よォありげなる・・ ― 2017年03月28日 23時41分41秒
シフのコンサートのあった金曜日、私は大阪のホテルで目を覚ましました(前日に会議)。気分は、やや鬱。最近、先の予定が立て込んでいて、その中に緊張を要するものが含まれており、こなしていけるか確信がもてない、というときに、暗くなる傾向が出てきたのです。はい、老化現象です(笑)。
この日は、夕方までオフ。急ぎの仕事はありますが性質上ホテルではできないので
、どこかに行こうと思い、決めずに電車に乗りました。そう遠出もできませんから、神戸方面に。とりあえず、山好きなのにまだ未経験の六甲ケーブルに乗ってみようと思い立ちました。
急角度に運んでもらいましたが、上がったところは諸方向への起点という感じで、さほど雰囲気なし。早々に切り上げて、須磨明石方面に向かいました。
私、この辺の海が大好きです。それは、私が和歌が好きなことと無関係ではないと思います。昔の歌詠みはどんなに寂しい自然の中を歩んだのだろう、と思わずにいられないのです。
明石には何度も行き、お寿司屋事件もありましたが、須磨をゆっくり歩いたことはないことに気づきました。そこで須磨で下車。いまはここも神戸市なんですね。駅の近くで昼食にしましたが(珍しく日本酒にお寿司)、とても安く、おいしかったです。食事を終え、待望の砂浜へ。心が安まります。
ぶらぶら歩いて、さあどこに行こうかと案内板を見ると、すぐ近くに、「松風村雨堂」というのがあるではないですか。これには興奮しましたね。不肖私、能の《松風》が大好きなのです。学生時代に、詞章を暗記したことも。歌枕を読み込んだ、すばらしい日本語です。「よォありげなる松の候」という言葉が湧き上がり、勇んで向かいました。
しかし、前を指していた道しるべが、いつのまにか、後ろを指しているではありませんか。通り過ぎてしまったのです。探したら、ありましたね。本当に目立たないところに、それはありました。
「立ち別れ・・」の歌が脳裡に浮かんだのはいうまでもありません。2つの祠にお賽銭を上げ、説明板を読むと、このあたりには松風町、村雨町、行平町などがあるとのこと。なんとも風流なこの地区なのでした。(続く)
写真2点 ― 2017年02月21日 00時47分37秒
最近の写真を2点、公開します。
これは、新大阪駅のレストラン、パシオン・エ・ナチュールで、18日(土)、マーク・パドモア+ティル・フェルナーのシューベルト《美しき水車屋の娘》の終了後に。
私は一応大阪音大の客員教授ですので、2人は同僚です。コンサートを聴いてくれた同業の西村理さん(左)が、片岡リサさん(右)を呼び出してくれました。元気いっぱいの片岡さんは受賞積み重なりの箏奏者。3月6日のいずみホール「ランチタイム・コンサート」に出演されるので、いいご挨拶ができました。
私の左は、シューベルト研究者の堀朋平君。ホールのシューベルト・シリーズに協力していただいていますが、この日の解説、字幕も抜きんでたレベルのもので、すばらしいコンサートを、いっそう盛り上げてくれました。《冬の旅》の字幕は私のでしたが、それがはっきり色褪せて思えました。嬉しい乾杯でした。
こちらは、13日(月)に、モーツァルト愛好会の方々と催した懇親会。右手前が、高橋会長です。
全員男性で私を含め年配の集まりでしたが、モーツァルトの突っ込んだ話続出で、盛り上がりました。皆さん、ありがとうございました。お店は、新宿歌舞伎町のHeart Dining' Bar & K。長いこと新宿で食事をしてきた私が、最近ようやく見つけた名店です。
メリケン波止場 ― 2016年08月26日 21時21分38秒
関西で好きなスポットというと、神戸のメリケン波止場。今の呼び方は、「メリケンパーク」です。モダンな明るさを楽しみながらも、その昔の異国情緒を偲ぶ楽しみは格別です。
いつもは公園の奥まで行って海を眺めるのですが、この日(25日)は改装中で、狭い展望に。しかし散歩しているうちに、目の前に立つ大きな塔が、登れるように思えてきました。近づいてみると、「神戸ポートタワー」という観光施設なのですね。
さっそくエレベーターで上ってみると、淡路島の浮かぶ海の展望が広々と開け、北には六甲山。海もいいが雲もいい、と写真を撮ったら、雲の上が切れてしまいました(笑)。
