2月のイベント2015年02月02日 08時33分51秒

きっちり4週間の、2月に入りました。週で割り切れる暦を見ると、月が30日だったり31日だったりする暦の味わいが、よくわかります。私の年齢的な居所は、29日ぐらいにあたるでしょうか。

偶数月の日曜日に設定されている「すざかバッハの会」が、新しいめぐりに入ります。2年間かけて、ワーグナーをやることにしました。最近積み重ねてきた材料で、新たに構築します。

その第1回「ワーグナー入門」は8日の14:00~16:30なのですが、会場がいつものシルキーホール(須坂駅前)から、須坂メセナホール(小)に代わります。

だったら何か音を出したい、ということで、久元祐子さんにお願いし、ピアノでプレゼンテーションしていただきながら、ワーグナーへの思いを語り合う、という形にしました。和声の大家ならではのすばらしい響きや、ライトモチーフ活用の面白さを、一流ピアニストの指をお借りして実感しようという企画です。ぜひ遠くからもお出でください。お問い合わせは大峡喜久代さん(k.heikinri2@stvnet.home.ne.jp)まで。

7日(土)14:00から所沢ミューズで、コンスタンチン・リフシッツのバッハ《平均律第1巻》コンサートがあります。ここで「アフタートーク」をやることになりました。最近まま見られるこの形態、初めてなので、どうすべきか思案中です。

リフシッツは11日(水)にいずみホール(大阪)で、モーツァルト・シリーズ「輝ける主役」を弾き振りします。ピアノ協奏曲第15番変ロ長調と第23番イ長調、そしてハフナー交響曲。オケは日本センチュリー交響楽団、14:00からです。大きなコンセプトによる演奏を期待しています。

水曜日の朝日カルチャーセンター新宿校は、4日と18日。午前中のワーグナー講座は《トリスタン》の第3幕、午後のバッハ「リレー演奏」講座はフルート・ソナタ(4日)とブランデンブルク協奏曲第2番・第3番(18日)です。ブランデンブルクは1月の予定でしたが私が間違えてしまい(汗)、今月、出直しです。

立川「楽しいクラシックの会」は15日(日)で、時間が9:30~11:30に変更されています。いよいよ、《パルジファル》の第3幕です。

朝日カルチャーセンター横浜校のモーツァルト講座は、28日(土)13:00~15:00。今月のテーマは「プフベルク書簡」の考察です。

あとは各地への視察を、いくつかアレンジしたいと思っています。

《ヨハネ受難曲》の冒頭テキストについて2015年02月04日 07時03分28秒

《ヨハネ受難曲》の研究をしていますが、せっかくカテゴリがありますので、気のついたことを少しずつ書いていこうかという気になりました。とりあえず、冒頭合唱曲のそのまた冒頭のことを。

冒頭合唱曲はご承知の通り、受難曲史上前例を見ない、壮大な楽曲です。テキストの作者は不明でこれについても考察したいのですが、とりあえず確実なのは、主部のアイデアが詩篇の第8篇から採られていること。主の栄光が世界を支配するさまがここで打ち出され、中間部に入ってから、受難の概念と結びつけられます。主部の2行を考察してみましょう。

  Herr, unser Herrscher, dessen Ruhm
  In allen Landen herrlich ist!

仮に、次のように訳すとします。

  主よ、私たちを統べるお方、その誉れ
  全地に威のある方よ!

ルター訳の詩篇冒頭は、次のようになっています。

  HERR, unser Herrscher, wie herrlich ist dein Name in allen Landen, du, den man lobt im Himmel!

