6月のイベント2015年06月01日 23時19分44秒

恒例のご案内です。日にち順に。3日(水)は朝日カルチャーセンター新宿校の日。10:00~12:00のワーグナー講座は、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》が第3幕に入ります。13:00~15:00のバッハ・リレー演奏講座は、《マニフィカト》です。今月の新宿は、この1回です。

その後ヨーロッパにまいりまして、戻ってきたその日に、いずみホールのオルガン・シリーズ。20日(土)の16:00から、オ・チャギョン氏(韓国)の登場で、「バッハ好みのロ短調」と題するコンサートです。体調に万全を期して帰国したいと思いますが、不安、なきにしもあらず。

21日(日)は立川で「楽しいクラシックの会」(錦町地域学習館、10:00~12:00)。オペラのシリーズに入っていますが、今月のテーマは「悲しすぎるオペラ~21世紀のパーセル《ディドとエネアス》」です。最近いろいろな映像が出ており、タイムリーだと思います(→訂正参照)。

26日(金)は日本モーツァルト協会のピアノ協奏曲連続公演、その3です。20番台のコンチェルトについて、自分なりの新しい見方を示せればと思います。14:00~16:30、東京文化会館会議室。空席待ちと伺っています。

27日(土)は朝日カルチャーセンター横浜校。モーツァルト講座(13:00~15:00)の今月のテーマは、1991年のオルガン曲とグラスハーモニカ曲です。

28日(日)は、すざかバッハの会のワーグナー・シリーズ(須坂シルキーホール、14:00~16:30)。今月は《ローエングリン》を取り上げます。

いま、出発前に仕事を片付けることがまことに困難な状況になっているのですが、帰ってきてからも相当たいへんなようですので、滞在中を、安らかに過ごしたいと思います。

【訂正】21日(日)の「たのくら」、9:30~11:30の間違いでした。会場の都合で30分早まっていました。ご確認をお願いします。

古楽の楽しみ~パーセル特集2015年06月05日 22時44分17秒

古楽の楽しみ、最近はイギリス音楽をよく取り上げていますが、ようやく、パーセル特集にたどりつきました。私の大好きな作曲家のひとりです。

第1日(6/8・月)は歓迎歌(ウェルカム・ソング)、第2日(6/9・火)はアンセム、第3日(6/10・水)は舞台音楽、第4日(6/11・木)は器楽で構成しました。もし1日だけ早起きするぞ、という方がおられましたら、第3日がお薦めです。

第1日は、チャールズ2世のための歓迎歌《ようこそ、全能の王の代理者よ》とジェームズ2世のための歓迎歌《なぜ、なにゆえにムーサは皆沈黙するのか》をトラジコメディアの演奏で。合間に、ファンタジアと3声ソナタを1曲ずつ入れました。いずれも初期作品です。

第2日は、レオンハルトの弾くヴォランタリーで開始し、フル・アンセム2曲(ケンブリッジ・トリニティ・カレッジ合唱団)と、ヴァース・アンセム1曲(《主よ、私はあなたに拠り頼みます》レオンハルト指揮)を聴き、著名な後期作品《テ・デウムとユビラーテ》(ティモシー・ブラウン指揮)で締めくくる形にしました。カンタータ好きの私は楽器のつくヴァース・アンセムに今まで注目していましたが、フル・アンセムもいいですね。イギリス合唱芸術の粋、という感じがします。

第3日は、劇音楽のセミ・オペラとも呼ばれる分野から、《ダイオクリージャン》。終幕「キューピッドのマスク」を中心に構成しましたが、円熟期の名曲で、すばらしいです。演奏はガーディナー。

いちばん親しみやすいのは、第4日かも知れません。ムジカ・アンフィオン演奏の室内楽、レオンハルトの弾くチェンバロ作品、カークビーの歌う歌曲と並べましたが、ふるいつきたくなるような曲がいくつもあります。

「またこの世界に帰ってきたい」という言葉で、4日間の番組を終わりました。偽らざる心境です。

【付記】久美さん、ご指摘ありがとうございます。修正しました。しかし来週の日にちと曜日を間違えるなんて、私は正しく飛行機に乗れるんでしょうか。

がんばれました2015年06月07日 22時58分56秒

5月の、もう下旬だったでしょうか。どう計算しても、外国に行く前に、やらなければならない仕事がさばけないとわかりました。いつもそうだったような気もするが、済んだことは、どうでもよろしい。問題は、いま、どうするかです。

