今月のイベント2013年07月05日 23時58分46秒

連載が長引き、肝心のご案内が遅くなりました。もう済んでしまったもの、直前に迫っているものもありますが、取り急ぎ、ご案内させてください。

朝日カルチャー新宿校は、7月から新サイクルに入りました。隔週水曜日の13:00~15:00枠で、「《マタイ受難曲》徹底研究」を継続しています。3日は終了しましたが、17日、31日が残っています。ようやくアルト・アリア〈わが頬の涙〉に到達しました。次回、次々回は、受難コラールを経て、ゴルゴタへの道行きがテーマになります。バス・アリア〈来たれ、甘き十字架よ〉が登場します。

朝日カルチャー横浜校は、第1土曜が「超入門」、第4土曜が「魂のエヴァンゲリスト」講座です(いずれも13:00~15:00)。「超入門」、6日に迫ってしまいましたが、ラヴェルの《ボレロ》を題材に楽器の紹介をしよう、という趣向。変奏ごとに楽器がどう使われていくかの一覧表を作成しましたが、面白いですね。チェリビダッケの映像を使用予定。27日の「エヴァンゲリスト講座」は、チェンバロ協奏曲を取り上げます。ご好評をいただいた放送のナマ版、というところです。

立川の「楽しいクラシックの会」は、12日(金)に親睦旅行をしますが、講座は20日(土)の10:00~12:00。テーマはワーグナー《ワルキューレ》の第2幕です。あ、親睦旅行の目的地は、長瀞です。8月にはビヤパーティもあり、楽しみの多い会になっています。

まつもとバッハの会の連続講演「バッハの仕事場を覗く」は、最後の回にコンサートをやりたい、という願いが、皆様のご協力で実現できることになりました。7日(日)の14:00から。松本深志高校教育会館(←ステージから落下したところ)にチェンバロを持ち込み、本格的なバロックの響きをお届けします。プログラムはフランス組曲第5番(チェンバロ:広沢麻美)、フルート・ソナタホ短調(トラヴェルソ:塩嶋達美、ガンバ:品川聖)、カンタータ第76番のシンフォニア(オーボエ・ダモーレ:尾崎温子)、そしてカンタータのアルト・アリア、第147番など数曲(アルト:高橋幸恵)となっています。演奏者ともじかに触れあえますので、近くの方々、ぜひお越しください。

月末にもうひとつ特記すべきコンサートがありますが、それは別枠でご案内します。どうぞよろしく。

ドイツ滞在記2013(14)--最後の一山2013年07月04日 22時57分18秒

29日(土)。空港に早く着かなくてはならないので、緊張して起床しました。マクデブルクのホテルをチェックアウトする際、「昨日のパーティは何だったのですか」と聞くと、耳を疑うような答えが。ギムナジウムの修了記念パーティだ、というのです。え、あの豪華ドレスの女性たちが(男性もいましたが目に入らず)、ドイツ人?!普通の、そのへんの高校生?!とうてい信じられない私は、これまでなにか、大きな勘違いをして過ごしてきたのでしょうか。

列車は、駅に張り出されている一覧表で調べておきました。7時10分のローカル列車に乗ると、ケーテン、ハレと経由して、8時5分に空港に着きます(ライプツィヒはその先、終点)。コインロッカーから荷物を出し、詰め替えて出国審査をしても、ちょうどよさそうな目算です。そこでドイツ鉄道の新兵器、ナビゲーター機能をもつ自動販売機で、空港行きのチケットを買おうとしました。すると、到着時間が9時23分と表示される上、妙に値段が高いのですね。変だなあ、と思いましたが、時間が迫っていたのでとにかくチケットを買い、列車を待ちました。

すると放送が、今日はケーテンとハレがなんとか、と言っています。そのなんとかが聴きとれないうちに、ライプツィヒ行きの列車が到着。しかし鈍行ではなく、急行(IC)です。変だと思ったが、目的地は一緒だし、ハレのような主要駅は必ず停まるだろうからそこで乗り換えてもいいと思い、そのまま乗り込みました。

しばらくして、検札が来ました。念のため、「ハレで停まりますよね」と尋ねたところ、なんと、「停まりません、次は ラ イ プ ツ ィ ヒ です」というではありませんか!私は驚きのあまり、髪の毛が逆立ってしまいました。ドイツの鉄道は、遅れはしょっちゅう、直前のホーム変更はしょっちゅう。しかしハレや空港のような重要駅を「今日は」飛ばしてしまうような変更をするとは、あんまりです。そうか、自動販売機は、ライプツィヒから戻ってくることを想定して、高い値段と遅い到着時間を提示していたわけか。

