まだピンと来ませんが ― 2011年05月27日 22時55分47秒
《ポッペアの戴冠》の公演、無事終了しました。主催してくださった「楽しいクラシックの会」の方々、ご出演とお手伝いの皆様、そしてご来場いただいたお客様たち、本当にありがとうございました。
大好きなこの作品の、私自身のプロダクションを東京で公演できる日がくるとは、まったく思っていませんでした。人生の夢がひとつ果たされ、過ぎてゆきました。来てくださる方などそうそうあるものではないと思っていましたが、信じがたいことに、超満員の盛況。あの方も、この方も来てくださっている、という感謝の中で、出演者がそれぞれ、自分のベストを更新してくれたと思います。
何かを成し遂げた人が、インタビューで「まだピンと来ません」と言いますね。どういうことかそれこそピンと来ていませんでしたが、昨日の夜、その感じがよくわかりました。嬉しかったのは、打ち上げの挨拶で渡邊順生さんが「礒山さんの存在はたいへん大きかった」とおっしゃってくださったことです。音を出さない私が演奏家とこのような信頼関係を築くまでには、いろいろな失敗もしてきました。そんなことも思い出される、打ち上げの席でした。
たのもーさん、速攻の詳しいご感想、ありがとうございます(→コメント)。よろしければ、皆様もご感想お待ちしています。
〔付記〕前記事「公演迫る」の方にもご感想をいただいています。併せてご覧ください。
大好きなこの作品の、私自身のプロダクションを東京で公演できる日がくるとは、まったく思っていませんでした。人生の夢がひとつ果たされ、過ぎてゆきました。来てくださる方などそうそうあるものではないと思っていましたが、信じがたいことに、超満員の盛況。あの方も、この方も来てくださっている、という感謝の中で、出演者がそれぞれ、自分のベストを更新してくれたと思います。
何かを成し遂げた人が、インタビューで「まだピンと来ません」と言いますね。どういうことかそれこそピンと来ていませんでしたが、昨日の夜、その感じがよくわかりました。嬉しかったのは、打ち上げの挨拶で渡邊順生さんが「礒山さんの存在はたいへん大きかった」とおっしゃってくださったことです。音を出さない私が演奏家とこのような信頼関係を築くまでには、いろいろな失敗もしてきました。そんなことも思い出される、打ち上げの席でした。
たのもーさん、速攻の詳しいご感想、ありがとうございます(→コメント)。よろしければ、皆様もご感想お待ちしています。
〔付記〕前記事「公演迫る」の方にもご感想をいただいています。併せてご覧ください。
コメント
_ T.K. ― 2011年05月28日 00時01分26秒
_ たこ ― 2011年05月28日 15時51分51秒
礒山先生、
木曜日のポッペアは大変楽しかったです。
ありがとうございました。
事前の勉強不足のため、どれほど楽しめるものだろうか、と不安を抱えながら西国分寺に駆けつけたのですが、
あっという間に終わってしまったと感じるほど楽しかったです。
みなさん全員がよかったのですが、
個人的には、その中でも、高橋織子さんが神々しくて美しかった。
ファンになりそうです。
彼女は女優の小雪さんを彷彿させる魅力がありますね。
それと、高橋幸恵さんの愛の神が実によかった。
このキャスティングは素晴らしかったです。
ご出演された皆さん全員の今後のご活躍に期待しています。
木曜日のポッペアは大変楽しかったです。
ありがとうございました。
事前の勉強不足のため、どれほど楽しめるものだろうか、と不安を抱えながら西国分寺に駆けつけたのですが、
あっという間に終わってしまったと感じるほど楽しかったです。
みなさん全員がよかったのですが、
個人的には、その中でも、高橋織子さんが神々しくて美しかった。
ファンになりそうです。
彼女は女優の小雪さんを彷彿させる魅力がありますね。
それと、高橋幸恵さんの愛の神が実によかった。
このキャスティングは素晴らしかったです。
ご出演された皆さん全員の今後のご活躍に期待しています。
_ (未記入) ― 2011年05月28日 23時34分04秒
特にセネカが素敵でした。
主役級の方々。
ポッペアは発声テクニックを向上させたほうがよいですね。
ネローネは歌いすぎ。
オッターヴィアは高音のみ。
唯一の博士さんはヴィブラートが多くて気になります。
等々。
