6月のCD2011年07月03日 23時30分51秒

7月ですね。ご案内もあるのですが、6月のCD情報を忘れていたので、そこから補います。以前は「ベスト3」という言葉にとらわれていましたが、最近はむしろ、見えにくい宝の発掘を心がけています。

当欄でご報告した「ジュゼッペ・ディ・ステーファノ/心の声」のDVDを、1位にしました。輸入盤なのに日本語字幕がついています。全盛期のディ・ステーファノの魅力は、格別。〈冷たい手を〉をパヴァロッティと比べても、きれいなフォームできれいに出すのとは違う、「宵越しの金は持たぬ」式のスリリングな高音にしびれます。もちろん専門的にはよくない出し方で、自身も、才能を蕩尽してしまったわけですが。

若い演奏家を、探しています。今月心に響いたのは、ピアノの長富彩さん。「リスト巡礼」というCDが、リストを必ずしも好きでない私の心も惹きつける、いい演奏です。 「広やかな音空間を熱い心情がたっぷりと満たし、心を打つ」と書きました。コンサートを聴いてみるつもりです。

3位は、菅原潤さんの「ピッコロ・アルバム」。軽やかな妙技で綴られた笛の小品集ですが、甲高いという通念のピッコロがこんなに心地良いとは、信じられません。昔ついたフルートの先生は、ピッコロの表現能力をまったく認めていませんでした。でも上手な方は、そういう通念を乗り越えてしまうのですね。たいしたものです。

波長の合う文章2011年07月04日 23時36分23秒

電車の中では小説を読みたいと思うのですが、知らない著者による膨大な文庫を前に、途方にくれることもしばしば。こんなのどうかな、と思って読み始め、波長が合わないままに中断してしまうこともよくある最近で+694す。

しかし久々に、感動する小説に出会いました。笹本稜平『還るべき場所』(文春文庫)。亡くなった児玉清さんの「僕は涙し、号泣した」という推薦文がオビについています。

クライマーのK2周辺峰登攀を軸にして話が進みます。私は岩はまったくやったことがありませんが、山歩き自体はずいぶんしてきたので、ある程度、想像はつく。その極限状況の描写に、青春、人生、恋といったテーマがからんでいくのですが、文章がとても密度高く、私の感覚と「波長が合う」のです。この著者を、少し読んでみようと思います。

7月のイベント2011年07月06日 23時19分05秒

ご案内せずにいるうちに、朝日カルチャー新宿とちょうふ市民カレッジの講座が1つずつ終わりました。調布の市民講座(バロック音楽)は、20日(水)に終了します。

朝日カルチャー新宿校では、23日(土)から、《ロ短調ミサ曲》の新講座を始めます。毎週第4土曜、10:00からです。それまでにヴォルフ先生の本の翻訳を仕上げておきたかったのですが、ここしばらくまったく時間がなく、間に合いませんでした。しかし来年3月までかけて、ゆっくり《ロ短調ミサ曲》を解説します。第4土曜は13:00から横浜校のバッハ講座なので、フルスピードで移動しなくてはなりません。それでも1日にまとめてしまおうとするのが、私の昔からの悪癖です。ちなみにその日の横浜は、ケーテン時代のコンチェルトを取り上げます。30日(土)は、新宿校の「こだわり入門」のイレギュラー開催で、ドイツ歌曲の世界にご案内します。

16日(土)は「楽しいクラシックの会」(立川、10:00から)。今月を《魔笛》論としたのは、その日モーツァルト・フェラインで《魔笛》について公演するからです。「《魔笛》の価値観」と題して、台本と音楽に即して考察します。

今月のNHK「古楽の楽しみ」は、モンテヴェルディ特集の第2回です。18日(月)、19日(火)は《聖母マリアの夕べの祈り》で、当欄でご紹介したプルハールの新録音を使います。20日(水)は、聖母マリアのリタニアや〈グローリア〉など、個別的な宗教作品を集めました。21日(木)と22日(金)は、歌劇《オルフェオ》です。演奏はアレッサンドリーニ指揮のコンチェルト・イタリアーノ。ただし22日に紹介する第3幕のオルフェオ・アリア〈力強い霊よ〉は、ヴァルトロ指揮、マッテウッツィ独唱のものを使用します。この録音ではモンテヴェルディの出版譜にある装飾なし、装飾ありの譜面の両方が演奏されていて、モンテヴェルディの演奏に装飾がいかに本質的な重要性をもっているかを、よくわからせてくれるからです。

