《ヨハネ受難曲》リレー演奏 ― 2014年09月18日 10時11分59秒
1年間、牛歩のような進行に付き合っていただいた、朝日カルチャー新宿校の《ヨハネ受難曲》講座。最終回を迎えるにあたり、リレー演奏で全曲を聴こうという計画を立てました(注:《ヨハネ》に関する記事はたくさんありますが、カテゴリを新設します)。
選りすぐり、おいしいとこ取りで、5種類。レファレンスに使っていたガーディナー2003は外し、往年の演奏も外すことにして、新しい演奏の紹介を含めながら選抜することにしました。ところが、案外むずかしい。ああでもないこうでもないと、時間がかかってしまいました。
最終的な形はこうなりました。第1部はNo.1-9:ブリュッヘン1992、No.10-14:ブリュッヘン2010。第2部はNo.15-26:エガー2013、No.27-32:クイケン1987、No.33-40:レイトン(2010年代、詳細不明)。ブリュッヘン2010、エガー、レイトンは、最近購入したばかりのものです。
ブリュッヘンの旧盤は古楽のアプローチにより細部に分け入った名演奏ですが、新盤を視聴したところ好々爺然として、意外に印象が希薄。でもちゃんと聴いてみようということで、第1部を新旧の比較としました。印象は変化なしでした。
エガー~エンシェントは、今年オランダで聴いた《マタイ受難曲》の迫力がまざまざとよみがえる、渾身の演奏。来月の特選盤候補として残しておきます。このドラマ志向の演奏で裁判場面を聴き、十字架場面は、省察的なクイケンにバトンタッチ。締めは、豊かでバランスの取れた、レイトン~ポリフォニーの演奏(ハイペリオン)を選びました。
これもいいですよ。エヴァンゲリストはボストリッジなのですが、癖のある発音でときおり格調の崩れるのが残念。これは、エガー盤のギルクリストを取りたいと思います。
というわけで、充実の2時間でした。リレー演奏は音楽の聴き方として邪道、という考えもあることでしょう。CDだからこそありうる情報提供の形であるわけですが、乗り換えの違和感は、意外なほどなかったです。それぞれの演奏が、異なった角度からであれ、作品にしっかり向かっていたからだと思います。
選りすぐり、おいしいとこ取りで、5種類。レファレンスに使っていたガーディナー2003は外し、往年の演奏も外すことにして、新しい演奏の紹介を含めながら選抜することにしました。ところが、案外むずかしい。ああでもないこうでもないと、時間がかかってしまいました。
最終的な形はこうなりました。第1部はNo.1-9:ブリュッヘン1992、No.10-14:ブリュッヘン2010。第2部はNo.15-26:エガー2013、No.27-32:クイケン1987、No.33-40:レイトン(2010年代、詳細不明)。ブリュッヘン2010、エガー、レイトンは、最近購入したばかりのものです。
ブリュッヘンの旧盤は古楽のアプローチにより細部に分け入った名演奏ですが、新盤を視聴したところ好々爺然として、意外に印象が希薄。でもちゃんと聴いてみようということで、第1部を新旧の比較としました。印象は変化なしでした。
エガー~エンシェントは、今年オランダで聴いた《マタイ受難曲》の迫力がまざまざとよみがえる、渾身の演奏。来月の特選盤候補として残しておきます。このドラマ志向の演奏で裁判場面を聴き、十字架場面は、省察的なクイケンにバトンタッチ。締めは、豊かでバランスの取れた、レイトン~ポリフォニーの演奏(ハイペリオン)を選びました。
これもいいですよ。エヴァンゲリストはボストリッジなのですが、癖のある発音でときおり格調の崩れるのが残念。これは、エガー盤のギルクリストを取りたいと思います。
というわけで、充実の2時間でした。リレー演奏は音楽の聴き方として邪道、という考えもあることでしょう。CDだからこそありうる情報提供の形であるわけですが、乗り換えの違和感は、意外なほどなかったです。それぞれの演奏が、異なった角度からであれ、作品にしっかり向かっていたからだと思います。
コメント
_ taisei ― 2014年09月19日 11時31分08秒
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
―今、11月の大フィル定期:マタイに向かって勉強中。