謹賀新年2012年01月01日 20時46分23秒

皆様、よい新年をお迎えのことと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。新年の感慨や今年の抱負についてはもう少し先に書こうと思いますが、今日は、明日からさっそく始まる「古楽の楽しみ」年頭分について、ご案内させていただきます。

今週は、バッハの世俗カンタータを特集しました。2日(月)は、ケーテン時代の新年カンタータ《日々と年を作りなす時は》BWV134a(コープマン指揮)と、領主の誕生日祝賀カンタータ《いとも尊きレオポルト殿下よ》BWV173a(レオンハルト指揮)。3日(火)は結婚カンタータの特集で、《消えよ、悲しみの影》BWV202(ソロはナンシー・アージェンタ)と、例の《満ち足りたプライセの町よ》BWV216(リフキン指揮)。4日(水)は《狩のカンタータ》BWV208と、BWV207の抜粋(いずれもレオンハルト指揮)。5日(木)は《コーヒー・カンタータ》全曲(レオンハルト指揮)と《農民カンタータ》の抜粋(アーノンクール指揮)。6日(金)は、《フェーブスとパンの争い》BWV201(ヤーコプス指揮)です。新年にふさわしい快活な作品群ですので、早起きの方はお聴きください。

じつは月曜日の冒頭部分で、ミスを重ねました。《日々と年を》という曲名を最初だけ《日と年を》と言っていたことが判明し、NHKに行って、そこだけ録り直し。と思ったら《いとも尊き》をやはり最初だけ《いとも尊い》を言っていることがわかり、もう一度行って、そこだけ録り直し。冒頭のスピーチはヘンデルの《水上の音楽》に乗せてしゃべっているので、編集が利かないのです。声が、途中から違うと思います(笑)。「ツキの理論」からして、さっそくの厄落としと解釈しています。

月末には「伝バッハ」のカンタータ、フリーデマンのカンタータなど変化球を用意しています。これについては、あらためてご案内しましょう。皆様のよき1年をお祈りします。

こんなはずでは・・・2012年01月03日 22時52分59秒

皆様、三が日はどう過ごされましたか。私は、昨年12月にがんばって山を登り切ったお陰で、何年ぶりかのゆっくりしたお正月を迎えました。気持ちがゆったりすれば、日本のお正月もいいものですね!

と書きたかったのですが、現実はそうなりませんでした。すごい緊張感で大晦日からこの三が日仕事をしていたのは、ここ何年間か、記憶のないほどです。

なぜというに、8人の先生方と共同して行った「バッハとその時代」の授業内容を、本にしようというプロジェクトが実現したからなのです。他の先生方の原稿は12月半ばにきれいに揃ったのですが、私は一文字も書かないうちに、年末を迎えてしまいました。しかも14回のうち5回を私が担当したので、書かなければいけない原稿が、400字で125枚もあるのです。1月の8日が絶対のタイムリミット、ということで、必死の3が日となったのでした。メドはつきましたが、まだできていません。ほかにもいろいろ仕事がありますので、当分、この調子が続きそうです。

年賀状を、たくさんいただいています。でもこうした状況なので、今年は年賀状を失礼することにしました。お読みの方で、送ったよ、という方、申し訳ありません。その代わり、退職の通知をしかるべきタイミングで、賀状をくださったすべての方にお出ししようと思います。その頃には、すっかり余裕のある日々になっていると思うからです。ちなみに書いている原稿は、「バッハの生涯/バッハ研究の問題点」「バッハと音楽、バッハと神」「バッハと流行」「バッハの音楽頭脳」「《ロ短調ミサ曲》~宗派の対立を超えて~」の5本です。

1月のイベント2012年01月05日 22時24分46秒

『バッハとその時代』の原稿、なんとか仕上げました。最後だと思うせいでしょうか、自分としては、盛り上がるものがありました。でも、講演の準備が・・・ というわけで、今月のイベントをご紹介します。

6日は初仕事。全日本合唱指揮者連盟で、「バッハ研究家の指揮者論」という話をします。釈迦に説法という厳しい条件のもと、どんなことになりますやら・・(辛口になりそうな不安あり)。7日は2つの公開講座。午前中は朝日カルチャー新宿校で、持ちネタの1つ「テノール歌手さまざま」を披露します(10:00から)。午後は14:00から東京バロック・スコラーズ主催の《マタイ受難曲》講座第3回。第1部の音楽を中心に論じます。場所はスコラーズのホームページをご覧ください。

15日(日)はもちろんiBACHの《ロ短調ミサ曲》なのですが、14日(土)18:00から予定している公開ゲネプロがまだ案内されておらず、焦っています。土曜日、ご予定いただいて大丈夫です。