というわけで、この1週間、必死でやりました。がんばった甲斐があり、なんとか光明。区切りをつけて出かけられそうです。

誤解のないように申し上げておきますが、私は旅先でひどい目に遭うために、がんばっているわけではありません。ましてや、皆様に喜んでいただくためにがんばっているわけではない。自分がいい思いをするために、がんばっているわけです。皆さんに喜んでいただこうなどと仏心を起こすとろくなことはありませんので、今回の旅行は自己本位でいきたいと思います。期待をしておられる方、申し訳ありません。

焦りを誘った一番の仕事は、《魔笛》の台詞を作成することでした。今年11月のいずみホール《魔笛》は、台詞のみ、日本語でやることにしたのです。思いのほか膨大なオリジナルの台詞を一通り訳し、そこから集約して、マイ・バージョンを作ることにしました。

一番苦労したのは、日本語に敬語があることです。敬語の使い方が、じつにむずかしいのですね。そもそも自然児パパゲーノは、敬語になじむか。タミーノに対して、次第に敬語を使っていくという器用な対応でいいのか。相手がパミーナならどうか。ザラストロは丁寧にしゃべるべきか、ある程度威張っているべきか・・・などなど。ちょっとしたことで、人間関係のイメージが、大きく変わってきます。

関係ないですけど、ソフトバンク、すごいですね。とくに柳田(笑)。

梅雨入り2015年06月09日 07時43分07秒

昨日はとても蒸し暑いと思ったら、梅雨入りとか。今日は雨ですね(東京)。不快指数の高いこの時期、皆さん、お仕事たいへんお疲れさまです(合掌)。

不肖私、今日羽田から、ヨーロッパに行ってまいります。今回は図書館には寄らないので、パソコンは持参せず、タブレット+外部キーボードで更新できたらと思っています。今日はミュンヘン乗り継ぎでライプツィヒまで行き、ベルリン泊まりの予定。珍道中などと言われないよう、真摯に行ってまいります!

ヨーロッパ真摯の旅2015(1)2015年06月11日 15時54分51秒

私のヨーロッパ旅行は実地見聞と図書館訪問を伴っています。貧乏性なので、音楽を聴きに行くだけではもっちたいない、と思ってしまうのです。そこで、お客様がたをお送りしてからの約一週間を、勉強の時期に充てています。

でも、今年は困りました。バッハ祭のいいとこ取りをしてみると帰国がいずみホール出演のまさに当日になっていて、後ろに延ばすことができないと判明したのです。そうなると「先に行く」しか方法がありません。そこで、月曜日の聖心を終えて火曜日に発ち、國學院は補講を励行するように案配して、土曜日の合流前に、3泊の余裕を作りました。

図書館はいま差し迫って調べることがありません。そこで、実地見聞のフルモードに。バッハにとってとても重要だが、まだ訪れていないところはどこだろう、と考えていたら、ありましたね、大事なところが。ポーランドです。なにぶんバッハの領主はポーランド王ですし、世俗カンタータには、ポーランドの地名がどんどん出てくる。やはりこの目で見て、土地勘を養っておきたいところです。

調べてみると、ポーランドはやけに広く、ターゲットが点在しています。そこで訪問地をグダンスク(ダンツィヒ)、ワルシャワ、クラクフの3つに絞り、北から回ることにしました。

小心者としてかなりの期間迷ったのは、ビジネスクラスを奮発するか、エコノミーで自重するかということでした。ご承知のようにその差額はきわめて大きいですから、もし身分相応にエコノミーで行けば、差し引き、大金の収入があったのと同じことになります。老後(すでにですが)の安定、という言葉も脳裏に浮かんでくる。でも結局一度知った蜜の味は拒絶しがたく、乗ろう、でも乗って良かったと思えるだけの元をとろう、と、不肖私、決心したのでした(続く)。

