寿命の縮まる定期めぐり ― 2012年04月27日 11時39分56秒
26日(木)はNHKの収録(5月放送分)。ちょうどいいので、その晩N響を聴こうと思い立ちました。オケ定期めぐりの第2弾、指揮者はロジャー・ノリントンです。
しかし時間が空いてしまいます。そこで床屋に行くことにし、三越前の「イガラシ」を往復。NHKから渋谷への坂を下り、また登って、NHKに戻りました。
ホールについてみると、灯が消えて、ひっそりしています。仰天して調べると、果たせるかな、当日の会場はサントリーホール。チケットをお願いした手前遅れては申し訳なく、気の動転したまま、タクシーを拾いました。なんとか2曲目から聴けましたが、本当にこんなことばかりで、いやになります。寿命、少しずつ縮まっているのではないでしょうか。
2曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ソロは河村尚子さんです。セッティングを見ると、蓋を外されたピアノが、鍵盤をこちらに向けて直角に置かれています。オーケストラがそれを囲むようになっている。一瞬、指揮者なしで演奏するのかと思いました。しかしそうではなく、指揮者は中央の奥に立って、親密な媒の趣きで、しっかり指揮をしていました。
この配置はソロとオケのコラボレーションには利点があると思いますが、ピアノの響きが向こうに行ってしまうのと、ソリストをたえず背中から見ることになるのが欠点です。アリーナ型のサントリーホールだからこそあり得た発想でしょうか。
後半は、ブラームスの第2交響曲。ノリントンの指揮は、オーケストラを外から、距離をとって見つめているようなところがあります。私は第2交響曲好きなのでもっと素直なロマンがあふれて欲しいなあと思いつつ聴いていたのですが、小松長生さんのおっしゃる「楽員が没入して、音楽が帆にいっぱい風をはらんだ状態」は、フィナーレに至って完全に実現されていましたね。N響のブリリアントな合奏はすばらしかったです。ノリントンは、大人の風格とユーモアで、聴衆の心をしっかりつかんでいました。
個人的な疑問ですが、3拍子の3拍目が概して少し長く(とくに第1楽章)、小節がしばしば個別化する傾向があったのは、彼の感覚なのでしょうか、それとも主張なのでしょうか。後者であれば、その理由を知りたいと思います。
しかし時間が空いてしまいます。そこで床屋に行くことにし、三越前の「イガラシ」を往復。NHKから渋谷への坂を下り、また登って、NHKに戻りました。
ホールについてみると、灯が消えて、ひっそりしています。仰天して調べると、果たせるかな、当日の会場はサントリーホール。チケットをお願いした手前遅れては申し訳なく、気の動転したまま、タクシーを拾いました。なんとか2曲目から聴けましたが、本当にこんなことばかりで、いやになります。寿命、少しずつ縮まっているのではないでしょうか。
2曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ソロは河村尚子さんです。セッティングを見ると、蓋を外されたピアノが、鍵盤をこちらに向けて直角に置かれています。オーケストラがそれを囲むようになっている。一瞬、指揮者なしで演奏するのかと思いました。しかしそうではなく、指揮者は中央の奥に立って、親密な媒の趣きで、しっかり指揮をしていました。
この配置はソロとオケのコラボレーションには利点があると思いますが、ピアノの響きが向こうに行ってしまうのと、ソリストをたえず背中から見ることになるのが欠点です。アリーナ型のサントリーホールだからこそあり得た発想でしょうか。
後半は、ブラームスの第2交響曲。ノリントンの指揮は、オーケストラを外から、距離をとって見つめているようなところがあります。私は第2交響曲好きなのでもっと素直なロマンがあふれて欲しいなあと思いつつ聴いていたのですが、小松長生さんのおっしゃる「楽員が没入して、音楽が帆にいっぱい風をはらんだ状態」は、フィナーレに至って完全に実現されていましたね。N響のブリリアントな合奏はすばらしかったです。ノリントンは、大人の風格とユーモアで、聴衆の心をしっかりつかんでいました。
個人的な疑問ですが、3拍子の3拍目が概して少し長く(とくに第1楽章)、小節がしばしば個別化する傾向があったのは、彼の感覚なのでしょうか、それとも主張なのでしょうか。後者であれば、その理由を知りたいと思います。
