2017ドイツ滞在記(6)--ラファエル・ピション、感動の《ヴェスプロ》 ― 2017年06月27日 23時11分41秒
14日(木)、アルテンブルクからとって返した私は、ホテルの一室で、皆さんに作品解説。今夜の曲目、モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》についてです。この曲こそ私の「無人島」の1曲で、さすがのバッハもこれにはかなわない、と言ったところ、「え~!」という声があちこちから。平素から言っていることですが、やっぱり意外に思われるようですね。
開演は20時、会場はニコライ教会です。ニコライ教会はもちろんトーマス教会と並ぶ歴史的教会なので、大事なコンサートがたくさん振られますが、見やすい反面、音響効果がどうも良くない。音がみな、上へ抜けていってしまうのです。それがマイナスにならなければいいが、と思っていました。
席は最上階の横3列目(最後列)。ステージは、立たないと見えません。でもその時思ったのですね、音が上へ抜けるのであれば、ここに響きが集まってくるのではないかと。
まったくその通りだったのです。響きの真ん中にいて、全身豊かに包まれる感じ。ニコライ教会にこんなにいい音の席があるとは、いままで知りませんでした。
すぐ左のオルガン席に、テノールが1人上がってきました。それが先唱者だったわけですが、先唱したのは冒頭曲のインチピトではなく、〈天にましますわれらの父よ〉の聖歌(アンティーフォナ)。しかしグレゴリオ聖歌風に歌うのではなく、1音1拍に取りながら、強い声で歌う。次に〈アヴェ・マリア〉が同様に聖歌として歌われ、《ヴェスプロ》冒頭曲へと、爆発的に流れ込みました。
33歳のラファエル・ピション指揮するピグマリオンが、しっかり作り込み、闘志満々でやってきたという印象です。解説書に、マリア崇敬のこの曲がプロテスタントの教会で演奏されるのは今でも普通のことではないのだ、と書いてありました。だからこその、この意欲だったのでしょうか。
古楽器・古楽奏法ですが、声楽の編成がかなり大きく、しっかり声を出すために、音響効果と相まって、身体をゆさぶられるような迫力があります。テノール三重唱による〈サンクトゥス〉の歌い交わしなど、鳥肌もの。そうなってみると、一見奇妙なアンティーフォナの唱法も、モンテヴェルディの音楽と、ぴったり符合しているのですね。これも、ひとつの行き方かもしれません。
〈ソナタ〉の後に長いつなぎが入りました。ふと気がつくと、声楽が全員オルガン席に登ってきていて、ピションもやってきた。そしてここ、すなわち目の前で、最美のクライマックス、《めでたし海の星》が始まったのです。この曲は変奏の間に器楽が入りますが、器楽は下に残っていて、あたかも天使に囲まれた被昇天のマリアに、地上からあこがれのまなざしを送るかのよう。会場が水を打ったように聴き入っているので、教会空間に妨げはありません。
声楽はテノール歌手1人を残して下に帰り、マニフィカトが圧巻の盛り上がりを作り出しました。そこにさらに聖歌を入れ、冒頭曲を反復し、礼拝の枠組みを完成させて終了。
気がつくと、左の女性も右の女性も、全身わななくように感動しておられるのですね。私もそう。じつは、この大事な公演にどうしてピションなのか、と思わないでもなかったのですが、よくわかりました。ピションを切り札と認識するからこそ、この公演が託されたのです。
ホテルに戻ったところ、入り口に同行の方々が整列され、拍手で私を迎えてくれました。これを聴くためだけでも来た甲斐があった、と何人もの方がおっしゃいましたが、私もそう思います。
2017ドイツ滞在記(7)--大遠征の不運と幸運 ― 2017年06月30日 01時46分10秒
15日(木)は、8:00発ちで、バッハが生まれ育ったテューリンゲン地方へ大遠征。こうしたオプショナル・ツアーは今回初めて組みましたが、やや強行だったかもしれません。
アイゼナハに直行して、バッハ博物館へ。楽器のデモンストレーション(今回は鍵盤楽器)がここの魅力ですが、陳列されている古文書群がだいぶ充実したという印象があります。古い祈祷書や讃美歌集の展示は、私には興味深いところです。
そのまま、ヴァルトブルクへ。この日はバイエルン州が休日なのだそうで、ずいぶん人が多く、中に入るのはあきらめました。端に高い塔があるのですが(十字架が切れてしまいました、ごめんなさい)、そこに初めて登ってみました。80代の方々も、皆さん登られましたよ!
塔の上からは、なつかしいテューリンゲンの森が、さえぎるものなく見渡せました。その昔、歌合戦で集まって来た貴顕は、たいへんだったでしょうね。森の中に孤立したお城ですから。
昼食後ルターの家は割愛し、まっすぐアルンシュタットへ。ところが、途中で大渋滞が発生し、バスがほとんど進まなくなってしまったのです。時間はどんどん過ぎてゆく。夜コンサートに行く方もおられるので、焦る気持ちが募りました。
それでもなんとか渋滞を抜け出し、アルンシュタットへ。市庁舎のある広場の斜め向こうに、バッハが勤めた新教会(現・バッハ教会)があります。
ここに着いたのが、16時20分ぐらいだったでしょうか。教会は16時で閉じられていました。大遠征の甲斐がなく、みんながっかり。
皆さんがインフォーメーションで買い物などをされている時、私が1人離れて広場で眺めていると、なんと女性が1人、鍵を開けて教会に入っていくではありませんか!さっそくペトラさんに報告すると、ペトラさんは一目散に教会へ。10分間見学できることになった、と戻って来られました。みんな大喜び。
入ってみると、女性の代わりに上品な牧師さんが。そのご説明によると、とても高いところに設置されたオルガン(写真は撮りませんでした)は70%バッハ時代のもので、その下、見えないところに後代のヴェルクが2つある、とのこと。小さな教会ですが、すがすがしい空間でした。遅れたからこそ、牧師さんとお話できたわけですね。不運と幸運の関係が、よくわかります。
教会のプレート。バッハが1703-1707年、この神の家に最初のオルガニスト職を得て活動した、と書いてあります。18~22歳ですから、大学生の頃ですね。
旅はさらに、ほど近いドルンハイムへ。バッハがマリーア・バーバラ・バッハと結婚式を挙げたところです。私は初めて訪れましたが、気のせいかあるいは仕掛けなのか、なんとなく恋のムードが漂ってくるようでした。日本から式を挙げに来る方もおられるそうです。アルンシュタットで知り合ったバーバラとここで挙式しようと約束していて、新しい任地ミュールハウゼンから歩いてきたのだろう、というお話でした。歴史が身近になる瞬間です。
夜は多くの方と、ニコライ教会前の有名店で夕食を摂りました。
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