即興の不思議2016年02月02日 08時13分54秒

(承前)コンサートでトークをするさいには必ずゲネプロを通体験するようにしています。それによって、コンサートの一部になれる。しかしこの日(1月30日)は、メールでやりとりしただけのぶっつけになりました。それでも成立するのは、出演者が親友の加藤昌則さんだから。当日のテーマは「即興」でした。

まず、バッハの即興演奏を書き留めたとされている〈3声リチェルカーレ〉(《音楽の捧げもの》)を、加藤さんがピアノ演奏。さっそくインタビューしましたが、作曲家には、どんなところに即興の痕跡があるかがわかるようです。

続いて、加藤さんの即興演奏。ドレミファソラシドからの3つの音をお客様が指定し、明るい曲か暗い曲かを選択するのが加藤流です。客席から出たテーマは、「ソレラ」。明るい曲、ということで演奏が始まりました。

与えられた条件のもと、技巧的で完成度の高い曲がたちどころにできあがる加藤さんの即興に、何度か立ち会ってきました。卓越した和声理解に基づくロマン派的なピアノ曲になるだろう、というのが、私の予測。ところがこの日弾き出されたのは、バッハ的なポリフォニーでした。こっちの方がよほどむずかしいと思うので、あらためて彼の能力に驚嘆。暗い曲も作ってみましょう、ということで、こちらはロマン派風に。「ソレラ」から暗い曲というのは、私は思いつきません。すごいですね。

次に、即興をめぐる対談。どこまで最初にイメージを固め、どこまでリアルタイムの作業になるのかを中心に、企業秘密(?)を伺いました。われわれが言葉でする作業を音楽家は音でする、と考えると、当たらずとも遠からずのようです。

最後に、加藤さんイチオシのサックス奏者、住谷美帆さんが登場。加藤さんのオリジナル作品--哀愁漂う《蘇州揺籃曲》と華麗な《スロヴァキアン・ラプソディ》--を盛り上げました。藝大2年生だそうですが大物のカリスマ性十分で、まこと、堂々たる演奏でした。


先立つ27日(水)には、大学の仕事を卒業された小林一男さんが、久元祐子さんのピアノで、テノールの美声を披露されました。小さな場で申し訳ないと思いつつお願いしましたが、入念に準備してくださり、気迫が曲ごとに高まる、すばらしいステージ。朝日カルチャーセンター新宿校のレクチャーコンサートも、よき場として大事にしていきたいと思います。

今月はヘンデル三昧で2016年02月04日 22時50分09秒

今月の「古楽の楽しみ」、再放送よりは新しい企画をということで、オール・ヘンデルを作りました。 op.3のコンチェルト・グロッソを聴き進めながらいろいろな作品を混ぜていく、という趣向です。当初器楽曲のみと考えていましたが、結局、声楽曲もいくつか入りました。にぎやかな朝になります。

2月8日(月)は、 op.3-1変ロ長調から出発します。ターフェルムジークの活発な演奏で。次がユトレヒト・テデウム。イギリスにおけるヘンデルの地歩を固めた作品です。これはプレストン~エンシェントを使いました。最後はオルガン・コンチェルト op.4-4です。来日中のギエルミの演奏です。

9日(火)は、 op.3-2変ロ長調から。演奏はモルテンセン~EUバロック・オーケストラの新録音です。次に、《ユトレヒト・テデウム》の姉妹作、《ユトレヒト・ユビラーテ》。演奏は同じくプレストンにしました。次に op.3-3ト長調を、ホグウッド~ヘンデル&ハイドン・ソサエティで。最後を、アランのオルガンとフライブルク・バロック・オーケストラの演奏するオルガン協奏曲 op.4-2で締めました。

10日(水)は、 まずヘ長調op.3-4をピノックで。ピノックの演奏は、やはり一番安心して聴けますね。生き生きして、品格があります。次に、ピノック編の《パッサカリア、ジーグとメヌエット》。これはトリオ・ソナタからの編曲なのですが、とてもいい曲です。彼の《王宮の花火の音楽》のCDに入っています。

