11月のイベント2011年11月01日 09時35分56秒

私のブログに効用があるとすれば、それはダブルブッキングをチェックできることだ、というありがたいお言葉を、先日講演会主催の方々からいただきました。そこで今月のご案内。私、なにかやっているでしょうか。

いずみホールのリスト・シリーズが佳境に入ります。2日(水)は19:00から横山幸雄さんで、ロ短調のソナタ(とショパン)。私も参ります。20日(日)の19:00はアファナシエフ。晩年のピアノ曲が特集されます(注目!)。

3日(木)は13:00から方南会館を会場に、《マタイ受難曲》2回連続講演会のその1。杉並オラトリオ合唱団その他の主催ですが、公開されているようです。お近くの方はどうぞ。2回目は13日(日)の10:00からです(各2時間)。

5日(土)、6日(日)は、日本音楽学会の全国大会です。私は会長としての役割の他に、6日15:30~17:40に行われるセッションの司会をします。バッハの発表2本、テレマンの発表1本です(詳細は学会のホームページを御覧ください)。場所は東大教養学部(駒場)です。

そのセッションで19世紀におけるバッハ受容の研究発表をされた富田庸さんが、8日(火)には国立音大で、《ロ短調ミサ曲》のお話をしてくださいます(18:00より)。題して、「《ロ短調ミサ曲》とバッハ研究--作品の伝承と編集史から見る研究上の諸問題」。新しい版がいくつも出され、評価が錯綜していますので、富田さんのご意見を伺うのがとても楽しみです。どなたでもご来場いただけます(6号館110スタジオ)。

19日(土)は10:00から「楽しいクラシックの会」(立川市錦町学習館)で、《ロ短調ミサ曲》の第2回。〈グローリア〉が中心となります。14:00からはTBS主催の《マタイ受難曲》講座第2回ですが、講師は佐藤研先生で、新約聖書研究の立場から、イエスについて、マタイについて、受難についてご講義いただきます。場所は文京福祉センター(江戸川橋または護国寺から)です。

24(木)16:10は共同授業「バッハとその時代」の4度目の出番。「バッハと流行」というテーマを予定しています。26日(土)は朝日カルチャー連チャンの日。10:00からは新宿校で《ロ短調ミサ曲》の第4部(オザンナ以下)。13:00からは横浜校の『エヴァンゲリスト』継続講座で、テーマは「バッハの結婚、バッハの家族」です。

27日(日)は14:00から国立の一橋大学兼松講堂で、モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》上演。今回は私の仕切りではなく、私の役割は講演会と解説、字幕の提供です。渡邊順生さんの指揮のもと、より全曲に近く、より大編成で、より熟練した歌い手を交えた公演が行われます。今回は演出家が付きますので、かなり様変わりする可能性があります。国分寺公演をご覧になった方も、新しい気持ちで鑑賞できるのではないでしょうか。

29日(火)は国立音楽大学で、《ロ短調ミサ曲》の中間発表を行います。〈グローリア〉の冒頭・最終合唱曲と、〈二カイア信条〉の全曲をお聴きいただきます。場所はSPCのA、入場自由です。

以上、どうぞよろしく。

11月の「古楽の楽しみ」2011年11月02日 15時13分23秒

7日(月)からが、今月の出番です。

7日は、バッハの死と永遠をめぐるカンタータ第60番《おお永遠、雷の言葉よ》の初演日(1723年)にあたりますので、この曲と、同じコラールを用いた第20番が中心です。演奏は、ガーディナー。冒頭に、《われら生[いのち]のさなかにありて》というコラールを杉山先生の名訳で紹介し、先生を偲びます。

8日以降は、ドイツ・バロックの、地味ながらしっかりした仕事をした音楽家を紹介しました。8日(火)は、ルードルシュタットの宮廷楽長エルレバッハのソナタとカンタータ、ツィッタウのカントル、ゲッセルのカンタータ。9日(水)は、17世紀ドレスデンのヴァイオリニスト、ヨハン・ヤーコプ・ワルターのヴァイオリン音楽を中心に。10日(木)はワイマールのオルガニストで『音楽辞典』の著者としても知られるヨハン・ゴットフリート・ヴァルターのオルガン曲。バッハの作品も一部入れました。

11日(金)は、17世紀のトーマス・カントル、クニュプファーの宗教コンチェルトと、ヴィッテンベルクの地域で活躍したヤコービのカンタータ、バッハの弟子でドレスデンのルター派礼拝を仕切ったホミリウスのカンタータです。

