「3」の自由さ2011年08月21日 22時32分05秒

福岡で、レクチャーコンサートをしてきました。ここ6年間続けてきた、国立音楽大学と同調会(卒業生の組織)の共催によるコンサートで、「モーツァルトの美意識」というタイトルのもとに、私が企画立案をさせていただいてきたシリーズです。

さまざまな制約のもとに考えるテーマがだんだん行き詰まり、今回は、「モーツァルトにとって”3”とは?」という、一風変わったテーマにしました。バッハならば、3は神の数としていたるところを支配しており、そのプログラミングも容易。しかしモーツァルトの音楽は、神学と関係付けて説明するわけにはいかず、3と結びつけて考えたことはありませんでした(《魔笛》の「3」は、フリーメーソンとの関係によるので、ちょっと特別です)。

このテーマを思いついたのは、一つには、変ホ長調K.563のすばらしいディヴェルティメントを演奏したいと思ったから。全6楽章の大曲ですがそこから3つの楽章を選び、弦の三重奏によるこの曲と、ピアノ、クラリネット、ヴィオラによる《ケーゲルシュタット・トリオ》を組み合わせる形で、前半器楽の部を構想しました。

変ホ長調のディヴェルティメントの、秋空をどこまでも昇るような飛翔感、究極の軽やかさは、かねてから私の愛してやまないところだったのですが、じっさいにやってみて実感するのは、やはりこれはトリオ編成だからこそありうる音楽だ、ということ。弦楽四重奏になったのでは、多少とも重くなり、しっかりして、あの融通無碍な感じからは遠ざかることがよくわかりました。

《ケーゲルシュタット》も同じ。ステージでインタビューさせていただいた久元祐子さんが「3には遊びがある」とおっしゃったことが、すべてを言い表しています。2(たとえばヴァイオリン・ソナタ)だと相手と向きあうスタンスになり、4だと枠組みがしっかり出来上がる感じになる。その点、3は自由に遊び合える音楽だというのです。企画して初めて気づく、一つの本質ではありました。

大関博明さんのチームによるディヴェルティメント、久元さん、武田忠善さんの絶妙ペアにヴィオラの民谷可奈子さんを加えた《ケーゲルシュタット》、どちらも本当にいい演奏で、モーツァルトの「3」を、かけがえないものとして楽しみました。後半のオペラについては、次話で。

福岡、いいですね!数知れぬほどの食べ物屋、飲み屋があり、どこも温かく人懐こい雰囲気で、お客さんを待っています。何日でも楽しく滞在できるところだと思いますが、こんなにたくさんお店があってやっていけるのかどうか、いつもながら心配でなりません。