3月のイベント2012年03月02日 08時49分14秒

いよいよ3月。現職として最後の月になりました。いくつか、ご紹介します。

10日(土)は、楽しいクラシックの会が恒例で提供している、錦まつりコンサートです。立川市錦町学習館で14:00から。断続的に続けてきた楽器シリーズ、今年は「トロンボーンっておもしろい!」になりました。箱山芳樹さんとそのお弟子さんたちによる四重奏。楽しい会になりそうです。これに先行して10:00から開く例会では、バッハのオルガン音楽を、新しい映像を中心に取り上げます。

15日(木)はいずみホールのバッハ・オルガン作品連続演奏会の最終回。最終回なので誰かをリピートしようということになり、やはりギエルミさんだろうと衆議一決しました。タイトルは、「オルガンを超えるオルガン音楽」。無伴奏ヴァイオリンからの編曲(BWV539)、トリオ・ソナタの第3番、ヴィヴァルディのコンチェルト編曲(BWV596)、シュープラー・コラール集(カンタータからの編曲)、最後にイ短調のプレリュードとフーガ(BWV543)という親しみやすいプログラムです。私はトリオ・ソナタとシュープラーを楽しみにしていますが、コンチェルトも、最近すばらしいCDをリリースしたギエルミ氏ですので聴き逃せません。

大成功していたオルガン・シリーズを閉じるのは、秋から「バッハ・オルガン作品全曲演奏会」として発展的に再スタートするからです。今回はその節目ですので、芸術監督のクリストフ・ヴォルフ先生が来日し、14日(水)に講演されます。題して「オルガンが中心--バッハの音楽生活を決定づけたあのこと、このこと」。ギエルミ氏も演奏出演される豪華版です(ただし、15日のチケットをお持ちの方以外は申し込み制となります。いずみホールのHPをご覧下さい)。19:00から。ヴォルフ先生、今回は大阪のみの短期滞在となります。

その結果として、私、14日(水)18:00から国立音大小ホールで行われる後期博士課程研究コンサートを聴くことができません。大武彩子さん(ソプラノ)、今野哲也君(作曲)が出演されますので、応援していただければ幸いです。16日(金)の18:30からは、大学院修了者による「新人演奏会」。私の最後の論文指導クラス(オペラ専攻)から、4人出演します。しかしこの日はいずみホールで白井光子さんの日本歌曲コンサートがあり、本当ならばこちらも聴きたいところです。

17日(土)は、都内某所で「卒業生の企画する最終講義」。詳細は2月22日のお知らせをご覧下さい。長くなりました。25日(日)に立川アミューで開かれるモーツァルトのコンサートと月末の朝日カルチャー関連については、別途ご案内します。

日比谷公会堂2012年03月04日 23時51分25秒

今日は、「日露修好ショスタコーヴィチ・プロジェクト2012」というイベントのために、日比谷公会堂に行きました。何年ぶりだろう、ここ。若い頃に通ったのに違いはないのですが、私は容れ物に執着するたちではないので、なつかしの涙、という感じにはなりません。冬の日比谷公園は、日曜日でもがらんとしていました。私は霞が関から行きましたが、すぐそばに、内幸町の地下鉄駅があるのですね。

15:00という招待券をもっていったところ、コンサートはもう始まっていて、14:30からの間違いだった、とのこと。帰り際主催者から謝罪されましたが、この種の間違いはほとんど謝罪する側なので、かえって恐縮してしまいます。

シチェドリンの《カルメン組曲》が響く中、階段をいくつも登って、2階最後尾の席に案内してもらいました。斜め下に会堂の全容を望める、高いところです。びっくりしたのは、音がいいこと。アンサンブル金沢の響きがまとまって、くっきりと、シャープに聴こえてきます。あれ、こんなにいいのにこのホール使わないの?と、まず思いました。

そうしたら、演奏を終えた井上道義さんが客席に向かって、今日は空席があるから、2階の一番上に行ってください、音がいいですよ、と話されたのです。まさに、私の座っているところ。それでも席を移動する人がほとんどいなかったのは、日本人の規律正しさですね。30分の間違いから、ホールの良さを知る幸運を味わいました。

