有田夫妻、神品のフルート・ソナタ ― 2008年02月21日 22時21分07秒
ご案内した今年度の「バッハの宇宙」第2回レクチャー・コンサートが、14日の木曜日、相模大野グリーンホールで開かれました。「偽作の復権--フルート・ソナタの今」と題し、有田正広・有田千代子ご夫妻が出演されました。
1963年に新バッハ全集のフルート曲の巻(シュミッツ校訂)が鳴り物入りで出版されたとき、変ホ長調BWV1031、ハ長調BWV1033、ト短調BWV1020の、それなりになじみ多き3曲が省かれていたことに、当時われわれは(←私もフルートをやっていた)衝撃を受けたものです。それ以来、この3曲はレコード録音にもコンサートにもめったに登場しなくなりましたから、偽作のレッテルは、やはり重かったのでしょう。
真偽論争自体は、しかし尾を引きました。旧全集にも付録として載っているBWV1020はともかくとして、BWV1031、1033の2つは、息子のエマーヌエルが「J.S.バッハの作」として楽譜を遺しているのですから、バッハらしくないので偽作だよ、といって済ますわけにはいかないのです。
この2曲は、2004年に、駆け込みのような形で、新全集の本巻に含めて出版されました。ただしそれは、真作説が認められた、ということではない。重要なのは、次のようなことです。
新全集は、初期においては、真偽判定をしっかり研究して自作のみを収録し、それによって、バッハの音楽とはいかなるものかの輪郭をはっきりさせたい、という意向を掲げていました。しかし刊行と研究が進むにしたがって、バッハが他者の作品をたくさん筆写・演奏したこと、編曲をほどこしたものが少なからずあることがわかってきたのです。そしてその重要性が、認識された。たとえば、ペルゴレージの《スターバト・マーテル》にドイツ語歌詞を振った詩篇曲(BWV1083)がありますね。そうした曲もバッハ・ワールドに位置づけていかないと、バッハは正しくとらえられない、と考えられるようになってきたのです。疑わしきは排除せず--新全集半世紀の、認識の深まりです。
そこで、「偽作の復権」というコンサートを企画したわけですが、なにより、演奏がすばらしかった。音も技巧も桁違いの有田さんを、かつてはヴィルトゥオーゾのように思っていたこともあります。でも、今は違いますね。自分を抑制して、作品を生かす方です。それも、徹底している。BWV1031や1020は、フルートとチェンバロの右手が掛け合う、トリオの形で書かれていますが、その掛け合いが、今まで経験したことがないほど、絶妙に生きた。有田さんがフルート(モダン楽器使用)の響きを抑え、さらに抑えると、千代子さんのチェンバロが思いがけぬ強さと積極性で、輝く。そしてすぐ、その逆になる--そうそう、こうあるべき作品なのです。
有田千代子さんは、私の大学でも教えていただいていますが、平素はやさしく、控えめな方です。その方が気迫に満ちた、引き締った音楽を展開しておられるので、平素とはずいぶん違う印象だが、とマイクを向けてみました。すると、「バッハがそう求めていますので」との、驚くべきお答え。脱帽です。
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