謹賀新年2011年01月01日 11時26分14秒

皆様、明けましておめでとうございます。昨年はありがとうございました。今年もよろしくお願いします。

今年は、大きな区切りの年です。なぜなら、4月からの年度が、大学における最後の年度となるからです。ゴールに向けて最後の坂を登っていた昨年と、まったく予想のつかない来年の間にはさまれて、今年があります。つつがなく完走し、きれいな引き際をお見せしたいと思っています。

私の今年のテーマは、《ロ短調ミサ曲》です。くにたちiBACHコレギウムによる上演を準備し、その前に、ヴォルフのモノグラフィの翻訳を出版します。ドクターコースの人たちとの勉強を進めて、湯川さんに続く博士第2号を生み出すことも、責任のある課題です。その他さまざまな企画やイベントがありますが、それらについては、その都度ご案内させてください。

去年、大量のツキを消費しましたので、そうそう順調にはいかないだろうと気を引き締めています。体調はいいのですが、無理をしている感じもかなりありました。なんとか余裕をもち、できるだけ内容のある仕事をして皆様にお返ししたいと思います。どうぞ変りないお付き合いをお願いいたします。

Google日本語入力2011年01月02日 22時15分56秒

皆様、いいお正月をお過ごしでしょうか。私は12月に荒れ放題にした書斎の整理に精一杯です。まだ、年賀状も出しておりません(汗)。

ところで、パソコンの日本語入力システムについて、表記のシステムを試してみました。ずっとATOKを使い続け、2009まで更新していたのですが、巷で話題にもなっていますので、グーグル人間として試用してみたのです。

そしたら、たいへんいいのですね、これが。ATOKでは、即座にできる辞書登録の機能を活かして、モンテヴェルディなら「もぃ」とか、第一主題なら「ゆ1」といったようなユーザー辞書を作っていました。Google入力でもその手でいこうと思ったら、一覧表に入らなければならず、面倒くさい。これはダメかな、と思ってまもなく気づきました。辞書登録を必要としない方向で、入力支援が合理化されているのです。

紹介記事にはよく、流行語やマスコミ関係の語彙が充実している、と書かれています。しかし私の見るところ、カタカナ言葉や固有名詞にめっぽう強い。どうやらネットから、膨大な用例を収集しているようです。

自分の使う語彙をすぐ覚えて変換候補に列挙するのは、ケータイの変換の特徴ですよね。あれと同じことがキーボードでできるのは、とても便利です。私は今日、CDの登録を行ったのですが、かなりマイナーな演奏者名でも、途中で変換候補に登場します。

たとえば「ペシェク~チェコpo.」と書こうとします。ペシェクはすぐカタカナ候補が出るので、これを選択。一度変換します。つぎに「~」を出し、「チェコ」と入力・変換してから「ふぃ」と打って、「po.」と変換する(これはインポートされているATOKユーザー辞書の働き)。ところが驚いたことに、もう一度「ちぇ」と打つと「チェコpo.」という選択肢があらわれ、「ぺしぇ」と打つと、「ペシェク~チェコpo.」という選択肢があらわれるのです。変換の区切りを超えて、まとまりが記憶されているわけです。

このように端から覚えてくれれば、ユーザー辞書も必須ではないし、クリップボード拡張のツールも要りません。その記憶は、新たに文書を立ち上げなおしても、維持されています。

こうした実用的性能をもった入力システムが、無料ですぐダウンロードできる。すごいなあと思いますが、研究費を注いで良心的な開発を続けている会社はどうなっちゃうんだろう、などと、余分な心配をしてしまいます。

遅ればせ年賀状2011年01月03日 21時17分55秒


やっと年賀状を作成しました。といってもレイアウトは子供の作で、私は自分用の文章を書き込んだだけです。

このところ、いただいてから出すという不届きな流れが、常態化してしまいました。したがって、いただいた賀状を先に読んでいるわけですが、気がついたことがあります。それは、元旦にきちんと届く年賀状が得てして型通りの、簡素なものであるのに対し(もちろん例外はあります)、3日あたりに届く年賀状にはさまざまな書き込みがあって、読みがいがあるものが多い、ということです。おそらく、期日を優先する人とそうでない人があり、後者の、つまり遅くなってから書く人には心に咎めるものがあって、つい文章サービスしてしまうのではないでしょうか。

でもそれって嬉しいですね。儀礼とはいっても、やっぱり通信には、情報価値が必要です。ちょっと時間を使ってくださると、気持ちが伝わります。もちろん上のような賀状を十把ひとからげに送っている私に言えることではないのですが、整理に大わらわの初日より、少し落ち着いてからの方がゆっくり向き合える、というメリットもあるようです。



いいお店発見!2011年01月05日 22時26分45秒

世界の味が集合している東京ですが、ネパール料理って、多いと思われませんか。国の大きさや人口を考えると、驚くほどの確率であるように思います。相性がいいんですね、きっと。