メインは、ショスタコーヴィチの交響曲第14番。晦渋な作品で、演奏者の健闘にもかかわらず、もうひとつ理解がおよびませんでした。わかりたい音楽が、まだたくさんあります。

お別れのご挨拶2012年03月07日 23時43分26秒

定年を思うたびに浮かぶ象徴的な光景。それは、最後の教授会における挨拶でした。毎年何人もの先生がなさる、定番の光景。長い年月が一瞬のうちに集約されるような趣きがあり、その機会を大事にしたいなあ、と思っていました。

それがついにやってきたのが、今日、3月9日の午後でした。原稿を書いて臨みました。それをここで公開したいという誘惑を感じます。ここを訪れてくださる学生さんや卒業生の方々にも、背後にある心を贈りたいなあ、という気持ちからです。では、以下に引用します。

「皆様、長いことお世話になりました。三十数年前、海老澤先生の授業を一部お手伝いするような形で1年半非常勤をやりました後に、美学の先生として専任になってくれないか、というお話をいただきました。その時私はドイツ留学が決まり、すでに準備している段階だったのですが、こういういいお話はそうないだろう、という判断から留学を延期し、この大学に勤めさせていただきました。

 以来35年、教員の皆様、職員の皆様にはご迷惑もおかけしましたし、お助けもいただきました。私のトレードマークのようになったダブルブッキング、朝の電話。これは、寝ぼけ眼で電話をとってみると大学からで、先生たち皆さんおそろいですが、というもので、何回かありました。それ以来電話が鳴るたびに、ぎくりとするようになって、今日に至っています。これは4月になっても、きっと変わらないでしょう--などなど、お詫びすることがたくさんあります。申し訳ございませんでした。

 しかし私は、国立音大で仕事ができて、本当によかったと思っております。理由はとくに2つあります。1つはこの学校の自由な雰囲気の中で、やりたいことが心ゆくまでできた、ということです。私は20年間ほど、次期学長、と言われておりました。期待してくださった方々にはお応え出来ず申し訳なくもあるのですが、私は管理や経営にはまったく能力をもたない人間です。その意味では、音楽に専念できたことが、なによりありがたいことでございました。

 第2の、いっそう大切な理由は、机の上の勉強にとどまらず、音楽の実践と、深くかかわることができた、ということです。実技の先生方との信頼関係のもとにさまざまなコンサート、イベントをご一緒できたということは、私の最大の喜びであり、そこから多くを学ばせていただきました。音楽は個人プレーではなく、みんなで聴き合って作り上げるものであり、自分たちの満足を超えて、神様に喜んでいただくためにあるものだ、という最近の私の考えは、音楽家の先生方と実践に関与する中でこそ得られたものだ、と思っております。

 ピアノ、弦管打、作曲など、さまざまな領域の先生方とご一緒に音楽させていただきましたが、とりわけ声楽領域は、先生方のみならず学生たちともかかわる機会が多く、ここ数年間は後期博士課程を通じて、何人もの優秀な学生を見守るという幸運を得ました。こうしたすべての結集として、今年1月の音楽研究所バッハ《ロ短調ミサ曲》の公演があったと思っております。これまで大学で積み重ねた日々や私自身のバッハ研究のすべてがそこに向かってくるような感動を覚える、《ロ短調ミサ曲》でございました。心より御礼申し上げます。

 これからは自分の思うままに時間を使えることが、嬉しくてなりません。大学の今後は、皆様に安心しておまかせしていきたいと思いますが、ひとつだけ申し上げるとすれば、音楽大学は、音楽というすばらしい芸術のために存在しているのであって、その逆ではない、ということです。音楽が大事にされてこそ、それにかかわる人々の喜びがある、と思っております。皆様ありがとうございました。先生方、職員の方々、またこの場におられない先生や学生さんたちも、どうぞお元気でお過ごしください。」

阿部雅子さんに博士号!2012年03月09日 12時52分12秒

退任を控え、最後まで残った関心事は、私の指導下で博士論文を書いている人たちのうち、今年のエントリーで候補になっている阿部雅子さんが無事学位を取れるかどうか、ということでした。このたび正式に認可され、心から安堵しています。