朝目覚めたのは、下関。24日、いずみホールの年間企画「シューベルト~こころの奥へ」の記者会見を行い、25日のプレイベントまで時間があったので、西の方に足を伸ばしてみたのです。下関に行ったのも、新幹線の中で決めたことでした。朝は山口に行ってみようと思ったのですが、雨が強かったので断念。神戸歩きに切り替えました。こちらはよく晴れて、猛暑のさなかでした。私、山登りをやっていたので、炎天下を歩くのは苦にならないのです(もう危ないかな)。
ホールのプレイベントは、鈴木優人さんの弾くフォルテピアノ(ホール所有のナネッテ・シュトライヒャー・オリジナル)を中心に、お仲間たちとかつてのシューベルティアーデを再現する趣向のもの。堀朋平君の透徹した解説が加わり、お客様も十分楽しんでくださったようです。今年は豪華な出演者を揃えていますので、シューベルト企画、どうぞお出かけください。10月9日(日)、ロータス・カルテットが皮切りです。
爛熟の美 ― 2016年02月23日 06時18分31秒
廿日市から広島に戻って宿泊。翌日(19日、金)は14:00から、西宮の阪急中ホールで、尼崎に本拠を置くピッコロ劇団の公演があります。
間に観光を入れたいなと思っていたのですが、結局福山でお城を往復するだけになりました。まずその写真を。
・・というつもりだったのですが、おとといからスマホが見あたりません。出てきたら掲載しますね(泣)。
前日は樋口一葉が主役でしたが、こちらは谷崎潤一郎。「天空の恋~谷崎と猫と三人の女」と題されています(作演出・G2)。関西の文化を愛した谷崎の人生と創作を関西の生活文化の中から描き出し、その意味を探ろうとするお芝居でした。
これが、すばらしかった。島田歌穂(松子)と桂春蝶(谷崎)のお二人が客演、他の出演者は劇団員+オーディション、とのことなのですが、皆さんたいへんお上手で、水も漏らさぬ連携。古き良き時代の大阪の典雅が、舞台上にふくいくと再現されているのです。
ユーモラスな進行、随所に小説の引用をはさむ、というのは前日の一葉と同じでしたが、引用の効果は、時代の差があるとはいえ、こちらが上。『細雪』の誕生にからめて作ってあるクライマックスでは、何度も読んだこの大好きな小説が脳裡に押し寄せてきて、帰路を幸福感で包んでくれました。演劇もいいですね。
〔付記〕意外なところから、スマホ発見。福山城です。
市街地に埋まって、すてきな教会が。
重圧の長崎(4)--その翌日 ― 2015年11月26日 23時35分16秒
23日(月)は重圧も取れ、平和に目が覚めました。この日は休日で、予定がありません。国内は飛行機に乗らない、というのが私の方針ですので、列車を乗り継いで帰ることになりますが、かなりの道のり。どこかで道草をして、いいところがあれば泊まろう、と思っていました。
荷物をまとめてホテルを出ると、挨拶する方があります。超強豪団体の指揮者でした。聡明な若い方で、よく勉強しておられることが、言葉の端々からわかります。その方は私にひとつ質問をなさったのですが、私もちょうど考えていたことだったので、しっかり返答できて幸いでした。しかしこういう方が採点対象になるわけですから、審査員も勉強しないと務まらないと、あらためて肝に銘じました。
駅に着くと、佐世保行きの快速列車が、いまにも発車しようとしています。よし、佐世保に行こう、と乗り込みました。家族で来たことのあるハウステンボスを過ぎて、佐世保着。この駅、JRの日本最西端なんですね。駅のすぐ前が、港です。
歩き始めると、高いところに美しい教会(三浦町カトリック教会)が聳えています。情緒があり、嬉しくなりました。
朝食を食べていなかったので、ネットでグルメを検索。目を引いたのは、「ブラック」という、激辛カレーのお店です。不思議にも、24時間営業、不定休となっている。それなら半端な時間でも、カレーを食べられるかもしれません。
カウンターに座ってママさんと二言三言お話ししたら、話し込んでいた先客が、言葉をかけてくださいました。私が音楽関係と見定めてのことのようで、熱心な、とても洗練された音楽ファンの方でした。皆さん私の来訪をとても喜んでくださり、しばらく、楽しい音楽談義。カレーはイカスミを使った、真っ黒なものです。心は激辛に惹かれましたが、威嚇的な文言に恐れをなし(笑)、とりあえず、中辛を注文。ママさんが、激辛を端に乗せてくれました。