皆様きっと良い事ばかり書くでしょうから。
その他の皆さん、出待ちお疲れ様でした。
皆様の今後に期待します。
主役級の方々。
ポッペアは発声テクニックを向上させたほうがよいですね。
ネローネは歌いすぎ。
オッターヴィアは高音のみ。
唯一の博士さんはヴィブラートが多くて気になります。
等々。
皆様きっと良い事ばかり書くでしょうから。
その他の皆さん、出待ちお疲れ様でした。
皆様の今後に期待します。
_ I教授 ― 2011年05月29日 02時45分55秒
皆さんに自由なご意見を伺いたいと思っておりますが、未記入さんにはあえて反論させていただくことにしました。従来的な「オペラは声」という価値観で、独断的にお書きになっていると思えるからです。それだけではないという立場から、オペラ(とくにバロック・オペラ)に取り組んでおります。
阿部雅子さんのポッペアは、いわゆる「声がある」というのとは違いますが、専門的な様式感を備え、知的な洞察力に富んだ卓抜なポッペアであると思います。そうした判断では、渡邊さんも私も一致しています。
「オッターヴィアは高音のみ」という点について。じつは高橋織子さんから、低域をどのぐらい強調すべきか、という相談を受けました。そこで私は、モンテヴェルディのフィグーラ作法に鑑みて、過度に強調すべきではない、という指示を出しました。感情の起伏が、音域の上下とつねに密着した形で音楽化されているからです。また、モノローグ全体のめりはりという点でも、低域はむしろゆるめた方がいい、と判断しました。私の指示が適切かどうかは検証を要しますが、当人が高音のみ、ということではまったくありません。
阿部雅子さんのポッペアは、いわゆる「声がある」というのとは違いますが、専門的な様式感を備え、知的な洞察力に富んだ卓抜なポッペアであると思います。そうした判断では、渡邊さんも私も一致しています。
「オッターヴィアは高音のみ」という点について。じつは高橋織子さんから、低域をどのぐらい強調すべきか、という相談を受けました。そこで私は、モンテヴェルディのフィグーラ作法に鑑みて、過度に強調すべきではない、という指示を出しました。感情の起伏が、音域の上下とつねに密着した形で音楽化されているからです。また、モノローグ全体のめりはりという点でも、低域はむしろゆるめた方がいい、と判断しました。私の指示が適切かどうかは検証を要しますが、当人が高音のみ、ということではまったくありません。
_ はら なおき ― 2011年05月30日 02時39分04秒
何の因果か、ヒョウタンツギの悪戯か、GW明けから北府中の客先勤務となりまして、須坂の公演に続き鑑賞する機会を得ました。何点か、演奏については比較して、書かせていただきます。
未記入氏言うところのオッターヴィアの低音について。
私も少し物足りなさを感じた箇所がありました。オルガンとビオラ・ダ・ガンバの低音(多分ユニゾン)に合わせて弱音で延ばす箇所です。須坂のときと比べて、オルガンが加わった分、器楽の延びる音量が総量で増えたことで、相対的に弱々しく聞こえたのではないでしょうか? 須坂のときはそんな印象はまったくありませんでしたから。そういう意味で、個人的には、器楽構成は須坂の方が好みです。
親友の三重唱について。
親友1が須坂でのAからTに替わりましたが、T2人の違いがしっかり伝わってきました。支えるBも加わって、3人3様の個性が、ひとつにまとまったグッドハーモニーと感じました。ビジュアル的にも、改めて振り返ると須坂は衣装の統一感という意味で、ちょっと無理があったかも? 国分寺の方が好みです。
ネローネとルカーノの二重唱について。
須坂のときに2人の違いが良く判らないようなことを書きましたが、国分寺は違いました。単にポッペアの美を讃えるルカーノと、ポッペアへの愛おしさも加わったネローネ。如何に詩人の貴様でも俺の思いの強さには敵うまい、と思わせる力強さを感じました。オリジナルの女声だとこの力強さは出ないかも? ネローネの印象、須坂のときとは変わりましたよ。歌いすぎとは思わなかったなぁ。
演奏とは関係ないのでなんですが、今回も重箱のスミを(今回はたくさん)つつきます。
湯川さんのパートが、プログラムの「Singer Profile」だけ「アルト」になってます。「出演者・スタッフ」や、パンフレットに合わせて「メゾソプラノ」かな?
