「ラ・フォル・ジュルネ」をかすめる ― 2015年05月03日 08時10分01秒
2日(土)は、「ラ・フォル・ジュルネ」でいただいた講演のために、有楽町へ。BCJの《マタイ受難曲》とバッティングしているので行けない、と複数の方から伺っていましたので、あぶれた少数の方が暗い顔で集まる光景を頭に浮かべながら出かけました。予想の針は悲観的な方に合わせるのが習慣です。
案に相違して行列ができ、席が埋まったばかりか、今日その部屋では一番多い、とのこと。「受難としてのパシオン」というタイトルでやりましたが、皆さん生き生きと真摯に聞いてくださり、いくつかの再会にも恵まれるという、嬉しい一日になりました。良さそうなコンサートもたくさんありましたが、この連休は翻訳に専念しなくてはならないので、そのまま帰宅。
それにしても、この音楽祭、お客様がつきましたね。会場に本当に人の動きがありますし、私のような小さな講演にも何人ものスタッフがついて、万全の体制で支えてくれます。地方版がいくつもできているというのも、行き届いたサポートあればこそだと思いました。
案に相違して行列ができ、席が埋まったばかりか、今日その部屋では一番多い、とのこと。「受難としてのパシオン」というタイトルでやりましたが、皆さん生き生きと真摯に聞いてくださり、いくつかの再会にも恵まれるという、嬉しい一日になりました。良さそうなコンサートもたくさんありましたが、この連休は翻訳に専念しなくてはならないので、そのまま帰宅。
それにしても、この音楽祭、お客様がつきましたね。会場に本当に人の動きがありますし、私のような小さな講演にも何人ものスタッフがついて、万全の体制で支えてくれます。地方版がいくつもできているというのも、行き届いたサポートあればこそだと思いました。
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