いや、おいしいですね~。中辛は豊かな味わい、激辛はしびれる感覚です。そしてまた、ブレンドコーヒーが絶品。島根のイタリアンに続いて、佐世保にも「来たらかならず寄る」お店ができました。
次はどこに寄るか。佐賀に行こう、と決めたのは、合唱コンクールでの大活躍に触れ、その風土に触れてみたくなったからです。鈍行で着き、佐賀城公園まで、歩いてみました。ここも、いい町。公園には紅葉が始まっていました。
次は、ぜひ唐津にも行ってみたいと思います。福岡に出て、夕食。連休の最後ですから新幹線も残り少なく、疲労も限度に来ていたので、そのまま帰宅しました。かくして、今年最大の山を越えることができました。
知の交差点 ― 2015年11月01日 16時30分35秒
10月31日(土)は松本の、深志教育会館へ。私の出身校である松本深志高校が、標記のタイトルによる講演シリーズを行っていて、私を呼んでくださったのです。
一応「J.S.バッハの人間と音楽」というタイトルを立てましたが、単にお話をするのではなく、生徒さんや先生の演奏といっしょに作り上げていこう、ということになりました。選んだのが、《平均律》のハ長調プレリュード、《捧げ物》の蟹のカノン、《フーガの技法》の第9対位法、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番のアルマンド、カンタータ第147番のコラール。統一されたリハーサルがありませんでしたので、どんな流れになるか予想できないままに、本番を迎えました。
まず写真や絵をごらんいただきながら、生涯と活動を概説。これは簡単にとどめ、さっそく実演に入りました。1年生女子によるプレリュード.。きれいな音で、とても見事です。しかし右手の表情が勝っているように思われましたので、曲のコンセプトを、映写した楽譜をもとにご説明し、バスを十分に響かせること、右手にはさまざまなアーティキュレーションが可能であること、大きなカデンツの流れをとらえて演奏することなどを申し上げました。生徒さんが即座に趣旨を理解し、適切な様式の演奏を仕上げてくれたことにびっくり。
以後、弦の二重奏、四重奏、ソロ、合唱と合奏、と進むうち、私は、一生懸命演奏している生徒さんたちが、半世紀ちょっと前の自分と重なるように思えてきました。深志高校音楽部における情熱を注ぎ込んだ部活こそ、今の私を作っているものです。
そもそも私は出身校とか出身団体とかにはクールな方で、昔話をしながら飲むよりは先のことを考えたい、固まるよりは広くお付き合いしたい、というタチです。至らない若者でしたので、思い出がいいことばかりではない、ということもあります。そんなわけで後輩たちの活動にもあまり関心をもたずに来たのですが、今まさにその後輩たちが、私といっしょにバッハの音楽を作ってくれている。その事実が、とても重いことのように思えてきたのでした。
終了後の質疑応答の中で、お話をいままで何度も聞いてきたが、今日がいちばん良かった、とおっしゃった方がおられました。そうだとすれば、それは明らかに、深志の人たちと共同で作り上げたことの成果です。その伝統の流れに君はいるんだ、と言われれば、たしかにそうだと思います。
外へ出ると、すっかり晴れ上がった、かなり寒い夕べ。山を見たいと、城山公園まで歩いてみました。ドイツ人の観光客2人と会話したほかはほとんど人にも会いませんでしたが、心がとても満たされていて、幸福感がありました。
秋色の松本平。向こうに見えるのは美ヶ原です。
紅葉の向こうに松本の中心街、その先に、高ボッチ高原で知られる鉢伏山があります。なだらかな山容ですが、写真にすると平らですね(笑)。
夕陽が沈んだ方角。中央右は乗鞍岳です。どんどん暗くなり、お城にたどりついた時には下のようになっていました。
松本に感動した一日でした。
私のシルバーウィーク(4)~出雲の巻 ― 2015年10月02日 17時22分11秒
22日(火)。最後の目的地は、出雲です。松江から乗った快速電車は、宍道湖の南岸を西へ走り、30分ほどで、出雲市着。たくさんある見どころは出雲大社と日御碕に絞り、便利な方を先にしようと思っていました。すぐ出雲大社経由日御碕行きのバスがありましたので、躊躇なく、日御碕(ひのみさき)へ。
ここは、最高でしたね!海の自然景観が好き、灯台が建っていると感激、という私のためにあるようなところでした。立派な神社もありましたよ。