阿部さんの論文は『モンテヴェルディの歌劇《ポッペーアの戴冠》におけるポッペーア像の研究』と題するもの。3度にわたる公演の体験を踏まえて書かれたものであることは、いうまでもありません。最新の資料である「ウーディネ筆写台本」をもとに作品のオリジナルな形態に迫ったというのも成果ですが、何より、オペラの中で展開される主人公の心理表現が、細部までの分析を通じて、あざやかに捉えられています。公演をご覧になった方は、きっと想像していただけることでしょう。

一昨年、湯川亜也子さんが第一号になられました。湯川さんはとにかく勤勉な方でしたので、もちろん陰の苦労は大きかったでしょうが、順調に学位まで到達されたように見えました。しかしまもなくわかってきたのは、後に続くことがいかにむずかしいか、ということです。去年、今年と、博士論文を仕上げることのたいへんさ、とくに演奏を専門とする学生にとって心理的にどれほどの負担であり、重圧がかかることかを、身をもって味わいました。それを克服された阿部さんに、敬意を表します。今年はピアノの和田紘平さんも優れたシェンカー研究によって博士号を授与されましたので、合計3人になりました。

指導した方すべてに学位をとっていただきたかったのは、やまやまです。しかしそのように厳しい課題なので、二人目を出せたことでともあれ満足しなくてはならないと思います。阿部さんも平坦な道を歩かれたわけではありませんが、古楽に照準を定めてから、大きく成長されました。持ち前のインテリジェンスに日ごとに磨きがかかり、ある時点で、学問とはどういうものかを理解する段階に達したと感じています。そうなると、研究が面白くなり、どんどん目が開かれて、いろいろなことに気がつくようになる。こうした段階に至ってようやく、博士号に手が届くのです。見事な自己実現。おめでとうございました。

福の神2012年03月11日 23時41分57秒

9日(金)。同期の友人である西村清和東大教授の最終講義。美学のなつかしい仲間たちが集まり、旧交を温めました。

すごいなあと思ったのは、この最終講義が、美学の基礎概念に関するこれからの研究に対して見取り図を描く、学術性の高いものであったことです。音楽のような市場がありませんから、美学の友人たちはみな学問本位で、本当によく勉強します。しかし印象は、昔のままですね。大学院でその秀才ぶりをまぶしく眺めていた頃の彼と今の彼はぴったり重なって、まったく違和感がないのです。

10日(土)。「たのくら」今月のテーマは、バッハのオルガン音楽。冒頭に、古い友人の酒井多賀志さんが送ってくれた「響きわたる音の神殿 パイプオルガン」というDVDを見ました。楽器の構造や仕組みがよくわかる映像で、なるほどそうか、と思うところが随所に。スタジオ・リリックというところから、4,200円で発売されています。

別室でお昼を取りながら、来年度(26年目)のテーマ選び。「ぜひワーグナーを」と提案される方があり、同調者もおられましたので、4月からはワーグナーの作品を、順を追って進めることにしました。2013年は生誕200年ですからタイムリーでもあります。ワーグナーは好き嫌いが分かれる対象なので、私からはあえて提案しないのですが、ご提案いただければ、喜んでやります。

午後は、3月恒例の「錦まつり」。空き時間に散歩をし、コーヒーを飲みながらトークを考えるのがいつものやり方です。錦学習館と立川駅の中ほどに「一六珈琲店」という自家焙煎のお店があり、よりどりみどりの世界のコーヒーから、ルアンダのものを選んでみました。これがことのほかおいしく、すっかりいい気分に。帰途、待てよ、これは話がうますぎる、進行でミスを犯さないように気を付けなければ、という思いが兆しました。「ツキの理論」の再確認です。

コンサートは長らく続けている楽器シリーズで、今年はトロンボーン。名手箱山芳樹先生と国立音大の学生3人による四重奏でした。ところが、前半の中心となるテレマンのコンチェルトを私が飛ばしてしまい。次の2曲を案内する大失態。上手に対応してはいただきましたが、やっぱり!の結果になりました。バス・トロンボーンは女性でしたので珍しいのかなと思い、伺ってみると、4年生は7人全員が女性とのこと。そういう時代なのですね。

