最初の峰2011年12月09日 16時51分21秒

最後の連山登攀、今日、最初の峰にたどり着きました。金曜日にめぐってくる「音楽美学概論」が、最終回になったのです。バッハの共同授業は来週木曜日に出番がありますが、ゼミや個人指導はともかく、クラス持ちの授業は、これが最後。そこで、自分なりの「最終講義」を行うつもりで臨みました。

学生は50人ほどですが、年配の聴講生の方が4人おられ、この方々が熱心で、牽引力になっています。学生も意図して選択した人がほとんどのようで、これまでの授業でもそうそうなかったと思えるほど、集中してくれています。もちろん、私語はまったくなし。私も毎回、A3の全面を使った詳細なレジュメを作成して、授業に備えました。

内容は、これまで折に触れ採り上げてきたテーマを整理し、掘り下げることを中心としました。「音楽とは何か」「指揮者を考える」「ハーモニーを考える」「天才を考える」「感情表現について」「美について」「耳の文化」「音楽批評--音楽に対する価値判断」「コンサート・ライフについて」「作品概念をめぐって」「音楽と時間」「流れと永遠」が各回のテーマで、今日は「最終講義」をひそかな念頭に、「音楽と人生--私の場合」というお話をしました。過去を振り返り、若い人たちに勇気やヒントを与えたい、という趣旨でした。

少し達成感と解放感の味わえた今日でした。いいクラスをもてたおかげです。

コメント

_ T.K. ― 2011年12月10日 10時11分13秒

お疲れ様でした。私がI教授の授業を受けたのは、今から30年余り前でしたが、毎回きちんとカードに書かれたメモ書きを用意されて、話の内容も緻密で系統立ったもので、大いに刺激を受けました。
当時の私は、生意気にも「I教授に負けたくない!」と秘かに心の中で思い、それが勉強への強い支えとなっていました。

教えられる側において何が一番大切かと言えば、授業の内容を超えて、(勘違いも甚だしい学生時代の私のように)勉強に向かうパトスを惹起していただけるかに尽きると思います。
そうしたパトス(私の場合は勘違い)を最初に与えて下さったのが、当時35歳のI教授でした。

大学を取り巻く環境も変わりました。本を読まない、物を考えない学生も増えましたし、新聞記事をコピーして学生に配って授業を済ます教員もいます。はたまた、学内政治にのみ奔走する教員もいます。名刺の肩書きのみを増やすことに腐心する教員もいます。

I教授の音楽美学概論…当時よりさらに密度の濃い授業を展開されてきたと思います。そして(昔の私のように勘違いではなくて)多くの刺激を受けた受講生の方もいらっしゃると思います。

日本の大学は、かつての「大学」でなくなって久しいですが、
私は、30年余り前にI教授から受けた刺激が、‘授業に本来具わるべきもの’であると今でも考えています。

I教授、一番最初に一番大切なことを与えて下さって、ありがとうございました。それは受け手にとっては、心の中に‘財産’として一生残ります。

_ N市のN ― 2011年12月10日 21時16分45秒

先生の「音楽美学概論」の授業を受けたくても受けられない多くの人のために、是非出版をお考えくださいm(_ _)m

_ I教授 ― 2011年12月10日 23時40分37秒

なによりの餞のお言葉、ありがとうございます。じつはある出版社から長いこと、私論でいいから「音楽美学」を出版しないか、というお誘いを受けています。ただどうしても、「美学」を正面切って謳う本には、勇気がでません。でも大切に考えてみたいと思います。

_ N市のN ― 2011年12月11日 12時40分29秒

近い将来、手にできることを楽しみにしております。

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