政治に思う ― 2011年06月03日 23時00分02秒
テレビが、直りました。CSチューナーの接触不良が原因でした。家族の不満大合唱には閉口しましたが(笑)、おかげで、内閣不信任案に伴う、世紀の茶番劇を見逃してしまいました。
皆さんのご意見はさまざまでしょうが、私は言葉で生きている人間として、言葉の術策を弄して地位や権力にしがみつく人間を許すことはできません。そんな人が国の頂点に立っているとは、なんとひどいことか、と思います。
私は、人間を政治的と非政治的に分けて、自分を非政治的、と分類しています。もちろん政治的人間も必要で、そういう人がいなくては、組織が成り立たないことも事実。そういう要素が乏しいのは自分の欠点でもあると思いますが(このため多くの方の期待にお応えできていない面があると思います)、非政治的は政治的の一形態、というよくある主張には、反発しています。それは、政治的であることが一義的に重要、という人の発想だと思うからです。政治的でないことで人間の深いところを見ることが芸術に取り組む上で重要だ、という立場を、私はずっと取ってきました。
音楽仲間にも、政治的な人(=上昇志向な人、権力を拡大しようとする人)と、非政治的な人(=音楽本位の人)がいます。私がいっしょに音楽をしたいのは、後者の方です。社会を見て、ますますその実感を強くしています。
皆さんのご意見はさまざまでしょうが、私は言葉で生きている人間として、言葉の術策を弄して地位や権力にしがみつく人間を許すことはできません。そんな人が国の頂点に立っているとは、なんとひどいことか、と思います。
私は、人間を政治的と非政治的に分けて、自分を非政治的、と分類しています。もちろん政治的人間も必要で、そういう人がいなくては、組織が成り立たないことも事実。そういう要素が乏しいのは自分の欠点でもあると思いますが(このため多くの方の期待にお応えできていない面があると思います)、非政治的は政治的の一形態、というよくある主張には、反発しています。それは、政治的であることが一義的に重要、という人の発想だと思うからです。政治的でないことで人間の深いところを見ることが芸術に取り組む上で重要だ、という立場を、私はずっと取ってきました。
音楽仲間にも、政治的な人(=上昇志向な人、権力を拡大しようとする人)と、非政治的な人(=音楽本位の人)がいます。私がいっしょに音楽をしたいのは、後者の方です。社会を見て、ますますその実感を強くしています。
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