終わる授業、続く授業2016年01月27日 09時15分00秒

学年末になり、授業が一つ一つ、終わっていきます。

21日(木)に、國學院の最終授業。後期はバッハを取り上げていましたが、《ロ短調ミサ曲》で締めくくりました。ハイテク装備の大学で、使い方さえ心得ていれば(ちょっとハードル)、スムーズに授業を進めることができました。いつも一番前で聴講してくださっている年長の方が、須坂の出身というのにはびっくりしました。

25日(月)に、聖心女子大の最終授業。今年度は「聖母マリアの音楽史」という、この大学にぴったりと思われるテーマを選んでおり、最後はメシアンとペルト。思った以上にテーマに関心を寄せる学生が多く、毎回の質問(出席票の裏に書く)が充実していました。

来年度が最後の年になるのですが、シラバスを書く(=授業内容を確定させる)のは今です。切り札を1年早く切ってしまったので、困りました。こういう時はホームグラウンドに戻るのが上策ということで、「受難音楽の歴史」に決定。各回のテーマも決めて、ネットで公表しました。いまは多くの大学が、こういうシステムをとるようになっています。

ICUは、第3学期の担当なので、まだ進行中です。昨日(26日)は、《ロ短調ミサ曲》の〈アニュス・デイ〉と昇天祭カンタータのアルト・アリアとのパロディ関係の実際を、丹念に楽譜を見比べて調べ、そこにある意図を考える授業でした。少人数だからできることです。

その後飲み会を予定していたので、好きなお店の一つ、国分寺の「ヴァン・パッション」へ。資金補充のために混雑する武蔵境駅構内のATMで、まとまったお金を下ろしました。先にホームに上がったところ、まだ全員揃っておらず、お金を下ろしている学生がいる、という知らせが。電車が来たので、下ろさなくたっていいのにと思いつつ、一台見送りました。

すると女子学生が、手に札束をもって上がってきました。これがATMに残されていたが、先生のものではないか、というのです。あっと思って調べると、財布は空っぽ。カードを取り、現金を取り忘れていたのでした。

その学生は、下ろすかどうか迷ったのだそうです。学生が下ろさなかったとしたら、また別の人が次に入り、私が気がつかないままだったら・・・、と考えると、一騒ぎになるところでした。危ない、危ない。

かつてなく優秀な学生たちと、楽しく飲食。少人数の授業は、こうして親しくなると、とてもやりやすくなります。内の一人は今日卒論提出したばかりとリラックスしていましたが、明日が卒論提出だ、という剛の者が一人(汗)。あれだけ飲んで、どうなったでしょうね。

〔付記〕こう書くと、そういう学生を飲みに連れて行くのは先生としてどうなんだ、と言われそうですね。もう完成していてあとは印刷だけ、という自己申告により、参加を受け容れました。