北海道三日間--ひとり旅はむずかしい(4)2013年09月05日 16時15分00秒

旭川からのびやかな道央を列車で走り、富良野へ。もうラベンダーの季節ではないですが、楽しみなのはカレーです。富良野はカレーが名物で、いろいろなカレーが食べられるというのです。

駅からホテルへの途中でカレーを食べよう、と思って歩き始めました。お目当てのお店は意外な行列であきらめ、川をわたってスキー場地区へ。ところが本日休業、準備中などで、歩けども歩けども、カレーに到達しません。汗びっしょり、空腹をかかえて歩くうち、森林公園のようなところに入ってきました。そこに喫茶アトリエ「あかなら」というお店を発見。だいぶ時間も過ぎていましたから、カレーもビールもあきらめて、ここに入りました。


山小屋風の造りの内部はしゃれていて、芸術性を感じさせる空間。とても温かく迎えられて、嬉しくなってしまいました。カウンター席では、品のいいママさん(?)を中心に、穏やかな会話が交わされています。どうやらイベントの相談がされているようで、「チェンバロ」という言葉も聞こえてくる。スパゲッティとウーロン茶の昼食は想定外でもありましたが、驚いたのは、なんとママさん(?)が、地元のスイカをサービスしてくださったことです。おいしさは比類がなく、「生涯最高のスイカ」という言葉で御礼申し上げました。

なごんだ気持ちでお店を出ると、ちょうどロープウェイ行きのバスが来る時間。ロープウェイに乗り、最終便を気にしつつ展望台に登ってみると、富良野の向こうに十勝岳連峰の望める、すばらしい展望が広がっていました。


街へ戻り、ようやくカレーを食べ、タクシーで「富良野演劇工場」へ。コーヒーを飲みながら開演を待っていると、「さきほどの方ではありませんか?」という声がします。振り向くと、スイカをくださった妙齢の女性。名刺をいただいてみると、地域の文化活動を牽引しておられる方なのですね。そうか、行列も本日休業も富良野文化への道筋だったのだなあと思い、とても嬉しくなりました。(続く)

北海道三日間--ひとり旅はむずかしい(3)2013年09月04日 08時28分50秒

ホテルに戻り、バーでワインを飲もうと思い立ちました。当然、カウンター席です(笑)。話し相手がいませんので、今計画中のカンタータのコンサートの構想でも練ろう、と思って出かけました。

席は6分ほど埋まっていたので、一番左にいる私と同年輩の女性からひとつ置いた席に腰を掛けました。この選択が、致命傷でした。

ひとりで来ているその女性、バーテンの男性とさかんに話しています。彼女と私、バーテンが正三角形の配置になっており、彼女の声もよく透るので、すべての話が克明に聞こえてくる。カンタータの構想どころか、その話を聞きながら飲む、という状況になってしまいました。

当然話の内容が問題になります。要するに自分の身の回りの話で、他人にはまったく興味がもてない。しかるに人のよさそうなバーテン氏は、じつにこまめに相槌を打つのですね。こういう仕事もたいへんだなあと思いながら、女性が帰るのを待ちました。

たまにバーテン氏が席を外すと、一瞬の静寂が訪れます。戻ってくると、待ってましたとばかりに、話の続き。ワインの2杯めに入り、かなり腹が立って来たころ、彼女もおかわりをして、話が続くことになりました。毎年この時期に来られる、常連客のようです。

私は、このあと自分が取った行動への深い反省のもとに、この時点でどうすべきであったか、考えます。もっとも穏当な選択肢は、ワインをあきらめて店を出る、というもの。でももう深夜ですから、他に行くところがありません。

次善の選択肢は、カウンターも空いてきていたので、もっとも離れたところに移る、というもの。そうすべきだったな、と思います。考えてみると、さらによい選択肢もあった。心の広い人、ダヴィデヒデさんのような方ならおできになるでしょうが、私にはとても取れない、ウルトラCの選択肢。それは、自分も話に加わってしまう、というものです。三方一両得の選択肢ですが、皆さん、お取りになれますか。

ワインが進むに連れ不寛容になった私は、2杯で終えようと決意しました。加速して飲み終えるちょうどそのタイミングで、「おかわりはいかがですか」と尋ねられ、手拍子で言ってしまった言葉は、「座る席を間違えた!」どいうものです(赤面)。

