合唱コンクールという試練2015年08月24日 23時15分09秒

スケジュールの立て込んだ8月下旬への関門としてあったのが、この土日の合唱コンクール(全日本、埼玉)でした。

審査はなにぶんの激務(採点の心理的負担+コメント書き続けの体力的負担)なので、最近のコンディションで務まるかどうか、かなり心配していました。専門領域でもないわけだし、今後どこまでお引き受けしたものか、と及び腰で、「潮時」という言葉も、頭に浮かんでいました。

もちろん、行けば全力投球でやります。至れり尽くせりで気持ちよく迎えていただける上、中高の合唱団の規律正しさ、礼儀正しさは、本当に気持ちがいい。1日目(高校)は疲れを感じることもなく完遂し、高揚感がありました。

しかし2日目は、忍び寄る疲労が。あらためて思ったのは、音楽コンクールの審査というのは、その対象がどのぐらい上手かを判定するのではなく、自分の音楽観を問い直す活動だということですね。何をよしとするかは本当に決めがたいことで、それを楽しむほど、私は偉くありません。

埼玉県はレベルが高いですから、名伯楽と折り紙付きの先生たちが、生徒たちを手駒として縦横に動かし、マスゲームを見るように絢爛としたプレゼンテーションを行います。音響実験さながらの現代作品が、よく選ばれる。それをコンクール向けと言えば、言えるのではないかと思います。

その傾向が、いちだんと加速しているように思われました。昭和な私としては、昔ながらの合唱の楽しみ、集まってすぐハモれるような合唱の楽しみを重視したい気持ちについかられるのですが、それを採点に反映させるのはむずかしいし、いいかどうかもわかりません。これは一例ですが、ほとんどすべてのステージに、採点の葛藤がついてまわります。

というわけで、自分として今後どうすべきかには、結論を出せませんでした。しかしコンクールに出場した生徒が合計1400人、などという話を聞くと、大事な仕事であることは確実です。例によって後悔を繰り返しながらの作業でしたが、4つの部門のうち私が1位を付けた出場校が3つ総合1位になったので、なんとかほっとしています。勉強させていただいています。