国立駅は国立市の北端にあり、南に走る「(一橋)大学通り」が、南武線の谷保駅との間を、まっすぐつないでいます。そして国立駅南口の近くに「ミトラ」があり、谷保駅の近くに「フルバリ」がある。どちらも悪くありません。

でもそのちょうど中間点、「(桐朋)学園通り」との交差点に、「Yak&Yeti」というお店があることを発見しました。大晦日に行き、とても気に入ったので、昨日、2年生との新年会に、さっそく使用。皆様にもお薦めします。

どういいかというと、まず雰囲気。いわゆるネパール料理店と違い、やわらかなムードがあって、落ち着いています。次に、いいお酒を置いている。ふつうカレー屋というとインドのビールをちょこっと飲む程度ですが、ここにはたいへんおいしいフランスとスペインのワインがあり、ウォッカなど、世界の銘酒が置いてあるのです。メニューの中心はスパイシーなつまみやカレーですが、焼きそばやチャーハンも、すごくいい味なんですよ。おまけに接客がよく、値段が安い。カレーを食べるためだけでなく、ゆっくりと飲んで歓談するにも適したお店です。

私の家から歩いて5分、というおまけもあり、すっかり気に入ってしまいました。今年、通いそうです。

コンサート始め/仕事始め2011年01月07日 23時10分28秒

昨日は、近江楽堂で、今年の初コンサート。クリスティーネ・ショルンスハイムさんが《平均律第1巻》を演奏されました。ショルンスハイムさん、芸大に来ておられたのですね。ご本人からメールをいただいて知りました。音型を生き生きと立ち上がらせた確実な演奏で、集まった若い人達も、学ぶところが多かったと思います。《平均律》の全曲を一晩でというのはちょっと重いな、と思うのですが、最後の〈ロ短調〉にたどり着いたときに、得も言われぬ到達感があります。あの美しいプレリュードが丹念に装飾されて演奏され、聴き惚れました。

今日は、NHKで仕事始め。1月31日から始まるプロイセン宮廷音楽特集の前半を収録しました。月曜日がフリードリヒ大王、クヴァンツ、エマヌエル・バッハのフルート音楽、火曜日がバッハの《音楽の捧げもの》、水曜日はバッハの結婚カンタータBWV210とホ長調のフルート・ソナタで組んだのですが、並べるとやはり、バッハは時代を超えていると痛感。《捧げもの》は、究極の作品だと感じます。演奏は、コープマンの新録音を使いました。とても円熟したいい演奏で、お薦めです。210番の結婚カンタータも、もっともっと聴かれて欲しいですね。弟子の小島芙美子さんが、いま論文を書いています。これはシェーファーのCDを使いました。

バッハの暗号!2011年01月09日 11時15分53秒

12月がたいへん忙しかったので、新年になったら、ゆっくりしたペースで、と思っていました。でも、そうではなかったですね。いろいろ遅れていることもあり、いま必死の毎日です。

必死の毎日ということは、目先の事で精一杯、ということです。それでできないことのひとつは、次々にいただく本を読めないこと。本当は、友人知人の仕事を丹念に拝見して、このブログで紹介すべきだと思うのですが、なかなかそれができません。学生時代に美学の先生が、「トイレでも読めるのだから読むべきだ」とおっしゃっていたのを思い出します。でも私は凡人なので、トイレに美学の論文を持ち込む気持ちにはなれないのです。

でも、ちょっとだけご紹介しましょう。ひとつは、『思想』12月号の、シューマン特集。論文、翻訳とも最先端の知見が凝縮されていて、感心しました。雑誌が雑誌なので、岡田暁生、椎名亮輔、吉田寛、友利修、小林聰幸、堀朋平といった著者訳者は、みな剛速球。気軽に読むわけにいかないのは、仕方ありません。

津上英輔さんの、『あじわいの構造--感性化時代の美学』。身近な素材から根源的な哲学に引きこんでゆく手腕が絶妙です。美学の先輩後輩はみんな勉強しているなあと、つくづく思います。

そして、ルース・タトロー著、森夏樹訳の『バッハの暗号』。これに興味をそそられる方も多かろうかと思います。まずタイトルに、不吉な予感。私も学者なので、「暗号」という言葉に、経験的に警戒心を覚えるのです。妄想たくましい無理筋のイメーシが、頭に浮かびます。ちなみに原題は、「バッハと数アルファベットの謎」というものです。

しかしタトローさんというのは私も面識のある人で、いい加減な人ではないのです。数象徴の権威としては、長老のジーゲレ教授と並ぶ、若手のホープです。読んでみて、数象徴研究の歴史が、スメントとヤンゼンの往復書簡なども交えて詳細に研究されているのに驚嘆。妄想に妄想を積み上げる本ではなく、妄想とされるものに、学問的な見直しを加えようとしていることがよくわかります。翻訳も立派。こんなにむずかしいものをよく訳せるなあ、と、正直思います。

というわけで貴重な労作です。ただ惜しむべきは、バッハの前提としてのカバラ研究としては情報満載ですが、バッハ自身については議論が及んでいない。続編を読みたいと思います。