というわけで渋い今月ですが、私の一押しは、クニュプファーの宗教コンチェルト《何を食べようか》。有名なイエスの説教が、対話形式で、諄々と訴えてきます。ヴァルターのオルガン曲も聴き応えがあると思います。

10月のCD選2011年11月04日 09時18分19秒

ちょっと遅くなりましたが、先月のCDとDVDとです。

クリストファーズ指揮、ザ・シックスティーンによる「ヘンデル・セレブレーション」というDVD(M-Plus)が祝典的高揚感にあふれていてとても良かったので、1位にしました。2009年BBCプロムスのライヴ。解説やインタビューも収録されていて、にぎやかです。《戴冠式アンセム》、オルガン協奏曲などに加えて、《セメレ》のアリアが収録されていますが、これを歌うサンプソンというソプラノ歌手も見事です。

2位には、テンシュテット指揮 ロンドン・フィルのマーラー 交響曲第5番を入れました(輸入DVD、ica)。1988年のライヴで、テンシュテットが病気療養から復帰した時期のものですが、演奏は重厚かつ熱烈、真摯の極みで、大いに聴かせます。

3位は、大谷玲子さんのポーランド・ヴァイオリン作品選集(ライヴ・ノーツ)。ルトスワフスキ、シマノフスキ、ヴィエニャフスキの魅力的なヴァイオリン曲を並べるという個性的な趣向が、しっかりした方向を見据えて作られたCDであることを物語っています。とても大事なことだと思います。

学会終わる2011年11月07日 22時44分07秒

日本音楽学会の全国大会が無事終り、ほっとしました。東大駒場のもろもろ完備した環境を使わせていただいての、充実した2日間でした。

種々の研究発表やラウンド・テーブル、総会における諸々の部署からの報告を聞いていると、なんと多くの人の時間と努力が、こうした学会を支えているのだろうと思います。そんな上に私などが乗っかっていていいのかなとも思いますが、実行委員会をはじめ関係されたたくさんの方々には、感謝でいっぱいです。

若手研究者の着実な台頭を実感するのも、こうした大会においてです。私が接した発表は平行して置かれた分科会の一部に過ぎませんが、たとえばヴィヴァルディの音楽を演奏したヴェネツィアの救貧院の女性たちがどんな制度の中でどんな生活をしていたのかの資料研究は、誰でも知りたいがなかなかわからないことに対する、勇気ある切り込みだと思います。また、よく発表してくださる重鎮の方が今回の発表を、過去の発表に対する率直な自己批判から開始されたのには驚きました。大いに感銘を受け、信頼をもって発表に聞き入りました。

こんな大事な時間の中で、私が犯したことといえば、ダブルブッキング。全部空けていたはずの予定にキャンセルし残した部分があったことが偶然発覚し、天を仰ぎました。なんとか帳尻を合わせたのですが、その詳細は内緒です(汗)。

今日はさすがに疲れが出ました。いま、京都の近くを走っています。

気持ちは大阪市民2011年11月09日 12時04分48秒

不肖私、大阪市の「市民表彰」をいただきました。「文化功労」というセクションで、小野功龍先生や桂ざこばさんと一緒です。紹介文を見ますと、「多年にわたり、いずみホール音楽ディレクターとして、芸術性の高い公演を数多く企画し、幅広い層に人気を博すとともに、国立音楽大学教授として若手の指導育成に取り組み、音楽文化の振興と発展に寄与した」とあります。いずみホールの仕事のほとんどはスタッフの流した汗によるもので、私のしたことは何十分の一にも満たず、私がいただいては申し訳ないと強く思ったのですが、ホールの公演が評価されたのはとても嬉しいことですので、その代表と割り切り、頂戴することにしました。

担当の方からいただいた最初のお知らせが、「受けていただけると嬉しいのですが、受けていただけるでしょうか」という、きわめて丁寧なもの。もう少し「上から」で普通だと思いますので、びっくりしました。次のメールは、「申し訳ないのですが旅費が出ないので、代理の方でも結構です」という、これまた丁寧なもの。とんでもない、参ります、とお答えしましたが、本当は市民がお受けになる表彰なわけですよね。これからは大阪市民になったつもりでがんばらなければ、と思っています。

