辻荘一賞授賞式2012年01月22日 23時24分46秒

21日の土曜日はたいへん寒い雨の1日になりましたが、立教大学のチャペルで行われた、辻荘一・三浦アンナ学術奨励金の授賞式に出席しました。受賞者は既報の通り、芸大教授の大角欣矢さんです。

完全な礼拝形式で、授賞式は進みます。記念講演は祭壇で行う。そういえばやったような気がしますが、私がいただいたのは第1回で1988年のことですので、何をお話ししたか、まったく記憶がありません。

ご専門の宗教改革期の音楽、ルターとシュッツをつなぐ時期の聖句モテットについて語られた大角さんの講演は、感動的なものでした。作品の成り立ちを追悼説教からアプローチするのが大角さんのオリジナルで、当時の人々がいかに死としっかりと向き合い、そこに価値観を発見していたかが語られていきます。それは同時に、死と向き合うことを放棄した現代人への警鐘ともなっているのです。そこで発揮される音楽の力を評価すべきだと、大角さんは主張されました。

おっしゃることのすべてが、私の心から同意できることばかり。発想にしろ楽曲分析にしろ、自分が話しているのではないかと錯覚しそうになることも何度かありました。しかし私からの影響は、微々たるものだと思います。ご自身でオーソドックスに勉強された結果、私の心から共感できるお考えに、到達しておられるのです。

ただ、決定的に違うことが、1つあります。それは大角さんが敬虔な信徒であられ、私がそうでない、という点です。それなのにどうしてこういう共感があるのだろう。私には不思議に思えてなりませんでしたが、ふとよぎった直観があります。これは、私が《ロ短調ミサ曲》について述べている「宗派を超えた宗教性」というもののもたらしたつながりと考えることはできないでしょうか。

次の世代にすばらしい研究者を得て、シメオン老人(ルカ福音書参照)のような心境です。