バッハ超え ― 2011年09月10日 12時43分34秒
バッハの命日に知人の方から「バッハ超え」を祝福されたということを書きました。私の人生がバッハより長くなったことに対する祝意です。しかし厳密にいいますと、バッハの誕生日は3月21日、私の誕生日は4月30日ですから、1ヶ月と9日、長さが足りませんでした。したがって、バッハの命日である7月28日から1ヶ月と9日後に、私はバッハを超えたことになるわけです。
というわけで9月6日に、私はめでたく、バッハの経験しなかった人生に突入しました。入院とか手術とか何度もしている私から見ますと、医学も発達していない時代に65年生き、最後まで密度高く仕事したバッハはすごいなあ、と思います。
ちょうど後期の授業に入り、ご案内した「バッハとその時代」の共同講義が始まりました。私がトップバッターで、導入のための概論を行いましたが、時間に対して多すぎる内容を熱演でカバーするという、あまり得策とは言えない(しかし私にはよくある)スタートになりました。水を打ったように聞いてくれていた学生さんも、疲れただろうと思います。
全14回(←バッハの数)の講義で、私が5回受け持ちます。2回目(15日)は歴史家佐藤真一先生の「ザクセン選帝侯国」、3回目(22日)はルター研究家宮谷尚美先生の「ルターとコラール」、その次(29日)が再度私で「バッハと神」。木曜日の16:10から5号館の113教室でやっています。どうぞ覗いてみてください。
というわけで9月6日に、私はめでたく、バッハの経験しなかった人生に突入しました。入院とか手術とか何度もしている私から見ますと、医学も発達していない時代に65年生き、最後まで密度高く仕事したバッハはすごいなあ、と思います。
ちょうど後期の授業に入り、ご案内した「バッハとその時代」の共同講義が始まりました。私がトップバッターで、導入のための概論を行いましたが、時間に対して多すぎる内容を熱演でカバーするという、あまり得策とは言えない(しかし私にはよくある)スタートになりました。水を打ったように聞いてくれていた学生さんも、疲れただろうと思います。
全14回(←バッハの数)の講義で、私が5回受け持ちます。2回目(15日)は歴史家佐藤真一先生の「ザクセン選帝侯国」、3回目(22日)はルター研究家宮谷尚美先生の「ルターとコラール」、その次(29日)が再度私で「バッハと神」。木曜日の16:10から5号館の113教室でやっています。どうぞ覗いてみてください。
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