今月のイベント2015年12月02日 06時25分33秒

12月1日(火)はICUの授業開始--と思っていたら来週からとわかったので、昨日は、じつに貴重な休日。仕事の遅れが少し挽回できました。8日からの冬学期授業、テーマは「ミサ楽章”Credo"の音楽史」です。今年は15:10~17:30の枠にしました。

2日(水)と16日(水)が、朝日カルチャーセンター新宿校です。10:00からのワーグナー講座は《ローエングリン》が結びに入っており、第3幕を詳しく扱います。いままで手を出しかねていたケント指揮のバーデンバーデン祝祭劇場のものが、買ってみると意外にいいことを発見。オルトルートにヴァルトラウト・マイヤーを起用したことで、見違えるような効果が出ています。1月からは、いよいよ《パルジファル》に入ります。

同日13:00からのバッハ・リレー演奏講座は、2日がオルガン曲《パッサカリア》、16日が《ブランデンブルク協奏曲第5番》です。じっくり演奏比較します。

いずみホールのモーツァルト・シリーズ、ご好評をいただいた《魔笛》(課題もあり)に続いて、「清浄のコンチェルト」です。5日(土)16:00から。いずみシンフォニエッタを、ソリストが弾き振りします。ピアノ協奏曲第27番がアンドレアス・シュタイアー(ピアノ使用)、クラリネット協奏曲がポール・メイエ。メイエは《プラハ交響曲》も指揮します。

6日(日)14:00~16:30は、すざかバッハの会のワーグナー・シリーズ。
1曲に2回かけることにしましたので、今月は《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第3幕です。うまく時間をやりくりして、ベックメッサー比較のコーナーを作るつもりです。

10日(木)は東京バロック・スコラーズ有志の方々をお相手に《ロ短調ミサ曲》の講演をしますが、初めて、質問方式を採用しました。有意義が質問がたくさん寄せられており、突っ込んだお話ができると思います。

14日(月)には、翻訳したヴォルフ本の見本ができてくるとのこと。店頭に並ぶのは次の週でしょうか。この日から始まる「古楽の楽しみ」は、バッハのヴァイオリン・ソナタの特集です。これについては、あらためてご案内します。

19日(土)10:00~12:00が立川の「たのくら」で、進行中のオペラ・プロジェクト、今月はヘンデル《ジューリオ・チェーザレ》の第2回です。11月末日に終了したコンサートについては、あらためてご報告します。26日(土)13:00からは朝日カルチャーセンター横浜校のモーツァルト講座。《魔笛》全3回の2回目になります。

公開イベントはこんなところです。どうぞよろしく。

若さはつらつ!2015年12月04日 08時59分49秒

もちろん私のことではありません。11月29日にたましんRISURU小ホールで開催されたコンサートのネーミングです。後ろに、「オペラの愉しみ」とついています。「楽しいクラシックの会」(たのくら)年一回のコンサートの、2015年版です。

「たのくら」例会では3年間ワーグナーをやってきて、いまオペラの歴史に入っています。そこで、ワーグナーに焦点を当てたオペラのプログラムを作りたいと思い、ハンブルクから帰国されたバリトン歌手、近藤圭さんに出演を依頼しました。彼が大学院の修了コンサートでヴォルフラムを歌われたことを覚えていたからです。お相手は山口清子さん(ソプラノ)、伴奏は久元祐子さんと決まり、前半をヘンデルとモーツァルト、後半を《タンホイザー》抜粋を中心とするプログラムを選びました。

ヘンデルのアリア3曲で始まり、モーツァルトのヘンデル風大ピアノ・ソナタK.533の第1楽章を橋渡しとして、《ドン・ジョヴァンニ》の二重唱とアリア4曲へ。近藤さんの風貌と美声、スマートな舞台マナーはまさにドン・ジョヴァンニそのもので、二重唱など、こわいぐらいです(笑)。満場、とくに女性客を魅了。この恵まれた素質と生来のまじめさで、ぜひ大成してほしいと思います。

山口清子さんは、先日の二期会《ダナエの愛》に、ゼメレ役でデビューした方。私はまったくの初対面でしたが、いやたいしたもの、脱帽です。声に澄んだ広がりがあり、歌の中に、お名前通りの清らかさがあるのですね。とても純情で、ちょっとお茶目なツェルリーナ、という印象でした。