ヨーロッパ真摯の旅(2)ーー星の巡り2015年06月12日 15時35分19秒

最初にビジネスクラスを利用したときの感動は、いまも忘れません。その利点は精神的なものだというのが、私の持論です。

あるときそのことを指導の学生たちにとうとうと語っていたところ、あの、私、ファーストクラスに乗ったことがあるんですが、と、女子学生が遠慮がちに申告。航空会社の都合でということでしたが、座がしらけましたねえ。なぜならば、私のビジネスクラス礼賛は、ファーストクラスはこの世に存在しない、という見切りを前提としてしているのであって、じゃあファーストクラスは、という言葉がひとつでも出れば、その時点で瓦解してしまうものであるからです。

というわけで、どうしたら元がとれるか、熟慮しました。密室に入ってしまったら、あとは別れ別れ。むしろ差が出るのは、手続きの部分ではないだろうか。

エコノミーの荷物預けは、長蛇の列をなしますよね。一大難関です。そこで仮に、御常連のTAISEIさんがお客だったとしましょう。TAISEIさんはもういい加減並んで、いらいらしておられる。時間が迫ってきているので、時計を見ては、天を仰ぐ。足踏みが始まり、ため息さえ聞こえてくる。そのとき私がさっそうと現れて、ただちに荷物預けを済ませ、足取り軽く検査場へと消えていくーー。こんな情景が完成すれば、ビジネスクラスも元がとれると確信しました。

ところが、星の巡りが 悪かったようでーーー。シーズン外のせいか、エコノミーはガラガラ、にもかかわらずビジネスのお客は案外いて、行列の長さがほぼ同じだったのです(汗)。結局ビジネス、満席でした。やっぱり、景気が回復しているんでしょうか。

元をとらなければなりませんので、急いでラウンジを探し、白ワインの一気注入。行きにラウンジを活用したのは初めてで、少し元をとりました。ミュンヘン乗り継ぎでライプツィヒに、そう疲労なく到着。駅で荷物を預けて、そのままベルリンに移動、宿に入りました。翌朝、グダンスク行きの飛行機に乗るためです。

ヨーロッパ真摯の旅3ーグダンスク2015年06月13日 14時37分33秒

ちょっと補足します。ライプツィヒの空港から、列車で中央駅へ。そこでコインロッカーに荷物を預け、身軽になってポーランドに行ってこよう、という計画です。ところが、ライプツィヒ行きの列車が1時間以上遅れていることが判明。そこでタクシーに切り替え、無事、コインロッカーに荷物を納めました。後日、中身を取り出します(なぜか、当たり前のことを書いてしまう)。

ベルリン着が夜の10時を過ぎましたので、ここもタクシーで、空港に近いホテルへ。翌朝テーゲル空港までは、バスで一足でした。グダンスク行きの飛行機は久しぶりのプロペラ機で、お客も数えるほど。しかし、着陸直前の眺めは、見事だったですね。バルト海のくっきりした海岸線が、グダンスク市を経て、東北東へとすーっと延びているのです。その昔ドイツ騎士団は、ここを東進したわけか。いま先にはバルト三国があり、ロシアがあり、さらにフィンランドがある。バルト海の懐は深く、その文化的役割は絶大です。

運河沿いに巨大な観覧車がありましたので、そこから市街を一望。ただし新しい施設を工事中だったため、バルト海の海岸に直接行くことはできませんでした。一種不気味なレストランで(説明すると長くなりますので機会があったら後日)ニシンの入ったサラダを食べ、家族のおみやげに琥珀を買い、その日のうちにワルシャワへと移動しました。

グダンスクは、ドイツ名ダンツィヒ。重要な軍港であり、バッハのカンタータにも登場します。しかしこの日の印象では、町としてやや生気に欠けるように思われました。でも琥珀は、安いですよ!

写真が、ネクサス7のブラウザではうまく投稿できないようです。これは困った。



ヨーロッパ真摯の旅2015(4)---ワルシャワ2015年06月15日 00時30分08秒

写真はたくさん撮っていますが、タブレットのブラウザからはアップデートできないとわかりましたので、帰ってから、特集をいたします。

夜ワルシャワに着いてみると、すぐ駅前だと思っていたホテが、郊外と判明。郊外を知ることもまた良し、とすぐ気持ちを切りかえ、タクシーのお世話になりました。とても緑豊かな郊外であり、市内です。