会場からの帰り、「一六珈琲店」を通ると、鈴なりの盛況です。よく見ると、詰めかけているのはたのくらの会員。どうやら私、お店を繁盛させる福の神になったようです。

モーツァルト・コンサート復活2012年03月13日 11時08分48秒

11日(日)。大震災一周年。復興に向けて、まだまだ課題山積のようですね。解決が少しでも早くからんことをお祈りします。それにしても、手術直後のお体で追悼式でスピーチされた天皇陛下は、本当にご立派です。私心なく励まれる御姿を拝見していると、皇室のある国に生きることの価値を思います。

昨年3月に中止になった立川アミューにおける国立音大コンサート「モーツァルト 晩年の境地を探る」を、3月25日(日)の15:00から実施できることになりました。1,000円という破格の入場料で、一流の出演者による演奏をお楽しみいただけます。私として最後の、大学イベントへの公式出演です。

栗田博文指揮、くにたちフィルハーモニカー(教員や卒業生によるフル・オケ)の出演で、まず《魔笛》の序曲。次に武田忠善さんの極めつけのソロで、クラリネット協奏曲。後半は、《魔笛》第1幕からの抜粋です。

《魔笛》の第1幕には、パパゲーノ、タミーノ、夜の女王のアリアが、2曲目から4曲目まで並んでいます。抜粋になるとこうした曲が必ず入ってくるのですが、アリアを選ばず、次の五重唱からはじめるのが、私流。アンサンブルこそ《魔笛》の聴きどころだと思いますし、この曲は音楽としてすばらしい上に、魔法の笛と鈴が紹介されるというポイントになっているからです。「愛」がテーマとなるパミーナとパパゲーノの二重唱を経て、タミーノが3人の童子に導かれてザラストロの神殿にたどりつくフィナーレを、全曲演奏します。タミーノと弁者の含蓄深い対話と、パパゲーノの鈴で奴隷たちが踊る、感動的な場面があります。
 
出演は経種廉彦(タミーノ)、松原有奈(パミーナ)、太田直樹(パパゲーナ)、田辺とおる(弁者)、若林勉(ザラストロ)、今尾滋(モノスタトス)、悦田比呂子/小林菜美/与田朝子(3人の侍女)、山崎法子/高橋織子/鈴木望(3人の童子)。どうぞお出かけください。

前後しますが、24日(土)と31日(土)の13:00から、朝日カルチャー横浜校の「エヴァンゲリスト」講座の今季最後の2回を、駆け込みで行います。テーマは「ライプツィヒ初年度のカンタータ創作」と「ヨハネ受難曲」です。

わが家の近く、好きだったラーメン屋が閉店しました。自分が福の神か貧乏神か、またわからなくなりました。

ギエルミ氏、マスタークラス開始2012年03月14日 11時37分15秒

3泊4日、オルガンのための大阪滞在が始まりました。すばらしい好天。朝の大阪城公園の散歩はひんやりとした空気のまことに気持ちのよいものでしたが、幸福感がある一方で、これは何か悪いことの前兆ではないか、と思ってしまうのが、私の暗いところです。森ノ宮のモスバーガーで朝食をとり、いずみホールに向かいました。

再会したロレンツォ・ギエルミ氏は、ことのほか生気にあふれたご様子。10時から、バッハのライプツィヒ・コラールを教材としたマスタークラスが行われるのです。しばらく聴講しましたが、テキストの内容、バッハのオルガンや他領域の音楽、古楽的な奏法や語法の解釈など、あらゆる領域に精通した明晰な指導で、第一人者というイメージがますます強まってきました。完璧なドイツ語で(通訳は廣野嗣雄先生)レッスンしておられます。

ヴォルフ先生はすでに昨日大阪入りされており、夜の7時から、ギエルミさんの生演奏を組み入れた、贅沢な講演会。そのあと、お寿司を食べることになっています。ツキの理論の試される、今日明日です。

目標があればがんばれる2012年03月16日 10時37分47秒

14日(水)は本来、次のようなスケジュールでした。ドイツの副総領事と、ヴォルフ先生をまじえて昼食。午後、先生と共同記者会見。夜はもちろん、ギエルミ氏のコンサートです。

一方この日には、東京で、住友生命健康財団の理事会が予定されていました。長いことその理事をさせていただいているのですが、健康・スポーツ関係の支援を幅広く行なっているしっかりした財団で、理事会ともなると、テレビでしか見たことのないような方々がお揃いになります。そうした方々とおいしいお昼を食べながらお話するのがとても楽しく、自分でいいのかなと首をかしげつつ、理事をつとめてきたわけです。