21日(土)は「楽しいクラシックの会」ですが、今回は14:30から。それは立教大学で辻荘一賞の授賞式があるためです。今回は私の敬愛する大角欣矢さんが受賞されましたので、お祝いにかけつけてから「たのくら」にまわります。コンサート後になりますが、《ロ短調ミサ曲》講座の最終回です。

28日(土)は、10:00から朝日新宿校でこだわり入門講座の補講。「音楽史の中の女性」というテーマです(汗)。すぐ横浜校に移動し、13:00から「エヴァンゲリスト」講座で、「妻の楽譜帳--フランス組曲など」という話をします。

あと、私が最後に担当した大学院オペラ専攻の人たちの修了演奏があります。19日(木)13:30からアリア、27日(金)10:00からアンサンブルとなっています。応援よろしく。みんな、がんばってね。

学んだこと2012年01月07日 23時48分44秒

新年早々の難関と認識していた6日、7日の講演3連チャン、乗り切りました!前門の虎、後門の狼といいますが、虎に当たる、日本合唱指揮者協会の講演についてご報告します。

一番前で聴いていた音楽学出身の弟子に「先生、緊張していましたね」と見破られたほど、じつは緊張していました。専門家の方々の前で「バッハ研究家の指揮者論」などというテーマを掲げてしまい、「釈迦に説法」という言葉がたえず脳裏に浮かんでいたからです。総会開催中待機していましたが、ふと気がつくと、靴下のくるぶしのところに、大穴が開いている(汗)。犬の顔を思い浮かべ、弱ったなあと思いましたが、そこで皆様、私の理論です!これはツキを温存する、吉兆なのではないか。いずれにせよ、穴が見えないように立ちまわらなくてはなりません。

準備は、音源や映像に至るまでしっかり済ませてあり、プリントも配布。そこで話を始めました。しかしその内容というのが私の最近の考えを反映していて、カリスマ指揮者対オーケストラという20世紀的形態に対する疑問が、随所に反映されているのですね。「指揮者の功罪」とか、「モーツァルトの協奏曲に指揮者は必要か」といった項目が出てきます。こんなこと言っちゃっていいのかなあ、と絶えず思うのですが、舌鋒がどんどん鋭くなって、ブレーキが利かない(笑)。今から考えると、聞き手の方々に乗せられていたのだと思います。私の論点には皆さんすでに意識をもたれていて、食い入るように、聞いてくださったのです。

終了後、人生でもそう何度もなかったと思われる、長く心のこもった拍手をいただきました。感激。懇親会で先生方とお話しし、私が気づかなかったことも、いろいろと勉強できました。で、本当に思ったのは、こうした講演のときにはやはり自分の問題意識を率直にぶつけるべきだ、ということ。当たり障りなくエールを贈るより、絶対そのほうがいいですね。問題提起をすることで始まる議論が大切だし、そういう内容を求めて、皆さん付き合ってくださっているとわかりました。

その意味では、聞いてくださった方々のお力で、盛り上げていただいたと思っています。先に向けて、勇気を得ました。

新年仕事始め2012年01月10日 11時58分30秒

今日は、《ロ短調ミサ曲》練習の再開日。大学の仕事始めです。本番まで残りわずか、準備に最善を尽くしたいと思います。

ご心配いただいていたゲネプロ公開の件、次のようになりました。14日(土)18:00からのゲネプロは規定方針通り公開しますので、ご来場の方は、国立音楽大学演奏課までお電話(042-535-9535)ください。ただ、当日時間ができたからとふらりと来てくださっても大丈夫だそうです。ご案内が遅くなりましたが、どうせ公開するのですから、大勢のお客様に聴いていただきたいと思います。

明日、大学院研究年報と学部卒論の締め切り日。これで、短期的な個人指導は終了です。成長の喜びも、忍耐もたくさんあった長年の指導でした。成績の提出もそろそろということで、前期のオムニバス授業「バッハとその時代」のレポート採点を済ませました。私がうちの大学の教員になってから初めてと思えるほどの力作揃いです。私ひとりではこうはいかなかったと思うので、先生方の協力が学生に与えるインパクトは大きいと実感しました。最後に、何かが始まる、という感触をもてる機会が得られて、良かったです。

神の国?2012年01月13日 10時54分36秒

連日練習に付き合っていると、どうしても、《ロ短調ミサ曲》の話題になってしまいます。

精魂込めた練習が眼前に繰り広げられ、聴衆は事実上私ひとり、というのは、なかなかの気分。何度も聴き、作品が隅々まで、身体に入って来ました。すごい作品だなあ、の一念です。