電子書籍 ― 2012年04月25日 22時17分29秒
電子書籍リーダーを導入しようかと考え始めたところへ、私の文庫を電子化しないか、という、出版社からのご相談。もちろん違和感なくお受けしたのですが、WEBをこれほど活用している私であるにもかかわらず、液晶画面で本を読む、という感覚がまだつかめないのです。
スマホには、「青空文庫」というアプリを入れています。しかしどうにも、文学を読んでいる気がしない。『源氏物語』にチャレンジしようと思ってダウンロードしましたが、行間から雰囲気が立ち上らず、意味を追うだけになってしまうのです。これは、単なる慣れの問題なのでしょうか。それとも、電子書籍がまだ発展途上で、情報を媒介することはできても、芸術性の表現には至っていないのでしょうか。リーダー導入の是非を含めて、先学の方に教えていただきたいと思います。
これは紙の本ですが、小松長生さんの『リーダーシップは「第九」に学べ」という新書(日経プレミアシリーズ)を、興味深く読みました。小松さんは、東大美学の後輩。そういう方がいらっしゃるということは知っていましたが、面識はありませんでした。しかし共通の知人を介して、本を私にプレゼントしてくださったのです。
「そもそも指揮者は必要なのか」という章から始まるこの本は、指揮者のリーダーシップやマネージメントに焦点を当て、ビジネスマンの参考にも供しよう、という内容のものです。美学出身の方だけあって、指揮という営みへの分析と反省が行き届いており、学ぶところ、共感するところが、たくさんありました。
小松さんの指揮の極意は、「気配を消す」ことだそうです。棒は動かしているけれども指揮者の気配は消えているというときに、楽員はもっとも音楽に没入して、音楽は帆にいっぱい風をはらんだ状態になる、と書かれていました。笛吹けど踊らず、の対極ですね。
スマホには、「青空文庫」というアプリを入れています。しかしどうにも、文学を読んでいる気がしない。『源氏物語』にチャレンジしようと思ってダウンロードしましたが、行間から雰囲気が立ち上らず、意味を追うだけになってしまうのです。これは、単なる慣れの問題なのでしょうか。それとも、電子書籍がまだ発展途上で、情報を媒介することはできても、芸術性の表現には至っていないのでしょうか。リーダー導入の是非を含めて、先学の方に教えていただきたいと思います。
これは紙の本ですが、小松長生さんの『リーダーシップは「第九」に学べ」という新書(日経プレミアシリーズ)を、興味深く読みました。小松さんは、東大美学の後輩。そういう方がいらっしゃるということは知っていましたが、面識はありませんでした。しかし共通の知人を介して、本を私にプレゼントしてくださったのです。
「そもそも指揮者は必要なのか」という章から始まるこの本は、指揮者のリーダーシップやマネージメントに焦点を当て、ビジネスマンの参考にも供しよう、という内容のものです。美学出身の方だけあって、指揮という営みへの分析と反省が行き届いており、学ぶところ、共感するところが、たくさんありました。
小松さんの指揮の極意は、「気配を消す」ことだそうです。棒は動かしているけれども指揮者の気配は消えているというときに、楽員はもっとも音楽に没入して、音楽は帆にいっぱい風をはらんだ状態になる、と書かれていました。笛吹けど踊らず、の対極ですね。
英語の勉強法 ― 2012年04月23日 22時31分03秒
絶えざる目標である英語力のアップは、今後の人生の選択肢のひとつでもあります。そこで、『英語を学ぶのは40歳からがいい』という本を読んでみました(幻冬舎新書)。著者は菊間ひろみさんという方です。私の年齢が「40歳から」というくくりに入るとも思われませんが、どのような理由付けをしているかに興味がありました。
隅々まで納得の行く、いい本でした。40歳からがいいという理由は、本当に必要な勉強にモチベーションと豊かな人生経験をもって向かい合えるということで、確かにそうですね。
英語力を伸ばすのにもっとも大切なことは音読である、というのが著者の主張です。それは、「発音ができる音は聴き取れるようになる」という根拠から。繰り返し音読することが、もっとも大切なリスニング力を高める、と力説されています。漫然と聴き流すだけではダメ、というのは、まったく同感。でも音読って、案外、行われていないのではないでしょうか。
