字幕と「集中」2014年08月07日 11時43分20秒

ルビーさん、「舞台と一体化した快適な字幕」というお言葉、字幕チーム一同、ありがたく受け止めております。

昨年は、ホール備え付けの高性能プロジェクターをお借りする予算のないまま、平素小教室で使っている「たのくら」から機械をお借りし、持ち込んで使いました。結果として前半はほとんど見えず、なんとか調整した後半も見える場所が限られるという事態となり、いかにも残念だったことを思い出します。

そこで今年は、一定の性能のあるプロジェクターをレンタルで持ち込み、投射方法にも工夫を重ねて、機能させることができました。私のもと、芸大の藤田瞳さん(オペレーター)、友人のまさお君(アドバイザー)という形でチームを組みましたが、お褒めの言葉をいただけたのは、藤田さんの献身的な取り組みのおかげです。

私のプロデュースするコンサートに、字幕は欠かせません。内容を理解して聴いていただきたいからです。オペラの字幕はいま本当に普及しましたが、言葉を理解して聴くことによって内容への感動が高まるという意味では、宗教音楽も歌曲も同じだ、というのが私の考えです。ただ、字幕を必ずしも歓迎しない演奏者も相当数いらっしゃることが、だんだんわかってきました。とくに歌曲では、そうした方が多いようです。

理由は、お客様の視線があちこちになることで、集中が削がれる、ということだそうです。手元の対訳を見たり、ページをめくったりすることも、同様でしょうか。演奏者の立場からすれば、そうかもしれませんね。

ただ私は、演奏者を凝視し続けることは演奏者に対する集中であって、作品に対する集中とは別なのではないか、と思うのです。詩の内容、言葉の意味に対する把握が行われていてこそ、作品から多くのものを受けとることができる、と考えるからです。字幕と対訳は一長一短でしょうが、字幕の方が、同時把握はやりやすいと思います。

というわけで、これからも極力字幕を使おうと思っています。もちろん、よりよい翻訳の準備、邪魔にならず見やすい設置と投射の工夫など、つねに考えていかないといけませんよね。お客様にも、字幕に慣れることで、上手に利用していただけるようお願いします。