同じくプログラムの「女神パッラデ(アテナ)」。ローマ時代のお話で「アテナ」はどうでしょう?「ミネルヴァ」が適当と思います。
これは半分質問なのですが、第1幕第5場「Disprezzata regina」の和訳が「侮辱された『王妃』」なのですが、解説他で書かれている『皇妃(あるいは皇后』でないのは、いわゆる定訳なのでしょうか?
定訳といえば字幕です。これもいわゆる定訳なのでしょうか? それほど注目していた訳ではありませんし、具体的にここと指摘できる訳でもないのです(須坂がどうだったかは、演者に注目すると字幕は視界外の場所に座っていたので分かりません)が、イタリア語を逐語訳的に訳したような感じの表現(要するに、現代日本語として何か変な感じ)を散見しました。確か「私はxxxの準備ができています」という表現あったと思うのですが「私は、すぐにもxxxいたします」くらいが自然だと思います。
字幕については、あと2点。
字幕は風のように通り過ぎていきますので、パッと見で読み方に迷いそうな箇所(をどう判定するかという問題はありますが)は、振り仮名があればと思います。たとえば「業」は「わざ」「ごう」のどちら?
字幕の高さの関係で、強制的に改行されて、まま、読み辛くなっていました。文節で適当に切って人間の意思で改行すると、聴衆に親切だと思います。
長文、失礼しました。
須坂も結構盛況でしたが、さすがにホーム、国音の学生と思しき若者も多数来場していて、はるかに上回る盛況でしたね。次回は、卒業公演の時期に併せて、教授の(常勤)退官記念公演かな?
未記入氏言うところのオッターヴィアの低音について。
私も少し物足りなさを感じた箇所がありました。オルガンとビオラ・ダ・ガンバの低音(多分ユニゾン)に合わせて弱音で延ばす箇所です。須坂のときと比べて、オルガンが加わった分、器楽の延びる音量が総量で増えたことで、相対的に弱々しく聞こえたのではないでしょうか? 須坂のときはそんな印象はまったくありませんでしたから。そういう意味で、個人的には、器楽構成は須坂の方が好みです。
親友の三重唱について。
親友1が須坂でのAからTに替わりましたが、T2人の違いがしっかり伝わってきました。支えるBも加わって、3人3様の個性が、ひとつにまとまったグッドハーモニーと感じました。ビジュアル的にも、改めて振り返ると須坂は衣装の統一感という意味で、ちょっと無理があったかも? 国分寺の方が好みです。
ネローネとルカーノの二重唱について。
須坂のときに2人の違いが良く判らないようなことを書きましたが、国分寺は違いました。単にポッペアの美を讃えるルカーノと、ポッペアへの愛おしさも加わったネローネ。如何に詩人の貴様でも俺の思いの強さには敵うまい、と思わせる力強さを感じました。オリジナルの女声だとこの力強さは出ないかも? ネローネの印象、須坂のときとは変わりましたよ。歌いすぎとは思わなかったなぁ。
演奏とは関係ないのでなんですが、今回も重箱のスミを(今回はたくさん)つつきます。
湯川さんのパートが、プログラムの「Singer Profile」だけ「アルト」になってます。「出演者・スタッフ」や、パンフレットに合わせて「メゾソプラノ」かな?
同じくプログラムの「女神パッラデ(アテナ)」。ローマ時代のお話で「アテナ」はどうでしょう?「ミネルヴァ」が適当と思います。
これは半分質問なのですが、第1幕第5場「Disprezzata regina」の和訳が「侮辱された『王妃』」なのですが、解説他で書かれている『皇妃(あるいは皇后』でないのは、いわゆる定訳なのでしょうか?
定訳といえば字幕です。これもいわゆる定訳なのでしょうか? それほど注目していた訳ではありませんし、具体的にここと指摘できる訳でもないのです(須坂がどうだったかは、演者に注目すると字幕は視界外の場所に座っていたので分かりません)が、イタリア語を逐語訳的に訳したような感じの表現(要するに、現代日本語として何か変な感じ)を散見しました。確か「私はxxxの準備ができています」という表現あったと思うのですが「私は、すぐにもxxxいたします」くらいが自然だと思います。
字幕については、あと2点。
字幕は風のように通り過ぎていきますので、パッと見で読み方に迷いそうな箇所(をどう判定するかという問題はありますが)は、振り仮名があればと思います。たとえば「業」は「わざ」「ごう」のどちら?