それにしても、ポーランドは物価が安いですね。ずいぶん乗った感じなのに、換算すると1500円ぐらいです。手軽に旅行できますよ。

私の旅行目的の一つは、ポーランドからドイツを見る目を経験してみたい、ということでした。それは、バッハの領主であるザクセン選帝侯がポーランド王であったことを、ポーランドの人々がどう受けとめていたのか、知りたかったからです。ポーランド史をひもとくと、このザクセン朝・二重王国時代については記述も乏しく、まともに取り上げられていない印象を受けていました。

外目には豪奢とはいえない王宮に入ると、内部は美術館の趣。歴代のポーランドの王公や名士の肖像が、ずらりと並んでいます。ところが、バッハの領主アウグストのそれは、小さいのが一つ、申し訳程度にあるだけ。その意味するところを、考えざるを得ませんでした。そう思って見ると、近くて遠い国なのかな、と思うことがいろいろあります。(続く)

ヨーロッパ真摯の旅2015(5)ークラクフへ2015年06月15日 12時29分52秒

若干の例を挙げてみましょう。エア・ベルリンという航空会社
で往復しましたが、ベルリンーグダンスク、クラクフーベルリンという航路で当然ポーランド人の乗客が多いにもかかわらず、機内放送はドイツ語と英語だけ。また気がついてみると、ポーランドではドイツ料理のお店を見ません。多いのはポーランド料理とイタリア料理で、中華料理も意外に少ないです。ドイツ料理、需要は大きいと思うのですが。

そんな様子を見ていると、当初活用できると思っていたドイツ語を使おうという気持ちが、なくなってしまいました。ポーランド語を、しっかりやっておくのでした。ポーランド語はスラヴ語系ですから子音がとても多く、発音がむずかしい。「ありがとう」で、早くもつまずいてしまいます。でも、そこが勉強。現地の言葉を多少とも話さなくてはその国に触れることはできない、ということを、あらためて肝に命じざるを得ませんでした。

歩き疲れた夜、駅前の日本料理に入ってみました。そしたらなんと、日本語メニューがない。ポーランド人の男性と東洋人女性複数で営業しているようです。このように日本人がかかわらずに安い値段でお寿司を食べさせるお店が、いまたくさんある。気にはなりますが、日本食普及のハードルが下がるという利点はあるかもしれません。ちなみにしょうが焼きを頼んだところ、壺に入って出てきました。幸い、まあまあの味でした。

個人的には、ワルシャワもうひとつ、という感想を抱きつつ、クラクフへ。クラクフはワルシャワに遷都する前の首都、ヨーロッパ史上屈指の重要都市で、日本なら京都にあたる、とのことでした。

ここはすごかったですね。ここに来るまで、たしかに気配は感じるもののもう一つ生命力をとらえにくかったカトリック信仰、その壮麗な蓄積が、堂々たる建築群となって眼前に屹立している。ワルシャワの王宮や教会は普通の感覚で理解できるが、こっちは、得体の知れない凄みがあります。

去年オランダを出てベルギーに、とりわけヘントに赴いた時に、類似した感想をもったことを思い出しました。中世の偉大さです。(続く)

ヨーロッパ真摯の旅2015(6)ーーヴィスワの流れ2015年06月16日 23時25分18秒

バルバカン、聖マリア教会、ヴァヴェル城と続くクラクフ旧市街を歩きながら私が思い浮かべていたのは、バッハの領主である「強王」アウグストの、ポーランド王戴冠式の情景でした。おそらく儀式は壮麗だったでしょうが、にわかカトリックの新王に向ける貴族たちの目は、冷たい。そして、儀式に華を添えるべき王妃クリスティアーネ・エーバーハルディーネは、信仰上の理由から出席を拒否し、ポーランド入りさえしていないーー。じつに、格好がつかないではありませんか。

お城の南には、ポーランド随一の河川、ヴィスワの流れがあります。私は河畔のベンチに腰かけて、大好きな選帝侯妃追悼カンタータの「ヴィスワの流れが豊かであるかぎり」のくだりを思い浮かべながら、彼女の行動の持つ意味を考えていました。バッハはかの名曲によって彼女に大きなエールを送りながら、最終的には宗派の対立を越えようとして、《ロ短調ミサ曲》を書くわけですよね。

関心のある方のために付言すれば、ポーランドの女性が美しいという世評は、本当です。色白、細面で金髪、スタイルがいい上、感心するほど洒落た装いの人を、たくさん見ました。すばらしいと思います。