しかしかち合ったのでは仕方ありません。健康財団のほうは欠席します、と申し上げました。すると担当の方が、今は理事会もしっかり人を揃えて開催しなくてはならないので、お食事はパスされても結構だから、会議だけはご出席願いたい、とおっしゃるではありませんか。食事をパスという点には相当の抵抗を感じましたが、大事な役割なんだなあとあらためて気づき、共同記者会見を16時からに遅らせていただくという調整をして、東京を往復することにしました。理事会は11時半の開始です。

ホテルから乗ったタクシーが少し渋滞し、8時27分発の「のぞみ」に乗車。余裕はないが間に合うには十分、という時間です。車中でちょっと予習しておこうと、送付されていた書類を取り出しました。11時半開始、ホテル・ニューオータニ・・・え~っ!!髪の毛が逆立ちましたね。この理事会は長年帝国ホテルで開かれていて、今年もそこ(日比谷)だと思い込んでいたのです(もちろんご案内はいただいているのですが、身体が覚えておりまして・・)。ニューオータニは赤坂ですから、普通に行ったのでは間に合いません。

ともあれ最善を尽くそうと、携帯で、種々の検索を行いました。手近な駅は、地下鉄丸ノ内線の赤坂見附、有楽町線と半蔵門線の永田町、有楽町線の麹町の3つ。新幹線の下車は、品川と東京が考えられます。どのルートを採っても到着は11時半過ぎと出ますが、乗り継ぎを頑張って、遅れを最小限に止めようと決心しました。

東京から有楽町に山手線で戻り、地下鉄に乗り換えて永田町にゆくことに決定。各駅の出口も確認しました。東京駅着は11時3分。もし有楽町で11時12分の地下鉄に乗れれば、間に合う目があります。次は18分なので、遅れ確実。乗れるか乗れないか、ミステリーもどきになってきました。

東京着。脱兎のように新幹線を飛び出し、14番線から5番線まで、爆走。人ごみを抜けて階段を駆け上がり、ちょうど来た11時6分の山手線に飛び乗りました。有楽町駅も爆走して地下鉄へと駆け下り、なんと、12分の有楽町線に間に合ったのです。永田町に着き、地上に出てみると、ニューオータニは、まだかなり先に聳えている。しかもザ・メインというのは反対の四ツ谷側にあるビルで、長い廊下を移動しなくてはなりません。もう相当息が切れていましたから爆走できず、子供の頃本で読んだ「健児歩脚」というのを実践。30歩歩いて30歩走る、という方法です。

その結果、見事にセーフとなり、財団の方々に安堵していただきました。やればできるものですね!大事な会議に遅れてはならないという強烈なモチベーションで、定年になろうという人間が、この快挙です。子供のころから、走ることは一番の苦手だったのですが・・・。

汗を拭き拭き会議に参加し、食事の席に移る皆さんと別れて(くやしい)、東京駅へ。タクシーで四ツ谷へ行き、中央線で東京へ行くのが一番早いですよ、と教えられました。ザ・メイン館は紀尾井ホールの向かいで、いつも四ツ谷駅から歩いている距離です。間に合うからと思って歩き始め、ふと気がつきました。往路もこのルートを取っていれば、走る必要はまったくなかったのです。お疲れさまでした(←自分)。

ギエルミ氏、バッハを彷彿とさせる名演2012年03月19日 02時12分57秒

14日(水)、ヴォルフ先生の講演会。バッハにとってオルガンがいかに肝要な楽器であったか、というお話です。ヴォルフ先生は、本来オルガニスト。それだけに、バッハの音楽をオルガニストの音楽だなあ、と思われることが多いようです。

たとえば、《ブランデンブルク協奏曲》。この曲集は6曲とも編成が異なり、曲ごとに新しい響きの世界が探究されています。ヴォルフ先生は、こうしたところにバッハがオルガンから音楽を発想したことを見て取れる、とおっしゃるのですね。オルガンにはストップがあり、さまざまな音色を弾き分けることができ、バッハもそれに務めていたから、というわけです。

