切磋琢磨2016年03月26日 10時46分29秒

19日(土)は、高等学校部門。表彰式の講評を依頼されたこともあり、この日が自分として勝負だと思っていました。

「声楽アンサンブルコンテスト」の合唱コンクールと異なる特色は、小編成に限定されていることです。メンバーは最少2名、最多16名。このため、指揮者なしで出場するグループがかなりあります。その多くが傾聴に値する音楽をしていたのは、聴き合いながら自分たちで作っていくという、クリエイティヴなスタンスを持たざるを得ないからでしょう。

その長所を最大限発揮していると思われたのが、日本大学東北高校と、郡山高校。どちらも誠実に心を込めたアンサンブルで、とくに前者のパレストリーナは、じーんと心に伝わってきました(特に本選)。

私として嬉しかったのは、音楽史上の名曲がずいぶん取り上げられ、マスゲーム風のプレゼンテーションが少なかったことです。モンテヴェルディ、バッハ、ハイドン、モーツァルトなども出てきました。それらが明らかに前日を上回る激戦を展開する中で、シュッツの《ムジカーリッシェ・エクセークヴィエン》(音楽の葬儀)を取り上げた高校がありました(福島東高校)。

その演奏が始まったとたんに私は電撃に打たれたような思いがして、涙が止まらなくなってしまいました。音楽は簡素そのもの、しかしそこに無限の思いがこもっていてるのですね。短調で始まったフレーズが長和音に終止する「ピカルディ終止」がひんぱんにあらわれるのがシュッツの特徴ですが、そこにつねに、安らぎと希望の実感があるのです。

こういう探究が高校教育の場で行われているのはすごいなあと、感嘆しきりの私でした。3つの高校のみ今日は紹介しましたが、いずれも、福島県の音楽文化の一端。切磋琢磨しながら、どんどん盛り上がっているように見えます。

悲愴感2016年03月24日 08時41分58秒

18日(金)は、中学校部門。全国から43校が出場し、覇を競いました。

会場となった福島市音楽堂は、とても音響効果のいいところ。残響があります。お客様のまだ少ない時には、その残響がきわめて豊かです。

恐れていた「伯仲」を実感しつつ審査に入った私ですが、まもなく、この残響は大敵であることに気づきました。「伯仲」になんとか濃淡をつけようとしているのに、残響が、すべてを美しくくるんでしまうのです。いやこれはたいへんなことになった、なぜこの場に来てしまったのかと、わが身を呪う心境に陥った私でした。

うなだれつつ休憩の部屋に行くと、指揮者を中心とした審査員の先生方が盛り上がり、「レベルが高くて楽しいですねえ」と言っておられます。悲愴感漂っているのは私だけで、皆さん、伯仲のシチュエーションを楽しんでおられるようなのです。これでは、ますますうなだれざるを得ません。

しかし、そうした中からもひときわ立派に響いてくる演奏があるのですね。そこに注目することで、まずまずの結果は出せたのではないかと思います。1つだけご紹介すると、器楽も声楽も盛んという地域の特性を生かし、自前の小オーケストラとともにラインベルガーの《スターバト・マーテル》を取り上げた郡山第五中学校。深い響きでまとまった感動的な演奏で、この日の1位のみならず、全体のグランプリを獲得しました。中学生、すごいです。

難関2016年03月22日 07時17分48秒

18日(金)から連休末の21日(月)まで福島で催される「声楽アンサンブルコンテスト全国大会」の審査を、お引き受けしていました。これが今月の大難関で、迫るにつれプレッシャーが増大。「できるならこの杯を過ぎ去らせてください」という言葉はこういうときのためにあるのだな、という心境でした。

なぜかというと・・・。4日間連続して40団体ぐらいずつ審査をし講評を書くという負担に耐えられるか、という不安がありました。加えて、いずれ劣らぬアンサンブルが次々と登場するこのコンテストの審査は日本一むずかしい、という情報を仕入れていました。全日本合唱コンクールの審査もプレッシャーでしたが、これは2日で終わる。4日となるとどうなるのか、年も年ですので、心配でなりませんでした。

