《マタイ受難曲》、感動の富山初演(4)2015年02月27日 23時31分51秒

字幕の操作ミスというのは、ここはむずかしい、というところでは案外起こりません。よし、乗り切ったぞと心中ガッツポーズをしたりするとき、何でもないところでタイミングを外してしまったりするのです。大いなる意気込みで始めた操作ですが、後半になると疲れが出て、少し、ミスが増えてきました。立ち往生したのは第52曲、アルトのアリア〈この頬の涙が〉のところでした。

字幕ソフトは、ヴィンシャーマン指揮、大阪フィルで使われたものです。この公演では、上記の長大なアリアのダ・カーポが前奏のみでカットされたようで、反復に備えて用意された訳詞は、早送りで飛ばされる仕組みになっていました。しかし富山の演奏は、全曲カットなしです。したがってこの部分を復元しなくてはならず、iPadの持ち主である縄文さんに作業をお願いして、無事復元することができました。

ところが、実演でこの部分に来たとき、起こるはずのない早送りが起こったように思え、胸騒ぎがしました。映写中に確認するわけにいきませんから、私の取り得る選択肢は、2つ。1つは、早送りが起こったとみなして字幕の進行を中止し、次の曲まで待つというもの。この場合、早送りが起こっていないと、次の聖書場面に、アリアの残り歌詞が出てしまいます。

もうひとつは、早送りが起こったのは錯覚であるとして、予定通りアリア歌詞を先に進める、というもの。この場合、早送りが本当に起こっていたとすると、アリア内で次の聖書歌詞が出てしまいます。

さあ、どちらを取るかを決めなくてはなりません。私は、何らかの事情で早送りが起こったという方に賭け、字幕送りをストップしました。

次の曲に入り、祈るような気持ちで字幕を送ります。するとぴたり、聖書の歌詞が出ました。ああよかった、ということですが、それは、持っているツキをここで使った、ということでもあります。

演奏は進み、〈ああ、ゴルゴタ〉に続く、第60曲のアルト・アリア〈ご覧なさい〉へ。物語の転換点に座る、この上なく重要なアリアです。アルトと合唱のすばやい対話が入ってきますから、油断できません。

私も、最大の集中力をもって対処。対話を経て、〈生きなさい、死になさい、ここに憩いなさいLebet,, sterbet, ruhet hier〉の、すばらしいくだりに来ました。このテキストは2回繰り返され、〈見捨てられた雛たちよ Ihr verlassnen Küchlein ihrの句で締めくくられます。短い句ですがメッセージの核心部で、名アリアの感動が、ここに集約されている。私はここを絶対決めてやろうと、力強くタップしました。

そうしたら、ああ、勢い余って、ファイルが2枚送られてしまったのです。すなわち、肝心の部分が飛んだということです(汗)。痛恨の失敗で、いい歌を歌われていたアルトの福永圭子さんに申し訳なく、公演後、最敬礼でお詫びをしました。

というわけで功罪両面あった字幕作業でしたが、ヘトヘトの中にも喜びのある時間ではありました。(続く)