お勘定をしていると、カウンター席に、「ナニ、今の男!」という叫びが響くのが聞こえました。なだめるのがたいへんだったと思うので、お店には悪いことをしました。私のような一見の客より、常連さんの方が大切であることは間違いありませんから(合掌)。

このケースに当てはまるかどうかわかりませんが、常連客をお店が喜ばないケースも、よくあるように思います。過去のお店で見聞したいくつかの場面が、自然に心に浮かびました。

北海道三日間~ひとり旅はむずかしい(2)2013年09月03日 08時40分45秒

さて、夕食をどうするか。私はどこにでももぐりこむほど度胸がありませんので、情報収集したり、道路を歩いたり戻ったり、迷走しばらく。三度も通り過ぎた料亭風のお寿司屋に、結局入ることに決めました。

カウンターの中央に座り、お刺身のおいしいところを、とお願いすると、サンマがある、との答え。「いいですねえ」。さらに知らない貝の名前が挙がり、それも「いいですねえ」。ホタテがある、ともおっしゃるので、いや今はいいです、と答えたのですが、珍しいほどいいホタテだ、とのことで、結局、サンマ1匹の上にホタテを含むお刺身の並んだ大皿が出てきました。

相当あるなあ、と思って一生懸命食べていると、「お刺身の後はなにか召し上がりますか」との質問。まだ半分にも達していませんので、「食べ終わってから考えます」と返答しました。

わかってきたのは、このマスターが、かなりせっかちな方だということです。カウンターが司令塔になっていて、いろいろな方向に、指令が飛ばされる。「差し替えろ」「戻せ」という言葉が頻出するところからみると、お座敷のコース料理をどんどん回転させろ、と言っているようです。

しかし、呼びかけられた人たちから返事が聞こえないのですね。カウンターにやってきた女性に同じ指示が発せられたところ、「おっしゃる意味がわかりません」「いろいろ考えずにただやればいいんだ」という、仰天の対話が。進度に合わせて料理を出したい現場の人たちが、抵抗しているようなのです。

ようやく大皿のお刺身を食べ終わったタイミングで、年長の女性が、「お食事はどうされますか」と尋ねてきました。マスターは電話中でしたので、「食べたいのはやまやまなんですが、雰囲気が・・。マスターがいらいらしておられるじゃありませんか」と言うと、女性は「申し訳ありません」と、深くお辞儀。私も気の毒になり、にぎりを数品頼みました。

私がいいたいのはお店がどうこうということではなく、ひとりの食事ではお店選びがとてもむずかしい、ということです。お相手がいておしゃべりしていれば、以上のようなことも気にならなかったことでしょう。しかしカウンターの中央にひとりで陣取っていると、いろいろなことが手に取るようにわかり、おいしいものもおいしく食べられない、という状況が生まれます。気持ちよく飲み食いできる店、という条件がとても重要になるわけです。

しかし「飲む」段階で、もっと大きなトラブルが待っていました。あ、旭川のせいでは絶対ないですよ。個人の問題です。

北海道3日間--ひとり旅行はむずかしい(1)2013年09月02日 09時15分13秒

おひまな方、私の北海道旅行にお付き合いください。便宜上「外国滞在」のカテゴリに入れましたが、もちろん北海道は日本です。「旅行記枠」ということでお許しを。

8月28日(水)。大きな積乱雲の中を激しく揺れながら、ANA飛行機は旭川空港に着陸しました。地上には、雨上がりで空気の澄んだ、気持ちのよい北海道が広がっています。バスで駅まで出て、さっそく旭川ラーメンを試食。

この時点で認識したのは、旭川という北海道第2の都会にはじつに飲食店が多く、文字通り軒を連ねていることでした。にもかかわらず、マッサージ、リラクゼーションのお店が(少なくとも中心街には)まったくないのは驚き。ラーメンは第1日の昼、第2日の朝(!)、第3日の夕方と、計3回食べました。

