝の4時頃。もちろん、ワインの力を借りました。それからビールを1杯飲んで就寝しましたので、睡眠は2時間。朝とても疲労感があり、1日もつかどうか心配しながら、四ッ谷に向かいました。

ところがところが。竹内修一先生のご挨拶に続きパネリストの発表が始まったあたりから、疲労がすーっと消えていったのです。以後、得意とする居眠りもまったく出ず、快適かつ集中して、シンポジウムに参与することができました。

環境が良かったと思うのですね。会場は図書館棟9Fの、眺めのよい広々した空間。雰囲気はやわらかで大学にありがちな重苦しさがなく、時間に十分な余裕をもたせて、プログラムが組んであります。加えて、清潔感のある学生さんたちが、チームワークよく動いている。大学の品位を感じさせる要素がたくさんありました。


最初に中島知章さんが「宗教改革期の教会建築」という発表をされましたが、その中にライプツィヒのトーマス、ニコライ両教会に関するお話を入れてくださっていて、なるほどそうかと、まずは貴重な学習。続く児嶋由枝さんの「トレント公会議とカトリック美術~奇蹟の聖母像を中心に」にはヨハネ福音書の話が出てきましたし、聖母や聖遺物に関する数々の画像に、時には《ヴェスプロ》、時には《パルジファル》を連想しつつ、見入りました。2台のプロジェクターが大きく画像を映し出し、よく見えるのです(下の写真、白が画面)。


私の発表は素材過剰で急ぎ足になってしまいましたが、ベストを尽くしましたので悔いはありません。最後の1時間が、パネルディスカッションになりました。


上智大学の研究環境や先生方、継続中の講座などを事実上初めて体験し、また自分の世界が広がりました。m(_ _)m

レーナちゃんの日常2017年11月12日 20時49分35秒

バッハと同じ誕生日(3月21日)のレーナちゃん(名前は「マクダレーナ」の略形)、当家に来て4ヶ月経ちました。人気の中心です。

いろいろなものを咥えては遊んでいますが、取ろうとすると取られまいとするのは、どの犬も同じでしょう。レーナも、その取りっこが大好き。咥えて逃げるのを追いかけて取りに行くと、うなり声を上げて威嚇します。令嬢扱いしているのに、その声と威嚇は獰猛そのもの。野生の血が騒ぐのでしょうかね。


特技はというと、靴べらのひもを解くこと。相当固く結ぶのですが、短時間で解いて、得意そうにひもを咥えてきます。そこでまた追いかけっこに(笑)。


真っ白、毛がふさふさ、優雅で敏捷というのが表向きの紹介。でもじつは、活発で気性の激しい犬のようです。どうぞよろしくお願いします(._.)



今年最後の「古楽の楽しみ」2017年11月09日 23時42分32秒

「古楽の楽しみ」、12月は出番がないので、11月が最後になります。そこで、年末恒例のバッハの新録音紹介を、11月にやることにしました。今年のリリースでここ2~3年の録音、という原則で選びました。15年、16年の録音を中心に、17年もいくつかあります(古いものも少し)。今月、来月にもいいものが出そうですが、それは来年ということにします。

20日(月)は、鍵盤特集。クリストフ・ルセによる《平均律》第1巻から2曲、リチャード・エガーによるパルティータ第1番、以上がチェンバロ。そしてブレハッチのピアノで、パルティータ第3番です。

21日(火)は世俗音楽特集。管弦楽組曲第3番をゼフィロで、カンタータ第204番《満足について》の後半を、ドロテー・ミールツのソプラノとオルフェオ・バロックオーケストラで、ブランデンブルク協奏曲第4番を、フェリックス・コッホ指揮のノイマイヤー・コンソートで。勢いのある古楽アンサンブルが、次々と出てきますね。

22日(水)はジャンル混淆です。鈴木雅明さんのオルガンによる前奏曲とフーガハ長調(BWV547)で始め、BCJの最新リリースから、クォドリベトBWV524。これはすごいと思います。次にヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第1番を、レイラ・シャイエのバロック・ヴァイオリン、イェルク・ハルベックのチェンバロで。次にアポロズ・ファイアというクリーヴランドのアンサンブルによる《ヨハネ受難曲》から、最初の2つのアリア。今評判のテリー・ウェイがカウンターテナーを歌い、アマンダ・フォーサイスというソプラノがまた、すばらしいです。最後は、椎名雄一郎さんのトリオ・ソナタ第2番から、フィナーレ。私の大好きな曲の、いい演奏です。

23日(木)は、オール日本人になりました。もちろんレベルが高いです。準備中ぎりぎりのタイミングで届いた若松夏美さんの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番が、トップバッター。次は大友肇さんの無伴奏チェロ組曲第1番から。最後に野平一郎さんの《インヴェンション》からで、これもぎりぎりに入ったものです。

24日(金)は、ルッツ指揮、ザンクト=ガレンバッハ財団の《ロ短調ミサ曲》からニカイア信条と、小山実稚恵さんの《ゴルトベルク変奏曲》の第25変奏以降で、脱帽の思いを抱きつつ、今年の放送を幕引きしました。

バッハの新しい名演奏をたくさん聴けて、充実の録音でした。皆さんもお楽しみください。