新年度=最終年度2011年04月02日 10時09分09秒

ごく簡素化された形でしたが、1日に入学式を行い、新年度に入りました。私の最終年度です。もう35年も、国立音大に勤めているのですね。

役職がほとんどなくなり、校務は楽になりました。その分を、教育に傾注します。最大の課題は、いま9人いる後期博士課程の学生の論文指導です。研究生(いわゆるオーバードクター)が3人、3年生が4人、2年生が1人、1年生が1人ですから、論文提出の可能性のある人が、合計7人いるわけです。少なくとも2人ドクターを出すことを目標にします。ちなみに内訳は音楽学が1人、声楽が8人です。

今年の博士課程入試は5つの席を11人で争い、合格者が2人(声楽1、教育1)という厳しい試験でした。私の門下にはスーパー・コロラトゥーラで研究報告も抜群だった大武彩子さんが入られたのですが、なんと合格発表直後にいわきにクラス旅行し、被災して避難所に宿泊、同行者全員とともに奇跡的に生還されたとのこと。ご無事で、本当に良かったです。他に、4年生の卒論を2人担当します。

授業では、毎年やっているもののほかに、前期にはモンテヴェルディの作品研究をやります。後期には、多くの先生方とご一緒に、バッハに関する連続講演形式の授業が計画されています。音楽研究所は、来年1月の《ロ短調ミサ曲》公演の準備が中心です。詳細は、おいおいご案内します。最後の1年を悔いなく務めたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

基礎ゼミ準備中2011年04月03日 23時57分51秒

明日から、「基礎ゼミ」と呼んでいる、新入生歓迎企画が始まります。私が総責任者なのですが最近はマニュアルも整備され、企画を終えれば、おまかせできるようになりました。いちばん大事な仕事は、レクチャーコンサートの企画とトークです。

今年は5日(火)の14:30から、「音楽の力PartII」と題して、モーツァルト・コンサートを行います。モーツァルトの最後の年に焦点を当てる企画を去年からやっていて、去年は、クラリネット協奏曲と、《魔笛》の第1幕でした。今年はピアノ協奏曲第27番変ロ長調と、《魔笛》の第2幕です。教授陣がトップに座る「くにたちフィルハーモニカー」が、栗田博文さんの指揮で演奏します。

今日、2回目の練習をしました。変ロ長調のコンチェルト、いいですね。ソリストの久元祐子さんがやさしい、心に沁みるような演奏をしてくださっているので、楽しみです。《魔笛》も出来上がってきました。そのキャストを次に紹介しておきますが、見る人が見れば、このキャストがもつ意味をわかってくださると思います。残念ながら公開コンサートではないのですが、総力をあげた布陣なので、学内の方には、たくさん聴いていただきたいと思います。私も、最後を飾ります。

タミーノ 小林一男/パミーナ 大倉由紀枝/パパゲーノ 久保田真澄/パパゲーナ 髙橋薫子/ザラストロ 若林勉/夜の女王 佐竹由美/モノスタートス 青柳素晴/三人の侍女 悦田比呂子・押見朋子・秋葉京子/武士 今尾滋・須藤慎吾/三人の童子 大武彩子・髙橋織子・湯川亜也子

毎日かあさん2011年04月04日 23時49分46秒

今日は、基礎ゼミ最初のクラス授業。私はいつものように、声楽の担当です。教師も学生も自己紹介をしたのですが、男子学生はほとんど、「話しかけてください」と言って閉めます。恥ずかしそうな、遠慮がちな口調でです。女子にも同じ締めは散見されましたが、「私は話しかける方ですので、相手をしてください」という人も、何人か。雰囲気わかりますよね(笑)。

私は単行本で漫画を読むことはけっしてしませんが、新聞や週刊誌の漫画は、よく読みます。最近の認識は、西原理恵子さんの漫画はすばらしいなあ、ということ。独特の小分割スタイルで情報量が多いですから、今までは読もうとさえしませんでした。しかしあるとき丹念に読んでみると、内容がいいのでびっくり。今では、涙なくしては読めない、という感じにさえなってきました。「愛がある」という形容は、こういうものに対して当てはまるのではないでしょうか。あからさまな教訓調やほのぼの調より、ずっといいと思います。