目から鱗に思ったのは、英語にもリエゾンがある、という指摘でした。What are you doingは、アメリカ人が発音すると「ワラユ・ドゥーイング」になる。単語の最後にあるt、k、dは発音しない。そういう学習者にとっての躓きの素が、系統立てて説明されています。終わりの方には、表現法の具体例がたくさん。mustとhave to、canとbe able toの間にはっきりした使い分けがあることを知ったのは初めてで、とても勉強になりました。
隅々まで納得の行く、いい本でした。40歳からがいいという理由は、本当に必要な勉強にモチベーションと豊かな人生経験をもって向かい合えるということで、確かにそうですね。
英語力を伸ばすのにもっとも大切なことは音読である、というのが著者の主張です。それは、「発音ができる音は聴き取れるようになる」という根拠から。繰り返し音読することが、もっとも大切なリスニング力を高める、と力説されています。漫然と聴き流すだけではダメ、というのは、まったく同感。でも音読って、案外、行われていないのではないでしょうか。
目から鱗に思ったのは、英語にもリエゾンがある、という指摘でした。What are you doingは、アメリカ人が発音すると「ワラユ・ドゥーイング」になる。単語の最後にあるt、k、dは発音しない。そういう学習者にとっての躓きの素が、系統立てて説明されています。終わりの方には、表現法の具体例がたくさん。mustとhave to、canとbe able toの間にはっきりした使い分けがあることを知ったのは初めてで、とても勉強になりました。
その原因は? ― 2012年04月22日 23時32分40秒
数日多忙だったものですから、今日は完全休養しました。そうなると、野球観戦をするわけですよね。今年はすでに書いたとおり広島カープを応援しています。広島の現在は、横浜と巨人に全勝、中日、ヤクルト、阪神に全敗という極端な結果だとか。今日の中日戦、最終回にサファテが打たれて負けるという、珍しい結末でした。4番の栗原が、1本でも打っていれば。
今年のセ・リーグは、つまらないと思っていたのです。なにしろ巨人が大物をかき集める大補強で、何を見ても、ぶっちぎりという事前予想。監督は与えられた戦力で戦わざるを得ないわけですから、原監督は本当に幸せだなあ、と思っていました。カネはいくらでも出す、という会長様もついておられます。
それでも5連敗、中畑さんのチームよりも下、というのはなぜなんでしょうか(真剣)。今日はヤクルト戦でしたが、小川監督に率いられたヤクルトの水際だった戦い方に比べると、個々の戦力は絶対上なのに、意外とあっけないのです。
巨人ファンの方はこの状況をどう見ておられるのかと思い、しばらく、ブログのはしごをしてしまいました。ともあれ不思議な状況。大いに観察してみたいと思います。
今年のセ・リーグは、つまらないと思っていたのです。なにしろ巨人が大物をかき集める大補強で、何を見ても、ぶっちぎりという事前予想。監督は与えられた戦力で戦わざるを得ないわけですから、原監督は本当に幸せだなあ、と思っていました。カネはいくらでも出す、という会長様もついておられます。
それでも5連敗、中畑さんのチームよりも下、というのはなぜなんでしょうか(真剣)。今日はヤクルト戦でしたが、小川監督に率いられたヤクルトの水際だった戦い方に比べると、個々の戦力は絶対上なのに、意外とあっけないのです。
巨人ファンの方はこの状況をどう見ておられるのかと思い、しばらく、ブログのはしごをしてしまいました。ともあれ不思議な状況。大いに観察してみたいと思います。
記者会見 ― 2012年04月20日 11時50分21秒
今日は大手町で、秋の「ウィーン音楽祭 in Osaka」のプログラムを発表する記者会見がありました。3年ごとにやってきたこの音楽祭、今回が一応最後になるのですが、とてもいいプログラムになったように感じているのです。近いうちに、ここでも発表させていただきます。
《ミサ・ソレムニス》を指揮するクリスチャン・アルミンク氏(←ウィーンが洋服を着ているような方)、ベートーヴェンの第4協奏曲のソロを弾くインゴルフ・ヴンダー氏が同席。プレス関係の方々が30人以上も集まってくださり、有名な方が何人もおられて、緊張しました。私が企画紹介をしている間に練達の通訳の方が同時通訳でよどみなくドイツ語にしてくださるのですが(すごいです)、少しわかるだけに頭が混乱してしまい、浮き足立った説明になって修正できず。まだまだ未熟です。それにしても、アルミンク氏の人当たりの良さはたいへんなもので、すっかり感心しました。このように人の気持ちをそらさないことが、指揮の秘訣でもあるようです。
