テキスト解釈 ― 2008年07月20日 16時23分25秒
研究では、さまざまな状況で、テキストの解釈を行うことになります。手紙とか、上申書とか、推薦文とか。やっかいなのは、文章の表面と、書き手の意図にしばしば食い違いがあることです。「おめでとう」という手紙が残っているとしても、書き手が本当に祝っているのか、単なる外交辞令なのか、それとも皮肉でさえあるのか、さまざまに考えられます。
なぜこう言うのかといいますと。私は前々回、「洞察力を讃える」というブログを書きました。巨人軍の補強の成功に関するものです。そうしたらある方から、「巨人ファンなのですね」という感想をいただき、考え込んでしまったのですね。そう思って読まれた方、どのくらいおられるのでしょうか。
ホームページの頃からご覧の方、また、このブログを最初から読んでおられる方は、私が筋金入りのアンチ巨人であることをご存じのはずです。巨人さえ負ければどこが勝ってもいい、という明瞭なポリシーで、日々どん欲に、野球とかかわっております。
その私が、息を吹き返した巨人軍の快進撃に直面し、その原点にかき集め補強があることに切歯扼腕の思いを抱きながら、言葉遣いに細心の注意を払いつつまとめたのが、「洞察力を讃える」という文章です。もちろん、善意ではありません。「せっかく原監督がおられるのに」というくだりなどは、その後起こったピンチでの上原起用のような采配を、どんどんやってほしい、という意味を込めて書いているのです。
まあ、あの文章は、二通りに読めると思います。私がアンチ巨人であることを知っていて読まれるのと、知らずに読まれるのとでは、受け取る意味も、読む面白さも、全然違ってしまうことでしょう。これって、ほとんど教材ですよね(笑)。
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