まあしかし、日にちはやってきます。最終的な心境は、とにかくベストを尽くそう、それで自分の納得できる審査ができなければこれを絶対最後にしよう、というものでした。17日(木)は早朝に起きて急ぎの仕事をいくつか片付け、審査委員会とレセプションの待つ福島へ。 なにしろ4泊ですから、珍しく洋服ケースを持参しました。

車中うとうとし、目覚めると武蔵野線の電車は、乗換駅の武蔵浦和で停車しています。あっと思い、あわてて下車。少し歩いたところで気づきました。洋服ケースを網棚に忘れてきたのです。

これでテンションが、いちだんと降下。とにかく行ってしまうか、あくまで洋服ケースを奪還するか、しばらく迷いましたが、奪還を優先することに。幸い駅員さんが親切に対応してくださり、吉川美南という駅で取り戻すことができました。網棚事件は、たしか三度目です。

レセプションで私の着いたテーブルには、副知事、市長、県会議長、教育長といった方々が勢揃いしておられ、歓迎モード全開で日本酒(←金賞の銘柄数がダントツとのこと)を勧めてくださいます。お酒のありがたさで、酔いが回るとともに不安が薄れていきました。(続く)

重圧の長崎(3)--その第2日2015年11月25日 22時53分32秒

第1日の審査が終わったところで、体温を測ってみました。すると、38℃なのですね。案外、ある。そこで夕食会は欠席させていただき、豚骨ラーメン(←好きでない)をさっと食べて、ホテルで休みました。

ゆっくりしたので、朝の気分は悪くありません。顔つきも昨日とはまったく違うとのことで、何とか完遂できそうだと予測し、同声合唱・混声合唱の審査に臨みました。

20名から80名ぐらいの団体が続く中で、128名という巨大な女声合唱団が出てきました。HIKARI BRILLANTE、愛知県です。大編成の合唱団は指揮者としてぜひ指揮してみたいものだそうですが、私はバッハが持ち場なので、大編成尊からず。響きが太くなるのはご勘弁願いたい、という気持ちがあります。

ところがこの団体は、指揮者雨森文也さんの耳の良さで、音がシャープに揃っている。アンサンブルも打てば響くごとしで、何より、128人全員が光り輝くような喜悦感をもって歌っている。これはまいった、1位!ということになりました(正式結果では2位)。いつぞや知立で見た創作オペラを思い出しましたが、この生き生き感は、中京のメンタリティとも、かかわっているのでしょうか。

いくつもの男声合唱を擁してレベルの高かった同声が終わり、混声に入ると、激戦は最高潮に。千葉県代表のVOCE ARMONICAが鉄壁の合唱を聴かせ、「ここまでやられては後が・・」と思っていたら、次に出てきた佐賀県代表のMODOKIという合唱団が、正反対のやわらかなタッチで、心潤す、愛のある合唱。私は涙が止まらなくなってしまい、これを1位とさせていただきました(結果1位)。自由曲は、三善晃先生の《嫁ぐ娘に》から。やはり、曲の良さも大きいと思うのですね。コンクール向けありありの曲には、結局感動できません。

講評には原稿を用意して臨み、座談会も、専門的なことは清水敬一さんにお助けいただきながらですが、なんとか完遂することができました。

重圧の長崎(2)--その第1日2015年11月25日 11時26分28秒

今年は、県大会を埼玉で、支部大会を鳥取で、全国大会を長崎でと、合唱コンクールの3段階をすべて経験させていただきました。県を勝ち抜いた団体が支部へ、支部を勝ち抜いた団体が全国へとなるわけですから、審査はしだいに困難になる。次から次へと上手な団体に出てこられては、頭をかかえてしまいます。