8日(火)は、じつに清々しい好天。有名な平松市長から賞状をいただき、ツーショット写真も撮影しました。柔和な笑顔がすてきな平松市長は芸術に理解のある方で、オーケストラの指揮棒を執ったことも。バランス感覚にも秀でたこういう方に市長を続けていただきたいと思い、心から応援しています、と申し上げました。投票権はないんですけれど(笑)。

地元大阪の賞をいただいたことを、たいへん光栄に思っています。ありがとうございました。

富田庸氏、圧巻の講演2011年11月10日 23時04分55秒

8日(火)の夜、国立音楽大学で、富田庸さんによる《ロ短調ミサ曲》講演会が開かれました。富田さんは世界に冠たるバッハの資料研究者のひとりですが、とりわけ《ロ短調ミサ曲》に関しては、2007年にベルファルストのロ短調学会を主宰されたほどですから、オリジナルから受容史の諸段階にいたるまで、多方面に精通しておられます。講演ではそうした専門的知識が駆使されるのに加え、それを裏付ける画像が、パソコンから手品のように湧いて来る。江端伸昭さん、高野昭夫さんら「軍団」の方々のご協力もあってディスカッションは盛り上がり、あたかも学会のひとこまを見るようでした。

聴衆の中心はiBACHのメンバーでしたが(外部からも大勢)、みんな、資料研究の奥深さ、世界最先端におけるその凄さ、楽譜の背後にある研究者の作業の膨大さと複雑さ、校訂にたずさわる者同士の競争意識や相互批判の厳しさなどなど、多くのことを学んでくれたと思います。次々と登場する校訂版の比較を、内幕も交えて掘り下げてくださったのが興味深く、来年1月の公演のポリシーである「リフキン版の使用」に自信をもつことができたのも収穫でした。ありがとうございました。

最後にフロアから思いがけず、とても考えさせられる問題が提起されました。議論は、種々の背後の情報が参照可能になっている校訂楽譜の価値を認め、その使用を推奨する方向に進んでいたのですが(音楽学者は誰でもそう考えます)、ある演奏家がおっしゃるには、自分たち歌い手はいろいろ注釈の書きこまれた楽譜は見たくない、何も書いてない楽譜の方がよほどファンタジーが湧いて歌いやすい、というのです。ちなみにこの方は、バロックを専門とする、一流の歌い手です。

私がはっとしたのは、バッハ自身の楽譜が文字通り、注釈もなにもないシンプルな楽譜だからです。自筆譜ではその幾何学的な美しさがそれ自体意味をもっており、アスタリスクだの、破線だのはもちろんありません。音楽学者がよしとする重装備の楽譜がいいのか、それは研究用の楽譜であって演奏用の楽譜とは異なるべきなのか。新しい議論のテーマが与えられました。考えていきたいと思います。

《マタイ》よみがえる2011年11月14日 16時20分02秒

『ロ短調ミサ曲』も発売され、差し上げたり買っていただいたりしているうちになんとなく区切り感の出てきたこの日曜日(13日)。杉並は方南町で、須崎由紀子さん率いる3つの合唱団の合同主催による『マタイ受難曲』講演会その2がありました。さる事情によりかなり二日酔いだった私ですが、講演会の皆さんの熱心さ、あたたかさは格別で、幸福感をもってお話しさせていただきました。

そのためでしょうか。私の心の中で、《マタイ》が猛烈に巻き返してきたのですね。「《ロ短調ミサ曲》は近づき、《マタイ》は日々遠ざかる」といった言葉を、年代を根拠に発し続けていたのですが、あらためて向き合う《マタイ》のすばらしさは格別で、話しつつこみ上げるものがありました。《マタイ》を感動しながら歌っておられる多くの方々がいらっしゃることを、実感します。TBS主催の講演会も、がんばります。

行き帰り、スポーツ新聞を買って、社内で広げています。この前いつ買ったか忘れてしまうぐらいなのに、吸い寄せられるようにキオスクに行ってしまう。もちろん、巨人の内紛に興味をもっているのです。私の見るところ、アンチ巨人の方ほど面白がり方が大きいようで、こうした内紛に、利敵行為の側面があることがわかります。どうなっていくんでしょう(わくわく)。

振れる振り子2011年11月16日 16時48分41秒

15日の《ロ短調ミサ曲》練習で、初めて3本のトランペットとティンパニが入りました。名手島田さんを中心としたナチュラル・トランペットの効果はなかなかで、この楽器がよみがえってこその《ロ短調ミサ曲》である、との思いが湧き上がりました。その響きを至近距離から体験できる29日(火)18:00からの学内発表会を、ぜひ聴きにいらしてください。〈グローリア〉の最初と最後の合唱曲と、〈ニカイア信条〉の全曲を演奏します。会場はSPC(正門を入り、突き当りを左)です。