後半は、ヴェーゼンドンク歌曲集の《天使》(山口さん)をまず置いてから、《タンホイザー》へ。第1幕、第2幕のヴォルフラムのソロの後、第3幕〈巡礼の合唱〉をピアノで演奏し、〈エリーザベトの祈り〉から〈夕星の歌〉へ、長い間奏も含めて続ける、という構想でプログラミングしました。

〈巡礼の合唱〉から〈夕星の歌〉にかけては詩情溢れる音楽が広がり、《タンホイザー》のもっとも美しいところです。間奏はまことに単純な音だけで作られていますが、久元祐子さんの弾くベーゼンドルファーの潤いのある響きがすばらしく、大いに感激。これを聴くだけでも、意味のあるコンサートだったと思います。

〈夕星の歌〉の後奏をト長調のままエンディングにしてもよかったのですが、じっさいのスコアは切れ目なしに不気味な「呪いの動機」を出す。タンホイザーがにじり寄っていて、〈ローマ語り〉へと続いていくからです。この流れをどうしても切りたくなかったので、「呪いの動機」まで行って終わってください、とオファーしました。これがあるかないかで、ずいぶん印象が変わってきます。

リハーサルと本番を通じて感じたのは、若い人たちが作品にまじめに向かい、全力投球している姿はいいなあ、ということです。前後とても疲れていましたので、元気をいただきました。ありがとう。



今月の「古楽の楽しみ」2015年12月07日 15時52分31秒

今月は、バッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタBWV1014~19を、若干のヴァイオリンと通奏低音のためのソナタを加えて特集しました。新しい録音もずいぶん出ていましたので、演奏が重ならないように幅広く構成しました。

12月14日(月)は、第1番ロ短調BWV1014をバンキーニで、第2番イ長調BWV1015をカルミニョーラで。残った時間に、通奏低音付きのソナタト長調BWV1021をトリオ・ソネリーで、同じくホ短調BWV1023を、エレーヌ・シュミットで。この日は全部バロック・ヴァイオリンです。

15日(火)は、第1番のモダン・ヴァイオリン演奏から。奏者はフランク・ペーター・ツィンマーマンです。次はバロック・ヴァイオリンに戻り、第3番ホ長調をアンドルー・マンゼで。ここでラレード+グールドによるその第2楽章をはさみました。有名な第4番ハ短調BWV1017は、ムローヴァ+ダントーネで(バロック・ボウ、バロック・ピッチ)。

16日(水)は、第4番をラレード+グールドでもう一度聴き、そのシチリアーノ編曲(byストコフスキー)と、アダージョ編曲(by小糸恵)を紹介しました。第5番ヘ短調BWV1018は、古楽側の往年の名演、クイケン+レオンハルト。最後に通奏低音付きのソナタヘ長調BWV1022を、ヘーヴァルトの新録音で。

17日(木)は、複数の稿で遺されている第6番ト長調を、初稿BWV1019aと改訂稿BWV1019で比較しました。前者がポッジャー+ピノック、後者がブンディース+高田泰治です。最後に、BWV1020ト短調のソナタ(偽作)を、ゲーベルのバロック・ヴァイオリン演奏で加えました。普通フルートで演奏されますが、ヴァイオリンもなかなかいいですね。

というわけで、ピリオド対モダン、古い録音対新しい録音の大混戦、という感じの構成になりました。でも、それぞれに面白いです。モダンの名手がバロック奏法を理解して採り入れた場合、さすがに立派な結果が生まれるように思います。

「ひかり」で長距離2015年12月12日 07時10分41秒

金曜日は、視察目的で栗東のコンサートへ。読みは「りっとう」、場所は滋賀県、近江八幡と草津の間、ということを調べました。名古屋まで「のぞみ」、米原まで「こだま」、その先は在来線で行くことにし、名古屋まで戻って宿泊と決定。土曜日(今日)が、10:00から学術会議の委員会、15:30から藝関連の会議、というスケジュールになっているからです。

行きの新幹線で気をつけたのは、コートを車内に忘れないこと。私は寒さに強くあまりコートを着ない習慣なので、網棚に上げると、忘れる危険性が大きいのです。しっかり覚え、網棚からコートを取って、名古屋駅で下車しようとしました。

すると隣の席の人が、「コンピューターお忘れですよ」と言うではありませんか。身体の横にはさんでいたノートパソコンを置き忘れました。危なかった!