そういえば、鈴木雅明さんがライプツィヒの「バッハ・メダル」を受賞した件が報道されていました。おめでとうございます。バッハ・コレギウム・ジャパンの日本人離れしたバッハは現地でも有名ですし、明晰な頭脳で英語、ドイツ語を完璧に話され、研究にも精通しておられる鈴木さんへの尊敬は、研究者の間でも確立されています。6月の授賞式では、私も祝辞を差し上げることになっています。
《ミサ・ソレムニス》を指揮するクリスチャン・アルミンク氏(←ウィーンが洋服を着ているような方)、ベートーヴェンの第4協奏曲のソロを弾くインゴルフ・ヴンダー氏が同席。プレス関係の方々が30人以上も集まってくださり、有名な方が何人もおられて、緊張しました。私が企画紹介をしている間に練達の通訳の方が同時通訳でよどみなくドイツ語にしてくださるのですが(すごいです)、少しわかるだけに頭が混乱してしまい、浮き足立った説明になって修正できず。まだまだ未熟です。それにしても、アルミンク氏の人当たりの良さはたいへんなもので、すっかり感心しました。このように人の気持ちをそらさないことが、指揮の秘訣でもあるようです。
そういえば、鈴木雅明さんがライプツィヒの「バッハ・メダル」を受賞した件が報道されていました。おめでとうございます。バッハ・コレギウム・ジャパンの日本人離れしたバッハは現地でも有名ですし、明晰な頭脳で英語、ドイツ語を完璧に話され、研究にも精通しておられる鈴木さんへの尊敬は、研究者の間でも確立されています。6月の授賞式では、私も祝辞を差し上げることになっています。
今月のCD選 ― 2012年04月18日 11時59分34秒
今日ちょうど、毎日新聞に出ました。いいものが多くあり、楽しかった月です。
1位にしたのは、バッハのクラヴィーア協奏曲7曲を2枚にまとめた、コンスタンチン・リフシッツ独奏のもの(オルフェオ)。シュトゥットガルト室内管弦楽団が演奏しています。
バッハのクラヴィーア協奏曲は、もちろん曲はいいのですが、チェンバロではどうしても、演奏効果が上がりません。しかしリフシッツほどの人に演奏されると、ピアノでやりましょう、と言いたくなるのですね。バッハを知り抜いていて、自由闊達、新しい発見のたくさんある演奏です。
ベートーヴェンの交響曲全集はモダンはもちろん、ピリオド楽器でも、すでにたくさん出ています。しかし、エマニュエル・クリヴィヌ指揮 ラ・シャンブル・フィルハーモニックのもの(ナイーヴ)には感心しました。古典期のピリオド楽器をしっかり揃えていることに加え、有機性に富む合奏が細やかで情感に満ち、潤いがあるのです。このためテンポはすこぶる快適ですが速いだけに陥っておらず、鮮度も抜群。3人の評者が全員2位という珍しい結果になりました。もちろん、1位でもおかしくないと思います。
DVDをひとつ、ということで、「ビクトリア~神々の作曲家」というザ・シックスティーンの映像(コーロ)を3位に入れました。「ルネサンス期スペインを代表する作曲家の光まばゆい合唱音楽を、聖地探訪の美麗な映像と共に」楽しめます。
1位にしたのは、バッハのクラヴィーア協奏曲7曲を2枚にまとめた、コンスタンチン・リフシッツ独奏のもの(オルフェオ)。シュトゥットガルト室内管弦楽団が演奏しています。
バッハのクラヴィーア協奏曲は、もちろん曲はいいのですが、チェンバロではどうしても、演奏効果が上がりません。しかしリフシッツほどの人に演奏されると、ピアノでやりましょう、と言いたくなるのですね。バッハを知り抜いていて、自由闊達、新しい発見のたくさんある演奏です。
ベートーヴェンの交響曲全集はモダンはもちろん、ピリオド楽器でも、すでにたくさん出ています。しかし、エマニュエル・クリヴィヌ指揮 ラ・シャンブル・フィルハーモニックのもの(ナイーヴ)には感心しました。古典期のピリオド楽器をしっかり揃えていることに加え、有機性に富む合奏が細やかで情感に満ち、潤いがあるのです。このためテンポはすこぶる快適ですが速いだけに陥っておらず、鮮度も抜群。3人の評者が全員2位という珍しい結果になりました。もちろん、1位でもおかしくないと思います。
DVDをひとつ、ということで、「ビクトリア~神々の作曲家」というザ・シックスティーンの映像(コーロ)を3位に入れました。「ルネサンス期スペインを代表する作曲家の光まばゆい合唱音楽を、聖地探訪の美麗な映像と共に」楽しめます。