最後の6語を省いて対応させると、次のように訳せます。

  主よ、私たちを統べるお方、なんと威のあることでしょう、御名が全地に。

こちらでは呼びかけの次に感嘆文があり、"herr"のたたみ掛けがいっそう鮮明です。バッハのテキストでは感嘆文が関係文として呼びかけに従属するように改められ、その主語が、「御名」から「誉れ」に変わっています。両者は重なり合う概念ですが、「栄光」のニュアンスにいっそう近づいていると言えるでしょう。「エ」母音の連続する詩篇に対してテキストでは「ウ」母音の導入がきわめて効果的であり、音楽でもその効果が生かされています。

ふと思い立ち、七十人訳(新約聖書の前提となった、旧約聖書のギリシャ語訳)を調べてみました。えっと思うものでした。カタカナで失礼しますが、冒頭が「キューリエ ホ・キューリオス ヘーモーン」となっているのです。

ドイツ語のHerrとunser Herrscherは同格の言い換え、従ってどちらも呼びかけと考えていたのですが、ギリシャ語(呼格が確立している)を見ると、「主よ」という呼びかけの次に「私たちの主」という主格が置かれています。となると、「私たちの主である主よ」と訳すべきだということになるでしょう。

そこでバッハの作曲を見ますと、"Herr"はつねに呼びかけとして作曲されていますが、"unser Herrscher"の方は長い音型で作曲されている。それはヴァイオリンの音型と対応するもので、後に「栄光」の表現と重なり合う、circulatioのフィグーラです。だとすると、バッハは"unser Herrscher"を”Herr”の説明と考えていることになり、その訳としては、「私たちの支配者であられる主よ」という方がよさそうです。もちろん、「主よ」という語を冒頭に置く方が曲を生かす、という考えも有力ですが。

どうも、巨大な森に入りこんでしまったようです(汗)。

誰が詩を書いたか2015年02月06日 10時56分55秒

《ヨハネ受難曲》冒頭合唱曲、3行目以下のテキストは、「あなたの受難を通して示してください、 あなた、まことの神の子が いかなる時にも 低さの極みにおいてさえ 栄光を与えられたことを」というものです。これは、ダ・カーポ形式における中間部のテキストとして扱われています。

主部のテキストには見えなかった「受難」とのかかわりがここで明らかにされ、主=神の子という、キリストへの信仰告白が入ってきます。導きによって明らかに示されるべきことは、「低さの極みにおける栄光」というヨハネ的メッセージです。じつに立派なテキストだと、私は思います。

この自由詩は、誰が書いたのでしょうか。古くからあるのは、バッハ自身ではないか、という説です。《ヨハネ受難曲》の自由詩があちこちからアイデアを採って手直ししたものであり、一貫性のある台本とは思えないという立場から、批判も含めて、バッハの手製ではないかと考えられてきました。

近年の研究者は、この説に否定的です。バッハ自身の作詞は他に知られていないし、バッハがつねにいろいろなテキストを探していたことがわかっているからです。誰か隠れた詩人がいると、多くの研究者が考えています。

しかし、ご紹介したテキストから前代未聞の大曲がテキストに密着しつつ生み出されたことを考えますと、バッハが誰かからできあがったテキストを渡され、さあどんな音楽をつけようか、と頭を悩ませたという光景は浮かんできません。ライプツィヒで初めて発表する受難曲にバッハは強い意気込みで臨み、どのような曲にするか、あれこれ考えたことでしょう。

ですから、書き下ろした詩人が別にいるとしても、バッハとの密接な共同作業が先行していたことは間違いないと思います。テキストは冒頭2行で神の世界支配を語り、3行目以下で受難に言及しているわけですが、バッハは主部においてすでに受難の音調を響かせ、中間部のフーガ音型を主部でちらりと見せることによって、両者の関連を明確にしています。ここに、詩人と作曲家の一定の距離を見るか、あるいはそれもバッハの構想の一部と見るべきかは、迷うところです。

最近の研究(マインラート・ヴァルターなど)は、コラール・カンタータの歌詞作者として浮上しているアンドレーアス・シュテューベル(トーマス学校の副校長を務めていた神学者)を、共同作業の候補者と想定するようになってきています。いずれにせよ、バッハの関与は踏み込んだものであったに違いないと、私は思います。