灯台のてっぺんまで登るのはかなりのアルバイト。でも苦にならないのは、昔山登りをやっていたからに違いありません。快晴、広大な日本海を望みました。
早お昼で海鮮丼をいただき、水のきれいな海水浴場地域を歩いて、さあ帰ろうと思ったら、バスまで時間が空いています。行けるところまで歩こうと思ったのが、元気な証拠。人まれな山道を抜けるとそこは車道で、クルマがひっきりなしに行き交っています。道路は狭く、出会い頭の衝突もありうる雰囲気です。そこで、半分ほど歩いたところであきらめ、バスを待ちました。こちらは反対側、出雲方面の景観です。写真には写っていませんが、伯耆大山がひときわ立派でした。
これだけの自然を満喫してしまうと、大混雑の出雲大社は辛いものがあります。一応お参りしましたが、ご本殿は改装中なんですね。
混み合う電車で出雲市に戻ったのが、午後3時頃。岡山行きの急行を調べてみると、なんと夜まで、指定が取れません。しかし幸いしたのは、出雲市が始発駅だったことでした。ところが、着いた岡山で、新幹線の指定が取れない。最終まで、全滅です。連休の終わり近くですから、当然でもありますね。ネットを調べると、岡山のホテルも満杯。しかし、姫路で部屋が取れ、旅行は1日延長と相成りました。
それにしても、島根県の観光価値はすごいです。隠岐もあるわけですから。
私のシルバーウィーク(3)~松江の巻 ― 2015年09月30日 13時24分26秒
米子から松江は、遠くありません。中海の南岸をアクアライナーという快速で走って、30分ちょっとです。合唱連盟に予約していただいた駅前のホテルに荷物を置き、さっそく、世界遺産に決まったという松江城を訪れました。立体感をもって聳える、立派なお城です。千鳥城とも言うとか。
高いところへ高いところへと吸い寄せられ、天守閣に登ってみると、夕陽を浴びた松江の町が広がっていました。
どんどん暗くなり、宍道湖畔にたどりついた時には、星がまたたいています。松江もまた、水豊かな都会なのです(宍道湖は面積第7位だそうです)。水に引き寄せられるのはなぜか、という質問を優さんからいただいていますが、私、湖や小川が好きなのはむしろ女性だと思っていましたよ。
湖畔を延々と歩いて駅前に戻り、合唱連盟中国支部長の末広先生に教えていただいた、駅前のイタリアンに入りました。Al Sole(日なた)というお店です。前後、ずいぶん入れないお客様がいましたので、するりと1席いただいたのは幸運でした。
ワイン好きの私が、旅に出て、気が大きくなっている。コンクールの疲れを癒したいと願い、かつ、ほとんどお金を使っていない。といった条件から、おいしいのを飲もう!と勢いが出て、バローロ(イタリア/ピエモンテ)のBorgognoという、身分不相応な品種を注文してしまいました。するとオーナー・シェフがお出ましになり、緊張する、と2度もおっしゃりながら開栓して、デキャンタしてくださいます。心なしか、手が震えていたような(笑)。
このおいしかったこと、筆舌に尽くせません。1999年のヴィンテージが、ずっと私の注文を待ってくれていたようなのです。いいワインを置いている地方都市のお店は、東京より安いですから、訪れて損はありません。
お料理もすばらしく、ご夫妻ともしだいに打ち解けて、思い出に残る晩餐となりました。松江に行かれたらぜひ立ち寄ることをお勧めしますが、私のジンクスだけは告げ口なさらぬようお願いします(汗)。
最後に感謝を込めて、小田川シェフと奥様の写真を。お店の前で撮りました。
私のシルバーウィーク(2)~米子の巻 ― 2015年09月29日 09時31分40秒
28日の月曜日から、聖心女子大の後期がスタートしました。まず、前期にかかわる質疑応答をしばらく。次いで、「聖母マリアの音楽史」という授業テーマの継続に入ります。この日はモンテヴェルディの《ヴェスプロ》から〈天よお聞きくださいAudi coelum〉を取り上げたのですが、私の得意技が劇的なタイミングで出て、「九仞の功を一簣に虧く」形になってしまいました。