大方の関心はどこが1位になるか、ということでしょうが、その陰で必ず生まれるのが、最下位の団体です。1位になれば、ガッツポーズ。しかし最下位になれば失望は大きいでしょうし、納得がいかないことも多いかと思います。自分がその立場だったら、腹を立てるかもしれません。なぜならその団体は、支部大会を制して出場してきているからです。

県大会なら、平和な最下位というのはあり得ます。初めて出てみました、腕を磨くのはこれからです、というような場合です。しかし上の大会になると、すべての団体が並々ならぬ競争力をもっています。ですから、フィギュアスケートなどと同じで、後続団体が上に入ってくるうち、最下位はいつしか「生まれる」。全国大会ともなると、審査員Aは最下位だが審査員Bは1位、ということも、恒常的に起こってきます。審査員の心理としてはこういう形にはまることはけっして嬉しくないのですが、多様な価値をすくい上げるという趣旨からすれば、あっておかしくないことだと思います。

そこまで考えてしまうともう採点できませんから、自分なりに音楽本位を心がけて採点しました。1日目の大学ユースの部と室内合唱の部は、どちらも私の1位と全体の1位が合致しましたので、その点は一安心。大学ユースの部では都留文科大学がバーバーの《アニュス・デイ》(=弦楽のためのアダージョ)を驚くべき精度と持続力で演奏し、室内合唱の部では、女声合唱団ソレイユ(佐賀)が表情豊かな大柄の合唱で、栄冠を獲得しました。佐賀県って、合唱王国なんですね!2日間を通じて、佐賀県の存在感が際立った印象です。私独自の採点としては、メンデルスゾーン・プログラムを内容本位に掘り下げて演奏した新潟大学合唱団に、エールを送ります。

重圧の長崎(1)2015年11月24日 12時24分41秒

長崎から戻ってきました。大きな重荷を下ろした気分です。

先週体調が下降したのは、仕事が重なって休養を取れなかったことが原因ですが、長崎のイベントを控えているという心理的圧迫感にも一因があったことは否定できません。今年一番の重圧でした。恥をかくつもりで気楽にやれば、とささやく心の声もあるのですが、今までそういうやり方で仕事をしてきませんでしたし、それで結果がよくなるとは、もちろん思えません。

朝日カルチャー・レクチャーコンサート(木曜日夜)の「出演者の一時的体調不良」による延期を、私の体調不良と思った方がおられるようですが、それは違います(それならそう書きます)。しかし、この延期がありがたかったことは確かで、まずまずのコンディションで長崎入りすることができました。

21日(土)が、全日本合唱コンクール全国大会(大学職場一般部門)の、第一日。起きてみると体温がちょうど37度あり、上がりそうな気配です。思い出したのははるか昔の、大学受験。二次試験日が、38度5分の発熱だったのです。しかしそのときは、余分な力が抜けて、かえってうまくいきました。今回もそうなればいいのですが、集中力に欠けたりしたらたいへんです。

大きなマスクをかけて会場のブリックホールへ。といっても、咳やくしゃみはまったく出ない風邪です。臨席に佐々木典子さんがおられ、ダナエすばらしかったですね、二期会もたいしたものだなあ、などという話で、少しリラックス。しかし翌最終日の講評に指名され、思わず「えっ」と大声を出してしまいました。ベテラン指揮者の先生がなさると思っていたからです。最終日は終了後『ハーモニー』という機関誌の対談も入っていて、すべての演奏に感想を述べなくてはなりません。

このようにして堀は埋まり、コンクールが始まりました。

心地良い眠り2015年09月14日 13時11分27秒

起床11時。ゆっくり寝られたのは、昨日の疲労が大きく、しかも快いものであったからです。家族が「もう起きてこないのでは」という心配をしていたことは、言うまでもなし。