次に同じくピノックで、協奏曲ヘ長調HWV331(演奏は間に op.3-5のアダージョを挿入)。「古楽の楽しみ」のテーマソングは《水上の音楽》と認識されていると思いますが、じつはこのHWV331、パロディ作品なのです。次にニ短調 op.3-5を若き日のアーノンクールで聴き(ちょっと作りすぎのような)、《戴冠式アンセム》の〈あなたの御手が強められ〉で結びます。演奏はモルテンセン。

11日(木)は、残るニ長調 op.3-6を、ミンコフスキの元気のいい演奏で。オーボエ協奏曲ト短調(ピノック)、協奏曲《アレクサンダーの饗宴》(ベルリン古楽アカデミー)、ハープ協奏曲(ローレンス=キング)と進み、締めは〈シバの女王の登場〉(ピノック)にしました。この日のみ、オール器楽となりました。

ヘンデルの音楽は、とにかくにぎやか。スピーカーから飛び出そうなそのエネルギーを浴びて、元気を出していただければと思います。

軽やかな一日2016年02月06日 08時00分41秒

寒かった3日(水)は、朝日カルチャーを終えた後、水戸芸術館へ。遠方の往復は辛いなあとも思うのですが、私の根っこに、久しぶりの町を歩きたいという気持ちと、何かおいしいものを食べたいという気持ちがあります。

でもそううまくはいきません。ぎりぎりの到着となり、ラーメンを5分で食べて(待ち時間10分)、19時ぴったり走り込むことに。コンサートはロレンツォ・ギエルミ氏のオルガン・リサイタルで、私が解説を書きました。

ここのオルガンはエントランスホールにしつらえられており、客席からはオルガニストの演奏ぶりを、至近距離から見ることができます。響きもいいですが、細部まで手に取るように聞こえるので、オルガニストはたいへんかもしれません。

ギエルミ氏は絶好調。卓越したテクニックが冴え渡りました。明るくノリがよく、軽妙でさえあるオルガンです。ヴィヴァルディ=バッハのコンチェルトなど、彼の独壇場。会場もぎっしり埋まっており、私に声をかけてくださる方もおられました。

行き帰りに、駅で買った小川洋子さんの『ことり』という小説を読みました。小鳥を愛する兄弟の話が、淡々と綴られている本。え、これで1冊いくのかなといぶかしみながら読み始めましたが、まもなく呪縛され、視界がにじんで読めなくなることもしばしば。初めて読むタイプの小説で、心が清められました。

2月のイベント2016年02月09日 08時35分47秒

今頃のご案内ですみません。今月の私のスケジュールは視察が多く、東京を離れることもしばしばです。7日の日曜日は郡山に行き、「第1回オーケストラ・フェスティバル」なるイベントに出席しました(サントリー芸術財団・復興祈念賞のからみ)。小学校のオーケストラが6つ登場し、うち2つにコントラバスが5本並んでいたのに驚嘆。弦楽器育成の本気度を実感しました。

このところ不定期開催になっている朝日横浜校のモーツァルト講座、今月は13日(土)です。フリーメーソン・カンタータK.623をやってから《レクイエム》に入りますが、少し時間をかけて取り組むつもりです。

朝日新宿の方は隔週ですので、3日にすでに開催。17日(水)は、午前中のワーグナー講座が《パルジファル》の第2幕その1。バッハのリレー演奏講座が《3つのチェンバロのための協奏曲》です。もちろん、もろもろの復元を含めて扱います。

20日(土)は立川楽しいクラシックの会(たのくら)で、こちらは珍しく定時開催。「オペラの歴史」、グルックを終えましたのでモーツァルトに入ります。あれこれやっていると何年もかかってしまうので、《魔笛》一作に絞り、その代わりゆっくりやることにしました。

