バッハの暗号!2011年01月09日 11時15分53秒

12月がたいへん忙しかったので、新年になったら、ゆっくりしたペースで、と思っていました。でも、そうではなかったですね。いろいろ遅れていることもあり、いま必死の毎日です。

必死の毎日ということは、目先の事で精一杯、ということです。それでできないことのひとつは、次々にいただく本を読めないこと。本当は、友人知人の仕事を丹念に拝見して、このブログで紹介すべきだと思うのですが、なかなかそれができません。学生時代に美学の先生が、「トイレでも読めるのだから読むべきだ」とおっしゃっていたのを思い出します。でも私は凡人なので、トイレに美学の論文を持ち込む気持ちにはなれないのです。

でも、ちょっとだけご紹介しましょう。ひとつは、『思想』12月号の、シューマン特集。論文、翻訳とも最先端の知見が凝縮されていて、感心しました。雑誌が雑誌なので、岡田暁生、椎名亮輔、吉田寛、友利修、小林聰幸、堀朋平といった著者訳者は、みな剛速球。気軽に読むわけにいかないのは、仕方ありません。

津上英輔さんの、『あじわいの構造--感性化時代の美学』。身近な素材から根源的な哲学に引きこんでゆく手腕が絶妙です。美学の先輩後輩はみんな勉強しているなあと、つくづく思います。

そして、ルース・タトロー著、森夏樹訳の『バッハの暗号』。これに興味をそそられる方も多かろうかと思います。まずタイトルに、不吉な予感。私も学者なので、「暗号」という言葉に、経験的に警戒心を覚えるのです。妄想たくましい無理筋のイメーシが、頭に浮かびます。ちなみに原題は、「バッハと数アルファベットの謎」というものです。

しかしタトローさんというのは私も面識のある人で、いい加減な人ではないのです。数象徴の権威としては、長老のジーゲレ教授と並ぶ、若手のホープです。読んでみて、数象徴研究の歴史が、スメントとヤンゼンの往復書簡なども交えて詳細に研究されているのに驚嘆。妄想に妄想を積み上げる本ではなく、妄想とされるものに、学問的な見直しを加えようとしていることがよくわかります。翻訳も立派。こんなにむずかしいものをよく訳せるなあ、と、正直思います。

というわけで貴重な労作です。ただ惜しむべきは、バッハの前提としてのカバラ研究としては情報満載ですが、バッハ自身については議論が及んでいない。続編を読みたいと思います。