初めて、旭川ラーメンと札幌ラーメンの違いを知りました。味噌ラーメンを売りとする札幌に対して、旭川は醤油が伝統なのですね。函館が塩だそうです。お店が林立しているので選択が困りますが、やはり、初期から創業している歴史のあるお店に入るのが、地域のラーメンの概念を知る意味でも正解だというのが結論。「青葉」「梅光軒」どちらもおいしかったですが、今ネットを調べてみると、人気ランキングの2位、1位ですね。私の世代には、こうした中華そば風の醤油味が、結局いちばんです。

夕食までの時間に、何を見るか。ガイドを見ると、ページ数のほとんどを費やしている、突出した見所があります。私も大勢に順応して、そこに行くことにしました。目的地は、旭山動物園です。

この歳になってひとりで動物園では、哀愁漂ってしまうのでははいかとよほど思ったのですが、行ってみると、家族連れに混じって高齢者も多く、命旦夕に迫った車椅子の方も。人間は動物園に回帰するのか、動物からありがたい元気をもらえるのか、両方かもしれません。

この動物園の売りは、ホッキョクグマ、アザラシ、ヒグマなどなど、北の動物たちなのですね。動物たちへの愛の感じられる気の利いたプレゼンテーションを、多くの人が楽しんでいます。どんな動物にも雄と雌がいるという当たり前の事実が、とりわけ味わい深く感じられました。

9月のイベント2013年08月30日 23時43分48秒

北海道から帰りました。話題の多い旅行になりましたので、「ひとり旅のむずかしさ」という論題を中心に、連載します。その前に、来月のイベントをご案内しておきましょう。

9月は、1日(日)の埼玉県合唱コンクール審査から始まります。審査きわめて困難な一般の部を含みますので、懺悔の日になりそうです。

4日(水)は、朝日カルチャー新宿校の《マタイ》講座。イエスの死の場面を取り上げます。13:00~15:00。この講座、18日(水)で終わり、来月から《ヨハネ受難曲》の講座になります。2回で終わるのは無理かなあとも思いますが、ともあれ、一区切りつけるつもりです。

5日(木)は、いずみホールのモーツァルト・シリーズ・プレイベント。今年のシリーズは20-25歳のモーツァルトを「未来へ飛翔する精神~克服」と題して取り上げますが、そこに至る成長をレクチャー・コンサートとしてご紹介するのが、このプレイベントです。私は司会と聞き役といったところで、チェンバロ、フォルテピアノ(シュトライヒャー)、ピアノ(ベーゼンドルファー)を使って演奏・解説されるのは久元祐子さんです。19:00から、入場無料。詳細はいずみホール・ホームページをご覧ください。

7日(土)は、朝日カルチャー横浜校の超入門講座第1期の締めで、ベートーヴェンの《運命》を取り上げます。「偉大なものはすべて単純である」(フルトヴェングラー)ゆえんをわかりやすく解説し、演奏比較もしたいと思っています。13:00~15:00。

8日(日)は、「まつもとバッハの会」の新講座です。来年のコンサートに向けて、《ロ短調ミサ曲》を全4回で講義します。いつもやっていることのようですが、その都度バージョン・アップさせているので、過去の経験をすべて結集したいと思います。その第1回は、〈キリエ〉――バッハの真髄、憐れみの祈り」というテーマで。深志高校教育会館、13:00~16:30です。

「たのくら」こと、立川「楽しいクラシックの会」例会は、22日(日)10:00~12:00です。《ワルキューレ》の次を時代順に《トリスタン》とするか《リング》の継続で《ジークフリート》とするか考えましたが、皆さんがせっかく《リング》に入ってきてくださっているので、《ジークフリート》としました。第1幕、第2幕が今月のテーマで、「英雄は成長する」と謳っています。

横浜朝日の《エヴァンゲリスト》講座は28日(土)の13:00~15:00で、テーマは「農民カンタータとペルゴレージ編曲」です。朝日カルチャーは、10月から新学期となります。

名古屋、富良野と続いた全国視察の旅。9月は津、松本、神戸を訪れる予定です。

夏の終わり2013年08月27日 23時59分30秒

例年焦りの出る、8月末です。もう夏が終わってしまうのに、「夏に」やろうと思っていた仕事がほとんどできていません。仕事だけではない。人間ドックに行くつもりでしたが、時間が取れないのです。秋からは、本当に時間の使い方を考えなくては、と思っています。