米原から在来線に乗り、途中、新快速から各駅に乗り換えて、栗東着。降りようと思ったら、切符がないのですね。持ち物を全部出して調べましたが見つからず、米原からの運賃を払って下車。東京から請求されたらたいへんでした。同じ胸ポケットに入れているスマホを盛んに出し入れしましたので、そのさいに落ちてしまったのでしょう。

こういう始まりをした旅は、その後がいいもの。コンサート終了後、昔の関取、蔵間さんのお店で軽く食事し(鶏の唐揚げが絶品)、21:50分の電車に乗りました。これが名古屋に行くための最終電車なのですね。ずいぶん早いものです。

ところがこの日は強風のためか在来線が大きく遅れており、入ってきた近距離列車にすぐ乗ったのはいいのですが、その終点で米原行きを待つ状態になりました。どの列車も、かなり遅れているようです。

特急が1本あり、その後に新快速が続いている、とのこと。その新快速の運行状況を知ることが重要なので耳を澄ましていましたが、アナウンスは「その後の新快速の運行状況は・・」と言ったきり、後続なし。いろいろなアナウンスをはさんで、まったく同じこともう一度ありました。主語で途切れるって、どういうことだろう。

まもなく、特急がやって来ました。アナウンスは、特急券のない方はお乗りになれません、と、さかんに牽制します。私は、Suicaで入っているので、特急券はありません。もちろん乗ってしまうという選択肢もあったわけですが、ホームにいる大勢の人がどうするのか、様子を見ようと思いました。そうしたら、乗り込む人のないまま、特急はすぐ発車しました。

新快速がすぐには来ないことがわかったのは、その後のことです。妙に断続的なアナウンスに不審を覚えて改札口に行ってみたところ、2人のおじさんが、駅員に激しい調子で文句を言っているのです。若い駅員はその対応に追われて、精一杯になっていたのでした。名古屋方面にいらっしゃる方はこの特急にお乗りください、とアナウンスしていてくれれば、理想だったのですが・・。

結局、次に来る新快速に乗っても最終の新幹線に間に合わず、迂回ルートもない、ということがわかりました。そこで名古屋をあきらめ、車中から米原のホテルを取って、そこで1泊。仕方ないですもんね。

今朝は、朝一番の「ひかり」に乗車。名古屋で「のぞみ」に乗り換えるつもりでしたが、「ひかり」のまま行っても10分しか違わないことがわかり、「ひかり」に乗ったまま、いま浜松あたりを走行しています。「ひかり」の長距離乗車は、記憶のないほど久しぶりです。

かなりツキの悪かった、今回の視察行。今日のスケジュールへの厄落としだといいのですが・・・。

見本できました2015年12月14日 17時36分25秒

クリストフ・ヴォルフ著のモーツァルト本(日本語タイトル『モーツァルト最後の4年~栄光への門出』、今日、見本ができてきました。週末から来週初めにかけて、本屋さんに並ぶそうです。春秋社。値段は2500円+税になりました。


作業を終えてみて、自分にとって勉強になった、というのが最大の実感です。

この本は、註を見ればわかるように、近年の世界のモーツァルト研究を幅広く凝縮し、その上に立って、新しいモーツァルト像と、種々の作品解釈を提示したものです。私がモーツァルトをやっているとはいっても海外の文献を逐一当たっているわけではありませんから、この本を細部まで読み、訳を何度も見直すことによって膨大な情報を咀嚼できたのは、たいへんありがたいことでした。ヴォルフ先生、すごいです。

本書のための特設ウェブサイトというのがあります。未完に終わった室内楽曲の自筆譜が閲覧でき、その音源も置いてあります(ブラウザはIE仕様なので注意)。本書の第6章にそのくわしい解説がありますが、「断章」の完成度の高さは驚き。興味のある方はご覧ください。

http://www.people.fas.harvard.edu/~cwolff

賢いコインロッカーの利用法(1)〔改訂稿〕2015年12月15日 23時32分24秒

コインロッカーなんて、好きに使えばいいじゃないか、とおっしゃるあなた。その通りです。しかし私には、人一倍コインロッカーを使ってきた人間であるという誇りがあります。ですので、おせっかいかもしれないが、皆様の使い方が心配。こちらのあなたにも、あちらのあなたにも、もっといい使い方あるのではないか。そんな使命感から、本稿を書くに至りました。