字幕の高さの関係で、強制的に改行されて、まま、読み辛くなっていました。文節で適当に切って人間の意思で改行すると、聴衆に親切だと思います。
長文、失礼しました。
須坂も結構盛況でしたが、さすがにホーム、国音の学生と思しき若者も多数来場していて、はるかに上回る盛況でしたね。次回は、卒業公演の時期に併せて、教授の(常勤)退官記念公演かな?
_ はら なおき ― 2011年05月30日 12時19分06秒
補足と追加です。
オッターヴィアの低音弱音の件。
客席の位置に因るかもしれません。私が座った場所は、器楽側の端の方前よりで、オルガンの低音がもろ響きましたから。
字幕側なら聴こえ方が違ったかもしれませんね。
オットーネの帰還の場面について。
オットーネがネローネの従者を認める場面で、須坂では客席からも寝ている従者が見えたんですよね。今回の場合、あとで衛兵役を兼ねた葛西さんが適役と思うのですが、どうして外されたのですか?
衣装について。
衛兵の矛は不要かも。までも、豪華かどうかは別にして、須坂をはるかに上回る統一感がありました。特に、湯川さん関連の衣装変更は大成功!
連投、失礼しました。
オッターヴィアの低音弱音の件。
客席の位置に因るかもしれません。私が座った場所は、器楽側の端の方前よりで、オルガンの低音がもろ響きましたから。
字幕側なら聴こえ方が違ったかもしれませんね。
オットーネの帰還の場面について。
オットーネがネローネの従者を認める場面で、須坂では客席からも寝ている従者が見えたんですよね。今回の場合、あとで衛兵役を兼ねた葛西さんが適役と思うのですが、どうして外されたのですか?
衣装について。
衛兵の矛は不要かも。までも、豪華かどうかは別にして、須坂をはるかに上回る統一感がありました。特に、湯川さん関連の衣装変更は大成功!
連投、失礼しました。
_ I教授 ― 2011年05月31日 01時10分13秒
原さん、両方の公演を見ていただき、また、率直にして詳細なご感想をいただき、ありがとうございました。いくつか、レスポンスします。
オッターヴィアの低音について。高音と低音の差が大きかったことが問題かもしれません。高橋さんは今回の出演者で1、2を争う声量の方ですが、むしろ高音を抑制する方法もあったかな、と考えているところです。
親友の三重唱は、今回が格段の出来であった、と多くの人から言われました。前回は演奏地が須坂だったので歌い手を増やすことが出来ず、この第1テノールをアルトで代用しました。今回は男声3重唱となり、「ハモリ」が全然違う、ということで、全体のハイライトになり得たかと思います。
字幕についてのいくつかのご指摘は、私の責任です。定訳ではなく、すべて私の訳です。妃の意を全部「皇妃」としてもいいのですが、ブゼネッロの台本の多彩な語法に対応して、使い分けました。煩わしさが出た可能性も、たしかにあるかもしれませんね。皇妃か皇后かも、考えた部分です。若さを示すために「皇妃」としましたが、オッターヴィアを皇后、ポッペアを皇妃と(同じ言葉を)訳し分けるのも、ありかもしれません。直訳調の名残は、もし機会があれば改善します。
従者をバックにしたのには、経緯があります。簡単に言いますと、「いきなり姿をあらわすのはおかしいので、事前に準備の動作をしたい」という主張に対し、あまり寝ている従者が存在を強調するのはいかがなものか、という私の判断から、バックにしました。
衣装は、今回の大きな改善点です。平尾雅子さんのおかげですが、やはり、東京公演の地の利もあったと思います。とはいえ、須坂公演あっての東京公演でした。須坂の方々には、あらためて感謝申し上げます。
オッターヴィアの低音について。高音と低音の差が大きかったことが問題かもしれません。高橋さんは今回の出演者で1、2を争う声量の方ですが、むしろ高音を抑制する方法もあったかな、と考えているところです。
親友の三重唱は、今回が格段の出来であった、と多くの人から言われました。前回は演奏地が須坂だったので歌い手を増やすことが出来ず、この第1テノールをアルトで代用しました。今回は男声3重唱となり、「ハモリ」が全然違う、ということで、全体のハイライトになり得たかと思います。