昨日は、埼玉県合唱コンクールの最終日、彩の国部門・大学職場一般部門でした。審査委員長であった私が部分的な感想を述べるのはいいことかどうかわかりませんが、採点は公表されていますので、個人ブログの私論ということで、少し書かせていただきます(「故人」と出てしまい、「個人」に変換)。

いい演奏が多かったです。感動して2回、涙が出ました。1つは、女声合唱団の「La Mer」。大竹教子さんの指揮のもと、いつも芸術性の高い優雅な演奏を聴かせてくれる団体ですが、今回はラテン語の宗教曲3曲が選ばれ、Ave maris stella(めでたし海の星)の大好きなテキストが、眼前に生き生きと展開しました。じーんと感動。

もう1つは、混声合唱団「あべ犬東」です。いつも創意に溢れた解釈に惹きつけられる団体ですが、まさに合唱の概念を覆す演奏だったと思います。先日「名伯楽の司るマスゲーム」という合唱タイプについて書きましたが、この日もその方向でぶっちぎり、という演奏が複数。それはそれで、すごいです。

しかし「あべ犬東」さんの合唱は、ひとりひとりが内側から湧き上がる感興によってハーモニーが共々作られていくという趣のもので、その自主性がすばらしいのですね。こういう音楽を引き出す中尾一貴さん(指揮者)の音楽観に共感します。ブルックナーの美しさは心に残るものでした。審査員の先生方からも大きな支持を得て、総合一位に。

紹介はこれにとどめますが、とてもいいものが多かったです。私は合唱コンクールの審査にいつも大いなる負担を感じ、毎度「できることならこの杯を過ぎ去らせてください」という気持ちなのですが、今回、自分なりの審査というものに少し光明を得た思いがしています。週末の鳥取で、さらに勉強したいと思います。

合唱コンクールという試練2015年08月24日 23時15分09秒

スケジュールの立て込んだ8月下旬への関門としてあったのが、この土日の合唱コンクール(全日本、埼玉)でした。

審査はなにぶんの激務(採点の心理的負担+コメント書き続けの体力的負担)なので、最近のコンディションで務まるかどうか、かなり心配していました。専門領域でもないわけだし、今後どこまでお引き受けしたものか、と及び腰で、「潮時」という言葉も、頭に浮かんでいました。

もちろん、行けば全力投球でやります。至れり尽くせりで気持ちよく迎えていただける上、中高の合唱団の規律正しさ、礼儀正しさは、本当に気持ちがいい。1日目(高校)は疲れを感じることもなく完遂し、高揚感がありました。

しかし2日目は、忍び寄る疲労が。あらためて思ったのは、音楽コンクールの審査というのは、その対象がどのぐらい上手かを判定するのではなく、自分の音楽観を問い直す活動だということですね。何をよしとするかは本当に決めがたいことで、それを楽しむほど、私は偉くありません。

埼玉県はレベルが高いですから、名伯楽と折り紙付きの先生たちが、生徒たちを手駒として縦横に動かし、マスゲームを見るように絢爛としたプレゼンテーションを行います。音響実験さながらの現代作品が、よく選ばれる。それをコンクール向けと言えば、言えるのではないかと思います。

その傾向が、いちだんと加速しているように思われました。昭和な私としては、昔ながらの合唱の楽しみ、集まってすぐハモれるような合唱の楽しみを重視したい気持ちについかられるのですが、それを採点に反映させるのはむずかしいし、いいかどうかもわかりません。これは一例ですが、ほとんどすべてのステージに、採点の葛藤がついてまわります。

というわけで、自分として今後どうすべきかには、結論を出せませんでした。しかしコンクールに出場した生徒が合計1400人、などという話を聞くと、大事な仕事であることは確実です。例によって後悔を繰り返しながらの作業でしたが、4つの部門のうち私が1位を付けた出場校が3つ総合1位になったので、なんとかほっとしています。勉強させていただいています。

