短くするコツ2015年07月23日 23時41分30秒

書ける材料が10あり、与えられたスペースが1であるとしましょう。その「1」に理想があるとすれば、それは、読む人が「1を以て10を知る」ことができるように書くことです。そんな理想は誰も実現できませんが、少しでも近づこうとする努力は可能だと思います。

実生活と同じで、無駄を省くことは、思っている以上にできるものです。よくしゃべる人の話を聞きながら、内容の割に話が長い、と思うことってありますよね。しかし用意した下書きには、レトリックを含めて自分の思い入れがありますから、短くすることは困難。短縮は、いわば自分との戦いです。

内容の重複を避けること、形容詞の無駄遣いをしないことは、基本中の基本。「このことを書くのに、どうしたら最短コースで書けるか」を詰めて考えることで、もう相当、短くなります。短くなるということは、内容が薄まることではなく、むしろ密度が高くなるだと考えて取り組むのがいいでしょう。

しかし、結論だけが残る、という骸骨のような短縮はいけません。論証、説明はどうしても必要ですし、個人的な感想の記述も、よき潤いとなる可能性があります。そこにバランスを取るのが、一番むずかしいことかもしれません。

短縮は、一度にはできません。一晩寝かせて翌日取り組むと、その間に「諦念」が生じて、思い入れのある部分を、すっと諦めることができるものです。自分としては書きたいが、読者にとっての必要は二次的、と気がついて観念するからです。短い文章で要点を把握することは読む方にとってのプラスですから、短縮作業は、価値観をもって取り組めるはずのことです。

文章に流れが必要であることは、長い文章でも短い文章でも同じです。箇条書きのようになると、読む楽しさが失われてしまう。よく論文の要旨に、この論文は何々について書いたものである、ということしか書かない人がおられますが、これは大きな間違いです。要旨は、プロセスから結論までを、極力短縮したものでなくてはなりません。字数が少ないからとあきらめずに取り組むことで、短縮技術は向上するはずです。

7月二度目の「古楽の楽しみ」~ヘンデル2015年07月26日 11時03分53秒

番組の事情で、今月の出番が2回になりました。明日から始まる2回目は、ヘンデルのオペラ特集としました。

27日(月)はロンドンでの出世作《リナルド》。〈涙の流れるままに〉というアリアが有名ですが、真の主人公は魔女のアルミーダかもしれません。演奏はホグウッドです。

28日(火)は《アリオダンテ》。イタリア・オペラですがスコットランドを舞台にしています。放送ですからバレエの場面を中心に編集しました。指揮はミンコフスキ。

29日(水)は《アルチーナ》。ヘンデルは魔女の造形を好みますが、アルミーダはエルサレムを包囲した十字軍に立ちはだかる魔女、アルチーナは《狂乱のオルランド》に出てくる魔女です。これにはアラン・カーティスの演奏を選びましたが、それは、バレエ音楽をきちんと収録しているから。ディドナートらの歌い手が、華麗な装飾唱法を展開しています。

30日(木)は《セルセ》(クセルクセス)を予定していたのですが、セルセのCD全曲盤が間に合わず、《ジューリオ・チェーザレ》(ジュリアス・シーザー)に変更しました。これは横綱級の作品で、名曲も満載。その中からシーザーのアリア3曲とクレオパトラのアリア3曲をつないで物語を進め、フィナーレで締めることにしました。演奏はミンコフスキ。メゾのコジェナーが、クレオパトラをみごとに歌っています。最後はあえて時間を残し、ショル歌うところの〈オンブラ・マイ・フ〉(《セルセ》冒頭曲)を押し込みました。

華麗奔放なヘンデルのオペラはやはり第一級の音楽ですが、今回気づいたことが1つあります。それは、ヘンデルの特有のよどみない旋律の魅力が、絶妙のリズムの裏付けで作り出されているということです。たとえば〈牧場の花も〉という、チェーザレのアリアがありますよね。順次進行の単純な音並びが、拍節のダイナミズムと密着したリズムの効果で、魅惑の旋律へと大化けしています。やはりリズムが、音楽の根源であるようです。

今月のCD2015年07月30日 10時21分01秒

クラウディオ・アバドの晩年の録音が、途切れずに発売されていますね。大きな尊敬をもって耳を傾けていますが、今月のモーツァルト オーボエ協奏曲/ハイドン 協奏交響曲は、特選盤に選ばずにはいられないものでした。2013年、スペインでのライヴですから、まさに最晩年です。

次は、新聞からの引用です。「ハイドンの協奏交響曲の、澄みわたるような気高さはどうだろう。4つのソロ楽器が力みも思い入れもなしに歌い交わし、穏やかなぬくもりが、全体を覆っている。神話に言うパルナッソス山が実在するとすれば、その頂上での合奏はこんなものではないか、と空想する。モーツァルトの協奏曲もソロと合奏が霊的に会話する趣で、L.M.ナバロのしなやかなオーボエがすばらしい。」

モーツァルトのオーボエ協奏曲をフルートのイメージからまったく解放されて聴いたのは、自分として初めてでした。