「心得」を語る前におさえるべき事実があります。それは、コインロッカーはどこにでもあるものではない、という厳粛な事実です。とくに外国がそうで、大きな駅だからコインロッカーがあるだろう、と高をくくって訪れると、スーツケースを転がしながら街めぐり、ということになりかねません。

そうなったら、重くてかなわない(これは体験記ではないので、いつどこでとは申し上げません)。事前に調べることは困難でしょうから、コインロッカーに頼った旅は避ける、というのが第1の心得になります。あったらありがたく使う、なくてもなんとかなる、という工夫が必要。それに、すべて満杯、というケースも、意外に多いものです。

コインロッカーを使う心得の、第2。それは、百円玉をためておくことです。たしかに最近では、両替機のあるところ、Suicaが使えるところ、などが増えてきました。しかし、百円玉がなくて結局使えず、という場所も、まだまだたくさんある。外国でも、これで困ることがよくありました。

コインロッカーを使う心得の、第3。それは、自分の荷物を入れたコインロッカーを、覚えておくことです。わかりやすいところばかりではありません。たとえば名古屋駅のコインロッカーは、駅の各方角に幅広く分布しており、しっかり覚えておかないと、たいへんなことになる。発車時刻まで10分を切っているのに、ここだと思ったコインロッカーが違うとなると、髪の毛が逆立ちます(きっぱり)。方角と目印をしっかり覚えておくことです。これ、案外むずかしいですよ。

皆様のお役に立ちたいので、まだ続けます。

賢いコインロッカーの利用法(2)2015年12月18日 23時24分09秒

さてあなたは、これにしようというコインロッカーを見つけました。百円玉もあります。しかし次に、とりわけ気をつけるべきポイントがやってきます。

それは、預けるべきものを預け、預けるべきでないものを預けない、という選択です。これを、心得の4としましょう。

しめたと荷物を放り込み、ガチャンと鍵をかける。これが最低。なぜなら、あなたはすぐ必要とされるものを預けてしまったかもしれないからです。たとえば、音楽会に身軽で行こうと預けたら、チケットもいっしょに預けてしまった、というようなケース。こうしたことは世の中によくあるのではないかと、私はにらんでいます。すぐ気がつけばいいが、300円が600円になる。気がつかなければ、コンサートの受付で立ち往生します。

あるいは、仕事がはしごになっていて荷物が多く、必要な資料だけもち、次の資料は残していく、という場合。そんなケースではほとんど、少なく持ち、余分に預ける、という結果になります(きっぱり)。あいにくそれに気がつくのは、いざ使う段になってからです。

まあ、でもそれはたいした問題ではないでしょう。次の「心得5」の重要性は、どんなに強調しても、しすぎることはない。それは、荷物を入れたロッカーには必ず鍵をかけろ、ということです。

荷物だけ入れ、鍵をかけ忘れる人っているんですよね。そうしたらどうなるか。預けたはずのDVDやCDは、きれいになくなっているはずです(きっぱり)。しかしその前に、「鍵が見あたらない!」という修羅場が来る。「艱難辛苦、悪戦苦闘、絶対絶命、はたまた孤軍奮闘」(CLAUDIO山田さん)の一幕です。

コインロッカーの前で鍵を探している人って、皆さん、どう思われますか。髪の毛を逆立てて千手観音のように同じポケットを調べ、財布だの鞄の中味だのをずらりと並べている。私は、こういう人を生み出さないように、上から目線で申し訳ないですが、ご忠告申し上げているのです。

私はそんなことにならないように、鍵をもっているかどうか、早めに確認する癖をつけています。先日も新宿駅で、預けていくらも経たないタイミングで確認したところ、どこを探しても、鍵がないのですね。ずいぶん探しましたが見あたらず。もしやと思ってまだそう離れていないコインロッカーに行ってみたところ、荷物のみ入って、鍵がかかっていませんでした。フランクフルトにおける有名な伝説も、言いたくはないが、じつはこのパターンでした(続く)。

賢いコインロッカーの利用法(3)2015年12月21日 23時40分34秒

失敗を重ねている人間が訓戒を垂れるのは納得がいかない、とおっしゃるあなた(コメント参照)。私は想定内ですよ。でも伺いたい。人間は、何を通じて学ぶのでしょうか。そう、経験であり、失敗です。失敗を通じてこそ人は学べる、というのは、古今変わらざる世の通説。経験を通じてこそ、人は、コインロッカーについて語れるわけです。

