卓抜なプログラム2011年08月08日 23時07分23秒

たくさんの嬉しい書き込み、ありがとうございました。では、エリクソンさんの「究極のバッハ」のプログラムがどれほど考えぬかれていたのか、その分析をしてみましょう。

【前半】
1.《音楽の捧げもの》から〈6声のリチェルカーレ〉
2.コラール・パルティータ《喜び迎えん、慈しみ深きイエスよ》BWV768
3.《フーガの技法》より〈未完の4重フーガ〉
4.コラール《汝の御座の前にわれ今ぞ進み出で》
【後半】
1.プレリュードとフーガト長調(ピエス・ドルグ)BWV572
2.《クラヴィーア練習曲集第3部》からコラール〈天にましますわれらの神よ〉BWV682
3.《オルゲルビューヒライン》からコラール〈おお人よ、汝の大いなる罪を泣け〉BWV622
4.パッサカリアハ短調

すぐわかるのは、前半に後期の作品が集められ、後半に初期の作品が集められていることです。前半は純粋なオルガン曲とは言えない超越的な作品が2曲含まれ、未完のフーガから遺作のコラールに向けて、バッハの最後期の音楽をたどるようになっている。これに対して後半には、若々しく聴きやすい、オルガン・プロパーの作品が並んでいます。

ただどちらにも1曲ずつ、後期と前期の作品が紛れ込んでいる。対比の意図に違いないのですが、リハーサルを聴いて、紛れ込んでいる作品が、じつに大きな存在価値を発揮することを発見。最晩年の作品に囲まれた初期ルーツの作品の、熱い血の通い方。初期の作品に囲まれた後期のコラールの、驚くべき精緻さ。それが鮮明に浮かび上がり、あたかも、地と図のリバーシブルな関係を見るかのようなのです。しかも、前半と後半が4曲ずつ、完全に対称をなしている!前半が老若老老、後半が若老若若です。

さらに見ると、冒頭のリチェルカーレのハ短調と最後のパッサカリアのハ短調が大枠を作り、3曲目はどちらも変ホ長調になっている。前半最後のコラールはト長調、後半最初の《ピエス・ドルグ》もト長調で、そこにもつながりが設定されています。

バッハの音楽が「音による幾何学」であることはよく知られていますが、このコンサート自体がひとつの幾何学になっていて、高度な知性の目が、それを統括しています。ステージでそのことを申し上げたところ、ただ曲を並べるのではなく、曲同士の内的な相互関係に留意している、とのお答え。本当に、驚いてしまいました。

演奏家の志はプログラムを見ればわかる、とよく言われますが、その通りですね。勉強させていただきました。