バッハはもともと理想主義的なところがありますが、この作品も、とくに後半において、演奏者の都合をあまり考えていない。「ミサ曲」という偉大な歴史をもつジャンルに規範となる曲を遺そうという意識から、とりわけ自信のある曲を、努めて多様な形で集成することに全力を注いでいて、演奏者はじつに負担を強いられます。作品の起点を外部からの委嘱に求めるのか内的な構想に求めるのかという論争がありますが、回を重ねるごとに後者に傾いてくるというのが実感です。

通し演奏まで死後100年もかかったのは、ケタ違いの難しさに加えて、通して演奏するべき曲なのかどうかという躊躇もあったのではないかと想像します。それを大学の先輩たちが、昭和6年に初演したとは。こうした苦労の結果、曲がいま世界中で取り上げられるようになっていることを、バッハに教えてあげたいですね。

自分の人生の1ピークになるようなイベントですから、当日どんな思いにかられるか、見当がつきません。基本的に私は感激家なので、過度に感激を舞台上で示してしまってはまずいと、警戒しています。いざその時になれば案外クールなのかなとも思いますが、どうでしょうね。

バッハ時代の音楽論では、音楽は天国の幸せの、この世におけるVorschmack(あらかじめ味わうこと)であると言われていました。でもVorschmackそれ自体が人の考える天国の幸せなのだと、考えることもできそうです。なぜなら、イエスの唱えた「神の国」はどこか未来にあるのではなく、そのメッセージに接した者が喜びをもって信じるとすれば、そこにすでにあるのだ、という解釈を読んだことがあるからです。

そうなると、練習のひとつひとつがすでに神の国の始まりなのかな、と思えてきました。今日が最終リハーサル、明日が公開リハーサルです。

開演30分前2012年01月15日 13時26分56秒

やっぱり、いろいろありますね。公開ゲネプロの昨日は、字幕用に用意したマックのパソコンがプロジェクターにつながらないことがわかり、ウィンドウズのパソコンを調達したり、ファイルを調整したりと、忙しい思いをしました。宗教曲に字幕が要るの、という声もありますが、私は歌詞の理解は宗教曲においてこそ必要、という考えなので、綱渡りをしても、字幕を使います。

私の情緒部分について。じつは大詰めの〈アグヌス・デーイ〉で涙が止まらなくなってしまい、演奏者から、「責任者なのだからしっかりしてください」と言われました(笑)。今日は、しっかり取り組みます。号泣を期待している方、おあいにくさまです。

もう開場しました。行ってきます(緊張)。

今、作品について思うこと2012年01月16日 15時48分29秒

《ロ短調ミサ曲》の演奏会、無事終わりました。全員一丸となってバッハに向けて燃焼し、ベストを尽くしたことだけは間違いのないコンサートになりました。出演者や裏方の皆さん、足を運ばれた方々、その他応援してくださったすべての方に、心から御礼申し上げます。

今日は会議のため大学に来ていますが、疲労困憊、もぬけの殻です。肩の荷が下りたということもありますが、終了後の打ち上げを4次会まで重ねたことがたたりました。最後残った6人でラーメンを食べたのが、深夜の3時でした(汗)。

感想は何度かに分けて書きたいと思いますが、今日は、《ロ短調ミサ曲》という作品について、当面の結論として得た認識を述べたいと思います。

《ロ短調ミサ曲》の真髄は、やはり後半にあります。前半はまとまっていて勢いがありますが、後半は知れば知るほど深く、奥行きがある。演奏した感銘は1.5倍ぐらい大きいと確信しました。とくに〈ニカイア信条〉は、宇宙的な規模をもって完成された、音による神学絵巻です。

それ以降に並ぶ6声、8声の大合唱曲の偉容もすばらしいものですが、感動はむしろそれらにはさまれた小独唱曲にあり、その配置が絶妙であることも痛感しました。テノール、フルート、通奏低音のトリオによる〈ベネディクトゥス〉と、アルト、ヴァイオリン(ユニゾン)、通奏低音のトリオによる〈アグヌス・デーイ〉は、《ロ短調ミサ曲》の魂とも言うべき部分です。一見寄せ集めに見える後半のそのまた後半部が、寄せ集めどころか、バッハ晩年の叡智の結晶であることがようやく理解できました。

神殿空間をセラフィムが舞うように壮麗な〈ザンクトゥス〉。これは独立曲をそのままミサ曲へと取り入れたわけですが、合唱が歌いっぱなしになる消耗度の高い曲で、演奏者に大きな負担を課します。言い換えれば、そうした曲をここに置くといういことは、演奏者の都合を度外視しているようにも見えるわけです。