しかしどこにも停まらないのでは、手の打ちようがありません。私も人様を喜ばせるために旅行をしているわけではないので、飛行機に遅れた旅行を飛行機に遅れて締めくくる、なんていうのはひどすぎです。ともあれ最善を尽くそうと、ライプツィヒ駅ではまなじりを決して走り、タクシーに駆け込んで、空港を指定しました。

空港着。しかしビルが2つあり、コインロッカーが見つからりません。2つのビルを走って往復し、ようやくロッカーを発見。しかし何日も滞納していますので、開かないという事態も考えられ、ダヴィデヒデさんの尊顔が、頭をよぎりました。だがここは無事に開いて、荷物の詰め替えを行いました。

私にとって(皆様ではなく)幸いだったのは、ライプツィヒの空港がローカルで人が少なく、手続きに時間がかからなかったことです。なんとかフランクフルト行きに間に合い、乗り継ぎにも成功して、日本に帰って参りました!全14回(←バッハの数)の連載にお付き合いくださった方々、ありがとうございました。

ドイツ旅行記(13)--こ、この人たち、誰?2013年07月03日 23時26分19秒

海外旅行をしていると、時間のめぐりがゆっくりになります。あまりに日が経たないので、帰国に備えて曜日を数え直すことも、しばしば。帰国便にだけは乗り遅れるわけにいきませんから、私もナーバスになっていました。

帰国便は、土曜日の午前、ライプツィヒから飛び立ちます。空港に8時に着くと、ちょうどよさそう。だとすると、残りの1泊をどこにするのがいいか、思案しました。ライプツィヒに戻るのももったいないし、離れた街もこわいので、選んだのはほどほどの距離にある、マクデブルク。今回、ハレ、ケーテン、ツァイツを訪れ、ザクセン=アンハルト州の土地勘を得ましたので、その州都、マクデブルクへの関心が増大していました。

ベルリンからいったんマクデブルクに着き、荷物をコインロッカーに預けて、ツェルプストを往復。ここも昔宮廷があり、バッハがかかわりをもっていた町です。町は整備されていましたが昔の建物はほとんどなく、夕立にも見舞われ、訪問は、はかばかしい成果なく終わりました。

マクデブルクに戻り、ネットから予約しておいた四つ星のホテル、マリティムへ。設備といい客扱いといい抜群のホテルで、皆様にもお勧めです。ここで、驚くべきことが。ロビーにパーティの準備がしつらえられ、ものすごく着飾った美女たちが、続々とやってくるではありませんか。まさに、有名映画祭そのままの雰囲気なのです。この人たちは何者だろう、このあたりの人とは思えないがどこの国から来ているのだろうか、と深刻な疑惑を抱きつつ、横目でちらちら見ながら、街の散策へと出発しました。

見どころが多い街ですね。たくさんの教会があり、大聖堂の壮大さは、北の諸都市に劣りません。


旧市街を歩くと、テレマンのプレートがありました。そう、ここはテレマンの生まれた街なのです。


マリティム・ホテルのディナーも良かったですよ。最後の夜も更け、徐々に緊張が高まってきました。汽車の時間を調べ、モーニングコールも頼んで、就寝。映画祭(?)パーティも、遅くまで盛り上がっていたようでした。

ドイツ旅行記(12)--ハンザ都市に驚く2013年07月02日 23時58分21秒

個人旅行の方は、簡潔に報告させていただきます。「順調な旅行じゃないの。面白くないよ」とおっしゃるあなた。最後にもう一山ありますので、お待ちください。

26日(水)。夕方近く、図書館で一通りの目的を果たした私は、一路、ベルリンに向かいました。ベルリンは予定外でしたが、疲れてもきていたので、慣れた街で日本食でも食べよう、と思い立ちました。

ベルリン中央駅(ハウプトバーンホーフ)でICEを降りようと準備しましたが、ふと、疑念が。それは、ベルリンに中央駅なんてあったっけ、ということです。着いてみると、そこにあったのは、何層にも立体化された大きな駅。どうやら私が最後に訪れた後にできたらしく、私としたことが、どこに行ってどうしてよいやらまったくわからずに、しばらく呆然として、ウロウロしてしまいました。

