忍び寄るもの2016年01月11日 23時55分17秒

今日、成人の日は、新宿で用足しがありました。そこへ、知人からモーツァルト本を10冊仲介してくださるという話が入り、昼食を兼ねてお渡しすることに。本すべてにサインして袋に入れ、玄関に置きました。「用足し」の方は荷物がいりませんから、袋の重さは苦にならない、と見当を付けました。

国立からJRに乗り、国分寺で特快に乗り換えます。すると、席を譲られたのですね。見ると、相当いいトシのオジサンで、この人に席を譲られる理由がわからない。私の方から譲ってもおかしくないと思われる方なのです。

固辞しましたが、「私より上でしょうから」と強くおっしゃるので、ご厚意をいただき、座らせていただきました。でもそのモチベーションに、疑問があります。しばらく前にある方から、「先生はまだ譲られないでしょう?」と言われていたからです。「まだ」という副詞がひっかかりましたが、「もちろん」と答えていました。それが譲られたという現実を、どう考えるべきか・・。

座らなくても良かったのは、今日が身軽だったからです。でも座ってまもなく、身軽で良かったのかな、と気が回りました。身軽な理由が判明。本10冊を入れた袋を、玄関に置いたまま来てしまったのです。あわてて連絡を取り、三鷹でUターン。なんとか遅刻20分で、くだんの方とお会いできました。

私のうっかりは、皆様ご存じの通り。でも今日のうっかりはかなり重いのではないかと、瞑目しました。忍び寄るものがあるのではないかと指摘されれば、反論できません。

そんな私がライプツィヒのバッハ祭をご案内するというのでは心許ないですが、例年になく豪華な今年の旅行のWEB案内ができましたので、どうぞご覧ください。

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