「アフター・トーク」初体験2015年02月07日 22時47分23秒

コンスタンティン・リフシッツによるバッハ《平均律第1巻》全曲という重量級のコンサートに、「アフター・トーク」を頼まれました。初体験です。

しかし、どうしゃべったらいいのか、イメージがつかめません。コンサートが終わった後というのは、皆さんがそれぞれの感慨を胸に、帰宅を急がれる時間。そこに出ていって何をしゃべっても、「蛇足」になってしまいそう。しかも何をしゃべるべきか、事前に想定ができません。

そこで簡単なメモを作るのみで、所沢ミューズに到着。そうしたら、私がやるのは「アフター・パフォーマンス・トーク」と案内されているのですね。一瞬、何かパフォーマンスをやらなくてはいけないのか、と驚いてしまいました。あ、アフターっていうのは前置詞ね(ほっ)。

リフシッツの演奏は、すごかったです。各曲をアタッカで途切れることなく演奏していくのですが、各曲の思い切った対比の中に一貫した流れが把握されていて、体系性をもった音楽世界が目の前に構築されていくかのよう。1曲ずつ休み休み積み重ねていく普通の演奏は、もう聴けなくなってしまいそうです。リフシッツの、傑出した大局観です。

そんなあとに話でオチをつけることなどできるはずもなく、60点いただければせいぜいの、まとまりのない話になってしまいました。すみません。次は、もっときちんと準備して臨みたいと思います。

それにしても、大阪でモーツァルトのコンチェルトを2曲弾き振りし、次の土・日でインヴェンション+《音楽の捧げもの》と《平均律第2巻》の全曲とは、この方のキャパシティはどうなっているんでしょう。全部、完璧に頭に入っているのです。

オーディオも老化します2015年02月10日 08時59分49秒

アンプとスピーカーが入院したというお話をしました。AVアンプとボーズのサラウンドでその間つないでいたのですが、CD選の締め切りが迫ってきたちょうどいいタイミングで、アンプとスピーカーが退院してきました。

コントロール・アンプ、パワー・アンプとも、オーバーホールといくつかの部品交換。スピーカーはツィーターが断線していたということで(高音が出ないわけだ!)、新型に交換。見違えるような響きになり、CDを聴く喜びが、がぜん蘇ってきました。

一連の作業は、オーディオユニオンお茶の水ハイエンド中古館 http://www.audiounion.jp/shop/hi-endused.html にお願いしました。大日向さんという方が対応してくださいましたが、良心的かつ迅速な対応で、状況報告も詳細にしてくださり、とてもありがたかったです。

レベルを落とさずに新規購入となると、百万単位のお金がかかったと思います。しかし、とっくに生産停止のロジャースPM510の良さを生かすように工夫して対応してくださったおかげで、16万ほどの費用で、みごとに蘇りました。オーディオが劣化するのは被造物の宿命。メンテナンスが欠かせないと痛感しました。かかりつけ医をもつのが吉です。大日向さんのアドレスをご紹介しておきます。hi-endused@audiounion.jp

リフシッツ、巨匠の指揮2015年02月13日 07時37分09秒

11日(水)、日帰りで大阪へ。いずみホール・モーツァルト・シリーズ今年の最終回、リフシッツのコンチェルト弾き振り(第15番変ロ長調、第23番イ長調およびハフナー交響曲)を聴くためでした。シリーズ期待のコンサートのひとつです。

ピアノが中心、というイメージを抱いて出かけましたが、結果は違いました。リフシッツが指揮に本格的に取り組んでいたため日本センチュリー交響楽団の演奏がひじょうに立派で、2つのコンチェルトは、ピアノ付き交響曲(!)を聴くよう。ハフナー交響曲も、斬新かつスリル満点の演奏になりました。

聞くところによると、リフシッツはリハーサルにあたって自分がどんな音楽をやりたいかをはっきり述べ、その実現を目指して、細かい練習を行ったそうです。それにオーケストラが共感して、こうした演奏ができあがったとか。う~ん、納得です。

ただその反動も少し。ピアノ・パートの存在感が総じて薄らいだことと、男性的なアプローチの反面、技巧的なパッセージが技巧的に聞こえてしまうことはどうなのかと感じました。しかし第23番の第2楽章、第3楽章に至って、本格的なコラボが実現。アンコールで弾かれた長大なハ短調ファンタジー(名曲なのに今年のプログラムに含められなかったもの)では、独奏への豊かな集中が見られました。