今日は、ちくま文庫のモーツァルト本のために、新しい章を1つ書きました。これで、重い課題を、1つクリア。明日からは、北海道に行ってきます。1泊2日の視察に1日自由行動の日を加えて、少し、観光することにしました。空港は旭川、目的地は富良野という、初めての旅行です。皆様の期待されるような珍道中にならぬよう、気を引き締めて出発します。

正誤不明の大安堵2013年08月26日 19時08分40秒

話題の確率を見ると、合唱コンクールがとても多いですよね。それは、多忙な日常の中でも、心身ともにクタクタになるという壮絶体験であるという点で、コンクールに匹敵するものがほとんどないからです。というわけで、土・日の埼玉県における経験を、審査委員長としてではなく、この上なく私的な雑感として、ひとこと。

私にとってコンクール審査は、絶大なストレスを伴う作業です。万全のおもてなしを主催者からいただいているのに、あるいはそれだからこそ、いい加減なことはできないと、必死でやっています。同様に真剣でも、合唱を楽しみながらやっている、という方もおられ、うらやましいというか、感心するというか。それでも、谷間の夜の睡眠は、皆さん不足するようですね。芯のところで興奮が残っており、頭の中に、残響がこだましているわけです。

24日(土)。この日は高校で、シード校3校を除く35校の激戦を聴き、課題曲と自由曲の双方の採点を、合計が重複することなく提出する、という難題と向き合いました。11時に出た学校と4時に出た学校はどちらがいいか、という選択を、文字通り迫られるわけです。

集計は私が一番手間取り、6時近く、まさに首を洗う心境で提出。集計結果を待つ気持ちは、自分が審査されているのと同じです。表彰式の迫る中、ようやく出た集計に眼を通した私は、湧き上がる安堵の思いで、全身が軽くなった。なぜだか、おわかりになるでしょうか。

採点が多様であったにもかかわらず、総合の1位から3位までが、私の1位から3位までと同じであったのです。もちろん、だから正しいという保証はまったくないし、合唱の専門家でない自分は多様な採点を担保するために呼ばれているはずだと考えれば、それではいけないのかもしれない。しかし一人だけまったく違うというのは、たとえ確信犯の場合でも、いい気持ちがしないものです。私がほとんど幸福な気持ちにさえなってしまったことも、採点に苦労された経験をもつ方なら、わかっていただけるのではないでしょうか。

25日(日)は3部門ありましたが、なんとその2つの部門で、私と総合の「1位~3位」が同じ。残る1部門でも、1位が同じでした。12分の10という的中率です。これがいいか悪いかはわからない、かえっていけないのかもしれない、と重々思いつつも、そうそうあることではないのでつい喜んでしまった私でした。次は、9月1日です。

今月のCD2013年08月22日 09時57分12秒

ベッリーニの歌劇《ノルマ》(デッカ)を選びました。クリティカル・エディションを使い、ピリオド楽器オーケストラ(ラ・シンティッラ管弦楽団)を起用した、異色の《ノルマ》です。あのジョヴァンニ・アントニーニ(イル・ジャルディーノ・アルモニコの指揮者兼リコーダー奏者)が指揮をしています。

古楽の波がついにここまで、という感慨を抱きますが、たしかに演奏は、従来のそれと大きく違う。新しい眼で楽譜を見直し、作品像を再構築しているというプロセスが、生々しく伝わってくるように思えるのです。そのこと自体には長所も短所もあり、道半ばの吹っ切れなさが残っていることも確かなのですが、有意義な一歩と考えて、選びました。

ピリオド楽器は質朴ですが人声をよく生かしますし、バルトリのノルマ、スミ・ジョーのアダルジーザのコロラトゥーラ対決はみごとです。ヴィヴァルディ、ロッシーニ、ベッリーニをつなぐ歴史が見えてきたように思います。

ゲルハルト・ボッセさんのブルックナー《第8》に感動したばかりのところへ、手塩にかけた神戸市室内合奏団を指揮したメンデルスゾーン《スコットランド交響曲》とベートーヴェン《第4》の実録が出ました。気持ちが清らかになる、本当にいい音楽です。大切な方だったのですね。