やっぱりツキの理論 ― 2012年04月17日 23時59分53秒
私としたことが、自分の理論を忘れていました。火曜日、聖心女子大の2回目の授業。1回目がうまくいかなかったのは、後がうまくいく前兆だ、と考えるべきだったのです。
学生が質問や感想を書き込む「リアクション・ペーパー」をこの上なく活用しているのが、聖心女子大です。授業の準備をしながら読んでみると、一昨年熱心に聴いてくださった方がまたたくさん受講しておられ、上滑りのように思っていた情報提供も、多くの方が深く受け止めてくださっていることがわかり、気持ちが変わりました。そこで、前向きな気持ちで授業へ。
今日も用意したレジュメの第1項目は、「本日の質問」。たくさんあった質問のうち重要なものを並べ、それに答えることで復習を兼ねながら、授業に入っていきます。「教会音楽にアカペラが多いのはなぜか」「3の数がキリスト教で重要なのはなぜか」「なぜ典礼文を唱えるだけでなく歌にしたのか」「バッハの《ロ短調ミサ曲》はなぜ演奏が困難なのか」などなど、素朴な質問(←いちばんいい質問)に答えることで、発信した情報を深めてゆくことができるのです。
リアクション・ペーパーにも、おしゃべりを取り締まってほしい、というコメントが、いくつも書かれていました。そこで「静かに、集中して学ぶことのすばらしさ」を熱を込めて説きましたが、今日は学生がじつによく対応してくれて、教室に緊張感が支配し、最低限の注意で済ませることができました。意外な進展でたいへん嬉しく、話にも二倍、三倍の力が入ります。やはり、秩序を保つことで、学生さん自身が得をするわけです。
学生におしゃべりをさせないコツは何か、私の意見は?というコメントがありました。私見では、学生に信頼を与えるだけの堂々とした仕切りをし、それに対応する結果を出すべく努める、ということだと思います。遠慮してしまうと、結局統率ができず、散漫に終わってしまうと思うのです。授業の秩序を保つことも先生の役割で、そこをあきらめて粛々と進めてはいけないのではないでしょうか。
高揚感をもってキャンパスを後にし、必要なDVDを調達しようと、新宿のタワーレコードへ。重い荷物をもってやっとたどりつくと、クラシック売り場は模様替えで閉鎖中でした。ちゃんと帳尻が合うようになっているのです(←ツキの理論)。
学生が質問や感想を書き込む「リアクション・ペーパー」をこの上なく活用しているのが、聖心女子大です。授業の準備をしながら読んでみると、一昨年熱心に聴いてくださった方がまたたくさん受講しておられ、上滑りのように思っていた情報提供も、多くの方が深く受け止めてくださっていることがわかり、気持ちが変わりました。そこで、前向きな気持ちで授業へ。
今日も用意したレジュメの第1項目は、「本日の質問」。たくさんあった質問のうち重要なものを並べ、それに答えることで復習を兼ねながら、授業に入っていきます。「教会音楽にアカペラが多いのはなぜか」「3の数がキリスト教で重要なのはなぜか」「なぜ典礼文を唱えるだけでなく歌にしたのか」「バッハの《ロ短調ミサ曲》はなぜ演奏が困難なのか」などなど、素朴な質問(←いちばんいい質問)に答えることで、発信した情報を深めてゆくことができるのです。
リアクション・ペーパーにも、おしゃべりを取り締まってほしい、というコメントが、いくつも書かれていました。そこで「静かに、集中して学ぶことのすばらしさ」を熱を込めて説きましたが、今日は学生がじつによく対応してくれて、教室に緊張感が支配し、最低限の注意で済ませることができました。意外な進展でたいへん嬉しく、話にも二倍、三倍の力が入ります。やはり、秩序を保つことで、学生さん自身が得をするわけです。
学生におしゃべりをさせないコツは何か、私の意見は?というコメントがありました。私見では、学生に信頼を与えるだけの堂々とした仕切りをし、それに対応する結果を出すべく努める、ということだと思います。遠慮してしまうと、結局統率ができず、散漫に終わってしまうと思うのです。授業の秩序を保つことも先生の役割で、そこをあきらめて粛々と進めてはいけないのではないでしょうか。
高揚感をもってキャンパスを後にし、必要なDVDを調達しようと、新宿のタワーレコードへ。重い荷物をもってやっとたどりつくと、クラシック売り場は模様替えで閉鎖中でした。ちゃんと帳尻が合うようになっているのです(←ツキの理論)。
