畏怖 ― 2012年01月17日 23時08分17秒
コンサートに遠路を問わず集まってくださった方々の中に、雪深い東北在住の、大学以来の親友がいました。世界史の専門家ですが、多くを学ばせてもらった、尊敬する友人です。
その彼が送ってくれた感想メールの中に、「若い人たちの、音楽をする喜びや音楽に対する畏怖のようなものがストレートに伝わるステージでした」という部分がありました。畏怖!そうです、それが絶対あったと思うのですね。それがあったこと、それが伝わったことは、なんと嬉しいことでしょう。
公開ゲネプロで、終演後、涙の止まらぬままお話しした〈神の小羊〉のソリスト、加納悦子さん。私の賛辞に対しておっしゃったのは、すぐ次は沈黙という世界を目指している、ということでした(もう少し上手な表現でおっしゃいましたが正確に再現できません、ごめんなさい)。声を出してなんぼ、というのが声楽の世界なのに、こんなことをおっしゃる人がいるとは、と私は驚嘆し、この方はもう私のずっと先に進んでおられるなあ、と頭を垂れました。
本番も、静寂と沈潜の中で歌われるすごい〈神の小羊〉で(「神品」という言葉がぴったり)、涙する人が大勢。私はしっかりと音楽に向き合って、感動しながらも、涙は抑制できました。さて、打ち上げ。加納さんは私に、持ち前のいたずらっぽい表情で、私の聴いた最初のバッハ、すなわち堀俊輔さんの指揮による《マタイ受難曲》のあとに楽屋でなんと言ったか覚えていますか、とおっしゃいます。思い出せませんと申し上げると、私の言葉を教えてくださったのですが、それは加納さんに限って申し上げるはずのない、批判的な言辞でした。もちろんご本人もすぐに納得はされなかったようなのですが、考えるうちに理解する部分があり、今回の演奏はそれが出発点になった、とおっしゃっるのです。私は本当に驚き、そして感動しました。いっしょに作っていたのだなあ、と思えたからです。
立錐の余地もなかった打ち上げについて、次にご報告します。
その彼が送ってくれた感想メールの中に、「若い人たちの、音楽をする喜びや音楽に対する畏怖のようなものがストレートに伝わるステージでした」という部分がありました。畏怖!そうです、それが絶対あったと思うのですね。それがあったこと、それが伝わったことは、なんと嬉しいことでしょう。
公開ゲネプロで、終演後、涙の止まらぬままお話しした〈神の小羊〉のソリスト、加納悦子さん。私の賛辞に対しておっしゃったのは、すぐ次は沈黙という世界を目指している、ということでした(もう少し上手な表現でおっしゃいましたが正確に再現できません、ごめんなさい)。声を出してなんぼ、というのが声楽の世界なのに、こんなことをおっしゃる人がいるとは、と私は驚嘆し、この方はもう私のずっと先に進んでおられるなあ、と頭を垂れました。
本番も、静寂と沈潜の中で歌われるすごい〈神の小羊〉で(「神品」という言葉がぴったり)、涙する人が大勢。私はしっかりと音楽に向き合って、感動しながらも、涙は抑制できました。さて、打ち上げ。加納さんは私に、持ち前のいたずらっぽい表情で、私の聴いた最初のバッハ、すなわち堀俊輔さんの指揮による《マタイ受難曲》のあとに楽屋でなんと言ったか覚えていますか、とおっしゃいます。思い出せませんと申し上げると、私の言葉を教えてくださったのですが、それは加納さんに限って申し上げるはずのない、批判的な言辞でした。もちろんご本人もすぐに納得はされなかったようなのですが、考えるうちに理解する部分があり、今回の演奏はそれが出発点になった、とおっしゃっるのです。私は本当に驚き、そして感動しました。いっしょに作っていたのだなあ、と思えたからです。
立錐の余地もなかった打ち上げについて、次にご報告します。
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