1月のイベント2011年01月12日 08時37分17秒

あまりありませんが、1月の対外的イベントをお知らせします。

15日(土)は楽しいクラシックの会(立川市錦公民館、10:00~12:00)。教室を借りて行う「ミニミニ・コンサート」の形で、先日の《ポッペアの戴冠》の一部、すなわちポッペアとネローネの二重唱を披露します。出演:阿部雅子さん、内之倉勝哉君、小崎麻美さん(ピアノ)。後半の講義は、「新年会はガーシュウィンで」というテーマで行います。すなわち、終了後新年会があります。

21日(金)~23日(月)は、埼玉県合唱コンテストの審査で、合唱三昧です。

29日(土)は午後(13:00~15:00)が朝日カルチャーセンター横浜校のバッハ講座。今月は『エヴァンゲリスト』第2章の後半で、そこに列挙されている、死をめぐるバッハの音楽をいろいろ聴いてみようと思います。その夜は、三澤洋史さんの「東京バロック・スコラーズ」が主催する公開講演会(18:30~)。次回のコンサート「バッハとコラール」に向けて、コラールとコラールをめぐる作品のお話をします。場所は江東区総合区民センター レク・ホール(西大島または亀戸から)です。どうぞよろしく。

須坂の舞台2011年01月14日 23時39分22秒

お待たせしました。昨年12月26日に須坂メセナホールで上演したモンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の写真をいくつか、ご覧に入れます。ゲネプロのスナップから、苦労して拾い出しました。楽器の方々、なくて申し訳ありません。

プロローグ。金満の〈幸運の神〉(川辺茜)が、斜陽の〈美徳の神〉(山崎法子)を嘲る。
第1幕。帰還したオットーネ(湯川亜也子)がポッペアへの慕情を歌う。名場面の1つ。
皇帝ネローネ(内之倉勝哉)に取り入るポッペア(阿部雅子)。第1の二重唱。
第2の二重唱。巧みな色仕掛けに、皇帝はなすすべなし。
ドゥルジッラ(安田祥子)の純愛に慰められるオットーネ。
第2幕。従容として自殺に赴く哲学者セネカ(狩野賢一)。
小姓(川辺茜)と侍女(山崎法子)の恋遊び。私のまったく指示していない、きわどい演技を披露。
セネカの死を喜んだネローネは、ルカーノ(小堀勇介)とともにポッペア賛美の詩を競作する。華麗なテノールの二重唱。

眠るポッペアを守護する〈愛の神〉(髙橋幸恵)。ドラマを動かす陰の主役。
第3幕。流刑を前にローマに別れを告げる皇妃オッターヴィア(髙橋織子)。絶唱でした。
ヴェーネレ(大峡喜久代)が天上から下り、戴冠したポッペアに「地上の女神」の称号を授ける。

ハイcの新年会2011年01月16日 11時41分54秒

15日(土)は、「たのくら」(楽しいクラシックの会)の新年会でした。午前中の例会と組み合わせてお昼から行うのが、いつものこと。例会には内之倉勝哉、阿部雅子のゴールデンコンビが小崎麻美さんのピアノで出演、後半はガーシュウィン《ポーギーとベス》を楽しみました。

内之倉=阿部コンビには熱さ冷めやらぬネローネとポッペアの二重唱を歌ってもらったわけですが、サービスとして内之倉君がドニゼッティ、阿部さんがヨハン・シュトラウスのアリアを披露。驚いたのは、まだ朝だというのに、内之倉君が「ハイc」を三度も響かせたことです。「国立王子」と呼ばれるほどのイケメンであることもあり、女性陣を中心に、一同熱狂。阿部さんはもちろん男性陣に絶対強いですから、例会といい、新年会といい、空前の盛り上がりとなりました。これほど出足がいいのでは、先行き不安です。

今年、なんと25年目の「たのくら」。大学とのパイプも大きくなり、ピークの年を迎えそうです。

新聞の読み方2011年01月17日 22時42分53秒

皆さんは、新聞はどちらから読まれますか。一面をまず読み、ページを右側にめくって政治面に入るか。あるいは、テレビ欄をまず眺め、ページを左側にめぐって、社会面に入るか。どちらでしょう。

私はじつに長いこと、後者でした。必ずマンガを読み、将棋欄を経て、スポーツ面へと進む。社会面は興味のある記事を拾い、その先にある経済面、政治面は、ほとんど読みませんでした。

ところが、最近、逆になったのです。一面から政治面に入り、政治面を割に丁寧に、国際面を興味に従って読む。経済面はわかりませんから、相変わらず読みませんが・・・。

テレビも同じで、ニュースや報道番組ばかり見ています。今の番組は本当にどれもタレントがわいわいやっているものばかりで、もはやまったく見る気がしないのですが、夜8時からBSフジでやっている「プライムニュース」という番組(10時まで2時間!)は、干天の慈雨のような存在です。

非政治的という傾向が変わったわけではないので、こうなったのは、自分でもとても不思議です。誰でも通る道、でしょうか。