そんな経緯でふたたび《ロ短調ミサ曲》に気持ちが動き、両名曲の間で、振り子のように揺れる私です。企画解説でさまざまなコンサートを手がけますが、いつも迷うのは、演奏に対してどこまでアドバイスするか、ということ。プロ野球で言えば私の仕事はGMですから、現場に口を出すのはよくないことです。しかしちょっとした説明や提言がきっかけとなって演奏が引き締まることもよくあるものですから、私が上に立つ今回のような場では、あえて注文を出すことも行なっています。あまりに言いにくいような雰囲気になっているときは、結果もまた、よくないものなのです。

折しも、訳書を送付したヴォルフ先生から、お礼メール。なにもそこまで、と思うほど丁重な感謝がしたためられており、「貴兄のお名前が私の本に結びつけられるのはたいへん光栄です」とまでおっしゃってくださったのには恐縮しました。来年3月に、いずみホールにお迎えします。

1月15日(日)の《ロ短調ミサ曲》本番の、整理券頒布方式が決まりました。音楽研究所のサイトからダウンロードした申込書を大学の演奏課にFAXしていただき、先着順に受け付けるというやり方です。12月1日(木)から受け付け開始になりますが、席数が限られていますから、急いでお申し込み下さい。

完走祈願2011年11月18日 23時34分31秒

11月27日(日)に一橋大学兼松講堂(国立)で行われる《ポッペアの戴冠》の公演、須坂と国分寺の公演の延長線上にあるものですが、私は今回、直接かかわっていません。一応名前はあり、役どころは、事前の講演と字幕作りです。

その字幕作りの作業をしました。これが思いのほか時間がかかった。それだけ、演奏箇所が増えているのです。とくに、2人の乳母の出番が大幅に復活しており、そこに押見朋子さんが起用されていますから、演出家の関与と相俟って、演劇的な面白さが出てくるだろうと思います。見てあげていただければ、と思います。

なかなか作業が終わらず、老体に鞭打って(?)、深夜に及びました。授業の準備は、今朝、早起きして。早起きはじつに辛かったですが、「もう少しの辛抱」と言い聞かせて決行しました。最終学期を楽しむというゆとりはありません。今は、早く完走してしまいたい、という一念です。終わった時どんな心境になるかは、まだ想像の外にあります。

ノルマをひと通り終えた夕方、疲労困憊になり、「疲れちゃったので」と言い残して帰宅。かかった声は、「週末、ゆっくりお休み下さい」というものでした。私、週末こそが忙しく、休めないんですけど・・・。・

至福の2時間2011年11月20日 22時38分53秒

豪雨の土曜日。午前中立川の仕事を済ませ、お昼も食べないまま文京福祉会館に駆けつけましたが、そういう日は、いいことがありますね(←ツキの理論)。おそらく今年、もっとも濃密な2時間を過ごしました。

この日は、東京バロック・スコラーズ(指揮は三澤洋史さん)の主催で進行中の《マタイ受難曲》講座の2回目。日本の新約聖書研究の中心で、かねてから尊敬していた佐藤研先生に、聖書と受難についての講演をお願いしました。専門違いということでたいへん緊張され、謙遜される中でほほえましく始まった講演会。しかしすばらしい内容のお話であることは、すぐに明らかになりました。

短いレジュメの中にさえ膨大な研究の蓄積が垣間見えることは当然とも言えますが、なにより印象的なのは、識見が選びぬかれた言葉で、たえず良識の反省を含みながら、慎重に、正確に伝えられていくことでした。このようにして信頼性が確立されると、学術的な講演ほど面白いものはありません。後半ではご自身の最近のお考えを熱を込めてお話くださり、私も合唱団の方々も、イエスとその受難について、「目からウロコ」のように認識を深めることができました。《マタイ受難曲》のテキストに関する佐藤さんの私見も、じつに参考になるものでした。

福音書はなんと面白く、日本におけるその研究が、なんと進んでいることでしょう。お話を聞いていて涙の出ること再三でしたが、資料に公平な立場を採られる聖書研究者の方が学問と信仰をどう両立させているのだろう、というかねてからの疑問は、すこしわかってきたようにも思います。受難曲やカンタータを演奏される合唱団の方々、こんな勉強の機会をお作りになってはいかがでしょう。