定期訪問は錦糸町から ― 2012年04月14日 23時52分51秒
定年になったら心がけようと思っていたのは、コンサートを増やすことです。そろそろ始めようと思い、オーケストラの定期演奏会にひとわたり足を運ぶ、という計画を立てました。場所はさまざまですから、周囲のおいしいお店を探しながら、という楽しみを、自分にプラスしました。そのためには、余裕をもって家を出る必要があります。
今日は、錦糸町の新日フィル定期へ。でも結局、ゆっくり食べる時間がなくなってしまうのが、私のダメなところ。皆さんは、時間のないときに、何を食べられますか?思うに、一番いいのは回転寿司です。食べるものがすでに目の前にあり、時間を見ながら皿数を調節できる。駅からの通路にあるお店は行列でしたが、トリフォニーホールの向かいにあるお店は雨のせいか空いていて、味も悪くありませんでした。
いただいた席は1階の中央列、端寄り。オーケストラの響きを俯瞰するためには絶好で、とてもいい音響なのです。当日のプログラムは、スークの《おとぎ話》、ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲、ヤナーチェクの《イェヌーファ組曲》という、指揮者アルミンク好みの、筋の通ったものでした。
本当に楽しめるコンサートで、感心しきりです。新日フィルは響きがしっくりとまとまっていて、どの曲からも、ロマン的な幻想が広がってくるのです。ヴァイオリン・ソロはマティアス・ヴォロング(ドレスデン・シュターツカペレとバイロイトのコンマスだそうです)という人でしたが、実質のしっかりした、構成力のあるヴァイオリン。アンコールのバッハ《ガヴォット》も、すばらしい演奏でした。またぜひ、訪問したいと思います。
今日は、錦糸町の新日フィル定期へ。でも結局、ゆっくり食べる時間がなくなってしまうのが、私のダメなところ。皆さんは、時間のないときに、何を食べられますか?思うに、一番いいのは回転寿司です。食べるものがすでに目の前にあり、時間を見ながら皿数を調節できる。駅からの通路にあるお店は行列でしたが、トリフォニーホールの向かいにあるお店は雨のせいか空いていて、味も悪くありませんでした。
いただいた席は1階の中央列、端寄り。オーケストラの響きを俯瞰するためには絶好で、とてもいい音響なのです。当日のプログラムは、スークの《おとぎ話》、ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲、ヤナーチェクの《イェヌーファ組曲》という、指揮者アルミンク好みの、筋の通ったものでした。
本当に楽しめるコンサートで、感心しきりです。新日フィルは響きがしっくりとまとまっていて、どの曲からも、ロマン的な幻想が広がってくるのです。ヴァイオリン・ソロはマティアス・ヴォロング(ドレスデン・シュターツカペレとバイロイトのコンマスだそうです)という人でしたが、実質のしっかりした、構成力のあるヴァイオリン。アンコールのバッハ《ガヴォット》も、すばらしい演奏でした。またぜひ、訪問したいと思います。
号外 ― 2012年04月13日 23時49分39秒
ネット全盛の時代に号外が発行されるのだから、よほどインパクトの強い出来事だったのでしょう、北のミサイル打ち上げ失敗は。さすがの木嶋佳苗も、これでかすんでしまいました。
私のような性格の人間から見ると、不思議でならないことがあります。それは、確率的にはかならず存在している失敗に対してなぜ備えをしておかないのか、ということです。鳴り物入りで世界から報道陣を呼んでしまい、国内は祝賀ムードにあふれているというのでは、失敗したときのメンツ失墜は、深刻。指導者は傷つけられない、というのであれば、失敗に備えるのは、周囲が当然行うべき危機管理だと思うのです。
いやむしろ事前の過剰な盛り上げこそが失敗の原因だ、という説を呼んで、なるほどそういう考えもあるのか、と思いました。国威発揚が至上命題となって、現場の状況を押し切ってしまう、というのです。たしかに、歴史上、繰り返されてきたことかもしれないですね。現場の科学者たちの不安と恐怖は、想像に余ります。食うや食わずの人たちが気の毒でならないのは、言うまでもないことです。
相手のメンツをつぶさないでこそいい関係を築ける、というのは、人生で誰もが学習すること。メンツを失ってかたくなになる人はいても、優しくなる人はいません。これからどうなってしまうのか、他人ごととも思えなくなった状況です。