やっとの思いで旧チャーリー・ポイント近くのホテルに入りましたが、ベルリンの中央部はいたるところ工事中で、殺風景。旧東地区が美しくなるには、まだ時間がかかりそうです。結局、西地区の玄関だったクーダムのあたりまで、夕食に出かけました。エッティンガー・ホテルの夕食は、良かったですよ。 

今回の目的として新たに加わったのは、オルガンのある教会を見て回りたい、ということでした。放送で「何教会の何オルガン」という紹介をしますので、できるだけ実感をもちたい、と思ったからです。となると、北ドイツに行かなくてはなりません。そこで、ベルリンから比較的近い旧東のバルト海岸まで、行ってみることにしました。地図の右上、メクレンブルク=フォーアポメルン州に相当します。

鈍行で2時間半を費やし、世界遺産の都市、シュトラールズントに到着。先日のオルガン・シリーズで、聖マリア教会のオルガンを紹介したところです。駅からの最初の散策で見つけたのがこの教会ですが、大きいのなんの。ドーンと屹立するその偉容に、ハンザ同盟都市の繁栄は半端なものではなかったんだなあ、と実感しました。


内部のオルガンも、堂々たるもの。リューベックの製作者、シュテルヴァーゲンによる楽器です。

旧市街を一通り見たあとは港に出て、穏やかな海(←内海の、そのまた内海)を眺めながらお昼を食べました。ドイツにおいて、海の景観はやっぱり貴重です。

ベルリンに往復も惜しいので、西に向かい、このあたりの中心都市、ロストックへ。巨大な建物にかつての繁栄を伝えるという点では、ここもまったく同じでした。写真は聖マリア教会。中心教会がマリアの名を伝えるのは、いずこも同じ伝統のようです。


ドイツ旅行記2013(11)--なつかしのヴォルフェンビュッテル2013年07月01日 23時50分39秒

訪れたとき、ドイツは猛暑でした。ライプツィヒが、35度。湿度が低いから、夕方になると涼しくなると思っていると、そうではないのですね。午後4時でも太陽は高く、カンカン照り。夕方5時から6時にかけて、最高気温になるのだそうです。知りませんでした。

ところが、途中から一変して、寒風吹きすさぶ世界に。私は気温の変化に強いのですが、敏感な人だったら、たいへんだったろうと思います。ライプツィヒからブラウンシュヴァイクを経て、なつかしのヴォルフェンビュッテルに到着しました。


20年前、私はここに通って、著作『マタイ受難曲』のために、バッハ時代の神学書を研究しました。久しぶりに降り立つヴォルフェンビュッテルは、駅の南側が開発されたほかは昔のまま、清潔な町並みです。この日は閲覧手続きと資料の予約をし、昔泊まったホテル「バイエリッシャーホーフ」で、夕食を摂りました。ウェイターさんが昔世話してくださった方とよく似ているので「お父さんですか」と訊いてみると、自分のではなく受付にいた女性のパパであるとのこと。20年の歳月を噛み締めながらの食事となりました。


 翌25日(火)は、朝からアウグスト大公図書館(上)で、17世紀神学書の研究。いちいち昔を思い出しますが、バッハの歌詞に慣れたためか、読むのはずっとはかどります。パソコンが持ち込めるので、重要なテキストの抜き書きに没頭しました。こういう研究をする人はあまり多くないようで、とても丁寧に対応していただきました。特別な発見をしたわけではありませんが、多くを学ぶことができました。

 勉強を一区切りした夕方、ゴスラーに足を伸ばしてみました。ブラウンシュヴァイクを出てヴォルフェンビュッテルで下車する列車は、ゴスラーまで行くのです。それで気になっていました。ゴスラーは、ハルツ地方の中心地。行ってみると、想像を超えていいところでした。中世以来の歴史的な建造物がたくさんある上、町並みが軽井沢風に洒落ているのです。ドイツ旅行の穴場として、お勧めします。






ドイツ旅行記2013(10)--バッハ祭終わる2013年06月30日 23時38分10秒

 クラインチョッハーから戻った私は、クロージング・コンサートの曲目である《ロ短調ミサ曲》の解説を行った後、ヴォルフ先生と面談。広報として大活躍しておられる高野明夫さんも同席されました。ヴォルフ先生は、大阪のオルガン・シリーズが好調であること、《ロ短調ミサ曲》の訳書が重版になったことをとても喜ばれました。バッハ祭の仕切りは今年が最後だそうですが、まれに見る盛り上がりになったのはなによりでした。