まじめな注釈2013年08月20日 10時46分23秒

昨日は合唱コンクールの最中にかわされた話題を「野球」カテゴリーでご紹介しましたが、ダヴィデヒデさんからのレスポンスに「でも審査中は実に真剣でしたよね!?」とあるのを読み、誤解を生ずる可能性があることに気づきました。コンクールのこともときおり書きますので、私の感想を知りたいと訪れてくださった方もあるでしょうし、みんなが一生懸命やっているのに審査員はそんな話をしているのか、と感じた方もおありかもしれません。無粋ですが、注釈しておきます。

コンクールの審査では、皆さん、「実に真剣」です。次々と入れ替わる出場団体に対して、講評を書き込みながら採点し、伯仲する中で順位を付ける。高い集中力の要求される、責任の重い作業です。終わると採点が公表されるのですから、逃げが利きません。それだけに、審査員に対する主催者側のお気遣いはたいへんなもので、今回も恐縮至極でした。

休憩や食事の間に、何を話すか。演奏への感想を語り合う、ということは、まずしません。誰もが迷っていますから、ちょっとしたことで、動かされてしまうのです。お互いの観点を尊重し合うために、参考意見を求めることもせず、あくまで自分の中で解決してゆきます。

ですから、野球の話でもして緊張をほぐすのが、ちょうどいいのです。今回は気の置けない方々、会話量もほどほど、笑いもありで、採点に集中することができました。

総じて言えば、合唱には、山梨の方々のまじめさ、折り目正しさ、控え目さがあらわれていたと思います。全体に正統的で、ラテン語の宗教曲がたくさん歌われたのもうれしいことでした。高校の中にはラテン語がよく勉強され、動詞が全部動詞に聞こえた(!)ものがあり、当然内容が訴えかけてきますから、私の一位を差し上げました。

安心して聴けるもの、じっくり聴けるものが多かった反面、リズムの軽快さや躍動する生命力は、もっと思い切って追求されていいと思います。長所はそれぞれですが、一般論として、そう感じられました。

ねじり合い2013年08月19日 10時39分01秒

「先生、よく一回で覚えられましたね」という声が、背後のダヴィデヒデさんからかかりました。場所は、韮崎市(山梨県)の文化ホール。楽屋から、合唱コンクールの審査員席に向かう途中のことでした。

私の弱点は、方向音痴であること。ホール内の移動はたいてい迷路のようなルートになり、いつもご迷惑をおかけするものですから、この日は、意識的に覚えようとしました。幸いなことに、いつになく容易なルートでした。報われた思いでとても嬉しくなった私は、「今日は覚えたんですよ!」と答えました。

しかし、答えている最中に早くも気がつきましたね。ほめられているとは限らない、ということに。「よく一回で覚えられましたね」の前に「方向音痴なのに」とか「お歳なのに」とかを補うと、意味合いは180度異なってきます。しかも言葉を発したのが、ダヴィデヒデさん。この方は、読心術にたけ、話術は当意即妙、切り返しは天才的、という、じつに「手ごわい」方なのです。コインロッカーのような事件を、いつも楽しみにしてくださっています。

コメントをお読みの方はご承知だと思いますが、ヒデさんは大の、いや特大の巨人ファン。審査員室ではさっそく野球の話になりました。よりによってこの時節に鼻付き合わせなくても、と慨嘆する私に、ダヴィデヒデさんは、どんどん野球の話題を振ってきます。若い人の知らない言葉を使えば、「嵩にかかる」という形です。

驚いたことに、表彰式の講評でも、「審査委員長の礒山先生はアンチ巨人」とおっしゃるではありませんか。私はよほど、「嵩にかかることは人間として慎みましょうね」と客席に呼びかけようかと思いましたが、やはり合唱の話をしなければと思い、ぐっとその言葉を呑み込みました。時節柄、がまんするほかはありません。

平素は携帯の「モバイル・ジャイアンツ」で、試合の経過を確認します。現場では確認するゆとりがありませんでしたが、後でわかったのは、まさにそんな話をしている間に、菅野が中日打線にめった打ちに遭い、巨人が完敗したことでした。しっかり確認し、講評のさいに試合経過を報告しておくべきだったと、つくづく後悔しました。案外、武運の分かれ道は山梨県にあったのかもしれません。

(山梨の合唱連盟の方々、お世話になりました。いいコンクールでした。)