私のような性格の人間から見ると、不思議でならないことがあります。それは、確率的にはかならず存在している失敗に対してなぜ備えをしておかないのか、ということです。鳴り物入りで世界から報道陣を呼んでしまい、国内は祝賀ムードにあふれているというのでは、失敗したときのメンツ失墜は、深刻。指導者は傷つけられない、というのであれば、失敗に備えるのは、周囲が当然行うべき危機管理だと思うのです。
いやむしろ事前の過剰な盛り上げこそが失敗の原因だ、という説を呼んで、なるほどそういう考えもあるのか、と思いました。国威発揚が至上命題となって、現場の状況を押し切ってしまう、というのです。たしかに、歴史上、繰り返されてきたことかもしれないですね。現場の科学者たちの不安と恐怖は、想像に余ります。食うや食わずの人たちが気の毒でならないのは、言うまでもないことです。
相手のメンツをつぶさないでこそいい関係を築ける、というのは、人生で誰もが学習すること。メンツを失ってかたくなになる人はいても、優しくなる人はいません。これからどうなってしまうのか、他人ごととも思えなくなった状況です。
今昔の感 ― 2012年04月11日 23時58分30秒
定年後、非常勤講師としての授業が、1つだけ残っています。それは聖心女子大で火曜日の13:30から行う、キリスト教学とキリスト教音楽の合同授業。前期は《ロ短調ミサ曲》を論じ、後期は「聖と俗」というテーマで音楽史を見直すという計画にしました。気品あふれる聖心女子大キャンパスは、これまでもずいぶん通った、私の住処のひとつ。授業がやりやすいのは、学生がキリスト教に親しんでいることです。
階段教室に、学生が満杯。私は授業のレジュメを詳細にしたためたA3のプリントを配布して、ミサとミサ曲の始まりについて講義しました。それは学生がわかりやすいように、また情報の正確を期したいという気持ちからですが、配布するのは長所だけではない、ということに気づきました。学生が安心して、おしゃべりしてしまうのです。何も配らなければノートせざるを得ませんから、そうそうおしゃべりばかりはできないでしょう。満員の学生が女声音域でするおしゃべりは、すごいですよ。私がマイクを取って話し始めても、遠慮なくしゃべっています。国立音大では私語の鎮圧に成功し、水を打ったような静けさを実現していましたので、浮き足立ってしまった、というのが正直なところです(学生にとって、たいへん損なことです)。
1回目は私の責任ではないと思いますが、2回目からは私の責任だと思いますので、私語の鎮圧に、全力を挙げます。座席指定にするのが有力な対策であるそうですが、それだと、熱心な学生さんが後ろに行ってしまったりするわけですよね。いずれにせよ、静かに耳を傾けることをしないと、音楽の真価は、絶対にわかりません。大勢いる熱心な学生さんたちのためにも、あきらめずがんばります。世の中、昔と変わりました。大学では、学生が偉いのです。
階段教室に、学生が満杯。私は授業のレジュメを詳細にしたためたA3のプリントを配布して、ミサとミサ曲の始まりについて講義しました。それは学生がわかりやすいように、また情報の正確を期したいという気持ちからですが、配布するのは長所だけではない、ということに気づきました。学生が安心して、おしゃべりしてしまうのです。何も配らなければノートせざるを得ませんから、そうそうおしゃべりばかりはできないでしょう。満員の学生が女声音域でするおしゃべりは、すごいですよ。私がマイクを取って話し始めても、遠慮なくしゃべっています。国立音大では私語の鎮圧に成功し、水を打ったような静けさを実現していましたので、浮き足立ってしまった、というのが正直なところです(学生にとって、たいへん損なことです)。
1回目は私の責任ではないと思いますが、2回目からは私の責任だと思いますので、私語の鎮圧に、全力を挙げます。座席指定にするのが有力な対策であるそうですが、それだと、熱心な学生さんが後ろに行ってしまったりするわけですよね。いずれにせよ、静かに耳を傾けることをしないと、音楽の真価は、絶対にわかりません。大勢いる熱心な学生さんたちのためにも、あきらめずがんばります。世の中、昔と変わりました。大学では、学生が偉いのです。
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