月末に、コンサートが2つ。いずみホールのモーツァルト・シリーズは、27日(土)に《レクイエム》で終了になります。前座は《小ト短調》交響曲。オーケストラはバーメルト指揮の大フィル、ウィーン楽友協会合唱団が来演するため、ソリストもそれにふさわしい布陣としました。詳細はこちらをご覧ください。http://www.izumihall.jp/schedule/concert.html?cid=942

28日(日)は、すざかバッハの会。例年12月にやっているコンサートが、今年度は2月開催になりました。11月に立川で好評だった「若さはつらつ!オペラの愉しみ」をベースにした企画ですが、後半の《タンホイザー》ハイライトにエリーザベトの〈殿堂のアリア〉が入り、いっそう充実しました。前半はヘンデルとモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》の抜粋。出演は山口清子(ソプラノ)、近藤圭(バリトン)、久元祐子(ピアノ)の3人です。

今年は閏年なんですね。1日あると違います。

旧暦年頭所感2016年02月12日 07時04分26秒

例年お正月には今年どうするぞっ、という心構えのようなものを書くのですが、今年は書きませんでした。

ただ、いただいた方にのみ差し上げた年賀状に、今年はワーグナーの年になりそうだ、と記しました。ワーグナーの、私的入門書を執筆するという話が持ち上がっていたからです。

ただそうすると、宿願の《ヨハネ受難曲》論がさらに先送りされそう。できれば平行してやりたい、でもその余裕はないだろうなあ、というのが、今年の問題点でした。

芸大で《ヨハネ》ゼミをやったのが、もう3年前です。その時もすでに、平行して執筆するつもりでした。しかしその後仕事が増え、ここのところはモーツァルトに注力していましたので、《ヨハネ》はずっと先送り。このままでは、人生の終わりと競争になってしまう、という危機感が芽生えていました。

ところが一連の経緯がありまして、出版の具体的な目星をつけることができ、ワーグナーを先送りすることに決めました。ですので今年は、バッハの年、《ヨハネ受難曲》の年になると訂正します。

昨日、その福音書論に1日取り組みました。やっとホームグラウンドに戻ってきたようなすがすがしさを感じています。

巨大な森の中へ2016年02月18日 08時59分22秒

生活の流れがどこか変わってしまって、「旧暦年頭所感」から6日、更新しませんでした。その間連日仕事が続き、地方に出かけたり、大事な会議に参加したりしているのですが、大きな関心事が直接の目的ともなってその上に座ったためか、時間の流れが速くなってきました。

まず行うべきは、聖書の研究です。福音書のみならず、書簡やキリスト教の成立史にも一定の理解をもちたいと思い、文献と向かい合っています。新約学は日本にもすばらしい先生が何人もおられるので、手引きには困りません。

針の穴をつつくような研究の積み重ねに感嘆しつつ読んでいくわけですが、同時に、絶対に確かなことは誰も言えない世界だ、という実感も生まれてきます。ありとあらゆる仮説が自己主張している。なんとか妥当な基本理解を導き出そうとしても、門外漢にはむずかしいですね。

仮説は、自分はこう考えたい、こう解釈できたらいいなあ、という思い入れから発生するという側面があります。それは、研究対象に対する愛の、いわば負の側面です。対象に比べれば小さなものでしかない自我が、思い入れを生み出します。

しかしそれは、絶対に必要なことでもあるのです。対象に迫っていくためには長期にわたる研鑽と、対象への没入が欠かせません。それを支えるのが、対象への愛というべきものです。普通に言えば、生き生きした関心、知ることの喜び、モチベーションでしょうか。

それは客観的な研究には有害だという意見に出会うことがありますが、最初からそれを言ってはダメです。遠くから、あるいは上から眺めているだけで事柄の真髄に肉薄することは不可能だというのが、私の見解です。