指揮者的な傾向のピアノだとは思っていましたが、指揮者として活躍したら面白そう。頼んでみたいです。

今月の「古楽の楽しみ」~ヘンデル2015年02月14日 10時43分36秒

Tenor1966さんのご催促で、放送にぎりぎり間に合いました。感謝。

ヘンデル器楽曲の傑作である op.6のコンチェルト・グロッソが、今月の主役です。全12曲、いずれ劣らぬ名曲ですが、そればかりというのは避けて、イタリアン・カンタータを間にはさむ形で構成しました。したがって、放送に出るのは8曲です。演奏は全部変えようと思い、クォリティ、適性、新鮮度、演奏時間(放送ですからこれが重要)の4つの観点から、集めたCDを振り分けました。

16日(月)は、第1番ト長調(ピノック~イングリッシュ・コンサート)と第3番ホ短調(ゲステール~アルテ・デイ・スオナトーリ←ポロネーズ楽章があるのでポーランドの楽団を選択)の間に、二重唱カンタータ《恋のいさかい》(アージェンタ/チャンス/フライブルク・バロック・オーケストラ)をはさみます。

17日(火)は、第5番ニ長調(アーノンクール~WCM)と第6番ト短調(ヘンゲルブロック~フライブルク)の間に、カンタータ《捨てられたアルミーダ》(メイ、イル・ジャルディーノ・アルモニコ)をはさみます。

18日(水)は、第7番変ロ長調(コンバッティメント・コンソート・アムステルダム)の次に、カンタータ《胸が騒ぐ》(ヤーコプス/レオンハルト)。第8番ハ短調(マンゼ~エンシェント)の次に、カンタータ《クローリ》(トルー/コントラスト・アルモニコ)。《胸が騒ぐ》は私が若い頃に書いた解説でまだ出回っているようですが、その後の研究でイタリア時代ではなく、ロンドンに来てから作曲されたことがわかっています。修正するすべがなく、申し訳ありません。

19日(木)は、第10番ニ短調(クリスティ~レ・ザール・フロリサン←曲がフランス様式ですので)の次に、宗教的カンタータ《ああ、あまりに不釣り合いな》(フォン・オッター/ムジカ・アンティクヮ・ケルン)。第12番ロ短調(ホグウッド~ヘンデル&ハイドン・ソサエティ)の次に、カンタータ《曙は東に輝き》(コヴァルスキー/ベルリン古楽アカデミー)。長調と短調1曲ずつで進めてきましたが、この日だけ、短調2曲になりました。第11番イ長調もいい曲ですが、第10番、第12番を落とすにしのびなく。

イタリアン・カンタータにも、美しい曲がたくさんありますね。それらの若々しい輝きに比較すると、コンチェルトのイギリス的風格が際立ちます。広々した気持ちになれる1週間を目指しました。落としてしまった4曲(2、4,9、11)、ごめんなさい!

須坂の新年度2015年02月16日 11時35分04秒

「すざかバッハの会」の新年度が、この8日から始まりました。「バッハの会」ですからバッハを中心に、モーツァルトを織り交ぜる程度で12年続けてきましたが、今回は思い切って、ワーグナーにシフトしました。題して「魅惑の世界への誘い」です。

その第1回「ワーグナー入門」、会場にメセナホールが取れたため音を出したいということになり、急遽久元祐子さんに、和声とライトモチーフのプレゼンテーションをお願いしました。ピアノで弾くとオーケストレーションの多彩な効果はなくなりますが、その分、和声のすばらしさがよくわかります。一流ピアニストでワーグナーの大好きな方がよく準備して演奏してくださるという条件に恵まれ、独創的な和声にゆさぶられました。久元さん、いつもながらありがとうございました。

