理解できないこと ― 2011年05月12日 23時21分09秒
最近ニュースを見ていて心を打たれたこと。それは、畜産業を営む方々がどれほど家畜を愛して仕事をしているのか、ということです。原発事故のゆえに牛を処分せざるを得ず、泣いて見送っている福島の方々を見て、私も涙を禁じ得ませんでした。愛犬家としての立場からの、単なる類推にすぎないのではありますが。
自分だったらどうだろう、と思って被害地からの情報に接するとき、きっとがまんできないだろうと思うのが、一律に避難させられて、体育館その他で生活することです。便宜や待遇のことを言っているのではありません。私なら、制止を振りきっても、家に帰ろうとすると思うのです。
禁止ゾーンに入ったらすぐ死んでしまう、というならともかく。汚染の軽微な地域も、同心円の中にたくさんあるわけですよね。しかも私は、年をとっています。何年先に何%の危険があるから、と言われても、それより今仕事をさせてくれ、自分に一番大切なのは時間なのだから、と言うと思う。そういう方、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
そう考えると、一律に強制退避、ということの必然性がわからなくなってきます。一時帰宅といっても、本当に不自由な制限が課されている。それが本当に被災者のためなのかどうか、考えれば考えるほど理解できません。
自分だったらどうだろう、と思って被害地からの情報に接するとき、きっとがまんできないだろうと思うのが、一律に避難させられて、体育館その他で生活することです。便宜や待遇のことを言っているのではありません。私なら、制止を振りきっても、家に帰ろうとすると思うのです。
禁止ゾーンに入ったらすぐ死んでしまう、というならともかく。汚染の軽微な地域も、同心円の中にたくさんあるわけですよね。しかも私は、年をとっています。何年先に何%の危険があるから、と言われても、それより今仕事をさせてくれ、自分に一番大切なのは時間なのだから、と言うと思う。そういう方、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
そう考えると、一律に強制退避、ということの必然性がわからなくなってきます。一時帰宅といっても、本当に不自由な制限が課されている。それが本当に被災者のためなのかどうか、考えれば考えるほど理解できません。
コメント
_ 隠居老人 ― 2011年05月13日 16時39分28秒
_ I教授 ― 2011年05月14日 01時38分53秒
隠居老人さん、ありがとうございます。私はどうしても、行政の責任逃れという感じがしてしまうのです。自己責任の同意書に署名を求める、という話を聞くと、ますますそう思います。
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家が壊れてしまったとか、流失したというならまだしも、
家や生活環境が以前と同じなら、断然離れたくないですね。
後で放射能被害で国に賠償を求めないという誓約書でも出すならば
住み続けてもいいという選択肢も設けて欲しいものです。
ただその場合も最低の生活インフラがあることが前提となるので、
その点では難しい場所もあるでしょうが・・・。
特に余命が短い高齢者が避難所体育館で雑魚寝などということは
どうしても選択したくないですね。
私は仕事をリタイヤしてからは長野県の野辺山高原のログハウスで
気儘な生活を続けていますが、確かに食品などは週に2回ほど
車で15分位のスーパーに買出しに行っていますが、ネットなどの
環境もあるので、東京に帰るのは月に1回5日間くらいです。
生活のスタイルまで強制されるのは問題ですね。