週刊新潮で佐藤優さんと作っている紙面をいつも読んでいますが、最近は毎日新聞日曜日の「毎日かあさん」も好きになりました。

最初の幸福な終わり2011年04月06日 23時46分56秒

基礎ゼミ・レクチャーコンサート「音楽の力」にご協力たまわった方々、ありがとうございました。8年間続けてきた企画の最終回ということで、私もさすがにテンションが高かったですが、企画の意図を出演者の方々に惜しみなく汲みとっていただき、これ以上の幸福はありません。演奏の先生方との間に長年にわたって培われた信頼関係のありがたみを満喫させていただいた、昨日でした。

もちろん、新入生のために一丸となって「音楽の力」をお届けしたコンサートです。しかしここでは、客観的な全体報告ではなく、私的な御礼を申し上げることをお許しください。私への感謝をこめて演奏するとおっしゃってくださっていたオーケストラの先生方、大御所がキラ星のごとく顔を揃えてくださった声楽の先生方、もちろん私は主役ではありませんけれども、心からの感謝をもって受け止めております。私のモーツァルト観の化身のようにさえ思われる久元祐子先生への感謝は、もちろんのことです。

皆さんが最高レベルのコンディションで《魔笛》に参集してくださいました。ひとつひとつ書くわけにもいきませんので、ここでは意外性のあったひとつの点だけをご報告させていただきます。それは、第2幕フィナーレの終わり近くにある、夜の女王一行の神殿襲撃場面に関してです。

この場面に出演してくださったのは、佐竹由美(夜の女王)、悦田比呂子・押見朋子・秋葉京子(侍女)、青柳素晴(モノスタートス)という先生たちでした。そうそうたる重量級の布陣なのですが、出番は、わずかに2分。夜の女王の有名なアリアもモノスタートスのアリアも、侍女たちの五重唱も全部カットされた中でのご出演でした。

ところが、黒の衣装で揃えた5人が舞台に現れると、〈パ・パ・パの二重唱〉の雰囲気が一変し、ホールに威圧的な緊張感がみなぎったのですね。大歌手の貫禄、といえばその言葉に尽きますが、わずか2分のためにじっくり打合せし、練習も積んで出てくださったそのお気持ちこそ、大歌手の条件であるとも思いました。この場面が引き締まると、最後の合唱の効果が全然違うのです。

内輪のご報告申し訳ありません。国立音大、がんばってまいります。

こわい夢2011年04月08日 12時14分22秒

いい夢は絶対見ない私ですが、このところこわい夢が多く、起きてから呆然としていたりします。

数日前。アリスの不思議な国さながらの世界に迷い込みました。ディズニーランドのようにメルヒェンチックな空間なのですが、どこか歪んでいて、恐ろしい。外に出るバス停があるというので、必死に探します。しかし方角がまったくわからず、どちらに行っても手がかりなし。高台に出ると、巨大な滝の落ちている海が広がっています。

昨日。戦争に出陣しています。米軍が迫っていて、明日みんなを死なしてしまう、申し訳ない、と、司令官。どうしても恐ろしくて脱走してしまい、以降、必死の逃避行に入ります。どちらに逃げてもうまくいかず、助けてくれる人もなく、云々。

これは明らかに、テレビからインプットされる光景と、私のトラウマの合成です。こういう夢を見ておられる方もたくさんおられるのだろうなと思いました。もちろん、被災者のお役に立てるようなことではありませんが・・・。昨夜の余震、皆様ご無事だったでしょうか。

4月のイベント2011年04月10日 10時33分28秒

ご案内が遅くなりました。今、長野に向かう車中です。今日10日の14時から「すざかバッハの会」の講座がありますが、時すでに遅しですよね。「大作曲家の終焉--最後の作品を聴く」というテーマでお話しします。同じテーマは、いずれ「たのくら」や朝日カルチャー新宿校の講座でも取り上げるつもりです。

12日(火)の18:00から国立音大で、今期の音楽研究所バッハ演奏研究部門のガイダンス。《ロ短調ミサ曲》上演の準備です。19日(火)には古楽器のデモンストレーションもあります。16日(土)の10:00は立川楽しいクラシックの会の例会。モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》東京公演を会が主催しますので、その勉強会その1です。東京公演については別途ご案内します。ちょうふコミュニティ・カレッジの「バロック音楽への誘い」というのも水曜日の午前中に隔週でやっているのですが、これは定員が締め切られているので、ご案内できず申し訳ありません。