字幕についてのいくつかのご指摘は、私の責任です。定訳ではなく、すべて私の訳です。妃の意を全部「皇妃」としてもいいのですが、ブゼネッロの台本の多彩な語法に対応して、使い分けました。煩わしさが出た可能性も、たしかにあるかもしれませんね。皇妃か皇后かも、考えた部分です。若さを示すために「皇妃」としましたが、オッターヴィアを皇后、ポッペアを皇妃と(同じ言葉を)訳し分けるのも、ありかもしれません。直訳調の名残は、もし機会があれば改善します。
従者をバックにしたのには、経緯があります。簡単に言いますと、「いきなり姿をあらわすのはおかしいので、事前に準備の動作をしたい」という主張に対し、あまり寝ている従者が存在を強調するのはいかがなものか、という私の判断から、バックにしました。
衣装は、今回の大きな改善点です。平尾雅子さんのおかげですが、やはり、東京公演の地の利もあったと思います。とはいえ、須坂公演あっての東京公演でした。須坂の方々には、あらためて感謝申し上げます。
_ T.K. ― 2011年05月31日 08時36分11秒
遅ればせながら、字幕に1票。
今回の字幕の訳が舞台を引き立てる効果はかなりのものでしたよ。登場された美しい歌姫と同じように評価されて良いのが「字幕の訳」だと思います。
長すぎず、冗長にならず、かつ登場人物のキャラを端的に伝える訳だったと思います。
私、翻訳嫌い人間ですが、こういう和訳ならば、原文と同じくらいの評価を受けて良いと思います。
今回の字幕の訳が舞台を引き立てる効果はかなりのものでしたよ。登場された美しい歌姫と同じように評価されて良いのが「字幕の訳」だと思います。
長すぎず、冗長にならず、かつ登場人物のキャラを端的に伝える訳だったと思います。
私、翻訳嫌い人間ですが、こういう和訳ならば、原文と同じくらいの評価を受けて良いと思います。
_ はら なおき ― 2011年06月01日 01時09分48秒
I教授
語法による使い分け、勉強になりました。
原語に接していない私には、使い分けすべきかどうかの判断が、なかなかつきませんし、職業柄、用語を極力統一して使う傾向があるものですから、そういうところに考えが及んでおりませんでした。
ご教授、ありがとうございました。
語法による使い分け、勉強になりました。
原語に接していない私には、使い分けすべきかどうかの判断が、なかなかつきませんし、職業柄、用語を極力統一して使う傾向があるものですから、そういうところに考えが及んでおりませんでした。
ご教授、ありがとうございました。
_ 春日局 ― 2011年06月24日 00時22分57秒
楽しいクラシックの会創立25周年記念公演モンテベルディ作曲「ポッペアの戴冠」は興味深いものでした。まず出演者が若々しい。声に艶があり意欲的。印象的だったのは男声合唱。セネカのバスバリトンと友人二人のテノールの合唱の悲痛美!ネローネとルカーノのかけ合いと合唱。くつろいで競うようにポッペアを賛美するところが「源氏物語」の「雨夜の品定め」のよう。古今東西、世の男性に違いはないのですね。ネローネとポッペアの“きぬぎぬの別れ”でポッペアの可憐を装ったしたたかさも○。でも意外だったのはポッペアが受ける皇妃の月桂冠がシンプルだったこと。あんなに欲しがっていたのだからもっとゴテゴテの飾りがついていても良かったのではないかと思いました。
古楽器の演奏もとてもエレガントで優秀!会場が小さかったら、音がもっと良く聞き取れたかも、と少し残念でした。
古楽器の演奏もとてもエレガントで優秀!会場が小さかったら、音がもっと良く聞き取れたかも、と少し残念でした。
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
I教授に誘っていただいたものの、打ち上げには御一緒することができず、夜行バスに乗って兵庫県に来ました。兵庫県にも若い音楽家の方が発表する場が多くあるような気がします。
今回のポッペアのように、若い優れた演奏家の方々が能力を発揮する場に沢山恵まれるよう、私自身の期待も併せて、心より御祈りしています。I教授はじめ皆さん御疲れ様でした。そして、素晴らしい演奏を聴かせて下さって、ありがとうございました。