岡本和子さんの完璧な通訳と、ロレンツォ・ギエルミ氏の実演を交えて進められる講演は、まことに贅沢。お客様は200人ほどで、普通の講演では大入りなのですが、800席のホールでの開催ですので、ガラガラに見えます。それでも意に介さず、大熱演してくださいました。

ギエルミ氏のコンサートの前振りを兼ねる趣旨から、オルガン音楽と他ジャンルの交流について、とくにくわしく言及されました。バッハのオルガン曲に、プレリュードとフーガニ短調BWV539という作品があります。そのフーガが、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の第2楽章と同一なのです。通説ではヴァイオリン曲からの他者の編曲、ということになっているのですが、ヴォルフ先生はバッハの真作でヴァイオリン曲はそこからの編曲、という見方を提示され、びっくりしました。

新しいお考えですか、とお尋ねしたところ、オルガン曲は筆写譜で確証はないのだが、どちらもワイマール時代の作品であり、自分はそう考えている、とのこと。たしかに、無伴奏ヴァイオリンのフーガがいきなり書き下ろされたというのも、不用意な想定かもしれません。無伴奏曲にもパロディ(既作の転用)がありうるでしょうか、と伺ったところ、十分にありうるというお答えでした。なるほど。その夜、北新地でお寿司をご一緒しました。お寿司が大好きでいらっしゃるのです。

15日(木)。先生のご尽力で、長距離ランニングで疲労困憊の私との記者会見もうまくいき、ギエルミさんのコンサートになりました。冒頭に、ヴォルフ先生のご挨拶をいただいたことは、いうまでもありません。

それにしても、ギエルミ氏の演奏は、すごかったですね。明晰にして透明、知的というのはいつも感じるギエルミさんの美点ですが、この日はイタリア人のテンペラメントのめらめらと燃え上がる趣きがあり、ヴィヴァルディ編曲のコンチェルトなど、こんなに面白い音楽だと思ったのは初めてです。ギエルミさんによるとヴィヴァルディなしでは考えられない曲であるというプレリュードとフーガイ短調BWV543も、同様にエキサイティングでした。

バッハの演奏にかかわる生前の記録として、テンポが速かった、レジストレーション(ストップの組み合わせによる音色づくり)がまったく個性的であった、テクニック(とくにペダル)が超絶的であった、ということがあります。そのすべてが当日のギエルミ氏の演奏にあてはまりました。燦然たるイタリア風のバッハ。これこそ、バッハの理想であったのかもしれません。

16日(金)に帰国されたヴォルフ先生、その日の20時からライプツィヒの見本市で、バッハに関する新しい出版物の紹介をなさるのだそうです。そんなご多忙の中、来日してサービスしてくださるご好意に、感謝しきりです。バッハの全曲シリーズの終わりにはお祭をしましょう、と約束して、お別れしました。

雨中のパーティ2012年03月20日 23時37分22秒

17日(土)。「東京春祭」のコンサートを1つ聴いてから、新橋の会場に向かいました。すごい雨。私的には、いいことのありそうな日です。

この日のイベント。皆様には、「卒業生の企画する最終講義」とご案内していました。たしかにそのような趣旨で始まったのですが、企画が進むにつれ親睦会の傾向が強まり、最終講義は結局、三択クイズに変貌。景品用にと手元の著作をかき集め、両手に荷物、傘を差せないという状態で会場(新橋)に着きました。

嬉しいのは、この会の幹事役を、直弟子ではない人たちが買ってでてくれたことです。最後の数年は「身体の80%が声楽」などと言っていたにもかかわらず、代々の楽理/音楽学の卒業生が70人も集まってくださり、この日ばかりは、音楽学の精神に立ち戻りました。ほとんどの人を生き生きと思い出すことができたのは、学科4年間の接触が濃密であったことの結果かと思います。

私のクイズはひっかけ満載ですから、簡単には得点できません。三択は、でたらめでも三分の一は回答できるはずですよね。にもかからわず結果は、全24問中最高点が16点、8点以下もかなり。良かった(笑)。

散会が午後4時というのでは、はしごせざるを得ません。かなりの人が三次会まで付き合ってくださり、最後は国分寺でラーメンを食べて解散しました。

積み重ねて来たことを種々思い返し、感動した1日でした。定年のけじめも付けられましたし、人生の意味づけさえ、できたように思えます。お集まりくださった方々、ありがとうございました。