大盛況のオルガン・シリーズ2011年08月06日 23時45分31秒

朝6時に家を出て、大阪へ。降り立つとカッと明るい夏の天気で、空気が澄んでいます。気持ちのいい朝。いずみホールの周辺は、蝉の大合唱でした。本日のオルガニスト、エリクソン氏もこれには驚き、何の音だ、と言われたそうです。

ライプツィヒとの提携によるバッハ・オルガン作品演奏会シリーズの好調についてはおりおりにご報告してきましたが、そう長続きするものではない、という気持ちももっていました。シリーズというのは先細りするものですし、出演者も、このところ一般には知られていない人が続いているからです。最近4回の出演者は、ジェイムズ・デイヴィッド・クリスティ、ハンス・ファギウス、ヴォルフガング・ツェーラー、ハンス=オラ・エリクソンですが、そのうち、ご存知の方は何人いますか?複数いたら、相当のオルガン通であると思います。

ところが今回はとりわけ券売が好調で、ほぼ満席とか。ほっと安堵しました。しかし、コンサートにお客様を集めることがどれほどむずかしいかを経験し続けてきた身としては、とても不思議にも感じます。オルガン曲は地味ですし、このシリーズを始めるまでは、ずいぶん継続に苦労もしていたからです。

分析はいろいろしてみたいと思いますが、間違いなくあるのは、芸術監督クリストフ・ヴォルフ先生の人選の確かさと、選ばれたオルガニストたちが最高の演奏でつないでくれているところから生まれる、信頼性。コンサート前から次回の予約に大勢の方が並ばれるというのは、それなくしてはあり得ないと思います。私自身、次々と登場する世界的オルガニストたちの力量に、驚いてしまっているのです。

エリクソンさんの演奏も、すぐれた造形感覚と時間を大きくとらえる発想をもつ卓越したものでした。とりわけ、難曲《天にましますわれらの父よ》の明晰な表現と、《パッサカリア》の凝集力が圧巻。《パッサカリア》はご承知の通り、ループする低音の上にゴシック教会のように荘厳な空間を築いてゆく作品ですが、やがて主題が低音から解放され、各声部に振りまかれますよね。フーガになるところです。その部分が、教会空間から重い扉を空けて自然の中に踏み出したような開放感を伴っていて、印象に残りました。

演奏そのものに劣らず印象深かったのが、プログラム作りの見事さでした。いいプログラムだと思ってはいましたが、リハーサルを聴いているときにその狙いがわかり、電気に打たれたようになりました。バッハの音楽と同様、それ自身幾何学を内包していると思われるようなその見事なプログラムについては、長くなりますので明日書くことにします。