ドイツ旅行記2013(6)--マクダレーナの生家を訪ねる2013年06月26日 11時43分13秒

21日(金)は、昼の時間を利用して、ツァイツを訪れました。バッハの妻、アンナ・マクダレーナが、ここで生まれたのです。

バッハの時代に、ここはザクセン=ツァイツ公国の宮廷所在地でした。ザクセン公国特有の分割相続によって生まれた小国のひとつです。しかしそれなりの宮廷生活を営み、音楽にも力を入れていました。そこでトランペット奏者を務めていたヴィルケが、アンナ・マクダレーナの父に当たります。1718年、相続者が途絶え宮廷がザクセン選帝侯国に編入されたのを機に、ヴィルケ家はヴァイセンフェルスに移りますが、1701年生まれのマクダレーナは、ツァイツですでに、美声のソプラノ歌手に成長していたはずです。

ライプツィヒから南西の方角へ、ローカル電車に乗ります。昨年ヴィーデラウ訪問で泊まったペーガウを過ぎ、40分ほどで、ツァイツに到着しました。いかにも旧東という寂しいところで、行き交う人もまれ。それでも旧市街の中心へと坂を上がると、マクダレーナが受洗したとされる聖ミヒャエル教会を発見しました。



市庁舎、フランシスコ教会をめぐり、モーリツブルク宮殿へ降りてゆく道筋に、生家跡はありました。すでに建て替えられてプレートがあるのみですが、なんとなく甘美な思いが、心に湧きました。左側の白い建物です。



バッハもこの町とは関係をもっており、1736年に当地の宮廷が出版した《シェメッリ歌曲集》の編纂に協力しています。坂を下り、モーリツブルクという往時の宮殿と対面して、ようやく、昔日の繁栄に触れることができました。オルガンを2台備えた聖ペテロ・パウロ教会が併設されています。中庭に意外に立派なレストランがあり、人待ち顔でしたので、季節の終わりを迎えている白アスパラガスを食べました。食べる途中の写真ですみません。「黒ヴァイツェン」ビールとの相性が抜群でした。


その後ネットで知りましたが、この町は鳥栖市と姉妹都市の関係にあるそうです。

コメント

_ ダヴィデヒデ ― 2013年06月26日 20時41分55秒

読ませて頂いているだけで先生と旅をさせて頂いている様な心境に成りました・・・
本当に羨ましいご旅行です!

でも・・・留守中も先生のお嫌いなあの球団は元気一杯でございますよ!!

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