最後モード2011年08月12日 22時29分42秒

尊敬する友人(外国在住)からメール。そこに、今年のブログは寂しいパッセージが多く、読んでいて心が沈んでしまう。と書いてありました。え!?最後だ最後だとばかり書いていますから、そう思われたのでしょうか。日々を大事に過ごそうと思っているあらわれで、悲観的になっているわけではありません。嬉しい最後、ほっとする最後もありますし。

11日の金曜日には、遅ればせながら、《ポッペアの戴冠》東京公演の打ち上げを、ウィーン留学されるお二人の送別会を兼ねて行いました。「響」新宿野村ビル店(49F)のすばらしいロケーションでたいへん楽しい会になりましたが、門下の重鎮(?)がここで二人いなくなるのは、たしかに寂しい感じもありますね。帰ってくると、私はもういないわけですから。「送別会じゃなくて壮行会じゃないの?」というご指摘をいただきました。確かに(汗)。

もうひとつ、最後モードを高める強力な材料があることに気づきました。いつも書いている、《ロ短調ミサ曲》の翻訳です。ここには、死期近いバッハの集大成という観点が、ヴォルフ先生の鋭利な分析によりいやが上にも強調されているので、ついついそれに同調してしまっているのです。時間との競争で仕上げられた最後の作品を、死んだバッハと同じ年齢の人間が、現役最後の年に、時間と競争でやっている。出来すぎのシチュエーションですよね(笑)。

明日はないと思って生きるのが最上の生き方だ、とよく言われます。ちょっと、わかった感じがします。