 トリの出演者は、ゲオルク・クリストフ・ビラー指揮の、聖トーマス教会合唱団とフライブルク・バロック・オーケストラ。トーマス教会は、2階席で聴くと演奏者を(巨大な柱に邪魔されながらも)見ることができますが、1階席は祭壇に相対して(ないし直角に)座り、背後から降ってくる音を聴くことになります。でもこれが教会本来の鑑賞法で、なかなかいいのです。耳から集中する鑑賞法を、教会の音響効果の良さが助けてくれます。この日は、この形で鑑賞しました。

 ただ、演奏が・・。悪いことは書きたくないのですが、ここまで克明に書いてきているので、最低限、書かせていただきます。私には、この演奏が何をやろうとしているのか、わかりませんでした。いくら聴いてもそうで、耳あたりのよい響きが起伏も緊張もなく、淡々と重ねられていくだけでした。子供たちはむずかしい曲をしっかり歌っていたと思いますが、バッハの後継者であり、世界で本場を標榜する演奏を展開している人が、バッハが精魂傾けたこの曲にこの演奏、というのは納得できません。じつにすばらしい今年のフェストだっただけに、残念な締めとなりました。

 24日(月)。空港で、すっかり仲良くなったツアーの方々とお別れ。朝日サンツアーズの旅行、とても良かったですよ。チケットもすべていい席で取れていましたし(私も参加してくじ引きしていました)、添乗員さんも献身的。海外旅行のさいには、候補にお加えください。

 トランクを空港に預けた私は、フリーの単独行に入りました。最初の目的地は、ヴォルフェンビュッテル。当地のアウグスト大公図書館で、神学書を勉強するためです。

ドイツ旅行記2013(9)--農民カンタータの上演跡2013年06月29日 12時42分05秒

23日(日)。ライプツィヒ・バッハ祭の最終日です。バッハの足跡探索、事前解説のおりにあれこれと報告していましたら、お仲間の中に、行きたい、という人が出て来ました。そこで「農民カンタータを初演したクラインチョッハーの荘園」という形でご案内し、9名の探検隊が出発。引率者になり、気持ちが引き締まりました。

駅前から、路面電車の3番に乗り、20分ほどで、現地着(ペッツォルトの『バッハの街』インフォーメーションの項に4番とありますのでご注意を)。市街地郊外の閑散としたあたりを少し歩くと、不釣り合いに大きな教会が出現しました。バッハ時代の後に建てられたものです。ちょうど礼拝が始まるところだったので、案内されるままに、中へ。楽譜が配布され、オルガニストと、3人の女性奏者(フルート、オーボエ、ファ
ゴット)が演奏の用意をしています。

礼拝は瞑想と歌唱を基本にしたもので、地域の女性たちが自主的に運営しているように思われました。ひとつの聖歌を何度も繰り返して歌ってゆくのですが、そこに楽器が入ってくると一種エキゾチックな効果がして、不思議な雰囲気。時代に合わせての平明な感覚を取り入れた、なかなか好ましい礼拝でした。

ペッツォルトの本には「屋敷と庭園は常時公開。教会の見学は要予約」とあります(本文ではなくインフォーメーションの項)。教会の見学が首尾よくできましたので、礼拝を途中で抜けさせていただき、屋敷を探しました。いかにも穏やかな老夫婦が歩いていたので尋ねてみると、大戦中爆弾が近くに落ち、屋敷が飛ばされてしまって残念だ、とのこと。プレートだけ が、ひっそりと佇んでいました。バッハは1742年に、新しい荘園領主フォン・ディースカウの着任を祝って、例のカンタータを捧げたのです。当地の徴税責任者 だったピカンダーの、自虐的なテキストが愉快です。


老夫婦は今日が結婚60週年だそうで、ほのぼのムード。遺された公園はすばらしいもので、古い巨木が美しい枝葉を茂らせていました。散策しながらふと振り向くと、教会が立派な姿を見せています。


近くに、これまた唐突に思えるほど立派なホテル兼イタリア・レストランがあり、そこで昼食をすることに。店名が「ドン・ジョヴァンニ」で、仕切っているお兄さんが精力絶倫のイメージとはできすぎです。そこでも老夫婦に遭遇しました。