終了後のフロアからのご質問で、核心に触れるものがありました。ワーグナーはたいへん周囲に迷惑をかける人だったと聞いている、先生はそんなワーグナーの人間性についてどう思うか、というご質問です。

これは重要なご質問で、多くの方の関心をそそるものでした。伝記を読み、「うわーこんな人はいやだ」と言ってワーグナーを嫌いになった人も、身近にいます。談話室に来てくださるバッハファンの方々の中にも、私がなぜそこまでワーグナーに傾倒するのか理解できない、と思う方が多いのではないかと想像しています。その場で私がお答えしたこと、また事後考えたことは、次回の更新で書きたいと思います。

年に1度か2度温泉に立ち寄りますが、今回は昨夏に続き、少年時代を過ごした上山田温泉に1泊しました。「圓山荘」という宿を選んだのは、そこの息子さんが小学校の同級生であったことを覚えていたから。あいにくオーナーは交代し、対面は実現しませんでしたが、翌朝、好天の上田を散歩できたのがいい思い出になりました。

上田は長野県第3の都市で、私の姉が高校を卒業したところ。いま、眞田一直線で観光に邁進しています。写真は上田城址、子供の頃訪れた記憶がありません。


眞田神社。同行したまさお君のシルエットが入ってしまっています(汗)。


上田盆地の向こうに、美ヶ原方面の山容。徳川の大軍をここで迎え撃ったというのが信じられないほど、静かなところです。



芸術家の人格2015年02月19日 23時16分04秒

芸術は接する人に夢や感動を与えますから、人はつい、芸術家を理想的な人物、時には神に近いもののように考えてしまいます。私生活がそれとかけ離れていたりすると、裏切られたように感じる。でも、それは違います。

神様は、芸術を必要としません。芸術は、問題を抱え、渇きを覚えた足らざる人間が、高みをめざして生み出すものなのです。この「高みをめざす」というところが重要です。身の丈に安住しているのでは、創造はおぼつきません。

その原動力を、芸術家は、内面を見つめるまなざしから生み出します。問題意識に富む芸術は、深い内省から生み出される。自分を省みず他人をあげつらう姿勢から生まれるものは、少なくとも芸術ではないでしょう。

ワーグナーは、強い自省の一面をもっていました。そう思われにくいかもしれませんが、私はそう確信しています。彼の作品の主人公たちが苦悩の人、罪の人であり、救済を求めていることが、そのことを示唆しています。彼らはみな、ワーグナーの分身なのです。

ワーグナーが自己中心的であったのは、間違いないことでしょう。しかし大きな仕事をする人が自己中心的であることは、許容されるべきだと思います。まさにその成果が、作品群であるからです。ワーグナーが遠慮深く人に道を譲る人であったなら、われわれにバイロイト祝祭劇場が遺されることはなかったでしょうし、作品の初演さえ、おぼつかなかったかもしれません。

ワーグナーは、たくさんの敵を生み出しました。しかし、みんなに嫌われていたというのは言い過ぎで、味方もたくさんいたのです。彼が女性関係に乱脈のきらいがあったことは否定できませんが、それは、彼の周囲に、心酔する熱烈な女性たちが、とぎれずに存在したことを物語っています。

ワーグナーがもし周辺にいたら、自分が許容できるかどうか、自信がありません。しかし上記のように考えるものですから、伝記に基づいて芸術家を裁くことは、したくないと思っています。

《マタイ受難曲》、感動の富山初演2015年02月23日 11時47分12秒

2月22日(日)、富山オーバードホールで、「バッハアンサンブル富山」の設立10周年記念演奏会が開かれ、《マタイ受難曲》が、じつにすばらしい盛り上がりをもって演奏されました。舞台袖で藤崎美苗さん(ソプラノ)が涙し、櫻田亮さん(テノール、アリア担当)は打ち上げに「こんなすばらしい合唱団が富山にあるとは知らず、驚いた」というメッセージを寄せられたことを引用して、私の感嘆がリップサービスではないことの裏付けとさせていただきます。

今月の案内にこれを書かなかったことを後悔しています。その補いを含めて、少し詳しくご報告しましょう。