そこで大事になるのは、自分の思い入れに対する自分自身の警戒心、浮かんだアイデアを検証する自己批判力です。それこそが研究者のプロフェッショナルな能力だと思いますが、それは、対象への迫りあってこそ発揮されるものです。それを放棄しかたら客観的、というわけではないのです。

「対象にコミットしてこそ普遍が見えてくる」と私におっしゃったのは小田垣雅也先生ですが、たとえばバッハに普遍性があるとしたら、そのようなもの以外ではあり得ないと思います。

というわけで巨大な森の中に迷い込んでしまっており、時間がかかります(←コメントへのご回答)。

戦慄のキャスティング2016年02月20日 08時35分50秒

ふだん見ないのに、偶然テレビをつけていたらつい見てしまった、という番組があります。最近、2つありました。

一つは、「真田太平記」。武田勝頼に扮した俳優の演技が格調高かったので感心し、ここに書こうかと思って、ついそのままに。後から、平岳大という俳優さんで、全国的にいま大評判、ということを知りました。納得です。すてきな方ですね。

もう一つ、なんというタイトルだったか、若手女優の黒木華さんを紹介している番組を見ました。柔らかな風貌の中にしっかりした個性を秘めた黒木さんにすーっと見とれ、彼女が心に住みつきました。この番組では木野花さんというベテラン女優が「はる=はな」つながりで出演しておられ、一歩引いて若手を立てる心遣いの好ましさが、やはり心に住みつきました。ここに書こうかと思って、ついそのままに。

話は変わって。

18日(木)、新幹線で広島へ。この時期には、公演視察のお役目があります。1泊で東京を離れられるのが18日、19日のみなので、20日の午後・夜と併せて(午前は「たのくら」)、4公演を視察する苦肉のスケジュールを組みました。内訳は演劇が3つ、音楽が1つです。

この日の公演は、樋口一葉を主人公とした『書く女』という演劇(永井愛・作)。場所は廿日市市の「さくらぴあ」です。さて、出演者で知った人はいるのかな、と思ってプログラムを開いて見ると・・・
 
「樋口夏子(一葉) 黒木華」  えっ!
「半井桃水      平岳大」  ええっ!
「樋口たき(母)   木野花」  えええっ!

というキャスティングに、思わず戦慄が走ったのでした。カープファンを掲げているラーメン屋さんで腹ごしらえをしてから、かぶりつきの席で、謹んで鑑賞させていただきました。

明るい演技で舞台を支える木野花さん、脇役の鑑ですね。こういう存在の与える感銘が、じつは大きなものです。オペラでときおり目にするのは、あわよくば主役を食おうと奮闘し、結局ドラマをこわしてしまう脇役さん。もって範としてくださいね。

爛熟の美2016年02月23日 06時18分31秒

廿日市から広島に戻って宿泊。翌日(19日、金)は14:00から、西宮の阪急中ホールで、尼崎に本拠を置くピッコロ劇団の公演があります。

間に観光を入れたいなと思っていたのですが、結局福山でお城を往復するだけになりました。まずその写真を。

・・というつもりだったのですが、おとといからスマホが見あたりません。出てきたら掲載しますね(泣)。

前日は樋口一葉が主役でしたが、こちらは谷崎潤一郎。「天空の恋~谷崎と猫と三人の女」と題されています(作演出・G2)。関西の文化を愛した谷崎の人生と創作を関西の生活文化の中から描き出し、その意味を探ろうとするお芝居でした。

これが、すばらしかった。島田歌穂(松子)と桂春蝶(谷崎)のお二人が客演、他の出演者は劇団員+オーディション、とのことなのですが、皆さんたいへんお上手で、水も漏らさぬ連携。古き良き時代の大阪の典雅が、舞台上にふくいくと再現されているのです。

