やむを得ない質問2016年01月14日 22時15分34秒

年賀状シーズンが、やっと終わりましたね。

私は数年前に勝手ながら年賀状を卒業する気になり、以後、返信しか出しておりません。ですから数は減ってきていますが、それでもくださる方が、目上を含めてたくさんいらっしゃいます(汗)。もちろん、嬉しいもの、なつかしいもの、恐縮するもの等、良きものがいろいろ含まれています。くださった方、ありがとうございます。

でも、年に一度の挨拶習慣が、すっかり空洞化してしまったように思えるのは、私だけでしょうか。なぜでしょうね。季節感と不即不離に形成されていた生活の起伏が、喪失されたからに違いありません。ネットを使っている人ほど、郵便の習慣から離れ、年賀状からも離れやすいのではないでしょうか。

このように流されてしまっている私ですが、こうした合理化がいいことずくめだと思っているわけではありません。日本の文化はなにより鋭敏な季節感を特色としているので、守っていきたいという気持ちはあります。伝統芸能の活力を保つためにも、それは必要なことだと思う。「・・・しているのは先進国では日本だけだ」などというよくある論調の対象に、お正月がなってほしくありません。

結局300通ちょっとの返信を出すことになりました。しかしその中には、相手がわからぬまま出している、というケースが少なからずあります。とくに多いのが、連名で賀状をいただくが、自分の知人が旦那様か奥様かわからない、というケース。年々、増えつつあります(汗)。ツーショットの写真があっても同様なので、万一心当たりのある方がおられましたら、お名前に丸印をつけていただくとありがたいです。

最近あったこと。おいしそうなプレゼントが届きました。状況からすれば、送ってくださった方(男性)とは、大きな接点があったはずです。でもどうしても、そのお名前の方を思い出せないのですね。食べるに食べられませんので、失礼を重々承知で、あなたはどなたでしょうかと電話を差し上げてみました(汗)。すると高齢の方が電話を取られ、話が一進一退となって、確かめることができずに終わりました(大汗)。

これをお読みの方にも、あなたどなたでしたっけ、と質問してしまうかもしれません。でも、わからないままでいるよりお互いにいいと思うので、本当に失礼ではありますが、お尋ねしようと思います。

ヴォルフ著『モーツァルト 最後の4年』日本語版のWEBサイトはこちらです。  http://composed.webcrow.jp/