まずガーディナーのCDを聴き、テキストの意味と出典、音楽の趣向などを細かく説明しながら進めました。このレファレンスには、カントゥス・ケルンのものを使用。いい曲ですねえ。残り10分になりましたので、ガーディナーの映像を切り札として、感動的な仕上げを志しました。そうしたら、ケースはもぬけの殻。私はうろたえ、教室の士気は目に見えて下がって、戻りませんでした。こういうことが多かったので最近はしっかり確認し、家を出てからも持ち物をチェックするぐらいにしていたのですが、この日は、それをしていませんでした(泣)。
話は戻って、シルバーウィーク。合唱コンクールが終わり、月曜日の早朝に目覚めた私は、快晴の中、山陰本線を西に向かいました。目的地はまず、鳥取県西部の中心、米子です。
鳥取は砂丘が有名ですが、米子は中海に面する、水の豊かさが魅力。さっそく湖畔まで歩いてみました。面積第5位の大きな湖で、日本海から海水が入ってくるために水には塩分が混じっているとか。湖畔は公園になっています。
米子城への道を見つけ、登ってみました。知らない町を訪れたら、水のそばにいく、高いところに登る、というのが、私の鉄則なのです。吉川広家が基を築いたというお城は部分的にしか残っていませんが、中海と米子の眺めは一望できました。
お昼は境港でお魚を、と思い立ち、ローカル線で45分。行ってみると、なにぶんの休日で、たいへんな数の家族連れが訪れています。「水木しげる記念館」を始めとして家族向けの施設やお店がずらりと並び、私の脳裡に描く昼食のイメージと相違。いずれにしろどのお店も、行列になっています。
そこで食事を諦め、米子に戻ってお店を探しましたが、タイミングを逸したので選択肢がありません。やむなく駅の食堂でピラフを食べ、松江に向かいました。島根県は、私が足を踏み入れていない唯一の県。いよいよ来ました。松江、出雲の観光が楽しみです。
〔付記〕私の翌日、佳子さまが境港に行かれたことを知りました。
古武士の風格 ― 2015年09月08日 10時50分30秒
6日(日)は、全日本合唱連盟中信支部の合唱練習にお邪魔して、バッハ《マニフィカト》の講義をしました。お世話くださった福澤真理(しんり)さん(中学以来の友人)が翌朝クルマで迎えにきてくださり、木曽福島へ。恩師、井口利夫先生にお会いするためです。
井口利夫先生は、以前読書コーナーでご紹介した『われら在満小国民』というすばらしい本の著者。私と福澤さんが信州大学附属中学の生徒だったときに、国語と社会を教えてくださった先生です。深い木曽谷を走る車中でわかったのは、教えていただいたのが1年生のとき1年だけであること、その時先生は臨時の任用で1年だけこの中学の教壇に立たれたということでした。不思議ですね、それではなぜ、先生の印象がかくも鮮明で、心に生き続けているのでしょうか。
中学1年が13歳であったとすると、15歳年上だった先生は、28歳。繊細で優雅、しかし情熱は胸にたぎる、という方だったと記憶しています。木曽福島に近づくにつれ、私は緊張してきました。なにしろ、56年ぶりの再会。別人のようになっておられ、見分けがつかなかったらどうしよう、などという心配が心をよぎりました。
谷の中腹、神社に接したお住まいにたどり着くと、先生が外で待っておられました。すらりと背筋が伸び、お元気であることは一目瞭然。しかし、端然とした一種厳しいイメージは、その後身につけられたものかもしれません。「古武士の風格」と申し上げましょう。
きれいに片付けられた和室にお邪魔し、正座される先生を前に、私も何十年ぶりかで正座。さて、いつまでもつか・・・。昔の思い出、その後の来歴、近年取り組まれている木曽学についてなど、話題は次々に広がり、先生の知的な探究心と、地域、人間、教育を考える真剣な姿勢に、私は足の痛さも忘れて聴き入りました・・・とはいかず、しびれが極致に達して、ついに正座を放棄。子供の頃、お寺だのなんだのでよく正座し、たいへんな思いをしていたことを思い出しました。
これが私より15歳も上の方だろうか・・・そう思わざるを得ないほど、先生は気力充実し、前を向いておられます。帰り道、当地の名所、山村代官屋敷を見学。先生は、当主山村蘇門が芸術に幅広く通じた人物で、善政を施したことを説明してくださいました。じつは、その山村家の末裔が、「まつもとバッハの会」の現会長をやっておられるのです。縁はつながるものですね。
右端は福澤真理さん。中学同学年ですから、私と同い年です(注釈が必要)。
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