23日(土)の13:00から、ずっと続けている朝日カルチャー横浜校の新
学期が始まります。『魂のエヴァンゲリスト』を読み進める形で行なっている講座、今期はワイマール時代その2(カンタータ)と、ケーテン時代です。

今月一番大きなイベントは、28日(木)19:00からのいずみホール「無伴奏ヴァイオリンの世界」です。傑出した才能として感嘆置く能わざる佐藤俊介さんの出演で、バッハ、イザイ、パガニーニの無伴奏曲を特集します。「ディレクターズ・セレクション」のシリーズとして選定し、私がご案内します。ぜひご来場ください。

「古楽の楽しみ」の出番は、4月25日~29日です。今年は復活祭が4月24日という遅い時期なので、それに合わせて、復活祭の音楽を特集しました。25日(月)をバッハの復活祭オラトリオとオルガン曲で始め、26日(火)はシュッツ、ブクステフーデ、ゼレ、シャイト、ベームのモテット、カンタータ、オルガン曲。27日(水)はエルレバッハとパッヘルベルのモテット、カンタータ。28日(木)はバッハのカンタータ4番と134番。29日(金)はバッハの4声コラールからと、テレマン、エマヌエル・バッハのカンタータです。

以上、よろしくお願いします。

今学期の授業2011年04月11日 23時35分18秒

今日から、授業開始です。10:40からの2時間目(私の大学では3・4限と言います)にいきなり置かれていたのは、大学院の音楽美学でした。例年、これはいちばんやりにくい授業です。音楽美学に本格的な関心をもっている学生はやはり少数ですので、硬派でいくか、さまざまな応用(美学的視点を交えた作品解釈のような)で関心をつなぐかの選択を迫られます。それはどんな学生が選択するかによりますから、教室に行くのが、とても心配なのです。

去年は硬派を目指したのですが、ちょっと反省が残る結果だったものですから、今年はその分、余分に心配していました。そうしたら、少数ですが優秀な受講者が揃い、彼らの要求によって、カントの『判断力批判』を読むことから始めよう、ということになりました。しっかりやります。

火曜日は、13:00から、モンテヴェルディの作品研究をやります。さまざまな「作品研究」の授業をやってきましたが、最初にして最後のモンテヴェルディ研究です。どう考えても、聴講者は少なそうですけど・・・。

金曜日の10:40からは、毎年前期にやっている「ドイツ歌曲作品研究」の授業です。これは例年通りの進め方をするつもりです。その他はじつにすべて個人指導で、のべ18人を相手にします。

iBACHスタート2011年04月13日 22時48分28秒

12日(火)のガイダンスで、今年度の音楽研究所バッハ演奏研究プロジェクトが出発しました。今まではピアノ部門、声楽部門を並行してやってきましたが、今年は声楽部門のみとし、《ロ短調ミサ曲》の上演に集中します。コンサートは来年の1月15日(日曜日)です。

すでに書きましたように、《ロ短調ミサ曲》は国立音大が1931年(昭和6年)に、《マタイ》《ヨハネ》に先立って日本初演した作品です。その80周年記念の年度にまったく異なった水準において再演し、研究所の活動の、ひとつの仕上げにしようというわけです。全学のご支援をいただいています。

大学院の授業でもありますので、ガイダンスをやってみないと、活動の形が決まりません。幸い、力のある人たちが受講してくれましたので、ようやくスタートの準備が整いました。12月までの授業では前半を準備し、後半は、年末年始を中心に作ります。前半(1733年のキリエ、グローリア)と後半(1748-9年の〈ニケーア信経〉以下)は、事実上別の曲だという考えから、前半を若手中心、後半はベテランを交えて編成するつもりです。

これで、教員生活の最後を飾りたいと思います。ヴォルフの著作の翻訳、かなり進んできました。情報発信も、できるだけ行いたいと思います。

オペラの解説2011年04月14日 23時48分39秒

今夜は、ほっとしています。というのは、3月の末締切りなのにずっと遅れていた仕事を済ませたから。それは、新国立劇場の《コジ・ファン・トゥッテ》公演の解説した。

知悉している作品なので困難というわけではないのですが、なかなか手がつきませんでした。それは、このプロダクションがミキエレットという人の新演出で、ナポリでの出来事が、現代のキャンプ場で起こる出来事として設定されているからです。