さてさて、利用の最後の段階は、取り出しです。鍵をなくさないように、というのはイロハのイですから、いうまでもないですよね。なくさないように、鞄のポケットに収める、ですって?ダメです(きっぱり)。身につけてください。鞄は、もっていかれる場合があるからです。鞄はなくなるわ、荷物は出せないわでは、せっかくの旅行も、立ち往生になってしまいます。

コインロッカーの保存期限に留意するというのは、久美さんご指摘の通り。長く預けるには空港がお薦めで、駅のコインロッカーは、保存期間が短いです。保存期間を超えた結果、警察が保存し、荷物に税関経由で自分の顔写真が張ってある、なんていう結果になっては最悪。飛行機の時間が迫っていたら、これでアウトになります。

預けたコインロッカーを発見し、鍵をなくしていないことを確認し、無事荷物を取り出したときの安堵感は、相当に大きなもの。海外旅行でとくにそうですが、私は、日常的な利用でもそう感じています。どうやらコインロッカーは、旅に緊張感を与える薬味でもあるようです。(終)

奥の深いものが好き2015年12月26日 09時31分16秒

先日ある団体の忘年会に顔を出したところ、すてきな女性が私に、「先生は『マイト・アンド・マジック』をやっておられるのですか」と尋ねました。一瞬虚を突かれて言葉が出ませんでしたが、別に悪いことをしているわけではないと思い直し、やっています、じつに面白い!と答えました。

長いこと取り上げなかった、ゲームの話題。少しずつはやっていたのです。私の洋モノRPG熱を吹きこんだ「マイト・アンド・マジック」のシリーズにいま「レジェンド」という第10巻が出ているのですが、これがじつにすばらしい。パーティ編成を変え、作戦を変えて、何度も出発しています。

運動神経が鈍く年齢も来ている私は、リアルタイムのような忙しいのは苦手。ターン制にじっくり取り組みたい、というタチです。それにしてもこのゲームは、奥が深い。かなりやりこみ、マップとイベントの全貌がつかめてこないと、本当の意味での作戦が立てられません。そこにあるいろいろな可能性の選択が、悩ましく、また楽しいのですね。作る人たちもすごいなあ、と思います。

昔は麻雀が「亡国の遊戯」と言われました。今はむしろゲームでしょう。麻雀は4人必要ですが、ゲームは一人で、好きなときにできる。いい時代になりましたねえ(ちょっと、ひっかかりますが)。

今月のCD2015年12月28日 08時37分37秒

いつも月末にやっているこのコーナーは、毎日新聞の特選盤コーナーのために選んだものを、少し幅を拡げてご紹介しているものです。原則、送っていただいている国内盤の中から選びますが、世に広くお薦めするものなので、好事家向けのものや、入門的なアルバムは避けています。レパートリーや演奏者はなるべく散らしていますが、選者が3人いますから、古い方を少し厚くさせていただいています。

自分の選び方を観察していて思うのは、新しいコンセプトで取り組む演奏家に共感する度合いが高い、ということです。ただしそれは新奇を求めるという意味ではなく、作品の本質に迫るために過去の常識をカッコに入れ、独自の探究を通して、作品を新しい光の下に提示するということです。

そんな観点から、二度目になりますが選んだのは、クルレンツィス指揮、ムジカエテルナによるラモーの《輝きの音》。同時発売で《春の祭典》のめざましい演奏がありますが、ラモーにしたのは、《春の祭典》を選んだことが過去に複数回あることと、ラモーのオペラこそ、これから輝くべき作品群である、という思いからです。

これはラモーのオペラ・バレから舞曲を並べて構成したもので、上記の「入門的なアルバム」に該当するのですが、アリアも上手に挟まれていて密度が高く、じつに見事な「いいとこ取り」になっています。ここから、たとえば前に月に出たビション指揮の《カストールとポリュックス》全曲盤に進まれるのも、いいプランです。

対抗馬として考えたのは、イーゴル・レヴィットが、《ゴルトベルク》、《ディアベリ》、ジェフスキ《不屈の民》の3変奏曲をセットにしたもの(同じくソニー)。こんな大きな企画をこなすほどに、進境著しいという印象を受けます。「どれもが骨太の構成力と現代感覚によって貫かれ、自分の音楽になりきっている」からです。

《ゴルトベルク変奏曲》のラッシュが続いていますが、瀬川裕美子さんの録音も楽しめました。演奏にもエッセイにも、多彩なイメージが豊かに詰まっています。