「ラ・フォル・ジュルネ」をかすめる2015年05月03日 08時10分01秒

2日(土)は、「ラ・フォル・ジュルネ」でいただいた講演のために、有楽町へ。BCJの《マタイ受難曲》とバッティングしているので行けない、と複数の方から伺っていましたので、あぶれた少数の方が暗い顔で集まる光景を頭に浮かべながら出かけました。予想の針は悲観的な方に合わせるのが習慣です。

案に相違して行列ができ、席が埋まったばかりか、今日その部屋では一番多い、とのこと。「受難としてのパシオン」というタイトルでやりましたが、皆さん生き生きと真摯に聞いてくださり、いくつかの再会にも恵まれるという、嬉しい一日になりました。良さそうなコンサートもたくさんありましたが、この連休は翻訳に専念しなくてはならないので、そのまま帰宅。

それにしても、この音楽祭、お客様がつきましたね。会場に本当に人の動きがありますし、私のような小さな講演にも何人ものスタッフがついて、万全の体制で支えてくれます。地方版がいくつもできているというのも、行き届いたサポートあればこそだと思いました。

コメント

_ 福生人 ― 2015年05月03日 18時37分45秒

よかったですね。私も演奏を聴かないで講演を聞いたほうがよかったかもしれません。

_ 優@1&4&6&7&14&32 ― 2015年05月04日 00時46分12秒

「ラ・フォル・ジュルネ」、私の周りでも出かけている人が多いですが、私は今回は、種々の用事等があるため残念ながら行くことはできません。
「ラ・フォル・ジュルネ」に関連して、是非とも先生のお考えを伺いたいことがあります。
このイベントには、多くの演奏家が出演しますが、その中で、コルボ&ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルは、ほぼ毎年来日しているように思います。日本にもファンが多く、公演を楽しみにしているという声をよく聞きます。が、私自身、というか我が家では彼らの演奏、特にバッハを聴いていて、伝わってくるものがないというのが率直な感想です。ピリオド楽器かそうでないかという単純な問題ではなくて、求めているバッハとどこかが違う、といつも思っているのです。我が家の受け止め方が違うのか、勉強不足なのか。近いことを先生も感じていらっしゃるかどうか、伺えたら嬉しいです。

_ I招聘教授 ― 2015年05月04日 01時20分57秒

優さん、答えにくいことをお聞きになりますね。福生人さんにも、ちょっと答えにくいな、と思っていたのですが・・。
直近の演奏を知らないので、立場上、無責任なことは申し上げられません。私が聴いたのは何年前でしょうか、やはりジュルネにトークで行って、そのあと、《マタイ受難曲》を聴きました。
その時、第1部と第2部の区切りを、ペトロの否認の後に移していることにびっくりしました。このこと自体が、演奏の主観的傾向を象徴していたように思います。ですから、伝わってくるものがあるかないか、好みが分かれるのではないでしょうか。結論は、直近の演奏に批評の形で向かい合わなくては出せませんが、優さんのご意見は、一理あると思います。

_ 福生人 ― 2015年05月04日 02時01分57秒

私はコルボ氏のバッハに限らず、他のルネサンスやバロック演奏は、これもありだね、と肯定的に捉えています。あまり学術的にこだわるあまり、慎重な演奏もどうなんでしょう?例えば、先生の影響でロ短調ミサのCDを買い集めましたが、研究と実践を意識して聴いてみても研究は面白いがはたして仕上がりは?という実験的な録音もあることは確か。現代のバロック演奏にたどり着くまで、これまでのコルボ氏の功績は大きいです。合唱は緻密です。ですから今夜も楽しんで来ました。ヨハネの前のカヴィーナ氏の公演では、最後の曲が変更になり、ポッペアの愛の二重唱でした。ラッキーです。

_ 優@1&4&6&7&14&32 ― 2015年05月05日 17時29分36秒

コルボの最近の演奏は聴いていませんが、指揮者をはじめ演奏家は年を重ねることによって円熟味が出てきて、音楽の表現にもゆとりと幅が生まれてくると思っています。是非いつか、コルボの新しい演奏を聴いてみたいですね。過去の演奏でもフォーレ『レクイエム』とメンデルスゾーン『エリヤ』は気に入ってます。

_ I招聘教授 ― 2015年05月06日 23時59分07秒

福生人さんのご意見、含蓄深いものと受け止めております。

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