練習を重ねることによって私は〈ザンクトゥス〉のすばらしさを痛感するようになりましたが、同時に、《ロ短調ミサ曲》が「実用作品としてではなく、理想とするミサ曲の範例を作って次の世代に遺すという意図から集成された」とする古来の説に、一票を投じたい気持ちにもなってきました。

でもそうした範例が範例に終わらず、演奏を通じて生きたものとして体感できるようになったのが、今、この時代です。そんな時代が来るとは、バッハは想像もできなかったのではないでしょうか。

畏怖2012年01月17日 23時08分17秒

コンサートに遠路を問わず集まってくださった方々の中に、雪深い東北在住の、大学以来の親友がいました。世界史の専門家ですが、多くを学ばせてもらった、尊敬する友人です。

その彼が送ってくれた感想メールの中に、「若い人たちの、音楽をする喜びや音楽に対する畏怖のようなものがストレートに伝わるステージでした」という部分がありました。畏怖!そうです、それが絶対あったと思うのですね。それがあったこと、それが伝わったことは、なんと嬉しいことでしょう。

公開ゲネプロで、終演後、涙の止まらぬままお話しした〈神の小羊〉のソリスト、加納悦子さん。私の賛辞に対しておっしゃったのは、すぐ次は沈黙という世界を目指している、ということでした(もう少し上手な表現でおっしゃいましたが正確に再現できません、ごめんなさい)。声を出してなんぼ、というのが声楽の世界なのに、こんなことをおっしゃる人がいるとは、と私は驚嘆し、この方はもう私のずっと先に進んでおられるなあ、と頭を垂れました。

本番も、静寂と沈潜の中で歌われるすごい〈神の小羊〉で(「神品」という言葉がぴったり)、涙する人が大勢。私はしっかりと音楽に向き合って、感動しながらも、涙は抑制できました。さて、打ち上げ。加納さんは私に、持ち前のいたずらっぽい表情で、私の聴いた最初のバッハ、すなわち堀俊輔さんの指揮による《マタイ受難曲》のあとに楽屋でなんと言ったか覚えていますか、とおっしゃいます。思い出せませんと申し上げると、私の言葉を教えてくださったのですが、それは加納さんに限って申し上げるはずのない、批判的な言辞でした。もちろんご本人もすぐに納得はされなかったようなのですが、考えるうちに理解する部分があり、今回の演奏はそれが出発点になった、とおっしゃっるのです。私は本当に驚き、そして感動しました。いっしょに作っていたのだなあ、と思えたからです。

立錐の余地もなかった打ち上げについて、次にご報告します。

涙ありの打ち上げ2012年01月18日 23時16分12秒

午後の公演ですので、打ち上げは6時半から。ほぼ全員が参加し、立川のイタリアンで、にぎやかに行われました。達成感のある打ち上げほど楽しいものはありません。感謝をこめて、ワインを16本差し入れました。

普段あまり声をかける機会のない人たちとも話し、みんなが喜びと感動をもってバッハを勉強してくれていたことを実感。これで終わるのはもったいない、もっと続けたい、と多くの方がおっしゃいましたが、私の最後に合わせて設定されたプロジェクトですので、それは望めません。しかし蒔かれた種を踏み荒らすわけにはいきませんから、これからどんなことができるのか、自分なりに考えてみたいと思います。

涙をだいぶ流してしまいました。飲んだので記憶がはっきりしませんが、ひとつ覚えているのは、私にメッセージが届いている、ということで、司会者がそれを読みあげたときです。富田庸さんのイギリスからの心のこもったメッセージでかなり感動していると、司会者が、もうひとつあります、外国からです、と言って続けるのですね。あれ、誰にも言ってないが、と思ってドイツ語のメッセージに耳を傾けると、途中で分かりました。「心の友へ」と始まるそのメッセージは、ジョシュア・リフキン先生からのものです。もったいない言葉の連続に、相当泣いてしまった次第です。

でも一番嬉しかったのは、手製のアルバムをもらったことです。ドイツ風の表紙があり、開くと最初の数ページに、メンバーからのメッセージがずらりと並んでいる。その先に練習風景の写真があるのですが、ただ貼ってあるのではなく、種々切り抜きでアレンジされていて、手がかかっている。丹精の賜なのです。こんなのいつ作ったんだ、と聞くと、「声楽チームが中心になり、みんなで心を込めて作りました」という返事。私的にはじつにすばらしい活動記録で、毎日、ワインを飲みながら見入っています。みんな、ありがとう。

今日、当日のスナップ写真が回りました。私が泣いているのもばっちり写っています(別に「号泣」ではないですよ)。涙はむしろ、翌日に出てきました。あそこが、ここが頭に取り付くようになってからです。