どうぞよろしく。あ、9月の放送からバッハに復帰します。

嵩に懸かって2011年07月07日 22時28分57秒

昔日の教養を失いつつある今の若い人たちですが、周辺の学生は誰も、「嵩に懸かる」(かさにかかる)という言葉の意味を知らないことを発見しました。こんなに味わいのある言葉を知らないなんて、もったいないですよ。

「嵩に懸かる性格だと言われているんです」「決していい性格ではございませんわね」という会話を交わしたのは、どのぐらい前だったでしょうか。お相手は、妙齢のご婦人でした。その後も「嵩に懸かる」性格を自称していますが、なんだ、学生たちは意味がわかっていなかったのか。傘にお金をかけている、なんていう意味ではないですよ。

用例が必要ですよね。ヤクルトサヨナラ勝ち、巨人を3タテ、という結果が出たばかりの今、「巨人はなぜ勝てないのでしょうかね」などとこの場に書くことを、「嵩に懸かる行為」と言うのです。敵を作るような気もするが、ひどい政治の現状に対してコメントするより、楽しさがありますよね。

テレビで見ていても、巨人の選手に覇気がなく、やる気が乏しいように見えてしまいます。去年の長野、今年の澤村のように抜きん出た選手が入ってくるのに、なぜなのでしょうか。こういう状態じゃアンチ巨人の方も張り合いがないでしょう、と言われますが、そうではありませんよ(きっぱり)。だって、こういう状態でますます元気になるのが、「嵩に懸かる」性格のわけですから。

梅雨明けとは・・・2011年07月09日 21時41分57秒

広島東洋カープ、ダメですねえ。やっぱり嵩に懸かって書くと、あとダメ(笑)。ダヴィデ原巨人さんにつけ込まれてしまいました。

それにしても、もう梅雨明けとは、驚きです。学期が終わったのにまだ雨続き、という年も近年多かったと思いますが、7月になるかならぬかのうちから連日30度というのは、記憶がありません。防護服でがんばっている方々、お疲れさまです。

昔の日本家屋には、夏を快適に過ごすための、さまざまな工夫があったものでした。いまとなればそれがなつかしい。コンクリートの塊というべき大都会をさんざん作ってきて、いきなり電力制限と言われても、辛いものがあります。しかも、この猛暑。仕方なく、やむなく、詮方なく、ビールを飲んでいます(笑)。

前期が終わるまで、あと2週間です。私のお弟子さんたちにも、ドクター論文挑戦の決まった人あり、ウィーン留学が決まった人ありと、動きが出ています。月末にドクター論文の第一関門があり、その指導と審査で、今月は費やされそうです。

《ポッペア》東京公演画像2011年07月10日 23時51分03秒

齋藤正穂君撮影の《ポッペアの戴冠》東京公演(5月26日、国分寺いずみホール)の画像が送られてきました。なんと、1000枚近くあります。そのごく一部をお届けします。とりあえず、プロローグと第1幕です。衣装にご注目を!
嵩に懸かる幸運の神(川辺茜)に自己主張する美徳の神(山崎法子)。
さすがの両者も、愛の神(高橋幸恵)には譲るほかなし。
渡邊順生さん率いる器楽を背景に歌うオットーネ(湯川亜也子)。
ポッペア(阿部雅子)がネローネ(内之倉勝哉)に仕掛ける心理的駆け引き。

苦悩する皇后、オッターヴィア(高橋織子)。
セネカに死を予告するパッラデ(パラス・アテナ、大武彩子)。
勇気を得たセネカ(狩野賢一)は、ネローネと対決。
ドゥルジッラ(安田祥子)の純愛に慰めを見出すオットーネ。







