今昔の感2012年04月11日 23時58分30秒

定年後、非常勤講師としての授業が、1つだけ残っています。それは聖心女子大で火曜日の13:30から行う、キリスト教学とキリスト教音楽の合同授業。前期は《ロ短調ミサ曲》を論じ、後期は「聖と俗」というテーマで音楽史を見直すという計画にしました。気品あふれる聖心女子大キャンパスは、これまでもずいぶん通った、私の住処のひとつ。授業がやりやすいのは、学生がキリスト教に親しんでいることです。

階段教室に、学生が満杯。私は授業のレジュメを詳細にしたためたA3のプリントを配布して、ミサとミサ曲の始まりについて講義しました。それは学生がわかりやすいように、また情報の正確を期したいという気持ちからですが、配布するのは長所だけではない、ということに気づきました。学生が安心して、おしゃべりしてしまうのです。何も配らなければノートせざるを得ませんから、そうそうおしゃべりばかりはできないでしょう。満員の学生が女声音域でするおしゃべりは、すごいですよ。私がマイクを取って話し始めても、遠慮なくしゃべっています。国立音大では私語の鎮圧に成功し、水を打ったような静けさを実現していましたので、浮き足立ってしまった、というのが正直なところです(学生にとって、たいへん損なことです)。

1回目は私の責任ではないと思いますが、2回目からは私の責任だと思いますので、私語の鎮圧に、全力を挙げます。座席指定にするのが有力な対策であるそうですが、それだと、熱心な学生さんが後ろに行ってしまったりするわけですよね。いずれにせよ、静かに耳を傾けることをしないと、音楽の真価は、絶対にわかりません。大勢いる熱心な学生さんたちのためにも、あきらめずがんばります。世の中、昔と変わりました。大学では、学生が偉いのです。