市民ボランティアが大活躍2014年07月23日 09時04分44秒

東大和市がどこにあるか、皆さんご存じでしょうか。西武新宿線の支線である西武拝島線(小平~拝島)の途中にある町で、駅は玉川上水の東隣です。ハーモニーホールという手頃でいいホールがあり、私も何度か足を運んでいます。

ここで7月19日(土)に行われた「第3回アンサンブルフェア」に、不肖私、審査員として呼ばれました。市民による家族的な音楽コンクールというイメージで、参加団体には人数にして2~16名。指揮者なし、という条件がついています。平素指揮者のもとで練習しているグループも、アンサンブルとして出演することになるわけです。

世に「手作り」のイベントはたくさんあるでしょうが、東大和のアンサンブルフェアは、まさにその典型。河本順子さん率いる実行委員会の働きぶりは、すごかったです。出演団体も、皆さん生活を背景にして出てこられ、人間と生活のハーモニーというべきものを届けてくれる。たとえば、障がいのある方を積極的に受け入れている喫茶店がスタッフ全員参加で響かせた合唱は、本当に心温まるものでした。

高橋薫子さんと2人で行った審査は、すんなり進行。審査員賞という主観的な枠がありましたので、施設や病院を訪問しているというちょっとひたむきな合唱団(MGハミング)を選出して、終了後の打ち上げに臨みました。

打ち上げは、可動式の客席を片付けて生まれるホール空間で開かれました。ほとんどの団体が参加され、角田和弘さんらの歌のサービスもあって、たいへん盛り上がりました。しかし、審査員と参加者が乾杯する打ち上げって珍しいですね。審査結果を歓迎する参加団体は当然限られるはずですから、いつもはそそくさと姿を消すのが審査員です(笑)。

こういう市民ボランティアのがんばりが音楽文化を下から支えているんだなあと実感するイベントでした。発展するといいですね。

ビクトリア、歌舞伎2013年09月11日 11時01分53秒

北海道から帰り、《ゴルトベルク変奏曲》の話をした土曜日を挟んで、埼玉県合唱コンクール第3日へ(9月1日)。いくつかの部門に分かれていましたが、本当にようやく、ある程度のゆとりをもって対処できるようになりました。

課題曲は混声、男声、女声各4曲ずつあり、傾向の違う曲が選ばれています。必然的に何度も聴くことになりますが、やはり、光り輝く名曲がしっかり歌われると、うれしくなります。

すばらしいのは、混声の部の最初にあるビクトリアのO magnum mysterium。激戦となった大学職場一般/室内合唱の部では、1位、2位(私の順位=全体の順位)の団体が、どちらもこの曲に、抜きんでた合唱を聴かせてくれました。しかし、アプローチはまったく逆。一方はつややかで磨き抜かれたハーモニー(スカートラ・ディ・ヴォーチェ)、もう一方は、テキストへの共感を湧き上がらせる熱い演奏(あべ犬東)。どちらも、今なお記憶が鮮烈です。

3日(火)は、津の三重県文化会館に、松竹大歌舞伎を見に行きました。中村吉右衛門を総帥とする播磨屋一門の出演で、『連獅子』など。

歌舞伎では、役者が花道を退場するときに様式が発動されますよね。注目と喝采の中で、役者は姿を消す。こういう舞台芸術って、世界にどのぐらいあるでしょうか。ほとんどは、退場者は視線から外れて、静かにいなくなると思う。ここに、重要な価値観があるように思えてなりません。長幼の序、老の尊重、異界との接続などなど、いろいろな連想が浮かびます。勉強すると面白そう。

津の夜は静かですね。開いているお店もほんとうにわずか。翌日は午後の仕事に間に合わせるよう早起きし、海に行ってみました。海が近いと、どうしても行ってみなくなります。台風の余波で風が強く、海は荒れて、厳粛な趣を漂わせていました。本来なら見えるはずの知多半島も見えず、さいはての地に来たような気持ちになりました。残念ながら、写真を失敗。