というわけで、意外性のある、とても楽しい遠足でした。著名な観光地を外れたところに、地域の良さはあるものです。




ドイツ旅行記2013(8)--真髄の演奏方式2013年06月28日 15時29分12秒

22日(土)の昼間は、ツアーの企画で、ケーテンとハレへ。この地域には水害の後遺症が残っていました。ドイツは全土が平坦なので、上流から来た水がどこかで溢れると、引いて行かない。そのため、今年のヘンデル音楽祭も中止になったと伺いました。

ハレ聖母教会のオルガンと対面し、このオルガンならばバッハも食指が動いただろうなあと思いましたが、それよりも、その夜のコンサートのことを語りましょう。ガーディナーとモンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツが聖ニコライ教会に出演し、《復活祭オラトリオ》と《昇天祭オラトリオ》で、またまた圧巻の演奏を聴かせたからです。その驚くべき躍動感に、一同感激。学ぶこと、教えられることが、いくつもあります。

この日もソリストはモリソン、グレイブル、マルロイ、ハーヴィーで、合唱から出る形が守られていました。いずれもが一流のレベルをもち、音楽の方向性を体現していることは先に述べた通りですが、何よりもみな、音程がいい。速いパッセージになるところでも細部までピタリと決まっていて、よくここまで訓練できるなあ、と思うほどです。そういう人の集団ですから、人数の何倍かハーモニーが充実し、すみずみまで明晰な演奏が可能になります。

キャリアを見ると、それぞれ、かなりのもの。モリソンなど、外見も魅力的で、すぐにでも花形になり得る人です。そういう人が、モンテヴェルディ合唱団に入る道を選ぶ。皆自信満々で、喜びにあふれて歌っている、という感じを受けます。オーケストラも同様です。

つまり、ガーディナーの指揮はすばらしい統率力をもっているのだが、それは演奏者を抑圧したり萎縮させたりするものではみじんもなく、スピリットを吹きこむことで全軍躍動の形をもたらすものだ、ということです。本当に稀有のことで、これこそが指揮です。

私はかねてから、バッハの声楽曲演奏におけるコンチェルティスト方式の利点を説いてきました。その点でひとつの理想的な形が、この夜の演奏に実現されていました。声楽家の方にも、ぜひ知っていただきたいと思います。

招かれたソリストが合唱曲を一緒に歌う姿は、最近よく見るようになりました。しかし、参加してはいるが形作り、と思えるケースもよくあります。ソロの演奏に差し障らないように、ということだと思いますが、ソリストに対するこうした要請は、合唱曲を充実させるためではありません。それは、合唱曲とソロ曲に関連をもたらし、メッセージの一貫性を演奏に付与することを、真の目的にしています。ですから、合唱曲に主体的に参与することは、問題意識を体に感じながらソロに入ることになるので、ソロの演奏をいちだんと充実させる可能性があると、私は考えます。

バスのピーター・ハーヴィー。彼は唯一団員ではないソリストなのですが、闘志満々でほとばしるように合唱を歌い、バス・パートを引っ張っていました。これこそがコンチェルティストの姿で、まさに、我が意を得た思いでした。

昇天祭オラトリオの合唱曲とコラールがアンコールされ、熱狂は頂点に。同席した富田庸先生も、ニコライ教会でこの10年間に響いた最高の演奏だと、心からの賛辞を呈しておられました。

ドイツ旅行記2013(7)--そう、言葉です!2013年06月27日 13時24分04秒

21日、ツァイツから帰って臨んだコンサートは、ヘルマン・マックス指揮のライニッシェ・カントライ、ダス・クライネ・コンツェルトによるもの、曲はバッハのカンタータ第67番《イエスの復活を記憶にとどめよ》と、エマヌエル・バッハのオラトリオ《イエスの復活と昇天》でした。

今回の旅は「朝日サンツアーズ」というグループに属しているのですが、コンサート前にはいつも私が解説をしようということで、事前に曲ごとの情報を用意しました。1曲A41枚、大曲の場合は2枚を基本とし、中の曲は、編成や内容をそれぞれ1行にまとめて、進行を追えるようにしました。1行情報は使いやすかったようなので、今後の方針にしたいと思います(私にもいい予習になります)。