《ロ短調ミサ曲》中間発表会ご案内2011年07月11日 23時39分41秒

上記のご案内をうっかりしていました。昨年同様、バッハ演奏研究プロジェクトの中間発表会を、7月19日(火)18:00より、国立音楽大学SPC-Aで行います。正門から入り、突き当たりを左に曲がったところの左側にある建物がSPCで、Aはその1階、オルガンをもつ小さな会場です。

〈キリエ〉と〈グローリア〉(一部)を合唱で紹介することに加え、ソロや重唱をメンバーが入れ替わりで演奏します。勉強中のものを披露させていただく、という形ですが、応援に来ていただければ幸いです。《ポッペアの戴冠》出演者はほとんどが参加します。もちろん入場無料です。どうぞよろしく。

〔訂正〕火曜日は19日でした。また開始は18:15になります。訂正が遅れて申し訳ありませんでした。

《ポッペア》東京公演第2幕2011年07月14日 22時59分56秒

5/26の第2幕からです。お楽しみください。

自殺を命じられ、親友1(右、葛西健治)と2(左、小堀勇介)に別れを告げるセネカ(狩野賢一)。

恋の戯れに興じる小姓(川辺茜)と侍女(山崎法子)

ポッペアの美しさを詩に競作するルカーノ(小堀勇介)とネローネ(内之倉勝哉)。

オットーネ(湯川亜也子)にポッペア暗殺を命じるオッターヴィア(髙橋織子)。こわいシーン。




無邪気なドゥルジッラ(安田祥子)は、オットーネに暗殺用の衣装を貸す。

セネカが死に、安堵の眠気を催すポッペア(阿部雅子)を世話する乳母アルナルタ(湯川亜也子、二役)。このあと子守唄を歌う。

「地上の女神」ポッペアを守護する愛の神(髙橋幸恵)。暗殺者を撃退する。

最初の「最後の授業」2011年07月15日 23時56分07秒

今、前期の授業の最終週に入っています。これまでは「今年度の終わり」に過ぎないことでしたが、今年は、「この授業の終わり」を意味します。そのために準備した素材や資料や、そういうものが、今後は不要になるわけです。そんなわけで、今日はほっとする感じと、少し寂しい感じと、両方が混じった1日でした。

「ドイツ歌曲作品研究」の授業を、いったい何年間やったのでしょうか。15年ぐらいですかね。詩の解釈、音楽の考察、演奏とレッスンを兼ね合わせたようなこの授業は、私の最後期における実践との結びつきを象徴するような意味をもっていました。今年は、受講者がみな演奏に参加してくれたことがなにより。毎回1~2曲の研究に絞っていますが、最終回はコンサート・ライクにやろうということで、大勢の出演者がたくさんの曲を演奏しました。多くの人が手を上げてくれ、私の感想を待ち受けてくれるのは嬉しいことです。いい演奏が、いくつも含まれていました。

昼休みは火曜日の授業で演奏する人を指導し、午後は上級の個人指導。結局ドクター論文を見送る人も増え、寂しさも感じる今日でした。来週の火曜日で、前期の授業が終わります。

モーツァルトもやらなくては2011年07月16日 23時24分55秒

暑い中を、講演を2つこなしました。

午後は、2年ぶりに、モーツァルティアン・フェラインへ。今回は「《魔笛》の価値観」と題して、わかりやすいように見える《魔笛》の中にあるさまざまな謎や問題について私見を述べる、という構成にしました。「作品研究」の授業で《魔笛》を取り上げたさいに、台本や楽譜を見直して作っておいたノートがあるのですが、それを基礎に、作品論を再構築しようという趣旨でした。こういう作業をすると、気がつくことが、いろいろあるものです。

終了後、会食へ。そこでわかったのは、私の本を愛読してくださっている方、このブログも常連として訪れてくださっている方が、ずいぶんたくさんいらっしゃることでした。ありがたいことですね、励みになります。

私のモーツァルト研究への期待も、ずいぶんいただきました。でも、最近さぼっているんですよね。秋に出版予定の海老澤先生の記念論文集にも、私が提供したのは、モンテヴェルディの論文です。定年になったら、少しは力が割けるでしょうか。こういう気持ちの良い会でいい講演をするためにも、勉強は続けたいと思います。