ユーモラスな進行、随所に小説の引用をはさむ、というのは前日の一葉と同じでしたが、引用の効果は、時代の差があるとはいえ、こちらが上。『細雪』の誕生にからめて作ってあるクライマックスでは、何度も読んだこの大好きな小説が脳裡に押し寄せてきて、帰路を幸福感で包んでくれました。演劇もいいですね。

〔付記〕意外なところから、スマホ発見。福山城です。


市街地に埋まって、すてきな教会が。


今月のCD2016年02月26日 09時31分45秒

今月は、ジョージアの若手女性ピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリの「カレイドスコープ」題する一枚です。(ソニー、2,600円+税)

メインが、ムソルグスキーの《展覧会の絵》。まず深沈とした弾き始めにびっくりしました。これ見よがしなところがまったくなく、多くの部分がじっくり省察的に演奏されていて、「地を這う悲しみ」のようなものが湧いてくるのです。すごい洞察力だな、というのが第一感。

ところが、続くラヴェルの《ラ・ヴァルス》、ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》の方は、ヴィルトゥオジティ全開なのですね。この変わり身をどうとらえるべきか戸惑い、《展覧会の絵》を都合3回聴きました。しかし一聴に値する個性的演奏という評価は変わりませんでしたので、推薦することに。注目していきたいと思います。

小菅優さんのベートーヴェン/ピアノ・ソナタ集が、今回の第6巻「極限」をもって完成しました(ソニー)。最後の3曲を含む7曲がふところ深く再現されていて、早くも大家の風格が漂っています。

会心のコンサート2016年02月28日 01時20分41秒

いつもベストのものをお届けしたいと思ってやっていますが、人間のやることですから、会心の出来、と思えるコンサートは、そうそうありません。それに今日(27日)、いずみホールで恵まれました。3年にわたるモーツァルト・シリーズの最終回。曲目は《レクイエム》(+小ト短調交響曲)でした。

長らくウィーン楽友協会との提携で行っていた「ウィーン音楽祭」を一区切りにして、3年余り経ちました。でもやっぱり《レクイエム》には、楽友協会合唱団を招きたい。その思いが楽友協会の方々の思いと出会い、今日のコンサートが実現しました。脱帽の名演奏。伝統は、やはり伊達ではありません。

やわらかいハーモニーが、客席のすみずみまで染み渡るような合唱。芸術的なオーラが立ち昇ります。日本側のソリスト(市原愛、加納悦子、鈴木准、山下浩司)が抜群の出来で、目を見張るほどのチームワークだったのですが、加納さんによると、すばらしい合唱に合わせていくことで、自然にこうした音楽ができてきた、とのこと。大阪フィルがさすがの実力を示したことに加え、指揮者のマティアス・バーメルト氏が老練な手腕で要所を引き締め、すべてが作品に向かって献身するという、私の理想とする音楽が実現できました。終了後置かれた長い沈黙が、お客様の感動を物語っていたと思います。

これだけの演奏で聴くと、〈サンクトゥス〉、〈ベネディクトゥス〉、〈アニュス・デイ〉の「ジュースマイヤー楽章」が、ずいぶん立派に思えてきます。合唱団の招聘はおいそれとはできないのですが、ホールにとってこれはどうしても欠かせない、と認識せざるを得ないコンサートでした。

美声輝き、しかもアンサンブルに献身した鈴木准さん。3月5日(土)、立川錦地域学習館に登場されます。毎年の「錦まつり」、目下進行中の「すばらしい!」シリーズの、テノール篇です。モーツァルトからブリテン、武満まで、鈴木さんの大好きな曲を集めたプログラムですので、ぜひお越しください。ピアノは久元祐子さん、私が司会、入場無料(!)です。席には余裕がありますので、お待ちしています。(14:00から。立川駅から15分見ておいてください。)


無造作な写真ですみません。左から私、楽友協会代表のトーマス・アンギャン氏、その夫人、楽友協会合唱団幹部のアードラー氏、いずみホール水畑副支配人、田辺支配人です。チームワークでやってまいります。