この日のコンサートに興味があったのは、私が放送用のCD収集の段階で彼らの演奏に再三接し、また使ってきたから。とにかく、珍しい曲や発掘された曲をどんどん録音するという、好奇心にあふれたアンサンブルなのです。それへの評価か、マックスはバッハ・メダルを受賞しています(今年はペーター・シュライヤーが受賞しました)。

合唱団は1977年の設立、オーケストラは1981年からだそうなので、キャリアはもう長いのですね。この日の合唱は12人という編成でした。ニコライ教会では祭壇側にしつらえられた演奏者席と向い合って聴くことになりますが、響きが拡散して、やるにも聴くにも、むずかしい会場です。そのためか、バッハのカンタータは、どこか浮ついた感じのまま進行してしまいました。しかし、エマヌエル・バッハは、とても良かった。現代の音楽現象である古楽アンサンブルの、いいレベルを見せてもらった、という感じです。

3つの長所を挙げておきましょう。第一に、言葉がとても大切にされていたこと。ヴェロニカ・ヴィンター(S)、マーゴット・オイツィンガー(A、バッハのみ) ゲオルク・ポプルッツ(T)、マッティアス・フィーヴェク(B)というソリストは、まだ有名ではありません。しかし皆、言葉を意味深く、美しく伝えることに精魂傾けており、それによって、エマヌエル・バッハの音楽をとてもよく引き立てていました。そう、このように言葉が生きていて、音楽を牽引するのがいいのです。「歌詞をつけて歌っている」のでは、こうはなりません。

第二に、合唱もオーケストラも全員が、見るからに楽しそうに演奏していたこと。こちらまで楽しくなりました。第三に、器楽の水準がなかなか高く、トランペットが柔らかく協和するさまはたいしたものだったこと。ちなみに「ダス・クライネ・コンツェルト」(小演奏会)というネーミングは、バッハの晩年に開始されメンデルスゾーンらによって営まれた「大演奏会」(ダス・グローセ・コンツェルト)から取られたそうです。指揮者のマックスからカリスマ性はとくに感じませんでしたが、こうしたもろもろのまとめに手腕があるということでしょう。

実演を楽しみましたので、これからは、愛をもって彼らのCDを流せそうです。

ドイツ旅行記2013(6)--マクダレーナの生家を訪ねる2013年06月26日 11時43分13秒

21日(金)は、昼の時間を利用して、ツァイツを訪れました。バッハの妻、アンナ・マクダレーナが、ここで生まれたのです。

バッハの時代に、ここはザクセン=ツァイツ公国の宮廷所在地でした。ザクセン公国特有の分割相続によって生まれた小国のひとつです。しかしそれなりの宮廷生活を営み、音楽にも力を入れていました。そこでトランペット奏者を務めていたヴィルケが、アンナ・マクダレーナの父に当たります。1718年、相続者が途絶え宮廷がザクセン選帝侯国に編入されたのを機に、ヴィルケ家はヴァイセンフェルスに移りますが、1701年生まれのマクダレーナは、ツァイツですでに、美声のソプラノ歌手に成長していたはずです。

ライプツィヒから南西の方角へ、ローカル電車に乗ります。昨年ヴィーデラウ訪問で泊まったペーガウを過ぎ、40分ほどで、ツァイツに到着しました。いかにも旧東という寂しいところで、行き交う人もまれ。それでも旧市街の中心へと坂を上がると、マクダレーナが受洗したとされる聖ミヒャエル教会を発見しました。



市庁舎、フランシスコ教会をめぐり、モーリツブルク宮殿へ降りてゆく道筋に、生家跡はありました。すでに建て替えられてプレートがあるのみですが、なんとなく甘美な思いが、心に湧きました。左側の白い建物です。



バッハもこの町とは関係をもっており、1736年に当地の宮廷が出版した《シェメッリ歌曲集》の編纂に協力しています。坂を下り、モーリツブルクという往時の宮殿と対面して、ようやく、昔日の繁栄に触れることができました。オルガンを2台備えた聖ペテロ・パウロ教会が併設されています。中庭に意外に立派なレストランがあり、人待ち顔でしたので、季節の終わりを迎えている白アスパラガスを食べました。食べる途中の写真ですみません。「黒ヴァイツェン」ビールとの相性が抜群でした。


その後ネットで知りましたが、この町は鳥栖市と姉妹都市の関係にあるそうです。