こういう演出への好き嫌いはともかくとして、困るのは、解説をどう書けばいいかということです。たとえば、あらすじ。「ナポリのカフェテラスで、老哲学者ドン・アルフォンソと2人の士官が論争している」と始めていいのでしょうか。それとも、「キャンプ場で、オーナーのドン・アルフォンソが、遊びにやってきた2人の大学生と論争している」と始めるべきなのでしょうか。併記する紙面はないとすれば、あるいは中をとって、「年長のドン・アルフォンソが、2人の若者と論争している」とごまかしておくのがいいのでしょうか。

原曲通りに説明をしたのでは、解説と現実が食い違ってしまいます。かといって演出通りに説明したのでは、モーツァルトがキャンプ場のオペラを書いたのかと思われかねませんし、演出家の功績(?)がどこにあるかもわからなくなる。むずかしいのです。こういう演出は最近多いですから、解説する方はみなさん、苦労されておられるのでしょうね。

解説者としてはやはり、本来どういうものであるかを解説したいので、原則その筋で仕上げ、適否をお尋ねしました。脱稿後、NHKへ。復活祭特集後半の録音です。

放送を通じて出会った知られざるすぐれた作曲家として、ハマーシュミットとドーレスが、印象に残っています。今回それに、エルレバッハが加わりました。ルードルシュタットの宮廷楽長を務めていたエルレバッハのカンタータは、バッハを準備するものとしてとてもよく書けていて、再評価の機運もむべなるかなです。放送は4月27日です。

これで、短期的にみて遅れている仕事はなくなりました。やらなきゃ、やらなきゃというのは、精神的によくありません。

バッハの最後期2011年04月16日 22時58分16秒

『バッハ年鑑2010』に、アナトリー・P・ミルカというサンクトペテルブルクの学者が、バッハの最晩年の筆跡について、興味深い研究を発表しています。現存するバッハ最古の文字資料は1997年に発見されたJ.N.バムラーへの第2の能力証明書なのですが、これは1749年12月11日という日付をもっていて、本文は代筆、サインのみがバッハによります。同じ人物のための4月12日の証明書(本文、サインともバッハ自身)と比較すると、書体の不自由度が亢進しています。

ミルカは晩年における一連のバッハのサインを厳密に比較し、その硬化のプロセスが、眼疾ではなく脳の血行不全によるものだと推測しました。そして、第2証明書のサインの筆跡は、《ロ短調ミサ曲》の最終段階を示す〈クレド〉3曲目の二重唱の歌詞を振りなおした重唱譜の筆跡と重なる、とします。すなわち、《ロ短調ミサ曲》の完成は49年の12月、というのが彼の見解です。

ということになると、この時点でバッハの目はまだ見えていたわけですよね。ミルカによれば、50年に入ってから、バッハは《フーガの技法》の出版準備を続け、カノンの曲順を変更した。そのさいに校正本の欄外にページ数を書き入れたが、それこそがバッハの最後の筆跡だ、というのが彼の考えです。バッハの最後の作品はやはり《フーガの技法》と考えるべきだ、というわけです。

では、演奏を仕切ることは、どこまでできたのでしょうか。最後の演奏は1749年8月の市参事会員カンタータ(BWV29)の演奏であろうとするのが従来の通念で、私もそう説明しています。しかし1750年の聖金曜日は3月27日で、バッハが目の手術を受けた日は早くても3月28日ということなので、1750年に《ヨハネ受難曲》の第4稿を演奏し、それを終えてから手術を受けたという可能性も、考えられないわけではありません。その傍証となるのは、『故人略伝』が手術の時まではバッハがきわめて健康であったと述べていること、J.A.フランクという別の音楽家の能力証明書にバッハが1750年の聖霊降臨祭にはカントルとしての活動を停止していたという情報があることです(復活祭までは活動していた、とも取れる)。

真相はまだわかりませんが、概して1750年に入ってからの活動を想定する研究者が増えつつあることは、間違いないようです。